元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「チョコレートドーナツ」

2014-05-30 06:28:33 | 映画の感想(た行)

 (原題:ANY DAY NOW )事実に基づいた映画であることを鑑賞後に知り、酷評するのを少し思い止まった。これがフィクションならば単なるお涙頂戴劇だろう。ディテールは粗雑だし、展開には無理がある。要するに通俗メロドラマのヴァリエーションとしての価値しかないが、実話ならば“こういうこともあったのだ”と納得は出来る。

 70年代のカリフォルニアで、歌手デビューすることを夢見ながらゲイ専用のキャバレーでショウダンサーとして日銭を稼いでいるルディと、同性愛者であることを隠しつつ社会正義を全うするために検察事務所に勤めるポールは、ルディが働く店で出会い恋仲になる。

 ある日ルディのアパートメントの隣に住む女が麻薬所持で逮捕され、その息子であるダウン症の少年マルコは置き去りにされてしまう。見かねたルディ達はマルコを家に招き入れ、彼らは家族のように寄り添って暮らすことになる。しかし、ルディとポールはゲイであるということで好奇の目にさらされ、当局側は理不尽にもマルコを二人から引き離そうとする。

 まず、主人公の二人がマルコを養育しようと思った根拠が明確に示されていないことに不満を覚える。育てる上で大きな困難が伴うことが予想が付く状態で、容易にマルコを引き取れるはずもない。そこには切迫した事情があったはずだが、ここではただ“可哀想だから”という表面的な事情しか見て取れないのだ。

 そもそも、ルディとポールがどうして惹かれ合ったのかという経緯も描かれていないではないか。何やら“ゲイ同士は、目と目が合うだけで直ちに懇ろになるものだ”という下世話な見方さえ窺われる。

 同性愛に対しての偏見が厳しかった時代、しかもポールは法曹関係者だ。自分たちの行動がどういう結果に繋がるか、分かるはずである。それをヘタに親権に拘って無理筋の訴訟を起こすなど、全然スマートに見えないのも痛い。

 確かに、ジャンキーの親に子供の養育を丸投げしてしまう当局側の措置は批判されても仕方が無いし、マルコのような境遇の子供を受け入れる施設の状態が良くないことも想像出来る。しかし、それらは別の問題だろう。“(環境が悪いから)ゲイのカップルに子供を委せても良い”ということにはならない。社会に対して何か言いたいことがあるのならば、主人公二人が同性愛者である必要も無かったのではないか。たとえば重い過去を背負った男女が恵まれない子供を引き取ろうとするような話ならば、訴求力も普遍性も増したはずだ。

 主演のアラン・カミングとギャレット・ディラハントは好演。特にルディに扮するカミングは、ナイーヴな表情とソウルフルな歌声により、観客の目を引きつける。しかしながら、映画のコンセプトそのものが練り上げられていない状態では、積極的な評価はしたくない。

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