AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

ソーシャルメディアの不寛容の先(5)

2017-11-23 14:20:37 | メディアの一向一揆

最近、ウェブなどのCMに対して、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で批判が集中し、いわゆる「炎上」する事例が頻発している。牛乳石鹸や宮城県の観光PR動画など「結果を出したい」と焦るスポンサーや広告制作会社の失策だけでなく、「ミレニアル世代」など、性的表現やモラル上の表現に厳しい若者が増えたことも背景にありそうだ。

ご存知の様に通勤通学の車内では誰もがスマホに夢中である。

以前の携帯ではメールをうっている方が多かったが、今はゲームに夢中である。中には動画を見ている方も多い。NYの地下鉄で強盗事件があり、ナイフで刺されても周りが気がつかない。スマホに夢中だからである。

 

<!-- power of ten -->

 

チャールズ&レイ・イームズが1968年に制作した映像作品「Powers of Ten」が ... 数学的で緻密な映像美や、ワンカットで全世界を見せる手法に魅せられるとともに

CM表現でも提案されたが、上手くはいかなかった。

Google Earth としていとも簡単に構築してしまった今、欧米の老人施設ではこれを応用して、自分が住んでいた付近を散歩したり、海外の観光地を巡る事もしている。認知障害になりやすいご老人にとってはとてもよい効果を生んでいる。

 

<!-- google museam -->

 

<!-- google art roject goho -->

 

Google Musiame も世界の学校で利用されている。

 

ゴッホの絵を超拡大して、筆のタッチを見る事だってできるのは凄い。このプロジェクトグーグルの世界の全ての情報を集約するというコンセプトを体現する為だけに作られた、文化事業である。要は受ける側ユーザの立ち位置だろう?

ゲームなどはその最たるものだろうが、全てにおいて自己中の世界だ。

霊友会ではないが、インナートリップである。この自己中が不寛容を生み、

他を受け入れる寛容さをなくして分断していくのだとも思う。



11月22日(水)のつぶやき

2017-11-23 04:03:23 | 百済ない話