元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フィクサー」

2008-04-19 07:13:53 | 映画の感想(は行)

 (原題:Michael Clayton )かなり“薄味”の映画だ。それはジョージ・クルーニーの“カッコつけ”のために作られた(らしい)ことが大きいと思う。

 クルーニー扮する中堅弁護士は、若い頃には理想を掲げて法曹界に入ったものの、妥協と御為ごかしがはびこる現場の実態に失望し、ところが自らには状況を打破するだけの甲斐性もなく、今ではしがない“もみ消し専門”の仕事屋(フィクサー)に身をやつしている。さらには本業だけでは食っていけないとばかりに始めた食堂経営が失敗し、けっこうな額の借金も抱えている。そんな彼が、所属する法律事務所が抱える公害訴訟にコミットすることになり、身体を張った活躍をする・・・・というのが粗筋。

 要するに“やさぐれ弁護士が改心して真摯な働きをする”といった過去にも見たようなパターンの映画なのだが、主人公が法廷弁護士ではなく雑事を引き受ける下っ端だというのが新味だろうか(実際、彼は最後まで法廷に出ることはない)。こういう設定のドラマを観客に納得させるためには、主人公が重い腰を上げて大仕事に乗り出すための動機付けが重要だ。しかしこの映画ではそれが不十分。

 劇中では長年その訴訟を担当してきて、挙げ句に精神に変調を来した主人公の僚友(トム・ウィルキンソン好演)の存在がクローズアップされており、クルーニー弁護士は彼を放っておけずに手助けするという持って行き方をしているが、それでは弱い。まずは事件の理不尽さと、当事者企業の対応のいい加減さを徹底的に描出すべきではなかったか。原告の何人かにシビアなセリフを吐かせるぐらいでは、とても追いつかない。

 敵役として登場する企業側の女流弁護士の方がよっぽど存在感がある。彼女は知的でキレ者らしい容貌を持ち、表面上は徹底して理詰めの行動を取りながら、その実自分の置かれた立場が揺らぐことに対して絶えず恐怖心を持っている。普段は論理的であるからこそ、追い込まれると逆にその論理に絡め取られてしまい、ついには思いっきり“非論理的なこと”に手を染めてしまう。そんなインテリの弱さというか、女性であることの脆さというか、リアルな人間像を提示させることに成功している。演じるティルダ・スウィントンが素晴らしく、オスカー獲得も納得だ。

 ただしウィルキンソンとスウィントンとの間に挟まれてしまうと、クルーニーの仕事ぶりはドラマを引っ張る上では力不足の役柄だと思われてしまう。そんな頼りない男を主人公にしなくてはならない企画だから仕方ないのかもしれないが、もうちょっと存在感のある芝居をして欲しい。

 終盤のプロットも万全ではないではないだけに、観賞後の味わいには欠けると言うしかない。これが監督デビュー作となるトニー・ギルロイの演出は粘りが足りない。ジェームズ・ニュートン・ハワードの硬派な音楽は快調で、ロバート・エルスウィットのカメラによる寒色系の映像は効果的であっただけに、惜しい出来だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする