朝、自転車で鷹の台まで行ったのですが、途中の玉川上水では多くの人が散歩していました!
さすがの私も、たくさん集まっている方々に向かって写真を撮ることができず、自転車をこぎながらの撮影。少ないように見えて本当に多くの方々が散歩やジョギングをしていたんですよ。
ラジオ体操をする集団もいて、健康的な都市といえるかもしれませんね。
さすがの私も、たくさん集まっている方々に向かって写真を撮ることができず、自転車をこぎながらの撮影。少ないように見えて本当に多くの方々が散歩やジョギングをしていたんですよ。
ラジオ体操をする集団もいて、健康的な都市といえるかもしれませんね。
読書について書いていたところ、ふと「何故、本を読むのか?」ということを考えるに至った。
私は本を読む。しかも、かなりたくさん。一般的なサラリーマンの50倍程度?というのは、普通のサラリーマンは月間1冊程度も読書をしないそうだから・・・
何故、本を読むかというと、「何もしない時間」が発生することが怖いから。
「何もしない時間」は自分にとっての「死」をあらわす。よく「死んだ時間」というが、何もしていない以上、生物学的に生きていても、哲学的には死んでいるのだ。
通勤電車に乗っていると、ボーっとしている人が多い。なんだか、「人間の抜け殻」を見ているようで嫌いである。まだ、音楽を聴いていたり、新聞や雑誌を読んでいる人、あるいは寝ている人の方が好感が持てる。
あの人の時間をオークションで競り落とせぬものか・・・な~んて考えることもある。無論、そのボーっとしている時間でノーベル賞級の発明を構想している人もいるのかもしれぬが、どう見ても、無為に貴重な時間を浪費しているようにしか思えない。
通勤時間を通勤にしか使えないと、いつまでたっても学習する時間は捻出できない。私の場合、往復2時間強の通勤時間が必要であり、その時間の7割程度しか学習に投下できなかったとしても、平日は毎日1時間半の時間が生まれる。
さすがに、満員の電車でテキストを開いて学習するわけにはいかないから本を読む。だから、読書の冊数は伸びていく。極々、自然な出来事なのである。
「死んだ時間」を削除し、「生きた時間」に変えていけることが、人間が他の動物と違う優れた点である。だからこそ、時間を大切にしたいと考える。
ただ・・・・あまりに「時間」のことばかり考えると、精神的に参ってしまうから、何事も極端にならぬことを願っている。
私は本を読む。しかも、かなりたくさん。一般的なサラリーマンの50倍程度?というのは、普通のサラリーマンは月間1冊程度も読書をしないそうだから・・・
何故、本を読むかというと、「何もしない時間」が発生することが怖いから。
「何もしない時間」は自分にとっての「死」をあらわす。よく「死んだ時間」というが、何もしていない以上、生物学的に生きていても、哲学的には死んでいるのだ。
通勤電車に乗っていると、ボーっとしている人が多い。なんだか、「人間の抜け殻」を見ているようで嫌いである。まだ、音楽を聴いていたり、新聞や雑誌を読んでいる人、あるいは寝ている人の方が好感が持てる。
あの人の時間をオークションで競り落とせぬものか・・・な~んて考えることもある。無論、そのボーっとしている時間でノーベル賞級の発明を構想している人もいるのかもしれぬが、どう見ても、無為に貴重な時間を浪費しているようにしか思えない。
通勤時間を通勤にしか使えないと、いつまでたっても学習する時間は捻出できない。私の場合、往復2時間強の通勤時間が必要であり、その時間の7割程度しか学習に投下できなかったとしても、平日は毎日1時間半の時間が生まれる。
さすがに、満員の電車でテキストを開いて学習するわけにはいかないから本を読む。だから、読書の冊数は伸びていく。極々、自然な出来事なのである。
「死んだ時間」を削除し、「生きた時間」に変えていけることが、人間が他の動物と違う優れた点である。だからこそ、時間を大切にしたいと考える。
ただ・・・・あまりに「時間」のことばかり考えると、精神的に参ってしまうから、何事も極端にならぬことを願っている。
そういうえば、昨日、楽天ブックスから「解説 日本の職業能力開発」の平成20年度版が到着していた。
人材開発研究会編で労働新聞社が発刊している本なのだが、4500円とちょっと高いのが難点・・・
しかし、内容は私の研究分野に直結する本なので高かろうが、安かろうが購入せざるを得ない。
思えば、大学に通学していたとき、高いテキストに閉口したものだが、今でも、学生なのだから、書籍にコストを投下することを恐れてはいけないと考えている。
この本の編者も、ひょっとしたら、4,500円程度では追いつかないようなエネルギーを投下しているのかもしれない。そして、もっと高くしたいが、妥協できる最低の金額がこの4,500円だったのかもしれない。
