つまらぬ記事を、よくも、まあ、7000件も書いてきたものだ。
2346日で7000件ということなので、毎日、3件ほど書き綴ってきたこととなる。書き過ぎか?それにしても、時に手抜き、時に独断と偏見、時に意味不明・・・と言った、拙ブログにお付き合いいただき、恐縮し、また、感謝しております。
アクセス件数や訪問者数が気にならないといえば嘘になりますが、アクセス件数を上げるより、1人でも「ちょっと勉強してみようかな」という人がいる方が、私にとっては励みになります。というより、件数が異様に上がると、「何か、異変が起こっている・・・」と心配する性格なので、細く長く続けられるほうが有難いです。
それに、まだ、コメントいただいた方に、十分、返事も書けていませんから、コミュニケーションを十分とるためにも、あまり、アクセスが増えるのも危ういかもしれない。
今までに、十分学習してきた方も、多数いらっしゃると思うのですが、拙ブログにおいては、過去の実績は過去の実績。無論、それを述べていただくのはかまいませんが、できれば、「これから何をするか」「自分の未来において必要なことは何か」「よりよく生きていくためにどうするか」「活き活きとした人生をどうやって達成するか」といった、今後のことについて、考えていきたい。
「学びすぎるほど学んだ」「もう学ぶことはない」といった方は、拙ブログのカテゴリーからして、見るだけ時間の無駄だとおもいます。そして、上から目線で語る人もご遠慮願いたい。
このブログの基本理念として「学問に貴賎なし」というものがあり、短大であろうと、大学院であろうと、通学であろうと、通信であろうと、あるいは学校であろうと、独学であろうと・・・一切、学びのステージでは「上下関係」はありえない。ただ、人生において必要だから学ぶだけである。
なんどか、このブログの中でも述べてきたが、将来、自由が丘産業能率短期大学に入学する夢があるし、できれば、工業高校で機械や電気回路などもいじってみたい。学校教育には小⇒中⇒高⇒大(短・専)⇒院といった流れがあるが、別に、院⇒高や、院⇒短でもかまわないはずだ。理系知識に乏しいので工業高校に行って勉強したい。あるいは、資格を取りたいから産能短大で学びたいという、素朴な向学心である。
今まで本を読んでいなかったが、月1冊でも読んでみようという気持ちが尊いのである。今の自分から変わってみよう。その思いが美しい。
宗教的な話で申し訳ないが・・・ありがたいお経をたくさん読める人は、それはそれで立派であろう。しかし、今まで信心がなかった人が、気持ちを入れ替えて「南無阿弥陀仏」と一言唱えることに意味を感じる(たまたま、浄土真宗関連の本を読んでいたので・・・)。
それと同じく、今まで忙しくて、何もできなかった人が、1日10分でも時間を見つけて、「ちょっと勉強してみるか」と思うことの方が、私にとっては尊いのである。そして、その学習の中で、新たに学ぶきっかけを見出していただけたなら、それで私の役割は終わったと考える。
「学ぶきっかけ」。そのきっかけに、このブログがお役に立てたなら、それ以上の喜びはない。