環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

「環境問題」に対する大学生の基本認識 「判断基準」を変えれば、「新しい可能性と希望」が生まれる

2015-03-19 15:02:40 | Weblog
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今日たまたま、私が記事を投稿しているこのブログ・メデイア「Goo」の編集画面にアクセスした。そして、Gooが今年3月9日に11周年を迎えていたことに気づいた。同時に、今日は、2007年1月1日に開設した私のブログが開設からちょうど3,000日であり、今日の記事は891本目であることを知った。


1990年以来25年間、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する大学生の基本認識

 私は、1990年の三重大学教育学部(1990~1995年)から2013年の静岡県立大学経営情報学部(1997~2013年)までの23年間、9つの大学のさまざまな学部(三重大学生物資源学部、信州大学繊維学部、東京工業大学理工学部、明治学院大学国際学部、日本女子大学家政学部、日本大学文理学部、東海大学文学部、法政大学社会学部、フェリス女学院大学国際交流学部)で、非常勤講師として“環境論”を講じてきた。

 私の大学での23年にわたる「環境論」の講義は、2013年1月28日の静岡県立大学での後期の「第14回 転換政策⑥ 廃棄物に対する製造者責任」と題する講義を最後に、すべて終了した。

 23年間の講義生活の中で、2000年から毎年講義の初日に、「環境問題という言葉を聞いたときに思い浮かぶことを3つ書きなさい」という質問をして、「環境問題」に対する学生の基本認識を知ることに努めた。学生の回答はいつも、環境問題と言えば判で押したように「地球温暖化/気候変動、森林伐採、オゾン層の破壊、大気汚染、水質汚染、廃棄物問題・・・・・」という現象面の列挙であり、 「環境問題」と「現実の経済活動」 を関連づけて考える学生がほとんどいなかったことがわかった。

 このことは1990年頃の「環境問題」に対する大学生の基本認識と23年後の大学生の基本認識がこの間ほとんど変わってないことを示唆している。この現象は大学の学部、学年、性別、学生数などにかかわりなく、等しく認められる日常的な傾向である。


13~15回の講義で一変する環境問題に対する「大学生の基本認識」

 初日の講義で、上記のような紋切り型の回答をしていた学生が前期あるいは後期の13~15回の私の講義を履修すると、環境問題に対する「彼らの基本認識」が履修者のおよそ90%で一変することがわかる。最終講義の後の期末試験の答案には受講生の「気づき」や「感想」がふんだんに盛り込まれているからである。

 このような劇的な変化を見せてくれたおよそ90%の履修者(ここでは、2009年後期にH大学社会学部で私の環境論を履修した224人)の感想文の中から、特に典型的な、そして私の期待を十分に満足してくれる感想文を4編選んで紹介する。なお、この4編の感想文はこのブログ内の関連記事に掲げた「私の環境論、後期13回の講義を受けると、90%の大学生の考えがこう変わった!(2010-02-08)」から抜粋し、再掲したものである。

①2年 女子
 まず、他では聞けないような環境についての真剣で、切実なお話をありがとうございました。私はこの授業を履修し始めてすぐに、「ああ、この話は環境についての知識教養といったレベルの話ではないな」と感じました。
 今までで一番環境問題についてリアルに、危機感を持って考えることのできた時間だったと思います。私は真の理解には“実感”が必要だと考えています。今まで受けてきた環境問題についての講演や授業は、私に実感を伴った形で環境問題の恐ろしさを教えてくれませんでした。しかし、この環境問題Bという授業は「北極の氷が溶け出している写真」や「森林が伐採されている場面の映像」などは持ち出すこともせずに、私に初めて環境問題とは何たるかを実感とともに教えてくれた授業でした。この点で、私は先生に感謝したいと思います。
 「経済と環境は不可分である」という先生の主張は、初めて出会ったタイプの主張として新鮮な感覚であったと共に、大いに共感、納得できるものでした。先生の話は面白いものでしたが、構造的な欠陥を抱えた日本の未来を思うと、冷や汗がでるような恐ろしいものでありました。「では、私はどうすれば?」と何度も考えさせられました。
 結論はまだ出てきません。しかし、唯一確立された私の考えは、この授業で展開された環境論を、もっと多くの人々に伝えるべきだということです。こういった考えの環境論に初めて触れる人々は、とても多いのではないでしょうか。1人でも多く、実感として日本の危機的状況を理解する人が増えてほしいです。もう時間はなく、のんびりしているヒマはありませんが、まずはそこからだと思います。

②4年 男子
 この講義を通して、今まで生きてきた中で養った視点とは異なった視点で環境や経済をみられるようになったと思う。初回の授業から、経済成長はいいものだという私の常識は見事に論破された。地球は閉鎖的な空間で、環境やエネルギーには限界がある。それなのに、環境のことをかえりみずに二酸化炭素を排出し続けたり、有害な化学物質を使い続けたりするのは確かにおかしい。まるで未来のことを考えていない。
 有史以来、人類は急速な成長を遂げてきた。特にこの何世紀かの成長には目を見張るものがあった。しかし、その一方で環境汚染が顕著になりだしたのも近年である。今現在、我々はある程度の豊かさを手に入れた。今後は少し落ちついて、未来のことを考え、環境やエネルギーへの配慮をしていくべきである。そうしなければ、急速な発展を遂げてきた人類は、もしかしたら急速に滅びの路をたどってしまうかもしれない。
 また衝撃を受けたのは、スウェーデンのGDPと二酸化炭素の排出量を示したグラフである。見事なまでのデカップリングを実現していた。日本のそれはカップリングのまま右肩上がりである。経済成長するためには二酸化炭素やそのほかの環境に有害な物質を排出してしまうのはしょうがないことだ、といった私の常識はここでも打ち砕かれた。環境への配慮を持ったままでも成長することはできるのだ。少し方法を変え、この国に住む人の意識が変わればきっと日本も同じことができる、いや、していかなければならないのだと痛感した。
 人は皆、様々な視点を持って生きていて、国家もまたそれと同様だ。スウェーデンのような思想を持った国家はまだ数少ないだろうが、これからの日本を生きていく上で、スウェーデンのような思想、考え方を持つ国がスタンダードになっていくべきだと感じた。
 自分の脳に新しい風を吹き込まれたような有意義な講義でした。短い間でしたが、ありがとうございました。

