さてここ何日か、完全に行ってはいないが、その日の一食を果物にしてみる、ということをやっていた。
そもそもの食事の間隔が感覚しだいなところが大きい(前よりはどうも習慣的であるが)。昼過ぎに起きたら夕方食べて、早朝くらいまで起きてて、そこから寝て夕方に夜勤へ、などとやる。ひどいと(寧ろ都合が良いが)一日一食になっていたりするわけだ。
脂肪の多い食生活をしている状態(特に現代は何食っても入っているといわんばかりである)だと、果糖が悪さをするという。
例えば、昼に天ぷらを食べたとする。そして晩に果物を食べたらどうなるか。
時間経っているから悪さをしないのでは?と思われるが、脂肪と果糖の体に取り込まれるスピードが違いすぎるので、もたもたしている脂肪に果糖が追いついてしまい、同時に食べたのと変わらない状態へと相成る。
同時に口にするだけでなく、同時に体の中に存在しない状態が望ましい、というところだろう。
ヴィーガンと呼ばれる食生活を行っている人が生の果物を食べた場合、いろいろな不快症状に襲われるという。頭がぼんやりするだとか胸焼けするだとか。
通常のヴィーガンは、かなり脂肪分の多い食事をしている。なんせ、ジャンクフードばかり食べているのと遜色がなかったりするのだとか。
「体に良い油脂分だから」というのが、実はお題目だった、というわけである。
なら、半日以上空いた状態で食べれば丁度よかろう、というわけで、夜勤の晩飯にパイナップルを食べてみたり、ちょっと早めについたので、仕事前にキウイフルーツを食べたりしていた。
子供のころはほとんどの果物が食べられなかった。何か知らんが嫌いだった。でも、何故かリンゴやパイナップルは食べられた。そういう話をすると人に「普通、桃みたいな甘い奴を好むだろう?」と言われたり、「ビタミンCはどうやって補給しているんだ」と言われる。
ビタミンC云々については、「茶飲んでる」と答えていた。茶では足りなかろうが、野菜が多い食事は元から好んでいたところである。
というわけで、ずっと苦手だったメロンに昨晩、挑戦した。挑戦というとバカらしいが、本当に子供のころは一口がやっとぐらいのもの。小ぶりの銚子メロンとはいえ、どういう調子になるかわからない。
さて、結果。皿には皮しか残らなかった。
確かに、子供のころ嫌だった感触と味である。香りも好みではなかった。
しかし、何が嫌だったのか。本当に遠い昔であり、思い出す意味もないので、考えるのを辞めた。
夜勤明けの帰りは、普通の食事をして帰ってきたのだが、やはり、そろそろこういう食べ物(加熱調理された食べ物)で腹一杯にするのは辞めておいた方がよかろうという感覚が、日に日に強まっている。
一気にやってみても構わないが、昨日から今日にかけて、再確認できたと言える。食べても構わない、といったらあれだが、少なくとも三分の一くらいの量でもう結構となり得る。出された分だけ食べるのがそも間違いでもある。
メロンが完熟していたのかどうかはよくわからないが、なんだか調子が良くなかったのに、メロンを食べ切ったらすっきりしてしまった。
そうそう。テストステロンという性ホルモン。これは肉を食べたらよく出るとは有名な話でもあるのだが、加熱調理された穀物を食べても出てくる。野菜や果物についてはどうだったかな?でも、加熱しないほうがよかろう。
テストステロン自体は、脳の成長に必要な物質ではあるが、果物に含まれる成分が働きを抑制していたのである。必要な分だけ働かせていた、というわけだろう。
今はというと、以前から言ったとおり、過剰に働いている。働きすぎて脳が退化して、左脳が特に機能不全になっていると。そして、機能不全の方に引き摺られた状態、権威的で父権的で何もかも支配しようと言う理性的というのかわからんが、実に男性的な脳による世界になったというのが、トニー・ライトの仮説である。えー、またこういうとサボっているのかと思われそうだが、Beyond 5 Sensesのこちらの記事を参照のこと。
さて、何度も同じ話を引っ張ってきてもしょうがない。果物だけ食べたらどうなるか、という感覚の話をしたら出して来ざるを得ない、というところがあって、つい書いてしまう。
身体の感覚、という点では、正坐がきっちり出来た時の感覚が果物だけを食べた時の感覚に近い。あとは和装で袴を穿いた時にも感じられる。何か額の奥の方で感じられるのである。
