このgooブログでずっとずっとなにやら書いてきて、気がつけば動画(当時はゲームの実況プレイ動画というやつ)も始め、料理やらなんやらの写真まで出したりしていた。
本来は冗談半分でその日飲んだ酒の写真のブログでもやるかと、ゲームの知り合いの掲示板で書いたら(だったと思う)、やるがよいとのこと。
その酔った勢いで登録して、今に至る。
それが何年前かははっきり覚えていないが、ゲームの写真を乗せることが多かったのもあって、一応、何年以上かまでは調べなくても見当がつく。
編集画面トップの下の方に、何年前のこの週に上げた写真、と表示されるのだが、先ほど目に付いたのは2009年のこの週だった。
四年か五年か。よくも続いたものである。挙句の果てには自分の顔まで写真にして載せてしまうくらいである。
別に男前だから載せた、というわけではないのだが(他人と比べあって良いか悪いかなどと考えるのは無意味だという意味で、男前だと思っている)、バーで飲んでたりするとたまに「イケメンだなぁ」といわれたりする。
「イケメンなんぞというブタの言葉を吐くでない」と、思うが言わない。
この顔、実はコンプレックスである。いや、あったというべきか。
再掲しないので、気になる方は気の向くままにお探しいただく。なに、つい先月の記事である。
実家の家族とやらは、兄弟三人いて、自分自身は真ん中である。
ある日父が言う。
「一番上は言いすぎかしらんが、キ○タクみたいな雰囲気がある」などと。
よし、ならわしはどうなんだと。
「若乃花みたいな人間的な顔をしておる」だった。
別に体型が関取だったわけではないのだが、世の頭も腰もスカスカのゴイ・・・いや、女性どもが追いかける素敵な人gyじゃなかったげーのー人とかたや関取である。侮辱である!ダンコとしてコーギだ!とはならなかったが、子供はよっぽどつまらんものに触れないように育てないと、そういう価値観に染まりやすいのもあって、ひどく惨めな気がしたものである。
今となっては、「我が兄がキ○タクの雰囲気である」というのが別の意味で(当人たちにはさっぱりだろうが)判ったので、「若乃花みたいな人間らしい顔」は的確な表現だなと考えている。
さて、話を戻して。
兄とはさほど年は離れていないので、学校に通うと被る。
中学は兄と同じ剣道部にいて、こちらの先輩にあたり、兄の後輩にあたる人間どももよくいう。「兄貴は格好良かったのにお前と来たら」である。
高校は別のほうに行ったのでそういう話は無縁になった。
ただ、やはりなんだか褒められるというのは嘘だという気分が強くなっていた感じはあった。容姿のことだけでなく。
そんな感じでねじくれてはいたのだが、このブログを始める前だったろうか。
仕事の関係で兄の顔を知る人と初めて会った日である。
「へぇ、兄貴より格好いいね」であった。
そこで猛烈に感動して、「俺はキ○タク並みに格好良くなったんだ!」と思った、わけではなく。
なんだ、人の評価なんて別になんでもないんだなと。よくて参考でしかないことがほとんどなんだなと。
と、なんとなく達観したような感じになったものであった。だから、何かで褒められたらムキになって「違います」みたいな気分にはならなくなった。(褒めてくるのは嘘でしかないという感じは消えた)
素直に「ありがとうございます」と。
だが、達観したというほどのものでは実際なく、実況プレイ動画の声を「気持ち悪い」と言われて三日三晩は怒り狂ったり(誇張である)はしていたのだが、これを乗り越えた話ははっきり思い出せないし、上記の話があるのなら、自然そうなるものだったのだろうと考えている。
最近出たものらしいが、「意識とは脳内が作り出すマジックショーである」とのことで、そういう脳研究の話の本が出版されていた。
マジックショー。言い得て妙である。フロイトとユングが喧々諤々やりあっていた無意識について、フロイトは「過去の記憶の集積である」という立場だったが、弟子であるユングは「無意識の深い部分には、未来を直観する働きが潜在している」と考えたそうな。