③3年 女子
 私はこの授業を受けるまで、日本は環境分野において先進的だと思っていました。京都議定書の採択は意義あるものであったし、国内でもクールビズやエコポイント制などと環境対策を次々にうちだしているように思えたからです。
 しかし、講義を履修して、思い違いをしていたことが分かりました。環境を国家の生存基盤として考えているスウェーデンと比べ、日本は環境問題を諸問題の一つとして重大には考えていませんでした。また、日本が行っている環境政策はスウェーデンやEUの政策を踏襲したものにすぎませんでした。日本は様々な政策を行っているのですが、政策一つ一つに関連性がないように思います。
 そもそも、日本は環境の位置づけからして明確さがなく、しっかりとしたビジョンを抱いていないと感じました。京都議定書を採択したときに、スウェーデンは「議定書の内容では不十分で、独自政策の展開が必要」という立場だったのに、日本は「議論の出発点」としか考えていませんでした。しかし、そこから具体的に議論が進んでいるようには思えません。それは先にも書いた通り、日本は環境問題を国家の生存基盤であるとみなしていないからだと思います。
 これから日本は持続可能な社会のために、環境問題を社会の基盤としてとらえるべきだと思います。そして、環境についての議論を深めていく必要があります。議論した上で日本としてのビジョンを持ち、対策を進めていってほしいと考えます。また、全てEUやスウェーデンの真似をするということがいいとは思いませんが、化学物質や生態系保全など世界的に遅れていることには、すぐ世界基準に追いつかなくてはならないと思いました。

④3年 女子
 この講義を通して、日本がどのように環境問題をとらえているのかを知ることができた。新聞などでは日本は積極的に環境問題に取り組んでいて、環境先進国であると思われていても、実際には他の国と比較してみるとあまり違いはなく、むしろスウェーデンなどの国々からだいぶ遅れをとっていることがわかった。
 日本は積極的に取り組んでいるように見えてもやっているつもりが多く、何か政策を行っても短期的な面でしかみていないために、長期的に見ると負担となってしまうことばかりであった。原子力エネルギーについての考えを見てもヨーロッパの国々と考え方や取り組みに大きな違いがあり、本当に環境のことを考えているのかと思うような内容だった。
 スウェーデンが行っている取り組みを知るにつれて学ぶことの多さに驚いた。スウェーデンは経済活動と環境のことをつながりのあるものだと考え、どの国よりも早く様々な政策を行っていた。それとは逆に日本は、経済活動ばかりに目を向け、環境のことはあまり考えず、政策の面でも、他の国々がやっているからやるというような印象を受けた。また、日本は短期的にしか考えていないために、後になって環境の負担となることが多いため、バックキャスト的な考え方は大切なのだと感じた。これからはこの考え方で日本はどの国を目指していくのかをはっきりさせ、人任せにするのではなく国民全体で考えていく必要があるのではないかと思う。
目指す国をはっきりさせたら、日本に合う方法を考えながら取り入れ、本当の意味で環境に積極的に取り組んでいる国になれたら良いと思う。


 私の環境論に、学生は敏感に反応する。そのことは、履修後に提出された感想文によくあらわれている。この15年間に、私の授業を履修した9の大学のおよそ4000人の学生の90%が反応した共通点は、「環境問題に対する考え方が大きく変わった」というものだった。また、「スウェーデンの考え方と行動を知って、絶望していた日本や世界の将来に希望が持てるようになった」という積極的な感想もあった。

このブログ内の関連記事
「私の環境論」、後期13回の講義を受けると、90%の大学生の考えがこう変わった!(2010-02-08)

この10年、ほとんどかわらなかった「環境問題」に対する大学生の基本認識(2010-01-14)

35年間の虚しさ:1972年の「GNP至上反省」と2007年の「偽」、でも、まだ希望はある!(2007-12-31)
 


 判断基準や見方を変えれば、「新しい可能性と希望」が生まれることを、学生は私の講義からくみとってくれたようである。

著者からのメッセージ 43年前に行動を起こしていれば!

2015-03-12 18:23:23 | Weblog
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 ブログ再開後1回目および2回目の紹介記事はいずれも、この本を読んだ方々からの個人的な書評であり、感想であった。つまり、何らかの理由で偶然私の本を手に取り、興味を持った方々が、それぞれの方々の基本認識に基づいて私の本を評価し、公表した結果であって、私はその結果に十分な手応えを感じている。

 そこで、ブログ再開後3回目の今回は、この本に対する私からのメッセージをこのブログの読者の皆さんに直接お伝えしたいと思う。私の感触では、9年前の本書発売当時よりも、今現在のほうが事態は悪化しており、私のメッセージが読者の皆さんに実感として身近に感じられやすくなっていると思うからである。

このブログ内の関連記事
20年前倒し、このまま行けば2010年は混乱、2030年は大混乱!?(2010-04-01)



43年前に行動を起こしていれば!

 
科学者の役割と政治家の役割

科学者の役割は、事態があまり深刻にならないうちに事実を指摘することにある。
            科学者は、政治家にわかりやすい形で問題を提起してほしい。

政治家の役割は、科学的な判断に基づいて政策を実行することにある。その最も具体的な 
            表現は、政府の予算だ。政策の意図が政府の予算編成に反映されること
            が必要だ。



 43年前の1972年6月に、第1回国連人間環境会議がスウェーデンの首都ストックホルムで開かれた。この言葉は当時のスウェーデンのパルメ首相が述べたものである。同首相は1986年2月28日にストックホルムの路上で何者かによって暗殺されたが、同首相のこの言葉は40年以上経った今、ますます輝きを増してきたように思う。

 今日のブログ記事で最初にこの言葉を掲げたのは、この言葉には「環境問題」に対するスウェーデンの考え方やその対応へのアプローチがみごとに凝縮されているとともに、民主主義社会のもとで自由経済を享受してきたわれわれ日本人が、21世紀初頭にかかえているさまざまな問題を解決し、21世紀の新しい社会「持続可能な社会」をつくる際に必要な、普遍性の高い手がかりが含まれていると思うからである。


第1回国連人間環境会議からの教訓

 この第1回国連人間環境会議の教訓の一つとして、スウェーデン環境保護庁は翌年の73年から世界最大の経済大国米国のワシントンと第2位の経済大国日本の東京のスウェーデン大使館にそれぞれ環境問題専門の担当官を置くことを決定した。ワシントンのスウェーデン大使館にはスウェーデン人が、そして、東京のスウェーデン大使館には私がその任につくことになった。それ以来22年間、95年に大使館でその職を辞すまで、私は日本とスウェーデンの環境分野の政策や認識の変化を同時進行でウオッチしてきた。
 
