ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1429、ディーバ死去

2012年02月13日 | Weblog
米歌手、ホイットニー・ヒューストンさが48歳の若さで死去しました。
11日、高級ホテル「ビバリー・ヒルトン」の部屋で倒れ、駆け付けた救急隊が蘇生措置を試みましたがビバリーヒルズ市警が死亡を確認しました。
12日の第54回グラミー賞の発表・授賞式に出席するためロサンゼルスに滞在していてました。
11日夜はグラミー賞のパーティーに出席する予定で、くしくも常連だったグラミー賞前日の訃報でした。
ホテル周辺には多くのメディアやファンが集まりました。(上の写真)
音楽業界からは悲しみの声が次々と寄せられ全米が悲嘆しています。
モデル、歌手、女優などマルチな才能を発揮していましたが48歳での急逝は、その才能を惜しむ声が多く上がっています。

1992年にケビン・コスナーと共演した映画「ボディガード」の主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」は全世界で4000万枚を記録しました。
この曲を収めたアルバムなどでグラミー賞を通算6回獲得しています。
2000年以降私生活ではドラッグ(薬)やアルコール依存症、夫からのDV、離婚など、さまざまな困難に直面していました。

1963年、ニュージャージー州ニューアーク生まれです。
ニューアークはニューアーク空港がある町で、ホイットニーはすぐ隣の町フォートリーに住んでいたことがあります。
母もゴスペル歌手で音楽環境に恵まれていました
歌の才能にも恵まれていました。
1985年にデビューし、7曲連続で全米シングルチャート1位を達成するなど、相次いでヒットを飛ばし、累計セールスはアルバムは1億4000万枚以上、シングルは5000万枚以上を記録しています。
3オクターブの超美声で人々を魅了し、「オールウェイズ・ラブ・ユー」の歌唱力は圧倒的です。
1994年チリでの熱唱ライブ。

1060、National Anthem」でアメリカを代表するディーバ(歌姫)の国家斉唱を紹介しましたが、
一番に挙げたのはホイットニー・ヒューストンです。
歌うこと楽しんでいる感じで輝いています。
これは第25回スーパーボウル(1991年)でのもので、名演として語り継がれています。
この時は湾岸戦争開戦直後でアメリカの愛国心が高揚ていました。
第25回スーパーボウルは私にとっても思い出深いもので、ニューヨーク・ジャイアンツが
史上最少得点差の20-19でバッファロー・ビルズを破りました。
101、凱旋パレード」を参照

スーパースターは突然逝って輝き続けます。
エルビスジョンマイケル、ホイットニー