元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「Sweet Rain 死神の精度」

2008-04-08 06:34:34 | 映画の感想(英数)

 観ている間はまあまあ退屈しないので、ヒマ潰しに映画館に足を運ぶ分にはいいが、マジメに対峙しようとするとバカを見る。

 そもそも伊坂幸太郎の原作が連作短編集であり、これは一本の映画にするよりも、何回かに分けてのテレビドラマ放映(ミニ・シリーズ化)の方がふさわしい。さらに伊坂作品には「ラッシュライフ」とか「グラスホッパー」とかいった「死神の精度」よりも映画化しやすい小説もあり、どうしてこの題材を選んだのか分からない・・・・と思ったら、どうやらヒロインを演じる小西真奈美の“歌手デビュー”のタイアップ企画という見方も出来るようだ。いずれにしろ製作段階から(観る側としては)あまり気乗りしない手順を踏んでいるのは間違いない。

 不慮の死を遂げる予定の人間の前に現れて“実行”か“見送り”かを決める死神が本作の主人公というか、狂言回しみたいな役どころだ。いつも通り“実行”のサインを送るはずが、今回のターゲットであるOL(小西)の“意外な才能”が判明したおかげで、死期をずっと先延ばしにしてしまう。

 映画はその後の顛末も追うのだが、筧昌也とかいう名も知らぬ監督に骨太なストーリーテリングを求めるのは酷というものだったらしい。撮り方と演出のテンポが凡庸の極みで、盛り上がりそうな場面に臨んでも漫然とカメラを回させるのみ。メリハリ皆無。

 おかげで、語り口の巧みさで物語の設定に対し疑問点を指摘することなくスラスラ読めてしまう原作とは違い、ドラマの大前提になる“死ぬことになっている人間に、わざわざ死神が接触してくる理由”という事柄の矛盾が噴出してしまう。死神を“派遣”する“別の意志”みたいなものがあるはずだが、それに対する回答が死神がいつも連れている黒犬の“不気味な存在感”ぐらいでは、何の暗示にもなっていない。

 映像面でもあまり上手くないSFXと、劇中ほとんど降り続けている雨を工夫もなく映しているあたりは、盛り下がるばかり。さらに終盤に何の役割も果たさないロボット女が出てくるに及んで、ほとんど作劇を放り出していると思われても仕方がない。

 ただし、冒頭“退屈はしない”と書いたのは、主演の金城武のヘタウマな存在感ゆえである。つたない日本語とボーッとした出で立ちが天然ボケの様相を呈し、怪我の功名みたいなユーモアを醸し出している。相手役の小西も悪くないのだが、今回は“受け”の芝居に終始しているため演技力を発揮できないのが辛いところだ。なお、彼女の歌は意外と聴けるが、取り立てて上手くもない。このあたりも工夫が必要だったと思う。
コメント
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