 その結果を端的な言葉で表せば、スウェーデンが「予防志向の国」(政策の国)であるのに対し、日本は「治療志向の国」(対策の国)と断言できる。両国の環境問題に対する認識と行動には20年の落差があると言っても過言ではないと思う。


『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』

 2006年2月、私は朝日新聞社から『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書 792)を上梓した。この本は、私の22年間の大使館での体験をベースに私自身が築き上げた「私の環境論」に基づいて、私が理解した日本とスウェーデンの状況を分析し、評価したものである。私の認識では、日本がこれから解決すべき問題についてはスウェーデンではすでに解決されている場合が多いので、9年前に発売されたこの本は今なお日本が抱えるさまざまな問題の解決に極めて有効であると考えている。このことは、このブログの再開のきっかけとなった「読書記録」(2015-01-18)を書かれた方の読後感でも明らかだ。


この本を書いた最大の目的

 「スウェーデンをまねしろ!」というのが本書のメッセージではない。21世紀のグローバルな市場経済の荒波を、国際社会の先頭を切って進むスウェーデンの国家目標(ビジョン)とそれを実現するための「政策」を真剣に検証してほしいというのが、本書を書いた第一の目的である。


 国際社会の動きにたえず振り回されている感がある世界第4位の経済大国「日本」 の21世紀前半のビジョンづくりのために・・・・・


 ちなみに、この本を出版した2006年の時点では日本は、米国に次ぐ世界第2位の経済大国であったが、2011年には世界銀行の報告によると日本は米国、中国、インドに次ぐ第4位に後退したそうである。
                           

このブログ内の関連記事
35年間の虚しさ:1972年の「GNP至上反省」と2007年の「偽」、でもまだ希望はある!(2007-12-31)


将来の方向を考え、行動する手法

 将来の方向を考え、行動する手法として 「フォアキャスト」(日本)「バックキャスト」(スウェーデン)という2つの手法がある。フォアキャストは、これまでの経済学のように「地球は無限」という前提に立って、現状を延長・拡大していく考え方である。これは国づくりの前提として環境問題を考える必要がなかった20世紀に、日本をはじめ、すべての先進工業国が使ってきた伝統的な手法である。これに対して、将来から現在を見るバックキャスト的手法というのがある。これは、スウェーデン政府が21世紀の長期ビジョンを想定するときに使っており、「地球は有限」を前提に、「経済は環境の一部」と見なし、国民の合意のもとに政策を決め、社会を望ましい方向に変えていく手法である。

 「改革なくして成長なし」、「我が国が持続的な経済成長を取り戻すためには・・・・・」、という表現に象徴されるように、日本のビジョン(政治目標)は今なお “金のフロー” に着目した従来の経済学的発想による「持続的な経済成長」(つまり、20世紀の経済社会の延長上にある「経済の持続的拡大」)である。2001年4月に発足した小泉政権の5年間のビジョンも、そして現在の安倍政権が掲げたビジョンの基本になっている経済政策「アベノミックス」も同様である。いずれも、20世紀型経済の発想からまったくといってよいほど抜け出ていない。

 一方、スウェーデンの21世紀前半のビジョンは “資源・エネルギーフロー” に着目した「エコロジカルに持続可能な社会(緑の福祉国家)の構築」、つまり、「20世紀型の福祉国家」から「21世紀型の緑の福祉国家」への転換である。この認識と行動の落差は極めて大きい。


この分野の国際社会における日本の振る舞い

 今日のブログは1972年に開催された「第1回国連人間環境会議(United Nations Conference on the Human Environment)」(ストックホルム会議)が出発点であったが、この43年前の「第1回国連人間環境会議」以降、1992年の「環境と開発に関する国連会議」(リオの地球サミット)、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(ヨハネスブルグサミット)、2012年の「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)と国連の環境会議が10年ごとに3回開催されてきた。

このブログ内の関連記事
あれから40年、2010年は混乱か?―その1(2009-04-09) 


 また、この流れと並行して、1995年ドイツのベルリンで開催された「気候変動枠組み条約第1回締約国会議」(COP1)以降、気候変動枠組み条約締約国会議は毎年開催され、2014年に20回目(COP20)を迎えた。

 これらの国際会議のいずれでも、日本は消極的な対応に終始した。 次に掲げた関連記事をご覧いただければ、国際社会における日本の振る舞いや姿がはっきりとするであろう。


このブログ内の関連記事
1992年の地球サミット:「環境問題をリードしてきた国」と「そうでなかった国」(2007-12-04)

国連へのポスト京都提案 日本、締め切り遅れ(2008-03-12)

2008年COP14で日本が「今日の化石賞」を受賞(2008-12-05)

日本がなぜ、「今日の化石賞」を受けるのか? 経済成長、エネルギー消費、CO2の整合性なき政策(2008-12-07)

ドイツとポーランドが「今日の化石賞」受賞、欧州のNGOが環境政策ランキングを公表(2008-12-11) 

日本政府の中期目標検討委員会が受賞した「化石賞」 

12月のCOP15で予定されていた「ポスト京都議定書の採択」は断念(2009-10-30)

COP15が閉幕、この決断が将来を決める(2009-10-30)

10月の「COP10」で議論される2つの主要テーマ 「名古屋ターゲット」と「名古屋議定書」(2010-09-12) 

1992年の「地球サミット」 当時のスウェーデンと日本の環境問題に対する認識の大きな相違(2010-09-13) 



スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」 発売当初の主な書評

2015-02-15 11:39:16 | Weblog
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 およそ1年3ヶ月ぶりに再開した最初のブログで、『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日新聞社 2006年2月25日 第1刷発行)は、発売当初にも多くの好意的な書評をいただいたと記した。その中には、今でもネット上や雑誌・新聞などの紙媒体の形で残っているものもあれば、すでに消え去ってしまったものもある。

 発売当初の書評は今後消え去ることはあっても増えることはない(ネット上で偶然新たに見つかることはあるかもしれないが)と思われるので、この機会に当時の主な書評をまとめて保存し、読者みなさんの参考に供したいと思う。

