ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1619、今やヤンキースのエース

2012年08月21日 | Weblog
19日、ヤンキースタジアムで行われたレッドソックス戦で黒田投手が12勝目を挙げました。
黒田は8回1失点の好投で、ヤンキースが4-1で勝利しました。
この試合でイチロー選手は2打席連続ホームランを含む3安打の活躍で黒田を援護しました。
ヤンキースのジラルディ監督は試合後の会見で、勝利に貢献した2人を「すばらしい活躍だった」と絶賛しています。
開幕当初は白星を重ねていたレンジャーズのダルビッシュ投手は大リーグの壁に当たったのか、最近は打ちこまれることが多くなっています。
黒田は12勝(8敗)で、ダルビッシュの12勝に並びました。
前回(14日)の登板、レンジャース戦では2安打完封勝利を収め、最近は安定感抜群です。


今やヤンキースのエース。


イチロー、右翼上段に特大のホームランを放つ。

1618、デビュー4連勝

2012年08月20日 | Weblog
19日、ソフトバンクの高卒ルーキー武田翔太投手がプロデビュー4連勝を挙げました。
高卒ルーキーの開幕4連勝は1966年の堀内恒夫投手以来46年ぶりです。
1.87mの長身で宮崎日大高時代は九州のダルビッシュと呼ばれ、昨年のドラフトでソフトバンクから1位指名を受けました。
3年次夏は宮崎県予選準々決勝で敗れ、甲子園には出場していません。

堀内投手は甲府商1年次からレギュラーになり、県大会を勝ち抜き第45回全国高等学校野球選手権大会に出場しています。
しかし、堀内投手が出場した第45回大会(1963年)は記念大会のため出場校が多く(48校)、西宮球場と甲子園球場の2会場が併用され、甲府商は西宮組に入ったために甲子園では投げていません。
2年次秋の関東大会は決勝で敗れ、甲子園(春の選抜)を逃しています。
このとき優勝したのは私の高校。
367、甲子園の思い出」を参照。

武田投手や堀内投手のように高校時代に甲子園で投げていない(堀内は西宮球場で投げた)投手がプロで活躍する例は多くあります。
堀内投手は新人の年、開幕13連勝を含む16勝を挙げています。
武田投手がどこまで迫れるか。

現在、第94回全国高校野球選手権大会の熱戦が行われていて、今日は準々決勝です。
3試合連続2桁三振を奪って初のベスト8に入った桐光学園の松井投手は注目で、1回戦は22奪三振の大会新記録の快投でした。

1617、イパネマの娘67才

2012年08月19日 | Weblog
ロンドンオリンピックが終り、次はブラジルのリオデジャネイロです。「1613、次の次
リオといえばカーニバルを思い出しますが、ボサノバの名曲「イアネマの娘」のメロディーが浮かんできます。
イパネマビーチはリオデジャネイロ南部、大西洋に面したビーチです。

50年前の1962年8月、美しい少女(娘)がイパネマビーチを歩いていました。
近くのバーに音楽家のアントニオ・カルロス・ジョビン氏と外交官で作詞家のヴィニシウス・ヂ・モラエス氏がいました。
少女を見た2人はすぐにインスピレーションが湧き、曲を作ります。(ポルトガル語)
「イパネマの太陽で黄金色の体の少女」と歌う、軽快で郷愁を帯びた曲は瞬く間に世界中に広まり、1964年にグラミー賞を受賞しました。
多くの歌手によって歌われましたが、最も有名な「イパネマの娘」は、1963年にアストラッド・ジルベルトが歌った英語バージョンです。
日本でも大ヒットし、私もジルベルトのレコードを買って聞いていました。
The Girl From Ipanema

当時17歳の少女エロイーザ・ピニェイロさんはモデルになり、現在もテレビなどで活躍しています。

67歳の今も美しいプロポーションのピニェイロさん

予想:
ロンドン・オリンピックのテーマ曲は「炎のランナー」でした。
リオデジャネイロ・オリンピックのテーマ曲は「イパネマの娘」か?
イパネマビーチの近くにある「コパカバーナ」も有力。
正解は4年後

1616、ベイビー・ギャング

2012年08月18日 | Weblog
久しぶりにシアトルに住む娘がリアム君の写真を送ってきました。


サングラスがよく似合います。
サングラスがギャングというわけではありませが、イタズラ好きそうです。
最近は掴まって立てるようになったようです。(8か月半)


