今のモチベーションだと、テレビを見るぐらいしかやれることがないので・・・
安倍元首相が射殺された事件。背景に宗教が大きくかかわっていることが判明。その昔、霊感商法で有名だった宗教。信教の自由があるので、その宗教に入信するかしないかは本人の自己責任だが、それが家族関係を破綻させたなら、自己責任だけで済まされない一面もあるのだろう。
大学院で宗教学を学び、仏教学の修士を持つ立場からすれば、確かに、仏教の場合、財産をため込み、それに執着することはNGである。本来なら、毎日托鉢に行って、それにより得た布施により生活するべきなのかもしれない。だが、そんな生き方、在家の仏教徒にはムリ。年金制度の脆弱な日本では、そこそこ溜めておかないと、老後、すぐに即身成仏してしまう。ゆえに、人は働き、それなりに蓄財し、老後を過ごしていくものなのだろう。
しかし見えない未来、必死に蓄財しても、インフレが進んで紙幣が紙切れになるやもしれない。あるいは、ウクライナみたいに、外国が攻め込んできて家財すべてが灰になるかもしれない。そもそも、日本の年金制度すらどこまで信じてよいものか?
家族の生活を不安定にしてまで財産すべてを寄進することは、全くもって首肯しないが、他の宗教でも何かにつけ、献金や、お布施を包むことはある。なら、その多寡が「まともな宗教」と「悪徳宗教」の違いなのだろうか?
収入の1割って話は他の宗教でも聞いたことがあるし、逆に、戒名で院号を頂くのに数百万っていうのはどうなんだろう?私が信仰している真宗大谷派なら、死ぬ前に帰敬式に参加すれば1万円程度で法名をいただける。でも、院号で100万円請求した宗教を「悪徳宗教」と言う人もいないだろう。ありえる金額として認知されているし、それぐらい払えるように一所懸命働いてきた人もいるだろうし。
そう考えると、やはり宗教はお金がかかるものの、それは僧侶や牧師、あるいはサンガや教団を維持するためにやむを得ない経費で仕方がない面があること。一方で、宗教は信者を幸せにするものであり、その布施や寄付のために信者の周囲が不幸になるようでは本末転倒であること。その基本が、安倍元首相射殺者の母親の入信していた宗教では担保されていなかったのではないだろうか?