(1)毎日新聞 書評「今週の本棚」 小西聖子 評  2006年3月26日

(2)週刊エコノミスト 大橋照枝 評 2006年3月28日号

(3)毎日新聞 「余録」 2006年5月4日

(4)リクルート「WORKs」06年6月7日号(76)目次 2006年6月13日

(5)山口大学工学部工学教育センター 溝田忠人 評

   ここをクリックすると、原剛著「農から環境を考える」が表示される。そこで、左側のブックレビュー(-新着順ー)の13をクリックすると、私の本が表示される。

(6)環境カウンセラー 中村公雄のブログ 2006年3月3日

(6-2)環境カウンセラー 中村公雄のブログ 2007年1月15日

     同じ方が1回目の読書時と、2回目の読書時に書評を書いている。その変化を比べ 
    ていただくと面白い。判断基準が変われば、評価も変わるという具体的な事例である。



 また、これらの書評とは別に、アマゾンのカスタマーレビューには9件のレビュー記事がある。


 この本で取り上げた内容とこれまでに書き綴った880本余りのブログ記事の内容に示した「私の環境問題に対する基本認識」が、今後のブログ記事の私の論考の背景として存在することは言うまでもない。同じテーマに対して見解が大きく異なるようであれば、コメント欄を通じて議論したいと思う。


発売9年後に偶然出会った読書記録 『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』

2015-02-09 11:20:52 | Weblog
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 初めてバンジージャンプに挑戦する人が、怖いけれどもやってみたいという強い好奇心から飛び込み台に立ったものの下をみて立ちすくみ、恐怖にかられ動揺して飛び降りるのに躊躇しているとき、突然、仲間に背中を押されて、谷底に向かって転がり落ちた時のような心境で、私は8年前の2007年1月1日を期して、得体の知れぬネット世界の未知なる発信手段の一つ「ブログ」の開設に挑戦してみた。
 

 最初の記事に何を書いたらよいのかわからなかったので、不安ではあったが思案の結果、次のような記事を投稿した。


最初の投稿記事
 日本で唯一の肩書き?(2007-01-01) 
 


  当初はいつまで続けられるか自信はなかったが、それでも2013年10月26日までおよそ6年10ヶ月ほど投稿を続けることが出来た。そして、次の記事を最後に、1年3ヶ月の長い休眠状態に入った。

最後の投稿記事
 小泉元首相の「原発ゼロ」、誰も関心を示さない“循環型社会”?(2013-10-26) 


 お陰様で私のブログはある時期から訪問者数が急増し始め、その後、常にかなりのレベルで安定した訪問者数を維持してきた。この事実は想定外の喜びだった。6年10ヶ月余りの間に書き綴ったブログ記事は800本余りになる。いま、読み返してもそのほとんどの記事内容は新鮮さを失うことなく、現在でも十分に通用するのではないかと思っている。


ブログ再開の試み

 時間の経過と共に身の回りのいろいろなことが徐々に片付いてきたので、1年3ヶ月の長い休眠状態から脱してそろそろブログを再開してみようかと考えていた矢先、再び背中を押してくれるようなブログ記事に偶然出会った。数日前のことだ。

 この記事を書いた方にはまったく心当たりがないが、私の基本的な考え方や認識に賛同してくださっているようなので、私のブログ再開のきっかけとして、この方のブログを紹介させていただこう。投稿はおよそ3週間前の1月18日。


 読書記録「スウェーデンに学ぶ”持続可能な社会”」小澤徳太郎著


 この本は、私が2006年2月25日に朝日新聞社から「朝日選書」(792)として上梓したもので、発売当初にも多くの好意的な書評をいただいたが、9年後に遭遇したこの読書記録はとりわけうれしい。この記事を書いた方が、次のような表現で、私の本の意図を確実に受けとめてくれていたからである

・・・・・ただし、あくまでも本書はスウェーデンの政策というものを紹介はするものの、重きを置いているのは日本の政治経済の批判でありそういった構成になっているということのようです。(原文のママ)・・・・・


 私の最初のブログ投稿記事「日本で唯一の肩書き?」(2007-01-01)の投稿7日後の1月8日に、初めてのコメントをいただいた。このコメントに対して、私は次のようなコメントを返した。

     ありがとう (backcast)
     2007-01-08 05:05:53
     最も重要なところを取り上げていただいてありがとうございます。私にとってスウェーデンはどうでもよい 
     ことで、問題は私たちの国、日本です。







 この本の出版を機に私はこのブログを開設し、1年3ヶ月の長い休眠状態を経て、今日に至ったのである。今日の再開は、ブログ編集画面の表示によると、ブログ開設から2963日目、そして今日の記事は888本目とのことであった。これからはあせらず、ゆっくりと投稿を楽しみたい。

低炭素社会:日本とスウェーデンの対応の相違

2011-02-27 18:17:45 | Weblog
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一昨日、2月24日の朝日新聞夕刊の「えこ事記 地球環境 4」のとなりに、日本の2050年頃をイメージさせる「低炭素社会 五つのシナリオ」という大きな記事がありました。この記事に示されているのは、中央環境審議会の中長期ロードマップ小委員会が作成した「40年後の日本の姿、つまり2050年の日本の姿を描いた五つのシナリオ」なのだそうです。

この記事のリードの部分には、「温室効果ガスを極力出さない『低炭素社会』を進めると、どうなるのか。原子力発電が増えて電気自動車も普及した便利な社会、少し不便でも自然の恵みを享受したゆったりとした生活-。目指す姿への議論を深めようと、環境省は2050年の『低炭素社会』の五つのシナリオを描いた。温暖化効果ガスを8割減らした社会とは。」とありますが、「私の環境論」に基づいて、日本の2011年2月27日現在から2050年を展望すると、私には極めて現実感のない、違和感のある面白いシナリオです。しかし、将来の議論のために保存しておく価値はありそうです。

私の違和感の元となっている基本認識を、このブログ内の関連記事から集め、この五つのシナリオに対するとりあえずのリアクションとしましょう。皆さんが「日本の将来」を考えるときにも、以下の関連記事は議論の手がかりとしてきっと役立つと思います。

このブログ内の関連記事
「現行の経済成長」は50年後も可能か?(2007-02-23)

2050年の世界をイメージするマクロ指標(2007-02-24)

2050年までの主な制約条件(2007-02-25)

再び「現行の経済成長」は50年後も可能か?(2007-03-09)