重くなってきたので「高い高い」も大変そうです。
1546、早く食べたい
1551、驚きの数字」を参照

1615、35回忌

2012年08月17日 | Weblog
1977年8月16日にエルヴィス・プレスリーが亡くなってから35年たちました。
あの日の衝撃は今でもはっきり覚えています。
1977年6月26日のラストコンサートから7週間後のことでした。
今年もグレースランドを始め、世界中で追悼のイベントが行われました。
地元グレイスランドでは、8月10日~8月18日まで「エルヴィス・ウィーク」という大規模なイベントが開催されています。
水曜日の夜は元妻のプリシラ と 一人 娘 リサ・マリー が突然現れて挨拶し、徹夜で集まった数千人のファンを喜ばせました。

エルヴィスは多くのギネス記録を持っていますが死の翌日の 17日は、1日で 2,000万枚以上のレコードを売り上げています。
これは彼の死の衝撃がいかに大きかったかを物語っています。
死後35年たった今も世界中に600以上のファンクラブがあり、盛んに活動しています。
世界で最もファンクラブが多いアーティストです。
グレースランドは世界で最も訪問される墓です。
年間約70万人が訪れ、アメリカの国定史跡になっています。
「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されています。
その他・・・。

35回忌前の8月8日にベスト盤『アイ・アム・アン・エルヴィス・ファン-ジャパン・エディション』が日本で発売されました。
ファンの投票によって決定した曲が収録された、日本のファンによる日本のファンのためのベスト盤です。
トップ10。
1位「好きにならずにいられない」
2位「アメリカの祈り」
3位「監獄ロック」
4位「ラヴ・ミー・テンダー」
5位「ハウンド・ドッグ」
6位「サスピシャス・マインド」
7位「この胸のときめきを」
8位「ワンダー・オブ・ユー」
9位「明日に架ける橋」
10位「ハートブレイク・ホテル」
これ等は全て私のカラオケのレパートリーに入っています。
国境、時代を越えて愛され続けるエルヴィス・プレスリーの人気は衰えを知りません
それは、エルヴィスの音楽が素晴らしかったからだと思います。
私も昨日はエルヴィスの音楽に浸り、エルヴィスを偲びました。
782、Sacred」も参照

1614、アメリカの干ばつ

2012年08月16日 | Weblog
お盆休みも終わり、今日から通常の仕事に戻る人も多いと思います。
しかし、暑さはまだ続きそうで、今日は猛暑日になるところも多そうです。

今夏のアメリカは記録的暑さで、各地で過去最高を記録しました。
上の写真は7月18日の天気予報でニューヨークは、なんと111°(華氏)です。
猛暑は現在も続いていています。
干ばつ被害が深刻で、各地で過去50年以上で最悪の干ばつ被害が出ています。
干ばつで穀物相場は高騰し、日本にも影響が出始めています。


スプリンクラーも効果がなく、焼け石に水です。


枯れたトウモロコシ

「新世界」の田園風景は見られるのかな?

あまりの暑さに原発も停止しました。
東部コネティカット州のミルストン原発では猛暑のため、機器の冷却に利用している周辺の海水温度が規定を超えたため原子炉を停止させました。
同原発の安全規定は、冷却水が23・9度を超えないよう定めていますが、今月13日に海水温は24・8度まで上がりました。

また、各地で山火事も発生しています。

1613、次の次

2012年08月15日 | Weblog
ロンドン・オリンピックが終了しました。
選手のひたむきな姿に多くの日本人が感動したことと思います。
2016年はブラジルのリオデジャネイロで開催。
その次、2020年のオリンピック開催に東京が立候補しています。
しかし、「東京オリンピック」開催には多くの関門が待ち受けています。
第一の関門は国際オリンピック委員会(IOC)で承認されなければなりません。
世界の支持を得られるか?
最大の関門は国内の支持が得られるか?です。
今年5月の調査によるとオリンピック開催に「賛成」と答えた都民は47%でした。
「ロンドン・オリンピックは感動したか?」という質問には90%くらいの人がが「感動した。」と答えると思います。
ロンドン・オリンピック終了直後の今調査すれば70%くらいは賛成と答えるでしょう。
でも感動は時と共に冷めていき、反対と答える人が増えて行くでしょう。
反対の理由はいろいろあります。
「費用がかかりすぎる」、「経済効果が期待できない」、「渋滞」、「終了後の施設の維持が大変」、など等。
第2回東京オリンピックを開催するには、これ等の問題を解決し無ければなりません。
オリンピック後のことも考えた緻密な計画が必要です。
「感動はほしいが自国での開催は反対」というのでは無責任すぎます。

