AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

ソーシャルメディアの不寛容の先(4)

2017-11-21 14:12:35 | メディアの一向一揆

サンディエゴ在学中 教授が和歌の意味を教えて欲しいと言われた事があった。

 

「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 

衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)」

 

持統天皇の句である。これを英文にすると

Summer breaking in to push spring out: 

Kaguyama white in veils of heavenly maidens

Hung out in vernal colors before it gets too hot.

 

<!-- 牛乳石鹸 -->

 

暗喩 英語では、metaphor(メタファ)と言うが、和歌にしても俳句にしてもこの短い規則の中で韻を踏み、季語までもある。島国 ガラパゴス日本が編むクレール語ほど洗練されたものはなく、外国人にとって非常に難解である事も確かな事だ。鎖国していた事で培われたものとも言える。

小泉八雲やゴッホが魅了された事も理解できる。

日本の「阿吽」の呼吸も、直接的に「私は貴方を愛している。」朝から晩まで言ってないと通じない。昭和のCM文化は当にクレールCMだったかも知れない。

語間を読むパースペクティブのあるタグラインも随分と減ってしまった。

若い人達とのコミュニケーションをとるのにも苦労する事も多くなった。

外国人の様に直接語でしか彼等は大凡がわからない。但し今でも質の高い広告表現を目指す方々や精神性の高い方々は、既にクレール語族かも知れない。

大凡のミレミアム世代は寛容ではない。

 


11月20日(月)のつぶやき

2017-11-21 03:59:01 | 百済ない話