生産条件 資源からの制約(2007-03-10)

「新しい経済発展の道」をめざして (2007-03-11) 

「経済成長」は最も重要な目標か(2007-03-19)


では、この記事をご覧下さい。

この記事には、「中央環境審議会が五つのシナリオを作ったのは、温暖化対策をめぐる議論が混乱しがちだからだ。同じ『低炭素社会』を目指すとしながら、人によってイメージしているものが違う。『ものづくりを国内で続ける』『経済成長は目指さない』といった前提が共有されていなければ、話がかみ合わない」とありますので、日本の「低炭素社会」という概念は「温暖化対策」に特化した用語であることが理解できます。 

このブログ内の関連記事
2007年10月1日の福田新首相の所信表明演説 なんと「持続可能社会」が4回も登場(2007-10-02)

持続可能な社会、低炭素社会、循環型社会、自然共生社会、 これらを組み合わせた社会とは何だろう?(2007-10-24)

混迷する日本⑥ 福田首相の変心? 「持続可能社会」から「低炭素社会」へ転換(2008-01-20)

低炭素社会は日本の政治主導による「持続可能な社会」の矮小化か?(2009-01-12)

日本で「低炭素社会」の旗振り役を担っている西岡秀三さんは 『日刊 温暖化新聞』に2009年1月6日、「産業革命をリセットする 低炭素世界の到来」 と題する考えを投稿し、その中で、「道筋はバックキャストで」という見出しの下に、「低炭素社会の行き先は持続可能な社会である」と書いておられます。それならば、西岡さんのお考えは私にも十分理解できます。でも・・・・・  

西岡さんのお考えでは、まず「低炭素社会」に(2050年頃?)到達してから、次に「持続可能な社会」をめざすということのようですが、これでは本来の目標である「持続可能な社会」の実現はほとんど絶望的ではないでしょうか。私の環境論からすれば、時間的な制約を乗り越えられないと思います。私は「低炭素社会」などという言葉よりも、もっと具体的に、まず「持続可能な社会」をめざすという目標を掲げ、そのためには地球温暖化対策が大変重要であると認識し、「地球温暖化対策に真剣に取り組むべきだと思いますが、いかがでしょう。

次の大和総研の報告書は日本の温暖化対策が極めて不十分であることを示しています。

●大和総研 経営戦略研究レポート CSR(企業の社会的責任)とSRI(社会的責任投資)  日本は環境先進国なのか? 
2008年3月10日

要約
世界銀行が2007年10月に公表した温暖化対策を評価した報告書において、日本は70カ国中62位、先進国では最下位という衝撃的な結果が示された。洞爺湖サミットで環境立国日本を標榜し、世界のリーダーシップをとるのであれば、日本は環境先進国、という思い込みを捨てて積極的かつ大胆な温暖化対策を早急に進める必要がある。


★スウェーデンの状況

スウェーデンでは、 「持続可能な社会」という言葉は政治、行政、企業、学者・研究者、市民などの議論によく登場しますし、長らく政権与党であった社民党の掲げる21世紀前半のビジョンも「エコロジカルに持続可能な社会の構築」です。2007年10月24日のブログを書くに当たって、私がスウェーデン在住でスウェーデン社会の政治、経済、社会に詳しい日本の方に尋ねたところ、スウェーデンでは「低炭素社会」という言葉は目にしたり、耳にしたことはないそうです。マスメディアもこの言葉は使用していないそうです。

1987年4月に、国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」が「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(通称ブルントラント報告)を公表してから、今年で24年が経ちます。この概念は1992年の地球サミット(環境と開発に関する国連会議、UNCED)で採択され、広く国際社会で共有された概念です。スウェーデンは、この国際的な概念を国の政策にまで高めた数少ない国の一つで、この概念に基づいて「持続可能な社会」の実現に具体的な一歩を踏み出した世界初の国です。

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次の2つの図はスウェーデンが「20世紀の福祉国家(人を大切にする社会)」から 「21世紀の緑の福祉国家(人と環境を大切にする社会)」への移行を図る具体的な行動計画の概要を示したものです。


スウェーデンの環境政策の総合的な目標(ゴール)はスウェーデンが直面している主な環境問題が解決された「エコロジカルに持続可能な社会」を次世代に引き渡すことです。最終目標年次は2020~2025年です。ですから、2011年2月とはその最終目標年次に対しておよそ中間点と言えます。これまでの成果の中から「地球温暖化対策」の成果を示します。順調に推移しているように見えます。後半の10年に期待します。


スウェーデンは今、GDPの成長と温室効果ガス(GHG)の排出量の「デカップリング」がさらに明確に(2008-03-16)

次の図は国民1人当たりのCO2の排出量の推移を示したものですが、ここに示した先進国の中で唯一日本だけが京都議定の基準年以降1人当たりのCO2の排出量が増えていることがわかります。


このように、スウェーデンは「緑の福祉国家」(エコロジカルに持続可能な社会)を実現する要因の一つとして「地球温暖化対策」を捉え、2011年2月現在で好ましい成果をあげているのに対して、日本は 「低炭素社会」 の構築の直接的な目標として「地球温暖化対策」を掲げているにもかかわらず、期待された成果がまったく出ていないのです。

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フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン② フォアキャストvsバックキャスト(2007-07-21)


フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン③ 21世紀はバックキャストが有効(2007-07-22)




地球サミット20年:日本とスウェーデンの対応の相違

2011-02-26 21:38:19 | Weblog
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一昨日、2月24日の朝日新聞夕刊の「えこ事記 地球環境 4」で編集委員の竹内敬二さんが「地球サミット20年 再生へ」と題する記事を書いておられます。4回シリーズの最終回です。記事は1992年の地球サミット(リオデジャネイロで開催)で採択された『生物多様性条約』『気候変動枠組み条約』の20年後の現状に触れ、「市民の環境意識と走り始めたビジネス界が、時代を変えるエンジンになるだろう」と締めくくっています。

まずは、じっくりとこの記事をお読み下さい。




今日は、いわゆる「地球環境問題」という人類史上最大の問題に対する日本とスウェーデンの対応の相違を検証します。

92年の地球サミットから8年経った2000年に、「世界価値観調査」(実施母体:電通総研および余暇開発センター)が行われました。その中に、「環境保護優先意識についての国際比較(経済成長との関係)」という項目があり、非常に興味深い結果が報告されています。日本とスウェーデンはまさにあべこべの様相を呈しています。