それだけ、本は大切なものであり、本を読むことによって、一生涯をかけて収集するような情報を、わずかな時間でそろえることもできる。そう考えれば、高い本なんてないというのが私の思いである。
とはいえ、去年は未達であったが、毎年100万円分の本を読み続けてきたわけで、これを全て定価で支払うと破綻してしまう。図書館や古本、場合によってはオークションを使って出費を抑えることに努めたい。
人材開発研究会編で労働新聞社が発刊している本なのだが、4500円とちょっと高いのが難点・・・
しかし、内容は私の研究分野に直結する本なので高かろうが、安かろうが購入せざるを得ない。
思えば、大学に通学していたとき、高いテキストに閉口したものだが、今でも、学生なのだから、書籍にコストを投下することを恐れてはいけないと考えている。
この本の編者も、ひょっとしたら、4,500円程度では追いつかないようなエネルギーを投下しているのかもしれない。そして、もっと高くしたいが、妥協できる最低の金額がこの4,500円だったのかもしれない。
それだけ、本は大切なものであり、本を読むことによって、一生涯をかけて収集するような情報を、わずかな時間でそろえることもできる。そう考えれば、高い本なんてないというのが私の思いである。
とはいえ、去年は未達であったが、毎年100万円分の本を読み続けてきたわけで、これを全て定価で支払うと破綻してしまう。図書館や古本、場合によってはオークションを使って出費を抑えることに努めたい。
8月になると夏休み!しかし、私はSC受講と修士論文作成のために休みを投下する。
というより、子どもは京都の実家に行くのを楽しみにしているし、家内は仕事があるので、私の休みに付き合ってくれるものはいない(笑)。
通信制大学院に行く者(あるは、通信制大学・短大もそうだが)にとって、SCは友人や先生と対面のコミュニケーションがとれる大切な機会。オンデマンドで在宅にてコミュニケーションをとる方法もあるが、いくつもの通信制大学・大学院を経験し、先生とも話しをしてきた中で、SCゼロでは、やはりもったいないと感じるようになってきた。
通信制の学校に行くものにとって、SC出席は大きなネックになる。なんせ、仕事が忙しいし、突発的に予定が入ることもある。遠隔地であったり、小さな子どもを抱えていることもあるだろう。
私も最初は、「SCなしで卒業できる学校がないかしら?」と思ったものだが、SCを通じて友人を作り、先生方との知己を得た経験からすると、やはり、「出席してよかった。」あるいは「もっと出席したかった」というのが偽らざる気持ちである。
社会人の立場として、「仕事以外にどれだけのつながりがありますか?」と聞かれたらあなたならなんと答えるか?
私の場合、大学通教をしていなかったら、今のつながりの99%がなくなってしまうだろう。なんせ、ブログを始めたのも通教の方からアドバイスいただいたのがきっかけだし、友人もSCで知り合った方がほとんどである。大学院にも行っていなかっただろうな・・・人生の柱となるものの多くが消えてなくなってしまうだろう。
「大学通信教育は卒業できる!」という、我が愛読書にもSCの項では「汗と涙のスクーリング」とかかれ、著者のご苦労がしのばれる内容となっています。人が集まりますので、いい刺激をいただけることが多いのですが、まあ、時には「変なヤツ」もいるわけで・・・
逆に、SCですばらしい発表や、的確な指摘ができる人は尊敬に値し、なんとか、お知り合いになりたいな~と思うこともあります。飲み会なんかで、そんな人の近くに座れたらラッキーこの上なく、なぜ、そんなにすばらしいのかという点をリサーチしてしまう。そういう人に限って、面白いネタをたくさんもっている。だから、自分の知らない社会を、その方を通じて知ることができ、刺激になるわけです。
こんな話はやはり休憩時間とか、飲み会とか「オフの時間」あるいは「非公式の時間」でないとできない。
また、教授からの指導も、正式な指導だけでは不十分である。一般に公言できないような暗黙知を伝授いただく機会も、やはり「オフの時間」でないと話せない。だから、SCは大切で、楽しいものだといえるのだ。
SCを極力押さえて卒業した人は、きっと「大学通教って、こんなもんか・・・」と不完全燃焼にも近い思いをしているのではないか。私も、SCのツワモノほど単位は取っていないものの、産能では「ゼミナール」「卒業研究」の含めてSCを受講した。ゼミでは同期もそうだが、先輩・後輩と多くの優秀な社会人と知り合いになれたし、卒業研究では先生とマンツーマンで教えていただくこともできた。
更に、SCで知り合った方、学生会で知り合った方とも、年に何回かは飲みに行く。普通の社会人ではなかなかないつながりである。また、上下関係や序列もないザックバランで気遣い不要の飲み会だから「とても楽しい」わけである。
