(原題:Little Children )ボストン郊外の住宅地を舞台に、そこに住む人々の不倫や家庭内不和などをはじめとする小市民ぶりを容赦なく暴くトッド・フィールド監督作だが、ケイト・ウィンスレット扮する人妻のよろめきドラマなどは正直どうでもいい。本作で一番重要なのは小児相手の性犯罪歴のある中年男(ジャッキー・アール・ヘイリー)とその母親(フィリス・サマーヴィル)とのエピソードである。
性犯罪の前科のある人間を公表することの是非はここではクローズアップされていない。ハッキリ言って公表されて当たり前だと思うし、それが成されていない我が国の状況こそがおかしいとは思うが、それはさておき、本作で重要視されているのはこの親子と周囲との対比の方だ。
いくら不倫に溺れようがアダルトサイトを見ながらの痴態を暴露されようが、それは公園での奥さん連中による井戸端会議の延長線上でしかない、まったりした日常のほんの少しのイレギュラーな“寄り道”である。それを端的に示すのが、パトリック・ウィルソン演じるウィンスレットの不倫相手が、大事なところで道ばたのスケボー少年達に気を取られてバカなことをやってしまうくだり。結局、ヨソの奥さんとよろしくやる行為など、リクリエーションのひとつではないかといった作者の皮肉な視点が見て取れる。
ところが前科者とその家族にとっては、平穏であるはずの日常が犯罪行為によってとうの昔に反古にされている。その絶望的な格差。一般市民の“刑務所帰りの人間を疎外させる”といったナイーヴな意識も正常な日常を確保している上での話だ。実は映画全編において前科者とその母親とが扱われるパートは時間的に少ない。しかしそれだけ小市民たちの倦怠にあふれた日々を長く映し出すことにより、終盤での前科者の行動が凄まじいインパクトを持って迫ってくるのも確かである。
そして彼を糾弾する急先鋒になっていた元警官も、とてつもなく暗い“過去”を抱えていたことが明らかにもなるのだが、とにかくあり得べき“日常”を手にしている者とそうでない者との救いようのない断絶を明らかにしたフィールド監督の人間観察は、前作「イン・ザ・ベッドルーム」より一段と研ぎ澄まされていると言えよう。
スタッフ面で感心したのが、撮影のアントニオ・カルヴァッシュ。彩度を落とした殺伐とした印象の画面作りが、登場人物たちの満たされぬ心象を的確に表現しており、秀逸であった。