この20年間の日本とスウェーデンの「環境問題に対する対応」の相違によって、その結果は20年前よりもさらに大きくなっていると思います。日本は世界に類を見ない健康被害を伴った「公害」を経験し、技術による公害防止には一定の成果を得ましたが、 「環境問題」への対応は十分ではありませんでした。

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1992年の地球サミット:「環境問題をリードしてきた国」 と 「そうでなかった国」(2007-12-04)

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10月の 「COP10」 議論される2つの主要テーマ 「名古屋ターゲット」 と 「名古屋議定書」(2010-09-12)


その相違は「環境問題に対する基本認識の相違」「その相違に基づくこの分野の法律」に求められます。具体的には、地球サミットの翌年に制定された日本の「1993年の環境基本法」(1967年の「公害対策基本法」から「環境基本法」へ)とスウェーデンの「1998年の環境法典」(1969年の「環境保護法」から「環境法典」へ)の相違です。

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「いわゆる地球環境問題」と「地球規模の環境問題」(2007-08-06)


私は日本の環境基本法の成立に先立って行われた衆議院の公聴会で私の考えを述べる機会を与えられました。


中央公聴会議録(全文):第126回国会 環境委員会公聴会 第1号 平成5年5月13日(木)



そして、環境基本法が成立して、17年経った今、日本とスウェーデンの現状は、幸か不幸か私が想定したとおりの結果となっています。その最も分かり易く、象徴的な具体例が次の図だと思います。

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「21世紀型経済の持続性」が現時点でEU内で最も高いと判断されたスウェーデン(2010-08-09)



★日本の状況は

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日本の「温暖化懐疑論」という現象(2)(2008-09-25)

1990年代の「日本の温暖化政策」⑳(最終回) 温暖化対策議論を混乱させた「乾いた雑巾論」(2008-03-07)

1990年代の「日本の温暖化政策」⑲ まとめ(2008-03-06)

1990年代の「日本の温暖化政策」⑰ 90年レベルに抑えるには全家庭1年分の省エネが必要(2008-03-04)

混迷する日本⑩ 世界初の「温暖化防止法」、今月中にも成立! でも、10年前の話(2008-01-24)


「地球温暖化問題」についての世論調査の結果 2つ(2008-01-08)


★スウェーデンの状況は

このブログ内の関連記事から
「気候変動対策」、もう一つの視点(2009-11-15)

1970年代からCO2の削減努力を続けてきたスウェーデン(2009-06-02)


そして、冒頭の竹内さんの記事が伝えるように、国連は、地球サミット20周年を記念して、来年2012年5月14~16日に再びブラジルのリオ・デ・ジャネイロで「持続可能な開発会議」(リオ+20)を開催する予定です。

オゾン層保護:日本とスウェーデンの対応の相違

2011-02-22 14:45:14 | Weblog
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5日前の2月17日の朝日新聞夕刊で編集委員の竹内敬二さんが「代替フロン 温暖化を助長」という記事をお書きになっています。記事は「オゾン層保護は地球環境保全の成功例とされる」という書き出しで始まり、国際社会の対応を概観した上で、「しかし、成功の陰に大問題が横たわっていた」と述べ、日本の対応に言及しています。

何はともあれ、まずは、この記事をじっくりとお読み下さい。




今日は、この記事の流れに沿って、「オゾン層保護」という大問題に対する日本とスウェーデンの対応の相違を検証します。

次の図はフロン類規制の国際動向の概要を示すもので、およそ20年前の1992年に私がまとめたものです。


このブログ内の関連記事から
代替フロンの一つHCFCの規制 途上国で10年前倒し(2007-09-23)

そして、次の図は前の図「フロン類規制の国際動向」のモントリオール議定書による「最初の規制(1995年末までに先進国でのCFCsの生産中止)」に対するスウェーデンと日本の対応の相違を示しています。両国ともモントリオール議定書の規制をクリアーしていますが、スウェーデンは議定書が定めた期限の1年前の1994年末に「製造」の禁止だけでなく、「使用」や「再利用」の禁止に加えて「捨てた場合」の罰金まで独自の規制をかけました。

そして次の記事は、最近、中国が大量の「代替フロン排出国」になっていることを伝えてます。




★日本の状況は

このような国際的な状況を背景に日本の最近の状況を調べてみましょう。次に示す新聞記事は「代替フロンの排出」に対する日本の対応が極めて不十分であることを示しています。

●温室ガス 断熱材も排出源 経産省 新建材の開発も目指す(朝日新聞 2007-02-04)

●代替フロン漏れ 想定の倍 温室ガス排出量 上方修正(朝日新聞 2009-03-21)

●代替フロン 07年度排出量1320万トン 昨年の速報値から倍増(毎日新聞 2009-04-03)

●フロン漏れ 温暖化の脅威 使用・修理中にも放出(朝日新聞 2009-10-02)

●空調・冷凍機の冷媒 脱・代替フロンを加速(日本経済新聞 2010-06-20)

●政府方針 代替フロン対策強化(毎日新聞 2010-07-04)



これらの記事が示唆していることは、いわゆる想定外の事態と言ってもよいかもしれませんが、次の図に示す現状は十分想定されていたものです。その実態にはあきれるばかりです。

日本は2002年10月に「フロン回収破壊法」を施行しました。この法律の対象ガスは「特定フロン(CFCs)」と上記の記事が漏れを指摘している「代替フロン」ですが、対象となる製品は「カーエアコン」、「業務用」および「空調機」のみで、 「スプレー」は対象外です。


そこで、次の記事をご覧下さい。



この記事は7年前の2004年の記事です。冒頭の竹内さんの記事の左上に掲載された写真に、「制汗剤、泡状整髪剤などほとんどのスプレーにフロンガスが使われていた=1988年、東京・銀座」という説明がつけれらています。23年前にほとんどのスプレーで使われていたとされるフロンガスが現在どのような状況にあるかは調べていませんのでわかりません。

しかし、日本では合法的に「温暖化ガスを使用したパソコン用スプレー」が量販店で今なお販売されているのです。同じメーカーが図の右に示した「ノンフロン製品」(成分:DME、CO2)を発売しているにもかかわらずです。合法的とは言え、日本のメーカーや販売店の認識を疑わざるを得ません。