さて・・・本題に戻って、明星大学の夏のSCの通知が送られてきた。今回は「教育学演習Ⅰh」の1科目である。垣内先生の授業で、テーマは「子どもの視座から子どもの福祉を考える」であり、児童家庭福祉を学習する。
私の専攻分野は「授業研究」なのだが、今期は、エネルギーの多くを「幼児教育研究」と「障害児者教育研究」といった別の分野に投下している。
そもそも、私と教育学とのつながりは、生涯学習を含めた「授業研究」よりも、障害児教育法の方が古い。大学院といった場所で、色々な学習ができることは喜ばしい限りである。
また、同期と再会できることも楽しみのひとつ。みんな、修士論文、どれだけ進んでいるかしら?ずっーと先に進んでいるようなら、プレッシャーに感じるな・・・
というより、子どもは京都の実家に行くのを楽しみにしているし、家内は仕事があるので、私の休みに付き合ってくれるものはいない(笑)。
通信制大学院に行く者(あるは、通信制大学・短大もそうだが)にとって、SCは友人や先生と対面のコミュニケーションがとれる大切な機会。オンデマンドで在宅にてコミュニケーションをとる方法もあるが、いくつもの通信制大学・大学院を経験し、先生とも話しをしてきた中で、SCゼロでは、やはりもったいないと感じるようになってきた。
通信制の学校に行くものにとって、SC出席は大きなネックになる。なんせ、仕事が忙しいし、突発的に予定が入ることもある。遠隔地であったり、小さな子どもを抱えていることもあるだろう。
私も最初は、「SCなしで卒業できる学校がないかしら?」と思ったものだが、SCを通じて友人を作り、先生方との知己を得た経験からすると、やはり、「出席してよかった。」あるいは「もっと出席したかった」というのが偽らざる気持ちである。
社会人の立場として、「仕事以外にどれだけのつながりがありますか?」と聞かれたらあなたならなんと答えるか?
私の場合、大学通教をしていなかったら、今のつながりの99%がなくなってしまうだろう。なんせ、ブログを始めたのも通教の方からアドバイスいただいたのがきっかけだし、友人もSCで知り合った方がほとんどである。大学院にも行っていなかっただろうな・・・人生の柱となるものの多くが消えてなくなってしまうだろう。
「大学通信教育は卒業できる!」という、我が愛読書にもSCの項では「汗と涙のスクーリング」とかかれ、著者のご苦労がしのばれる内容となっています。人が集まりますので、いい刺激をいただけることが多いのですが、まあ、時には「変なヤツ」もいるわけで・・・
逆に、SCですばらしい発表や、的確な指摘ができる人は尊敬に値し、なんとか、お知り合いになりたいな~と思うこともあります。飲み会なんかで、そんな人の近くに座れたらラッキーこの上なく、なぜ、そんなにすばらしいのかという点をリサーチしてしまう。そういう人に限って、面白いネタをたくさんもっている。だから、自分の知らない社会を、その方を通じて知ることができ、刺激になるわけです。
こんな話はやはり休憩時間とか、飲み会とか「オフの時間」あるいは「非公式の時間」でないとできない。
また、教授からの指導も、正式な指導だけでは不十分である。一般に公言できないような暗黙知を伝授いただく機会も、やはり「オフの時間」でないと話せない。だから、SCは大切で、楽しいものだといえるのだ。
SCを極力押さえて卒業した人は、きっと「大学通教って、こんなもんか・・・」と不完全燃焼にも近い思いをしているのではないか。私も、SCのツワモノほど単位は取っていないものの、産能では「ゼミナール」「卒業研究」の含めてSCを受講した。ゼミでは同期もそうだが、先輩・後輩と多くの優秀な社会人と知り合いになれたし、卒業研究では先生とマンツーマンで教えていただくこともできた。
更に、SCで知り合った方、学生会で知り合った方とも、年に何回かは飲みに行く。普通の社会人ではなかなかないつながりである。また、上下関係や序列もないザックバランで気遣い不要の飲み会だから「とても楽しい」わけである。
さて・・・本題に戻って、明星大学の夏のSCの通知が送られてきた。今回は「教育学演習Ⅰh」の1科目である。垣内先生の授業で、テーマは「子どもの視座から子どもの福祉を考える」であり、児童家庭福祉を学習する。
私の専攻分野は「授業研究」なのだが、今期は、エネルギーの多くを「幼児教育研究」と「障害児者教育研究」といった別の分野に投下している。
そもそも、私と教育学とのつながりは、生涯学習を含めた「授業研究」よりも、障害児教育法の方が古い。大学院といった場所で、色々な学習ができることは喜ばしい限りである。
また、同期と再会できることも楽しみのひとつ。みんな、修士論文、どれだけ進んでいるかしら?ずっーと先に進んでいるようなら、プレッシャーに感じるな・・・
「ビジネス・キャリア検定試験における経過措置の終了について(ご案内)」という郵便が届いた!
