元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「プリズナーズ」

2014-05-17 06:36:12 | 映画の感想(は行)

 (原題:Prisoners)ドゥニ・ ヴィルヌーヴ監督の前作「灼熱の魂」と同じく、これは“有り得ない話”である。しかし、主に戦争という(観客からすれば)非日常の状態にあるレバノンに舞台を設定した前回は、その“有り得ない話”を“有り得るかもしれない話”に移行させることが可能なバックグラウンドを持っていた。対して本作にはそのような御膳立ては無いため、いつまで経っても話は“有り得ない”ままである。そのためインパクトの弱さは否めない。

 ペンシルヴァニア州の田舎町に住むケラー・ドーヴァーとその家族は、11月の感謝祭の日には全員で近所の友人バーチ家に向かい、そこで会食するのが恒例行事になっていた。ところが親が目を離した間に、ケラーの娘で6歳のアナとバーチ家の7歳の娘ジョイが行方不明になってしまう。失踪当時近くに停まっていた不審な車の情報から、警察は近所に住むアレックスという知的障害を持つ青年の身柄を確保。しかし物的証拠が無く、彼は釈放されてしまう。

 アレックスが事件に関わっていることを疑わないケラーは、何とアレックスを誘拐して廃屋に閉じ込め、殴る蹴るのリンチを加えて口を割らせようとする。一方、この事件を捜査していた地元警察署のロキ刑事は、少ない手掛かりを集めて一歩一歩真相に迫ろうとしていた。

 ケラーはリバタリアニズム(完全自由主義)という極めてアメリカ的な思想を持ち合わせている。つまり“いつ何があっても対応出来るように備えておく”というスタンスだ。この設定が成された時点で、置いて行かれる観客がいると思う。こんな考え方は、日本人とは相容れないものだ。

 さらに彼が(いくら“娘のため”とはいえ)アレックスに対し虐待の限りを尽くすというのは、これまた理解出来ない。決定的な証拠があれば警察がとうの昔に勘付いているし、それが無かったから釈放されたのである。ケラーの暴挙を弁護するような見方は、どうしても出来なかった。

 さらに、この映画のプロットは脆弱だ。そもそも、どう考えても真犯人の動機が分からない。宗教的な絡みがあるので納得出来ない部分があるとはいえ、随分とアバウトな作劇ではある。途中、重要参考人の一人が自殺してしまうくだりがあるが、この段取りはいい加減で興ざめだ。元神父の地下室で発見された死体が何か語っているようで、ほとんど何も事件の全容を示唆していないのにも呆れる。

 この話が前作と同じような無法地帯で展開されるのならば、まさに“何でもあり”といった感じで受け入れられるのかもしれないが、日常的な時間が流れているアメリカの街中で斯様なトンデモなストーリーが綴られるというのは、違和感が大きい。

 主演のヒュー・ジャックマンをはじめロキ刑事役のジェイク・ギレンホール、そしてヴィオラ・デイヴィス、マリア・ベロといったキャストは熱演だが、映画自体が“宙に浮いた”ような出来なので、評価は出来ない。2時間半付き合った結果は、疲労感の方が大きかった。
コメント
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