なお、100%HCF-152aガス使用のダストブロアー(図の左側、オレンジ色)には保管及び廃棄上の注意として、「●火気のない屋外で完全にガスを抜いてから、“ガス抜き済み”と表示して、各自治体の分別に従って捨てて下さい」という指示が書かれています。





★スウェーデンの状況

次の図はスウェーデンの「フロンガス(特定フロン:CFCs)に対する規制状況」です。
1987年の「モントリオール議定書」が定めた1995年末までに「先進国での生産を中止する」という規制に対して、スウェーデンはその議定書の期限よりも1年早く、CFCsの全廃をめざす行動計画を立てました。


そして、その結果が先に示した「特定フロン(CFCs)に対する対応」という図です。


スウェーデンの行動計画の最終年の1994年8月、スウェーデン最大の家電メーカーのエレクトロラクス社は、ノンフロン冷蔵庫の販売を開始しました。当時の日本のメーカーはすべて、冷蔵庫の冷媒として代替フロンである「HFC-134a」という温暖化物質を使っていたことに注目して下さい。

このブログ掲載の関連記事
緑の福祉国家18 オゾン層保護への対応 ① (2007-02-05)

緑の福祉国家19 オゾン層保護への対応 ②(2007-02-06)

緑の福祉国家20 オゾン層保護に向けて(2007-02-07)


余談ですが、平成10年(1998年)、当時の日本の環境庁はスウェーデンのエレクトロラクス社の「ノンフロン冷蔵庫」を購入したとホームページで伝えています。

そして、スウェーデンから遅れること8年、2002年になって日本でも松下電器産業(株)からノンフロン冷蔵庫が発売されました。





冒頭の竹内さんの記事によりますと、米国では今年からGEが「ノンフロン冷蔵庫」を発売するのだそうです。スウェーデンの発売から8年遅れて日本が発売、そしてその日本からさらに遅れること9年、つまり、スウェーデンから遅れること17年ということになります。このことは、環境問題の解決は最終的には単なる技術の問題ではなく、「基本認識」と「将来を見通す力」や「倫理観」であることを示唆していると言えるでしょう。決して忘れてはならないことは、日本や米国や中国などの新興国の当該物質の消費量が極めて大きいことです。
 

酸性雨汚染 地球を巡る:日本とスウェーデンの対応の相違

2011-02-11 09:14:18 | Weblog
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2月10日の朝日新聞夕刊に掲載された「えこ事記 地球環境 2」は「酸性雨汚染 地球を巡る」です。この問題でも日本とスウェーデンの間には問題に対する認識や対応に大きな相違があります。まずは、この記事をご覧下さい。


1972年6月、スウェーデンの首都ストックホルムで開催された第1回国連人間環境会議のスウェーデンにとっての重要な論点は「環境の酸性化」でした。長年にわたる大気中の硫黄酸化物濃度のモニタリングの結果から、環境の酸性化の原因がスウェーデン国内の産業活動に起因するというよりもむしろ国外に起因することを突き止め、1968年には、スウェーデン国内での環境の酸性化論争が開始されました。環境の酸性化論争は政府を動かし、その蓄積されたデータをもとにして環境の酸性化防止のために国際協力を求めたわけです。

 スウェーデンの調査によれば、スウェーデンの環境の酸性化の原因と考えられる硫黄酸化物の85~90%、窒素酸化物の70~85%は外国に由来するとされています。スウェーデン国内で発生する窒素酸化物のうち、およそ70%は交通手段(自動車などの交通車両57%、その他、航空機、船舶などの交通手段13%)に起因するということでした。環境の酸性化はスウェーデンが抱える国内最大の環境問題です。

 スウェーデンは1972年の第1回国連人間環境会議の10周年を記念して、1982年にストックホルムで「環境の酸性化に関するストックホルム会議」(1982 Stockholm Conference on the Acidification of the Environment)を開催しました。スウェーデン政府はこの会議のために、当時の知見をまとめた『Acidification: Today and Tomorrow 』と題する230ページを越える報告書を作成し、同会議に提出しました。

 会議後、スウェーデン環境保護庁はこの会議の報告書をまとめ、1983年1月に公表しました。この報告書の末尾の参加者リストには、北欧諸国、米国、英国、東西ドイツ、カナダ、フランス、イタリア、スイスを含む21か国から100人を越える研究者や行政官が名を連ねていますが、日本からの参加者の名は見当りません。

 ところが、翌年の1983年(昭和58年)に、環境庁の「酸性雨調査」に初めて予算がつきますと、日本のかなりの数のマスコミや研究者がスウェーデンの環境の酸性化の取材、調査研究に出かけました。また、世界の環境問題に関する年表の類いが、時々、日本の環境関係の雑誌や本に掲載されていますが、興味深いのはそれらの年表に、この1982年の「環境の酸性化に関するストックホルム会議」の開催を取り上げているものがゼロではありませんが、かなり少ないことです。

 今でこそ、環境の酸性化は日本でも「酸性雨」の名の下に9つの地球環境問題の一つとして取り上げられていますが、わずか1年違いで、日本の“酸性雨に対する関心”がこのように変化したのは大変興味深いものです。毎年500ページを越える日本の環境白書(平成2年度/1990年度版まで)の中で、“便宜上”とは言え、①二酸化硫黄、②二酸化窒素、③一酸化炭素、④炭化水素、⑤浮遊粒子状物質および⑥降下ばいじんなどの汚染物質別の大気汚染状況を環境白書の大気分野の中心的課題と掲げ、「その他の汚染物質対策」というタイトルの下に「酸性雨対策」として1ページ足らずの記述しかなかった日本とスウェーデンの間には環境の酸性化に対する大きな認識の相違があり、この問題に対する取り組みには大きな隔たりがあります。

 スウェーデン国内の最大の環境問題である「環境の酸性」は長期にわたる人間活動の環境への負荷がもたらした現象であり、これまで予測されなかったわけではありません。およそ160年ほど前の1852年には、英国のスミスが「Acid Rain」という表現で、現在の「環境の酸性化」の兆候を警告していましたし、1940年代から60年代にかけて石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料の消費量が増大するにつれて、米国、スウェーデンの研究者の研究報告が散見されるようになってきました。

 現在では、160年ほど前に科学者が発した警告が現実化し、環境の酸性化問題は北欧地域だけでなく、その影響や被害を確認出来る状態までになってしまったと言えるでしょう。そして、今、世界は顕在化し、進行しつつある環境の酸性化の防止のために、多額の経費の投入と様々な努力を余儀なくされているのです。