これは、旧ビジネス・キャリア修了試験の合格者に一定割合の「ゲタ」を履かせていただけるという「非常に有難い」特例であった。
ユニットの修得状況によって、10点or20点の加点がいただける。あるいは、申請だけで合格と見なされるというもので、最初11もの資格を見なし合格としていただいたこともあったっけ。
都合、MAXあと4回しか特例が使えないが、今まで特例のおかげで合格できたというものはなく、すべて、素点だけでも十分合格できている。しかし、精神的にゆとりがもてるので、特例が使える試験を中心に次回、次々回の試験を選択したい。
これは、旧ビジネス・キャリア修了試験の合格者に一定割合の「ゲタ」を履かせていただけるという「非常に有難い」特例であった。
ユニットの修得状況によって、10点or20点の加点がいただける。あるいは、申請だけで合格と見なされるというもので、最初11もの資格を見なし合格としていただいたこともあったっけ。
都合、MAXあと4回しか特例が使えないが、今まで特例のおかげで合格できたというものはなく、すべて、素点だけでも十分合格できている。しかし、精神的にゆとりがもてるので、特例が使える試験を中心に次回、次々回の試験を選択したい。
トウモロコシの他にも、小平に来てから食べるようになったものがある。
そう、「ブルーベリー」である。ブルーベリーは小平が発祥の地。ところどころで摘み取ることができる。
それに、比較的低価格で農家から買うこともできる。
目黒に住んでいたら、ブルーベリーなんて買う機会もなければ、食べる機会もなかっただろう。そういう意味で、小平という地において、生産と消費が一体となっていることが、なんだか、うれしい気がしてならない。
そう、「ブルーベリー」である。ブルーベリーは小平が発祥の地。ところどころで摘み取ることができる。
それに、比較的低価格で農家から買うこともできる。
目黒に住んでいたら、ブルーベリーなんて買う機会もなければ、食べる機会もなかっただろう。そういう意味で、小平という地において、生産と消費が一体となっていることが、なんだか、うれしい気がしてならない。
小平に来てからトウモロコシを食べる習慣がついてしまった・・・
目黒にいたときは、数ある食品の1つであったが、小平に住むようになってからは「主食」に近い位置付けである。
昼もトウモロコシ、夜もトウモロコシ。今日の夕食は「米」より「トウモロコシ」の方が多かったくらいである。
画像は本日私が収穫したトウモロコシである。このトウモロコシは生でも食べれるそうで、実際、昼食に生を半本かじらせていただいた。
色々トウモロコシには種類があり、その多くが「家畜の飼料」や「燃料の原料」となっている。人間の口に入るスィートコーンの割合はそれほど多くないとのこと。しかし、やっぱり、小平のトウモロコシは美味しいな~。私だけでなく、うちのセキセイインコも、食べ残しの芯をガリガリ争って食べているくらいだから・・・
目黒にいたときは、数ある食品の1つであったが、小平に住むようになってからは「主食」に近い位置付けである。
昼もトウモロコシ、夜もトウモロコシ。今日の夕食は「米」より「トウモロコシ」の方が多かったくらいである。
画像は本日私が収穫したトウモロコシである。このトウモロコシは生でも食べれるそうで、実際、昼食に生を半本かじらせていただいた。
色々トウモロコシには種類があり、その多くが「家畜の飼料」や「燃料の原料」となっている。人間の口に入るスィートコーンの割合はそれほど多くないとのこと。しかし、やっぱり、小平のトウモロコシは美味しいな~。私だけでなく、うちのセキセイインコも、食べ残しの芯をガリガリ争って食べているくらいだから・・・