前巻に引き続き、ローマ人が築いた「インフラストラクチャー」を扱う。ハードなインフラとしての「水道」、ソフトなインフラとしての「医療」、「教育」について、ローマ人たちがどう考え、何を行ってきたかを解説してくれる。
私の興味を引いたのは、教育。ローマではキリスト教支配が進むまでは小学校、中学校、高校は私塾であった。教材の選択も教育方法も教師に一任されていた。ある意味完全な自由競争だったのである。しかし、キリスト教の支配が強化されると教育制度の公営化(教師の資格化、教材、教育方法の統一)が進んだという。筆者は、「疑いをいだくことが研究の基本だが、世の化は、信じる者は幸いなれ、の一色になった」(p160)と皮肉ぽっく述べている。
今は道路であれ、水道であれ、教育であれ、サービスの提供そのものは当たり前のよう日々享受している現代人にとって、本書はインフラストラクチャーについてのあり方について考える機会を与えてくれる。「インフラは、それを維持するという強固な意志と力を持つ国家が機能していないかぎり、いかによいものをつくっても滅びるしかない。これはハードなインフラだけに限ったことでなく、ソフトなインフラでも同じことなのである。」(p94)という筆者のコメントは重い。
私の興味を引いたのは、教育。ローマではキリスト教支配が進むまでは小学校、中学校、高校は私塾であった。教材の選択も教育方法も教師に一任されていた。ある意味完全な自由競争だったのである。しかし、キリスト教の支配が強化されると教育制度の公営化(教師の資格化、教材、教育方法の統一)が進んだという。筆者は、「疑いをいだくことが研究の基本だが、世の化は、信じる者は幸いなれ、の一色になった」(p160)と皮肉ぽっく述べている。
今は道路であれ、水道であれ、教育であれ、サービスの提供そのものは当たり前のよう日々享受している現代人にとって、本書はインフラストラクチャーについてのあり方について考える機会を与えてくれる。「インフラは、それを維持するという強固な意志と力を持つ国家が機能していないかぎり、いかによいものをつくっても滅びるしかない。これはハードなインフラだけに限ったことでなく、ソフトなインフラでも同じことなのである。」(p94)という筆者のコメントは重い。