さてさて、これを書いている時から遡ること三日前のことである。
抹茶とお菓子作りの体験会というのを聞きつけて、参加することになった。
変わった茶の先生がおられるらしく、茶碗やら茶道の道具のほとんどを作ってしまったという。ちなみに、先生自身がおっしゃっていたのだが、「茶は失敗した」とのことだ。
というわけで、ちと気合を入れすぎてこんな格好で出かけてきた。
しかしまあ、写りの悪いこと。
このケータイのカメラはどうも白っぽく撮ってしまうようだ。本当はもう少し顔は黒いのである。疲れた顔は単純に朝から起きていたせいだろうと。後で他の具体例を示す。
というわけで、そもそもが和菓子作りから始めるところだったわけで、こんな格好で上新粉を捏ねたりしていた。
茶の先生曰く、「サドウというのは本来は茶頭と書いて、大名や武将に侍る茶坊主のえらいさんのことだから、チャドウと発音するのが正しい」と訂正された。
書いて云々は口頭ではないが、そういうことである。
なんでお茶の体験会なんてものに顔を出すことになったのか。
いつも夜勤明けで歩いて帰る大通りに、額縁だとか絵画の道具を扱うお店がある。
そのお店がオーナーの貸しギャラリーがあって、そこで輪島塗やら陶器のギャラリーをやっていた。
またもや飲んだ帰りで、入り口のポスターを何気なしに見つめていると、女性の案内人が招いている。
こりゃしょうがない。入ろう、となり、色々話を聞いていた。しかしまあ、少々飲んだ顔の変なおっさん(写真写りは悪いがまだ三十ではあるぞ!)を招いたもんだなぁと思ったら、話しているうちにそんな話になり、「やっぱりそうでしたか」と言われたものである。
陶器や江戸切子、輪島塗のカップ(コーヒーカップが本当にある)、後は麻の座布団やら小物などが展示してある。
輪島塗について色々聞いてみたら、そのオーナー(まだ決まった場所に店は構えていないが)がいうには、徹底的にこだわった漆塗りと、大量生産に近いものは違いが出てくるのだとか。
その契約?した輪島塗のところが作ったコーヒーカップが置いてある。同じ型のが二つ並んでいるのだが、片方は、かつて直営店か何かで喫茶店をやっていたとかで、十年使われたものだそうだが、なんと、内側が光沢を放っている。
喫茶店で使われたものでありながら、漆も、また器の強度もしっかりしていて、使い込めば輝きを放つというわけである。
これが他の漆の原材料やらが違うものだと、こうはならないそうな。塗りが均一でないそういうものは、乾いた塗りの部分を磨いてしまい、結果、漆が薄くなってしまう。そして上記のコーヒーカップのようなことをすると剥げてしまうという。
ほー、これはこれは。と、痛く感心したのはいいのだが、財布にあまり入っていない。
振込みもやってますというのだが、その前後に聞いたチャドウ体験会の後考えますということで、麻の札入れを買って参加する予定日を申し、店を後にしたのである。
そして、茶の体験会のあと、やっぱり気になった、輪島塗のホットカップ(要するに湯呑みだ)を買って帰ることにしたのでありました。めでたしめでたし。
しかし、初めて伺った日の、輪島塗のコーヒーカップで戴いたコーヒーは、陶器のとはまるで違うものがある。口に当たる器の感触が実に優しい。熱くなりすぎず、かといって冷めるわけでもない、絶妙なバランスであった。
輪島塗には感動したのだが・・・。
一人の筆師が生活していくのに、何十人の何とか師が必要、という風な話は読んでて「お互いを縛り付けてるだけのような気もするな」と、言ったら怒られそうな事を考えたものである。
ちなみに、完全分業制で成り立っており、この工程はこの人、次の工程はこの人、仕上げはこの人、という風になっているそうだ。
そしてそのカップだが、写真を撮るのを忘れた。先ほどの例にも漏れず、おそらく伝わりきらないので、ご想像にお任せする。
まあ、人間の食べ物はフルーツである、ということならば、器はなくてもいいし、葉っぱでもいいわけだ。
しかし、いきなり森に住むこともまかりならぬと。かといって塩ビやらプラスチック製のコップなんぞ口につけることは想像するだけでもいい気分はしない。