以前にも書いたが、瞑想をしたら額がむず痒いような感じがするのは、脳の松果体に対応しているチャクラが反応しているらしい、ということだが、果物を主食にするのが一番とはいえ、現代に至るまで、我々は悉く副交感神経優位の状態になる物、事を奪われて来たのだなと考える。
副交感神経が優位の状態、無意識、つまりは潜在意識だが、これが表に出てくる状態。集合意識というか根源意識とでもいうか。「皆と繋がっている」という感覚へと至る。
だから、江戸時代の船乗りのような荒々しい人間達の間から聞こえてくる言葉は「ありがとう」ばかりだったのだろう。現代人の「ありがとう」は意識だけで言っているので、形骸化しているといえよう。
と、結局前に書いたことを繰り返しただけのような気がするが、もう少しだけ。
帰り道、いつもと違う道を歩こうと、川の方へ向かった。
たまには石ころの上を歩いてみようかと考え、土手を降りた。降りようとするまでもなく、歩道とくっついたような状態の所から歩いていっただけだが。
河川敷の予定であろうそこは、土が柔らかい。少々歩き難いが、楽しいものである。ただ、重機の轍が嫌だった。
そのまま石ころだらけの川に入った。
ちょっと水は冷たいが、気持ちが良い。子供のころは海より川の方が近い所に住んでいたので、盆になれば親戚や友人達と川に入ったものだが、実はあまり泳ぐのは好きではなかった。
特に、切り立った岩の上から飛び降りるのは怖くてやったことが数えるほどしかなかった。
歩きにくい。実に歩きにくい。昔、大正昭和両天皇と皇后の墓を見に行ったことがあるのだが、その道は玉砂利が敷き詰められていて、実に歩きにくかった覚えがある。あれは滑る感じだが。
最近はずっと仕事の行き帰りはビーチサンダルで歩いているのだが、足の裏に普段は感じない、心地の良い刺激がある。脚に掛かる力も、平坦なだけの道を歩いただけでは感じられないものがある。
数分歩いて橋の下に来た。それだけだったのに、意外と疲れる。疲れる、というとだらしない話だが、平坦な道で同じ距離を歩いたのとでは比べ物にならない。だが、気持ちが良い。
腰掛けるのに手ごろな岩があった。腰を下ろし、ちょっと一服をした。
するとどうだろう。特に意識したわけでもないのに、額の奥が疼き始める。何か今も強張りのある肩や鳩尾も、軽くなった。
「そうか、ここにくればいいんだな」と。これからは時折、橋の下で何をするでもなく石に腰掛けている人がいたら、仙人もどきだと思っていただこう。
さて、腰掛けて一服しながらふと思い出した。
「そういえば、川原の綺麗な石を拾うのが好きだったな」と。「幻の桜」の影響もあって、記憶を捏造したのかしらないが、実際に子供のころは石ころを拾っては川に投げていたのである(投げるんじゃない!)。平べったい奴で水面を跳ねさせる石投げはよくしたものである。
替わった模様だナァとか、感触がいいなぁ、という風に石を拾い上げていたことを思い出し、石を三つほど拾ってきた。
右下が一番最初に拾い上げたもの。実に水面を跳ねさせるのに向いてそうだが、投げなかった。
二番目は上の石。錆が入っていたり、ミルフィーユみたいな模様が気になった。一番目の石を洗いに行ったら、浅瀬に沈んでいた石である。天然なのかどうかよくわからんが、セメントがこうなるとは考えにくいし、セメントの感触ではなかった。
左下は三つ目。こういうエメラルドみたいな色は好きな色である。青に近い色、とでもいおうか。
石ころの上を歩いて元気をもらったせいか、トイレに行きたくなったので、長い間座り続けてはいなかったが、休みの日はここでゆっくりするのも悪くないと考えた。大きな橋の下である。風が強くなければ雨の日も問題ない。
さてさて、ラヂヲの予定が延びてしまったが、もう数日お待ちいただきたい。今日はやろうかと思っていたのだが、明日、夜勤の人間にとっては早い程度だが、朝から出かける予定がある。
収録は基本夜中にやって、その後作成になるので、夜勤明けでそれをやって朝から出かけるというのはやってやれないこともないが、やりたくない。
代わりにはならないだろうが、石ころを見て待っていただこうかと思うがどうだろう。三つあるので、一日一個ずつ眺めてくれれば丁度いいはずである。では、また。
