元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「私は貝になりたい」

2008-12-10 06:33:44 | 映画の感想(わ行)

 一番の見所は劇中で主演の中居正広が“よさこい節”を歌うシーンかもしれない。いつ音程が外れないか、または歌詞を間違えないかと、ヒヤヒヤした。実にスリリングなモチーフだったと思う(爆)。要するに本作はそれぐらいしか興味の持てる場面はないのだ。退屈極まりない凡作と言って良い。

 冒頭の海岸のショットからして脱力ものだ。ドラマの設定は高知県である。しかし、どう見てもこれは島根県の隠岐ノ島だ(実際のロケ地もそうである)。高知県にだって足摺岬をはじめとした海沿いの景観は存在するのに、いったい何を考えて撮っているのだこのスタッフは。

 死刑判決を受けたBC級戦犯の夫を助けるため、妻(仲間由紀恵)が二百人もの署名を集めるべく奔走する姿は、もろに「砂の器」である。脚本は橋本忍だが、よくもまあ平然と過去の作品のネタを二次使用出来るものだ。映像にもキャストの演技にも深みは全くない。特に主演の中居など大仰な身振り手振りで熱演ぶっているだけで、よく見ればセリフを羅列しているに過ぎない。感情移入なんて、もちろんのこと無理だ(子役が良かったのが、唯一の救いである)。

 全体的には画面がデカいだけで、テレビドラマそのものである。監督の福澤克雄はTV版「砂の器」のディレクターだが、映画を撮るに当たって工夫した跡はほとんどない。隠岐ノ島の景勝地などを小綺麗な観光映画のように流すだけで“映画を撮った”と思っている。もちろん、作者の戦争犯罪に対する考え方やそもそもの戦争観も提示されていない。東京裁判をはじめとする終戦直後の茶番劇についての本質的な言及なんか望むべくもない。ただ情緒的に流してお涙頂戴を狙おうとする。以前観た「明日への遺言」の方がタッチが重厚だった分いくらかマシだった。

 さて、本音を言わせて貰えば、一連の戦争裁判についてはよっぽど趣向を凝らさなければ映画として面白くはないと思う。なぜなら、これは出来レースなのだ。罪状のデッチ上げから進行と結末に至るまで、何の意外性もない。なぜなら、日本は戦争に負けたからだ。

 世に言う“勝てば官軍、負ければ賊軍”というのは古今東西不変の真実である。軍事裁判の不合理性とそれがもたらす悲劇をメソメソと嘆くよりも、負けた原因(負けると分かっていた戦争を起こした理由)をキチンと描くべきではないのか。被害者意識(およびその裏返しとしての加害者意識)ばっかりに気を取られている限り、先の大戦に関する日本映画の内容は少しも進歩なんかしないのだ。
コメント
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