元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「光の雨」

2008-04-14 06:33:10 | 映画の感想(は行)

 2001年作品。前の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」の感想文の中で紹介した映画だが、間違いなく「実録・連合赤軍」よりは数段ヴォルテージが高い。高橋伴明監督の最良作であるばかりではなく、21世紀初頭を飾るエポックメイキングなシャシンだと思う。

 連合赤軍が「あさま山荘」にたどり着くまでの一連のリンチ殺人事件を描いた立松和平の同名小説の映画化だが、映画の中での主人公たちは“「光の雨」を映画化するスタッフ・キャスト”になっている。つまり、映画「光の雨」がここでは劇中劇として扱われている。しかも、この劇中劇のメイキングを撮っている若手監督による映像が頻繁に挿入され、いわば“三重構造”の作劇という思い切った脚色。同じような例として澤井信一郎監督「Wの悲劇」があるが、今回はあれより手が込んでいる。なぜこんな方法を取ったのか。

 劇中での映画「光の雨」の監督(大杉漣)が知床ロケでの真っ最中に失踪。彼はかつて全共闘の内ゲバ事件にかかわっており、映画製作途中にかつての“仲間”が彼に接触しようとしてきたため、自ら現場を放棄したのだ。製作中止寸前のところを、メイキング映像を撮っている若手監督(萩原聖人)がメガホンを引き継ぎ、撮影は続行される。劇中劇の「光の雨」、そのスタッフ・キャストの動向を描く“本編”、そしてメイキング映画でのキャストへのインタビュー映像という三つの流れが緊張関係を保ちつつクライマックスへと突入する。

 監督の高橋伴明は団塊世代。脚色は40代の青島武。さらに劇中での事件の当事者たちを“当時の若者”ではなく“現代の若者が演じるキャラクター”にした。作劇だけでなく製作面でも二重・三重の仕掛けがある。これは高橋監督にとっての作劇面での“保険”に過ぎないのか。単なるエクスキューズなのか。目先を変えただけなのか。答えは否である。まさしくこの映画はこの形態で撮られなければならない確固とした必然性に裏付けられている。

 高橋伴明が属している世代にとって、この事件に関しての思い入れは深いに違いない。しかし、それをそのまま映画の中に出してしまえば安直なノスタルジーに堕してしまう。ネタがネタだけに扱いは冷徹でなければならない。ただし、映画製作に当事者の世代が全然コミットしないとなると、それも問題。関係のない若い世代に任せてしまうと、せいぜいが「DISTANCE」のような小賢しいリベラリズム(いわゆる空論)に終わってしまう。そうなると、まずは“あの時代”を知る者が“この事件をこういうコンセプトで他の世代に伝えるのだ”という確固としたポリシーを提示し、それに若い世代が必要な部分をフォローしていく方法がベストだという結論に到達する。

 ではその“コンセプト”とは何か。それは“良識”である。つまり“世の中を良くしたいと思って行動するのはいい。しかし、その方法論やイデオロギーを間違えてはいけない”という、ごくまっとうな“大人のモラル”。「あの時代を生きた人間はすでにテロリズムの自己正当化と決別していること。“革命”や“サヨク”の時代は終わったことをハッキリと示すことが当事者の世代としての使命である」・・・・このコンセプトが成立した時点で、映画の成功は保証されたようなものだ。

 イデオロギー先行で映画を撮ろうとした大杉漣監督は早々に退場し、客観的・常識的スタンスを持つ若い萩原聖人監督に交替する。すると映画はすぐさま個々の登場人物の内面に向かい、深みのある展開を見せ始める。同時に“総括”と称する凄惨なリンチの実態が、殺される側のモノローグを織り交ぜることにより、より鮮明になる。このあたりの畳みかけるような演出は見事だ。ただし、時おり映し出されるメイキング映像では、若いキャストたちは事件の酷さと殺された者たちの無念さを語るものの、決して自分たちが演じるキャラクターへの共感は示さない。“わからない”と繰り返すだけだ。当然の話だろう。ここで“わかるような気がする”と答えようものなら、映画のコンセプト自体が崩壊してしまう。

 三重構造の脚本を背負いながら厳寒の知床ロケにも負けず、最後まで映画のヴォルテージ落とさなかった高橋監督の頑張りには目を見張るばかりだ。この映画自体が彼の世代から他の世代に向けての“総括”であるためだろう。キャストも皆素晴らしい。特に幹部を演じる山本太郎と裕木奈江は、とても“仲間を次々と完全論破するカリスマ性たっぷりの冷酷なテロリスト”には見えないのだが、その“善人面した普通の若者”が常軌を逸した犯罪者を演じることにより、逆にこの事件の狂気性を怖いまでに際立たせている。

 なお、高橋監督の話によれば、この三重構造のほかにもうひとつ、映画の製作風景を捉えるカメラが設置されており、いわば“メイキングのメイキング”とも言うべきフィルムが存在するという。そうなると“四重構造”か。また、上映時間3時間半を超える“完全版”もあるとか。機会があれば観てみたいものだ。
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