漆にかぶれる人もいるであろうから、推奨するわけではないが、こういう本物を探してみるというのも面白いものである。ちなみにお値段は・・・伝統工芸という割には安い、くらいではあるので、気が向いた人だけどうぞ。
その輪島塗の工房のページはこちら。輪島屋善仁(わじまやぜんに)
さて、今日は三連休の最終日。
明日からはまた仕事で、雨続きにもなるそうだ。
天気はよい。ならば、先日行った川原に行って坐っていようと考え、昼過ぎから出かけてきた。
風がとても強い。帽子が飛ばされそうだったが、橋の下で座っている間は脱いで風下に置き、身体で防風していたので飛ばされることはなかった。
橋の向こう側では、何やら作業員がうろついている。遊歩道やらを作っている感じで、川で遊んでいた子供達を追い返していた。
こちらが坐っている方は作業をする予定がないようなので来ることはなかったが、見ててバカバカしかった。恐らく「ここは危ない」とか「まだ工事中だから」とか言っておきながら、その川を歩いて渡っていく。危ないってなんだろうか。
まあ、セリフは聞こえなかったので想像だが。
風は強いが、日差しも中々強い。しばらく橋の下にいたら、気持ちよくなって少し意識が飛んでしまった。じゃあ歩こう、と石ころを歩き回ったりしていた。
近くで鳩が三羽ほど寛いでいたり、烏が水溜りで何かを咥えて、餌じゃないのに気付いてすぐ放していたりする。
日差しも少し弱くなったかと思ったが、大して変わらない。
日光浴ということにして、川岸に向かって坐り込んでいた。
すぐ近くの水面に、枯葉のような物が浮かんでは沈みを繰り返しつつ、何故か流れに逆らっていく。
よく見たら、鯉が泳いでいた。流れの真ん中よりこちら側の方で、ゆったりと泳いでいた。
そして、ついついまた石ころを拾ってきた。御影石だとか大理石みたいな材質の、光沢のあるものばかりになったが、なかなか綺麗である。
下段左から二番目は特に綺麗だった。写真ではかなり青いが、実物は黒が強い色をしている。
やはり、このケータイのカメラは余計なことをしでかすようである。
とはいっても、一枚目の自画像はどう見ても疲れた顔をしている。細目でご覧いただければ幸いである。では、また。
※おまけ
抹茶とお菓子作りの体験会というのを聞きつけて、参加することになった。
変わった茶の先生がおられるらしく、茶碗やら茶道の道具のほとんどを作ってしまったという。ちなみに、先生自身がおっしゃっていたのだが、「茶は失敗した」とのことだ。
というわけで、ちと気合を入れすぎてこんな格好で出かけてきた。
しかしまあ、写りの悪いこと。
このケータイのカメラはどうも白っぽく撮ってしまうようだ。本当はもう少し顔は黒いのである。疲れた顔は単純に朝から起きていたせいだろうと。後で他の具体例を示す。
というわけで、そもそもが和菓子作りから始めるところだったわけで、こんな格好で上新粉を捏ねたりしていた。
茶の先生曰く、「サドウというのは本来は茶頭と書いて、大名や武将に侍る茶坊主のえらいさんのことだから、チャドウと発音するのが正しい」と訂正された。
書いて云々は口頭ではないが、そういうことである。
なんでお茶の体験会なんてものに顔を出すことになったのか。
いつも夜勤明けで歩いて帰る大通りに、額縁だとか絵画の道具を扱うお店がある。
そのお店がオーナーの貸しギャラリーがあって、そこで輪島塗やら陶器のギャラリーをやっていた。
またもや飲んだ帰りで、入り口のポスターを何気なしに見つめていると、女性の案内人が招いている。
こりゃしょうがない。入ろう、となり、色々話を聞いていた。しかしまあ、少々飲んだ顔の変なおっさん(写真写りは悪いがまだ三十ではあるぞ!)を招いたもんだなぁと思ったら、話しているうちにそんな話になり、「やっぱりそうでしたか」と言われたものである。
陶器や江戸切子、輪島塗のカップ(コーヒーカップが本当にある)、後は麻の座布団やら小物などが展示してある。
輪島塗について色々聞いてみたら、そのオーナー(まだ決まった場所に店は構えていないが)がいうには、徹底的にこだわった漆塗りと、大量生産に近いものは違いが出てくるのだとか。
その契約?した輪島塗のところが作ったコーヒーカップが置いてある。同じ型のが二つ並んでいるのだが、片方は、かつて直営店か何かで喫茶店をやっていたとかで、十年使われたものだそうだが、なんと、内側が光沢を放っている。