そもそもの食事の間隔が感覚しだいなところが大きい(前よりはどうも習慣的であるが)。昼過ぎに起きたら夕方食べて、早朝くらいまで起きてて、そこから寝て夕方に夜勤へ、などとやる。ひどいと(寧ろ都合が良いが)一日一食になっていたりするわけだ。
脂肪の多い食生活をしている状態(特に現代は何食っても入っているといわんばかりである)だと、果糖が悪さをするという。
例えば、昼に天ぷらを食べたとする。そして晩に果物を食べたらどうなるか。
時間経っているから悪さをしないのでは?と思われるが、脂肪と果糖の体に取り込まれるスピードが違いすぎるので、もたもたしている脂肪に果糖が追いついてしまい、同時に食べたのと変わらない状態へと相成る。
同時に口にするだけでなく、同時に体の中に存在しない状態が望ましい、というところだろう。
ヴィーガンと呼ばれる食生活を行っている人が生の果物を食べた場合、いろいろな不快症状に襲われるという。頭がぼんやりするだとか胸焼けするだとか。
通常のヴィーガンは、かなり脂肪分の多い食事をしている。なんせ、ジャンクフードばかり食べているのと遜色がなかったりするのだとか。
「体に良い油脂分だから」というのが、実はお題目だった、というわけである。
なら、半日以上空いた状態で食べれば丁度よかろう、というわけで、夜勤の晩飯にパイナップルを食べてみたり、ちょっと早めについたので、仕事前にキウイフルーツを食べたりしていた。
子供のころはほとんどの果物が食べられなかった。何か知らんが嫌いだった。でも、何故かリンゴやパイナップルは食べられた。そういう話をすると人に「普通、桃みたいな甘い奴を好むだろう?」と言われたり、「ビタミンCはどうやって補給しているんだ」と言われる。
ビタミンC云々については、「茶飲んでる」と答えていた。茶では足りなかろうが、野菜が多い食事は元から好んでいたところである。
というわけで、ずっと苦手だったメロンに昨晩、挑戦した。挑戦というとバカらしいが、本当に子供のころは一口がやっとぐらいのもの。小ぶりの銚子メロンとはいえ、どういう調子になるかわからない。
さて、結果。皿には皮しか残らなかった。
確かに、子供のころ嫌だった感触と味である。香りも好みではなかった。
しかし、何が嫌だったのか。本当に遠い昔であり、思い出す意味もないので、考えるのを辞めた。
夜勤明けの帰りは、普通の食事をして帰ってきたのだが、やはり、そろそろこういう食べ物(加熱調理された食べ物)で腹一杯にするのは辞めておいた方がよかろうという感覚が、日に日に強まっている。
一気にやってみても構わないが、昨日から今日にかけて、再確認できたと言える。食べても構わない、といったらあれだが、少なくとも三分の一くらいの量でもう結構となり得る。出された分だけ食べるのがそも間違いでもある。
メロンが完熟していたのかどうかはよくわからないが、なんだか調子が良くなかったのに、メロンを食べ切ったらすっきりしてしまった。
そうそう。テストステロンという性ホルモン。これは肉を食べたらよく出るとは有名な話でもあるのだが、加熱調理された穀物を食べても出てくる。野菜や果物についてはどうだったかな?でも、加熱しないほうがよかろう。
テストステロン自体は、脳の成長に必要な物質ではあるが、果物に含まれる成分が働きを抑制していたのである。必要な分だけ働かせていた、というわけだろう。
今はというと、以前から言ったとおり、過剰に働いている。働きすぎて脳が退化して、左脳が特に機能不全になっていると。そして、機能不全の方に引き摺られた状態、権威的で父権的で何もかも支配しようと言う理性的というのかわからんが、実に男性的な脳による世界になったというのが、トニー・ライトの仮説である。えー、またこういうとサボっているのかと思われそうだが、Beyond 5 Sensesのこちらの記事を参照のこと。
さて、何度も同じ話を引っ張ってきてもしょうがない。果物だけ食べたらどうなるか、という感覚の話をしたら出して来ざるを得ない、というところがあって、つい書いてしまう。
身体の感覚、という点では、正坐がきっちり出来た時の感覚が果物だけを食べた時の感覚に近い。あとは和装で袴を穿いた時にも感じられる。何か額の奥の方で感じられるのである。
