ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1346、新大陸到着

2011年11月22日 | Weblog
11月後半に入り日本も寒くなってきました。
アメリカのニューイングランド地方もこの時期寒さが厳しくなってきます。
メイフラワー号がイギリスのプリマス港を出港したのは、1620年9月16日で、教徒たち102名と乗組員は新天地アメリカを目指しました。
66日間の厳しい航海を経た11月21日、釣り針のようなケープコッド先端のプロビンスタウンに錨をおろしました。


写真左は飛行機から見たプロビンスタウン。
中央はその先端に立つ「ピルグリム記念塔」(The Pilgrim Memorial Monument)。
右はリゾート客でにぎわう夏のプロビンスタウン。

プロビンスタウン周辺は砂州で土地がやせていて作物の生育に適していません。
さらに冬の気候が厳しく清教徒たちはその後プリマスに移動し、プリマス植民地を形成します。

本来の目的地はハドソン川河口で、現在のニューヨーク市付近でしたがコースを外れ、かなり北に到着しました。
メイフラワー号が最初にアメリカに渡ったように思われていますが、最初のイギリス人移民は、これより13年早い1607年にヴァージニア入植地ジェームズタウンから始まっています。
メイフラワー号もヴァージニア入植地の北端に位置したハドソン川河口付近を目指していました。
102名のうち、およそ3分の1がイギリス国教会の迫害を受けた分離派に属していました。
このピューリタンの非国教徒の人たちが信教の自由を求めてこの船に乗ったので、アメリカにとってメイフラワー号は信教の自由の象徴で、歴史にその名を残しました。
出発が遅れたため、彼らがケープコッドに到達したときにはニューイングランドの厳しい冬が始まっていました。
冬の間、乗客らはメイフラワー号の船内で過ごしますが、壊血病、肺炎、結核などの病気が発生し、その冬を生き延びたのは約半数の53人で、乗組員も約半数が死亡しました。
清教徒たちを運んだメイフラワー号は翌春イギリスに戻っています。

第二次世界大戦後、メイフラワー号の航海を再現しようという動きが生まれ、オリジナルを忠実に再現した船が造られました。
現在プリマスの港に係留されているのはこのメイフラワー2世号で、一般公開されています。
82、ピルグリム・ファーザーズ」を参照

最新の画像もっと見る

コメントを投稿