喫茶店で使われたものでありながら、漆も、また器の強度もしっかりしていて、使い込めば輝きを放つというわけである。
これが他の漆の原材料やらが違うものだと、こうはならないそうな。塗りが均一でないそういうものは、乾いた塗りの部分を磨いてしまい、結果、漆が薄くなってしまう。そして上記のコーヒーカップのようなことをすると剥げてしまうという。
ほー、これはこれは。と、痛く感心したのはいいのだが、財布にあまり入っていない。
振込みもやってますというのだが、その前後に聞いたチャドウ体験会の後考えますということで、麻の札入れを買って参加する予定日を申し、店を後にしたのである。
そして、茶の体験会のあと、やっぱり気になった、輪島塗のホットカップ(要するに湯呑みだ)を買って帰ることにしたのでありました。めでたしめでたし。
しかし、初めて伺った日の、輪島塗のコーヒーカップで戴いたコーヒーは、陶器のとはまるで違うものがある。口に当たる器の感触が実に優しい。熱くなりすぎず、かといって冷めるわけでもない、絶妙なバランスであった。
輪島塗には感動したのだが・・・。
一人の筆師が生活していくのに、何十人の何とか師が必要、という風な話は読んでて「お互いを縛り付けてるだけのような気もするな」と、言ったら怒られそうな事を考えたものである。
ちなみに、完全分業制で成り立っており、この工程はこの人、次の工程はこの人、仕上げはこの人、という風になっているそうだ。
そしてそのカップだが、写真を撮るのを忘れた。先ほどの例にも漏れず、おそらく伝わりきらないので、ご想像にお任せする。
まあ、人間の食べ物はフルーツである、ということならば、器はなくてもいいし、葉っぱでもいいわけだ。
しかし、いきなり森に住むこともまかりならぬと。かといって塩ビやらプラスチック製のコップなんぞ口につけることは想像するだけでもいい気分はしない。
漆にかぶれる人もいるであろうから、推奨するわけではないが、こういう本物を探してみるというのも面白いものである。ちなみにお値段は・・・伝統工芸という割には安い、くらいではあるので、気が向いた人だけどうぞ。
その輪島塗の工房のページはこちら。輪島屋善仁(わじまやぜんに)
さて、今日は三連休の最終日。
明日からはまた仕事で、雨続きにもなるそうだ。
天気はよい。ならば、先日行った川原に行って坐っていようと考え、昼過ぎから出かけてきた。
風がとても強い。帽子が飛ばされそうだったが、橋の下で座っている間は脱いで風下に置き、身体で防風していたので飛ばされることはなかった。
橋の向こう側では、何やら作業員がうろついている。遊歩道やらを作っている感じで、川で遊んでいた子供達を追い返していた。
こちらが坐っている方は作業をする予定がないようなので来ることはなかったが、見ててバカバカしかった。恐らく「ここは危ない」とか「まだ工事中だから」とか言っておきながら、その川を歩いて渡っていく。危ないってなんだろうか。
まあ、セリフは聞こえなかったので想像だが。
風は強いが、日差しも中々強い。しばらく橋の下にいたら、気持ちよくなって少し意識が飛んでしまった。じゃあ歩こう、と石ころを歩き回ったりしていた。
近くで鳩が三羽ほど寛いでいたり、烏が水溜りで何かを咥えて、餌じゃないのに気付いてすぐ放していたりする。
日差しも少し弱くなったかと思ったが、大して変わらない。
日光浴ということにして、川岸に向かって坐り込んでいた。
すぐ近くの水面に、枯葉のような物が浮かんでは沈みを繰り返しつつ、何故か流れに逆らっていく。
よく見たら、鯉が泳いでいた。流れの真ん中よりこちら側の方で、ゆったりと泳いでいた。
そして、ついついまた石ころを拾ってきた。御影石だとか大理石みたいな材質の、光沢のあるものばかりになったが、なかなか綺麗である。
下段左から二番目は特に綺麗だった。写真ではかなり青いが、実物は黒が強い色をしている。
やはり、このケータイのカメラは余計なことをしでかすようである。
とはいっても、一枚目の自画像はどう見ても疲れた顔をしている。細目でご覧いただければ幸いである。では、また。
※おまけ