鶴舞にある中央図書館で本を借りているので明日返却しに行かなければなりません。
その中の1冊。『子供は理系にせよ!』というインパクトのある名前の本。特に、昨年理系の大学に進学した子供を持つ親としては興味深い本です。
筆者は「大槻義彦」先生。この筆者を見た瞬間、「ああ、この本は、この手の本なのだな・・・」と間引いて読まなければならない本です。その思いの通り、p.8に「本書は文系をこき下ろし、徹底的に理系礼賛、科学至上主義手貫かれている」と、はじめにお断りされております(笑)。まあ、その程度の本ということです。まったく公平感に欠ける本ですが、それを前提に読めば、そんなに激怒しないものとなっております。
pp.99-100に書かれている文章を取り上げてみましょう。
理系は、
第一に、遊ばない、馬鹿な遊びをしない
第二に、馬鹿なお金を使わない、馬鹿なお金を儲けない
第三に、馬鹿な友人たちを作らない
第四に、生活に乱れがなく合理的で当たり前の生活をする
第五に、よい子供に恵まれる
さて、文系はどのように書かれているでしょう?打鍵が大変ですが、書き綴ります。
(一)遊び呆け、
(二)馬鹿なお金儲けをやり、馬鹿なお金を使い、
(三)馬鹿な友人たちを持ち、
(四)生活が乱れ、
(五)子どもの教育どころではないはずだ。
と締めくくっておられます(笑)。
加えて、p.197でも、「ここで言う理系とは、一流大学の理工系、医薬学系の学生、大学院生のことである」としておられ、平均にも届かないレベルの理系学生は、「本書で例として取り上げたケースは理系エリート、またはそれに近いものだけ」(p.9)の対象から大きく外れてしまっているわけです。
ここまで、はっきり書かれてしまうと、逆に反論しようとも思えてきません。もともと、文系だったときの私の友人たちは、大槻先生に言わせると、「さぞかしバカぞろい」だったのでしょう。私の友人に申し訳ない気持ちで一杯です。
とはいえ、私もありがたいことに、機構から学士(工学)を頂いたり、科学技術研究でも学位を頂いたり、あるいは、経営情報学の分野でも学士を得ているので、理系っぽくなってきました!しかし、一流大学の理工系ではないため、やはり、私の友人たちはバカぞろいってことになってしまうのでしょうか?
自分がバカと言われるのは、まあ、それ相応にバカなので許容できたとしても、友人までコケにされるのは暴論だな~と思ったりするのです。例えば、私の友人の「お医者さま」や「東工大修士さま」なんかは、友人でバカだけど、理系エリートという相反したものとなってしまいます。あるいは、よくコメントをくださる「teraさん」や「風竜胆さん」は、私は友人と思っていましたが、理系エリートなので、相手方は友人とは全く思っていないこととなってしまいます・・・その通りといわれてしまうかもしれないけど。
そもそも、昔と違い、今の学問は「理系」「文系」が明確に分けることができません。例えば「金融工学」「農業経済学」「経営情報学」「臨床心理」「経済地理学」等々。「環境学」や「統計学」なんかも、文理どちらかわかりづらいし。そんな状況下では、文理切り分けなんて無意味でしょう?
私として言えることは、「文系ボトムでもしっかり学習をした方は凄いし、理系エリートでも全然学ばないやつはバカである」ってこと。所詮、やらないやつは使えないし、一生懸命の者は何かしら輝くものですから。