元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ある過去の行方」

2014-05-10 06:43:01 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Le passe)観た印象は、あまり芳しくない。「彼女が消えた浜辺」「別離」と秀作を放ったイランの俊英アスガー・ファルハディ監督作だが、話を必要以上に作り込んだ挙げ句に求心力が低下している。“策に溺れた”というのは、こういう状態のことを言うのであろう。

 パリに住むシングルマザーのマリーがイラン人の夫と別れて4年になる。子持ちの男性サミールとの再婚を予定しているため、今は本国に帰っている夫のアーマドを呼び寄せ、家庭裁判所にて正式な離婚の手続をしようとする。アーマドはてっきりマリーは新パートナーと幸せな生活を送っているものだと思っていたのだが、いざパリに着いて実際のマリーの境遇を見てみると、好調とは程遠い。特に長女のリュシーとの仲が上手くいかないマリーは、アーマドに娘の本音を探ってほしいと頼まれる。

 前二作と同様、隠されていた“真相”が各登場人物の言動により次第に明らかになってくるという構成になっているが、求心力は低下している。理由は明らかで、前作までがイラン社会における問題点が主人公達の心に重くのしかかっていたのに対し、本作は舞台が国外に移動しているためか、国情をバックグラウンドにした作劇が困難になっているからである。

 もっとも、アーマドが数年前にイランに帰らざるを得なかった“何らかの事情”が、フランスとイランとのカルチャーギャップに端を発していたことは想像に難くないが、映画はそのあたりを描かない。

 そのため、話を主人公たちの愛憎に重きを置くほかはないのだが、サミールの現在の妻の自殺未遂騒ぎという大仰な題材が挿入されているわりには、全体に緊迫したものが感じられない。やはり、国柄に付随する自らのアイデンティティからのアプローチは、単なるメロドラマを超えた場所に位置しているのだろう。

 劇中、登場人物たちが会話するシーンで、ダイアローグが終わったと思ったら一方が“まだ付け加えることがある”とばかりに無理やり続けようとするくだりが散見されるのだが、これは話をミステリアスにするためにセリフの中に伏線を張りまくろうという作者の意思が表れていることは言うまでもない。しかし、そんな屋上屋を架すがごときネタの積み上げは、いかに衝撃的な“真相”とやらが開示されようとも、それまでの小賢しい意図が見透かされてしまって、インパクトはかなり弱い。

 ハッキリ言って、ここに描かれた登場人物達の直面する“逆境”は、当事者以外はどうでもいいようなことなのだ。イラン社会の特殊性に立脚したような前二作の筋書きが、意外にも広範囲な訴求力を持っていたことに比べれば、本作での“頭の中だけで考えたような”プロットの運びは、かなり見劣りすると言わざるを得ない。

 マリー役のベレニス・ベジョやアーマドに扮したアリ・モッサファなどキャストは皆熱演だが、映画自体の内容が低調なので、さほど成果は上がっていない。
コメント
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