以前にも書いたが、瞑想をしたら額がむず痒いような感じがするのは、脳の松果体に対応しているチャクラが反応しているらしい、ということだが、果物を主食にするのが一番とはいえ、現代に至るまで、我々は悉く副交感神経優位の状態になる物、事を奪われて来たのだなと考える。
副交感神経が優位の状態、無意識、つまりは潜在意識だが、これが表に出てくる状態。集合意識というか根源意識とでもいうか。「皆と繋がっている」という感覚へと至る。
だから、江戸時代の船乗りのような荒々しい人間達の間から聞こえてくる言葉は「ありがとう」ばかりだったのだろう。現代人の「ありがとう」は意識だけで言っているので、形骸化しているといえよう。
と、結局前に書いたことを繰り返しただけのような気がするが、もう少しだけ。
帰り道、いつもと違う道を歩こうと、川の方へ向かった。
たまには石ころの上を歩いてみようかと考え、土手を降りた。降りようとするまでもなく、歩道とくっついたような状態の所から歩いていっただけだが。
河川敷の予定であろうそこは、土が柔らかい。少々歩き難いが、楽しいものである。ただ、重機の轍が嫌だった。
そのまま石ころだらけの川に入った。
ちょっと水は冷たいが、気持ちが良い。子供のころは海より川の方が近い所に住んでいたので、盆になれば親戚や友人達と川に入ったものだが、実はあまり泳ぐのは好きではなかった。
特に、切り立った岩の上から飛び降りるのは怖くてやったことが数えるほどしかなかった。
歩きにくい。実に歩きにくい。昔、大正昭和両天皇と皇后の墓を見に行ったことがあるのだが、その道は玉砂利が敷き詰められていて、実に歩きにくかった覚えがある。あれは滑る感じだが。
最近はずっと仕事の行き帰りはビーチサンダルで歩いているのだが、足の裏に普段は感じない、心地の良い刺激がある。脚に掛かる力も、平坦なだけの道を歩いただけでは感じられないものがある。
数分歩いて橋の下に来た。それだけだったのに、意外と疲れる。疲れる、というとだらしない話だが、平坦な道で同じ距離を歩いたのとでは比べ物にならない。だが、気持ちが良い。
腰掛けるのに手ごろな岩があった。腰を下ろし、ちょっと一服をした。
するとどうだろう。特に意識したわけでもないのに、額の奥が疼き始める。何か今も強張りのある肩や鳩尾も、軽くなった。
「そうか、ここにくればいいんだな」と。これからは時折、橋の下で何をするでもなく石に腰掛けている人がいたら、仙人もどきだと思っていただこう。
さて、腰掛けて一服しながらふと思い出した。
「そういえば、川原の綺麗な石を拾うのが好きだったな」と。「幻の桜」の影響もあって、記憶を捏造したのかしらないが、実際に子供のころは石ころを拾っては川に投げていたのである(投げるんじゃない!)。平べったい奴で水面を跳ねさせる石投げはよくしたものである。
替わった模様だナァとか、感触がいいなぁ、という風に石を拾い上げていたことを思い出し、石を三つほど拾ってきた。
右下が一番最初に拾い上げたもの。実に水面を跳ねさせるのに向いてそうだが、投げなかった。
二番目は上の石。錆が入っていたり、ミルフィーユみたいな模様が気になった。一番目の石を洗いに行ったら、浅瀬に沈んでいた石である。天然なのかどうかよくわからんが、セメントがこうなるとは考えにくいし、セメントの感触ではなかった。
左下は三つ目。こういうエメラルドみたいな色は好きな色である。青に近い色、とでもいおうか。
石ころの上を歩いて元気をもらったせいか、トイレに行きたくなったので、長い間座り続けてはいなかったが、休みの日はここでゆっくりするのも悪くないと考えた。大きな橋の下である。風が強くなければ雨の日も問題ない。
さてさて、ラヂヲの予定が延びてしまったが、もう数日お待ちいただきたい。今日はやろうかと思っていたのだが、明日、夜勤の人間にとっては早い程度だが、朝から出かける予定がある。
収録は基本夜中にやって、その後作成になるので、夜勤明けでそれをやって朝から出かけるというのはやってやれないこともないが、やりたくない。
代わりにはならないだろうが、石ころを見て待っていただこうかと思うがどうだろう。三つあるので、一日一個ずつ眺めてくれれば丁度いいはずである。では、また。