「未来を直観する」なんて、マジックショーじゃないか、と我々は嘲う。だが、そんな言い方自体が実につまらないマジックショーだったというわけである。では、また。
本来は冗談半分でその日飲んだ酒の写真のブログでもやるかと、ゲームの知り合いの掲示板で書いたら(だったと思う)、やるがよいとのこと。
その酔った勢いで登録して、今に至る。
それが何年前かははっきり覚えていないが、ゲームの写真を乗せることが多かったのもあって、一応、何年以上かまでは調べなくても見当がつく。
編集画面トップの下の方に、何年前のこの週に上げた写真、と表示されるのだが、先ほど目に付いたのは2009年のこの週だった。
四年か五年か。よくも続いたものである。挙句の果てには自分の顔まで写真にして載せてしまうくらいである。
別に男前だから載せた、というわけではないのだが(他人と比べあって良いか悪いかなどと考えるのは無意味だという意味で、男前だと思っている)、バーで飲んでたりするとたまに「イケメンだなぁ」といわれたりする。
「イケメンなんぞというブタの言葉を吐くでない」と、思うが言わない。
この顔、実はコンプレックスである。いや、あったというべきか。
再掲しないので、気になる方は気の向くままにお探しいただく。なに、つい先月の記事である。
実家の家族とやらは、兄弟三人いて、自分自身は真ん中である。
ある日父が言う。
「一番上は言いすぎかしらんが、キ○タクみたいな雰囲気がある」などと。
よし、ならわしはどうなんだと。
「若乃花みたいな人間的な顔をしておる」だった。
別に体型が関取だったわけではないのだが、世の頭も腰もスカスカのゴイ・・・いや、女性どもが追いかける素敵な人gyじゃなかったげーのー人とかたや関取である。侮辱である!ダンコとしてコーギだ!とはならなかったが、子供はよっぽどつまらんものに触れないように育てないと、そういう価値観に染まりやすいのもあって、ひどく惨めな気がしたものである。
今となっては、「我が兄がキ○タクの雰囲気である」というのが別の意味で(当人たちにはさっぱりだろうが)判ったので、「若乃花みたいな人間らしい顔」は的確な表現だなと考えている。
さて、話を戻して。
兄とはさほど年は離れていないので、学校に通うと被る。
中学は兄と同じ剣道部にいて、こちらの先輩にあたり、兄の後輩にあたる人間どももよくいう。「兄貴は格好良かったのにお前と来たら」である。
高校は別のほうに行ったのでそういう話は無縁になった。
ただ、やはりなんだか褒められるというのは嘘だという気分が強くなっていた感じはあった。容姿のことだけでなく。
そんな感じでねじくれてはいたのだが、このブログを始める前だったろうか。
仕事の関係で兄の顔を知る人と初めて会った日である。
「へぇ、兄貴より格好いいね」であった。
そこで猛烈に感動して、「俺はキ○タク並みに格好良くなったんだ!」と思った、わけではなく。
なんだ、人の評価なんて別になんでもないんだなと。よくて参考でしかないことがほとんどなんだなと。
と、なんとなく達観したような感じになったものであった。だから、何かで褒められたらムキになって「違います」みたいな気分にはならなくなった。(褒めてくるのは嘘でしかないという感じは消えた)
素直に「ありがとうございます」と。
だが、達観したというほどのものでは実際なく、実況プレイ動画の声を「気持ち悪い」と言われて三日三晩は怒り狂ったり(誇張である)はしていたのだが、これを乗り越えた話ははっきり思い出せないし、上記の話があるのなら、自然そうなるものだったのだろうと考えている。
最近出たものらしいが、「意識とは脳内が作り出すマジックショーである」とのことで、そういう脳研究の話の本が出版されていた。
マジックショー。言い得て妙である。フロイトとユングが喧々諤々やりあっていた無意識について、フロイトは「過去の記憶の集積である」という立場だったが、弟子であるユングは「無意識の深い部分には、未来を直観する働きが潜在している」と考えたそうな。
「未来を直観する」なんて、マジックショーじゃないか、と我々は嘲う。だが、そんな言い方自体が実につまらないマジックショーだったというわけである。では、また。