1964年の東京オリンピックは日本の経済を世界レベルまで高める一因になりました。
武道館、国立競技場などの施設は今でも利用されています。

北京オリンピック(2008年)のメイン会場だった「鳥の巣」は現在「鳥の巣状態」で、その他の施設も廃墟化しているようです。


1612、史上初

2012年08月14日 | Weblog
17日間の熱戦を繰り広げたロンドン・オリンピックが閉幕しました。
この間、このブログもオリンピック特集のようでした。
今回のオリンピックで感じたのは「チームワーク」、「団結力」、「感謝」などの言葉です。
メダルをとった選手の多くは「このメダルは私1人のものではない、支えてくれた多くの人、応援してくれた人のおかげ」とコメントしていました。
日本のメダルは38個(金7、銀14、銅17)で、2004年アテネ大会の37個(金16、銀9、銅12)を上回って史上最多でした。

ロンドン・オリンピックでは史上初、何十年ぶりというメダルが多くありました。
ロンドンでの開催は史上初の3度目の開催。

日本選手団の前半は競泳陣が活躍しました。
女子レスリングでは伊調選手、吉田選手が日本女子史上初の3連覇
フェンシング男子団体は史上初の銀メダル。
ウエイトリフティングでは三宅選手が女子史上初の銀メダルを獲得。
アーチェリー女子団体も史上初の銅メダル。
バトミントン女子ダブルスは史上初の銀メダル。
卓球女子団体は史上初の銀メダル。
サッカーのナデシコは史上初の銀メダル。
男子体操個人総合は内村選手が28年ぶりの金メダル。
女子バレーボールは28年ぶりのメダル獲得。(銅)
ボクシングの村田諒太選手(ミドル級)は48年ぶりの金メダル。(史上2人目)
男子レスリングでは米満達弘選手が24年ぶりの金メダル。(今オリンピック38個目のメダル)
日本が獲得した金7個のうち4個はレスリング(女子3、男子1)です。
1607、現在20位」で、「残る競技で金が獲れそうなのは女子レスリングとナデシコくらいか?」、と書きましたがボクシング、レスリング(男子)で金を獲得。(失礼)

「女子力」という言葉が示すように女子の活躍が目立ちました。
金1号」となった柔道女子松本選手の闘志ある戦いは強烈な印象を与えました。
個人種目のメダルも感動的でしたが、団体競技でのチームワーク、団結力は見事でした。
38個のメダルには、それぞれのドラマがあり、人生がありました。
一方、柔道男子は史上初の金メダル無し

史上初と言えば陸上の短距離100m、200m、4×100mの3つの金メダルを北京に続いて獲得したボルト選手。
競泳のマイケルフェルプス選手のオリンピックでの獲得メダルは通算22個となって、夏・冬全競技を通じて史上最多になりました。(2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン)
今までの記録は旧ソ連体操女子のラリサ・ラチニナ選手の18個でした。(1956年メルボルン、1960年ローマ、1964年東京)
テニス男子の優勝はマレー選手でイギリス人選手としては104年ぶりの優勝です。
陸上競技では史上初の義足選手が出場。
全競技に女子が参加したのも史上初。
多くの記録と、記憶、感動を残して閉幕しました。

1611、6位入賞

2012年08月13日 | Weblog
ロンドンオリンピック最終種目の男子マラソンは中本健太郎選手が6位入賞し、何とか面目を保ちました。
アフリカ勢を中心とした高速マラソンに、最近の日本人選手は付いていけない状態です。
1604、あっぱれ水泳」で男子マラソンは期待薄、と書きました。
今大会も入賞は難しいと思っていましたが、6位入賞は大健闘です。
参加3選手の自己ベストを見ると藤原新:2:07:48、山本亮:2:08:44、中本健太郎:2:08:53です。
ネットによる期待度は藤原選手が圧倒的に多くなっていました。
結果は自己ベストの逆で中本選手6位、山本選手40位、藤原選手45位。
テレビのアナウンサーも藤原選手に期待していたようで、中継で日本人選手トップを走る中本選手のことを藤原と何度も言い間違えていました。
アナウンサーは先入観を入れずにアナウンスしましょう。
実況中継(LIVE)ではアナウンサーも興奮したり、集中力が切れるることもあるでしょう。


6位入賞の中本選手。

閉会式がはじまりました5:00am(日本時間)
私はこれから畑に行くので後で録画を見ようっと。

1610、バーベキュー

2012年08月12日 | Weblog
昨日(11日)からお盆休みで、帰省ラッシュが始まりました。
私は仲間30人ほどで近くの河川敷に行ってバーベキューをしました。
曇り時々晴れの穏やかな天気で、多くの人が来ていました。


バーベキュー(橋の下)


高校生のボート部が練習していました。(橋の上から撮る)
ここはよく通る道で、ときどき練習しているボート(カヤック)を見ます。


家族連れもボートを楽しんでいました。


釣り人も多く、大物を釣った人もいました。
85cmもある鯉で、金色でした。