元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「水の中の八月」

2008-04-07 06:33:33 | 映画の感想(ま行)
 95年作品。福岡市をモデルにした架空の町・玄海市が舞台。高校生の真魚(青木伸輔)はある日飛び込み選手の泉(小嶺麗奈)と知り合い、惹かれる。競技会で高飛び込みに失敗して死ぬ一歩手前までいった泉が目覚めたとき、目に見える世界は今までと違った様相を呈していた。おりしも記録的な猛暑と慢性の水不足に苦しむこの街では、突然身体が硬直して倒れる“石化病”が蔓延しており、泉はそれを自然が人類に対して鳴らした警鐘であると言うのだが・・・・。石井聰亙が故郷・福岡で久々に撮った映画だ。

 ドラマの定石から見ればこの映画は失敗もいいところだ。爽やかな学園恋愛ものと思わせる序盤と、オカルトじみた後半の展開がほとんど合っていない。猛暑と“石化病”の因果関係も説明されず、山奥にある遺跡が何の意味があるのか、考古学研究所を襲った暴漢の正体も、時折示される超常現象も、物語のポイントのほとんどが明かされず、ドラマの基本である伏線もプロットもなく唐突に並べられるだけだ。ラストなんて、ほとんどわけがわからない。

 だから“支離滅裂な愚作”として片付けてもいっこうにかまわないとは思うが、困ったことにこの映画には作劇の善し悪しを超えた独特の魅力があったりする。78年と94年の猛暑&水不足を経験した者にとっては、見慣れた福岡の街が、灼熱の地獄となり全部溶けてしまうような錯覚を起こしたこともあっただろう。いわば日常の非日常化。そんな中で製作されたこの映画の“気分”が分かるのだ。異常気象が自然からの警告であり、水の申し子として覚醒したヒロインが街を救う(らしい)という無茶苦茶なストーリーが、なぜか乾いた砂に吸い込まれる水のように観客にしみこんでいく。

 当然、石井作品は明確な種明かしをしてくれない。いくつかの映像のコラージュで暗示されるだけだ。冒頭のヒロインがセーラー服姿のままイルカの泳ぐプールに飛び込む場面、音をカットした博多祇園山笠のシーン、泉が断水中の蛇口に手をかざすと水が溢れ出す場面、乾いたグラウンドに突然降り出す雨、うっそうとした森の奥にある苔むした巨岩遺跡etc.言葉では説明できない、スピリチュアルな雰囲気が画面を覆い、観客の心に照射される。わかる人にしかわからない不思議な感覚・・・・。笠松則通のカメラ、小野川浩幸の音楽、林田裕至の美術は見事。当時新人だった小嶺の存在感も無視できない。
コメント
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