既にシステムWAKABAにて還元されているのだが、郵便で放送大学と放送大学大学院の第2学期の試験結果が届いた。
残念ながら、文化人類学を落としてしまったのだが、放送大学のfacebookに投稿された松本先生の文章に、ふと、思うことがあった。投稿された文章の一部は以下のとおり。
>私はいちおう法学部卒で大学院も出ているのに、放送大学で憲法の単位を
>落とした時は落ち込みました(10年前)。
法学修士の松本先生が憲法の単位を落とす。同じく、コメントを下さった修士のライさんが単位を落とす。そして3つの修士を持つ私も単位を落とす。
1つの科目を十分時間をかけて学ぶのなら、放送大学の単位を落とすことは、まず、ないだろう。それこそ、準備をすれば、大学院の人間発達科学系の最難関科目である「教育行政と学校経営」を○Aでクリアするくらいの力はあるのである。松本先生も、ライさんも同様に、集中すれば、単位を落とすことはありえない。
じっくり学ぶこともすばらしいことだが、人生、わずか80年だとすると、半期で1科目履修したとするなら、20歳以降継続して履修しても、60年×1科目(2単位)×2学期=240単位しか履修することはできない。現在、私の取得単位数は265単位。既に、人生1回分の単位を取得したこととなる。
そう、不合格を恐れ、回避するために履修単位を絞るか、あるいは、人生を放送大学だけに特化していきるのか?
それとも、不可でもいいから多くの単位を履修するか、もしくは、人生を放送大学だけでなく他のものにも、幅広く手を出すか?
私の周囲の単位を落とす仲間は、それこそ、短い人生を貪欲に、そして幅広く、その興味の範囲を広げている。放送大学の単位を○Aや、オールAでそろえるより、手広く構えて、時には時間が間に合わず、そして時には目測を誤り、不合格に沈むのである。
私は、こういう「失敗の経験者」の方が好きである。失敗を恐れて、小さく生きるより、失敗を笑い話にできるくらい大きく生きる人の方が共感を持つことができる。その失敗を恐れぬ精神こそが、時に「不合格」という結果を生むのだから。
だから、私は、この不合格さえも、大切な私のキャリアであると思っているし、この不合格こそが、自分の慢心を戒め、そして、次につながる一手だと直感しているのだから。(1,000字)