地球サミット 新時代の号砲:日本とスウェーデンの対応の相違

2011-02-04 07:14:44 | Weblog
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昨日2月3日の朝日新聞の夕刊から、編集委員の竹内敬二さんによる「えこ事記 地球環境」という4回シリーズの1回目が始まりました。毎週木曜日の夕刊に掲載されるそうです。

国連環境開発会議(UNCED)=地球サミットは、1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された、国連主催の環境と開発に関する国際会議です。「気候変動枠組み条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」「環境と開発に関するリオ宣言」(ここで、「持続可能な社会」という考え方が提案されました)や、のちに述べる 「アジェンダ21」などが採択されました。翌年には、地球サミットの合意の実施状況を監視し、報告するために、国連経済社会理事会によって「持続可能な開発委員会」が設立されています。



上の記事で紹介されている1988年のシュワルナゼ・ソ連外相の国連演説「今や地球環境の破壊という脅威に直面し、世界をイデオロギーで分断していた線は消えた。地球を生物圏として見れば国境に意味はない」は大変感動的です。

スウェーデンは1972年の「第1回国連人間環境会議」や82年の「環境の酸性化に関するストックホルム会議」に代表されるような環境問題に関する国際会議を積極的に開催してきました。87年9月の国連総会では、スウェーデンの環境・エネルギー相が「第1回国連人間環境会議」の20周年に当たる1992年に、「他国の同意が得られれば」という条件付きで、スウェーデンは「第2回国連人間環境会議を」開催する必要性とその用意があることを表明し、1988年秋の国連総会でもこの提案をくりかえし表明しました。結局、1992年の第2回の環境に関する国連会議「国連環境開発会議」(後に“地球サミット”と呼ばれる)はブラジルのリオデジャネイロで開催されることに落ち着きました。

1989年10月23日、国連総会の環境に関する全体討議でスウェーデンの環境・エネルギー相は北欧5か国を代表して次のように述べました。
     
①先進工業国は環境にマイナスの影響をおよぼすような生活様式を減ずると共に発展途上国が持続性のある環境にやさしい開発様式を選択できるように、資源を多めに提供する用意があることを示さねばならない。

②「温室効果ガス排出の削減」および「生物学多様性の保護』など数多くの国際的な協定が1992年以前に調印されることを希望する。特に、「生物多様性の保護」という点に関しては、その生物資源を所有し、管理している人々に開発者がどのように補償するのかというルールが必要である。バイオ・テクノロジーの利用は国際的な合意の下に規制されるべきである。

③1992年の国連環境開発会議で、「有害廃棄物の越境移動の規制に関するバーゼル条約」が適切であるかどうかの決定と共に、「国際取り引きされる化学物質に関する情報交換のためのロンドン要綱」を国際条約に変更する必要性を検討すべきである。
  
④エネルギーについては、「一層の有効利用を押し進める政策」と「再生可能な環境にやさしいエネルギー源に転換する政策」の二通りのアプローチが必要である。化石燃料の利用は環境の酸性化の原因になるし、気候に対しても重大な脅威であるが、他のエネルギー源もまた環境に有害な側面を持っている。このことは北欧5か国のうち4か国が「原発の建設をしないこと、あるいは原発プログラムの段階的廃棄」を決定したときの重要な要因であった。


このような国際社会の動きを見てくると、国際的な動向、例えば、一連の「気候変動枠組条約」、「生物多様性条約」、「バーゼル条約」などの締結国会議、WECなどのエネルギー会議などの報道を見るにつけ、スウェーデンの先見性と国際的な発言力の強さを感じます。


竹内さんの記事からは日本の政府代表団が当時どのように、この地球サミットに貢献したかが書かれておりませんので、このブログ内の関連記事を参照することにしましょう。

1992年の地球サミット:「環境問題をリードしてきた国」と「そうでなかった国」(2007-12-04)

1992年の 「地球サミット」 当時のスウェーデンと日本の環境問題に対する認識の大きな相違(2010-09-13)

1992年の地球サミット以来、「NGO(非政府機関)」という言葉がしばしば大きな国際会議の報道記事の中にみられるようになってきました。これらの記事をみてすぐ気がつくことは、多くの国で、政府の代表とNGOの代表はしばしば意見や立場を異にし、ときには対立していることです。先進工業国、発展途上国を問わず、ほとんどの国でNGOは政府と対立する存在であると考えがちですが、スウェーデンでは政府とNGOの関係は非常に協調的です。

スウェーデンの主要なNGO(通常はNGOよりも「Interest Group」と呼ばれます)は政治的、社会的に大きな影響力を持っており、国の政策決定に参加しています。また、国際会議に送る政府代表団には、通常、政府関連の省庁の代表に加え、NGOの代表が参加しています。

1994年12月に『NGO先進国 スウェーデン』を書かれた国連広報センターの馬橋憲男さんは著書の中で「1992年の国連環境開発会議(地球サミット)へのスウェーデン政府の代表団は総勢26名で、このうち5名は環境NGOの代表だった。また、この種の会議では国連事務局に国別報告書の提出が義務付けられている。スウェーデンでは、この報告書の作成のために「地球サミット国内委員会」が設置されたが、この委員会の委員28名のうち7名がNGOの代表であった。スウェーデンにはNGO大使(Ambassador to NGOs)があり、政府とNGOとの連絡、調整に当たっている。この大使は1974年に外務省に設置された。」と書いておられます。

このブログの最初のほうに、「アジェンダ21」という言葉が登場します。この言葉は地球サミットを象徴する言葉で、「21世紀に向けた人類の行動計画」を示すアジェンダ21が最も重視しているのが地方政府の役割です。おそらく先進工業国の中で最も
地方分権が進んでいると言われるスウェーデンは、ローカルアジェンダ21に取り組む自治体数は92年の地球サミットから4年後の96年にはすべての自治体(288)で取り組まれることになりました。




この記事の冒頭で竹内さんは1992年6月9日の「地球人口推計時計」が54億6684万7920人を示しており、19年後の今、地球人口は約69億2000人になったと、記事を結んでいます。40年後の2050年には約90億人に達するという予測があります。竹内さんは「世界の貧困と格差 なお課題」という項で、「地球サミットが掲げた『持続可能な開発』『環境と経済の両立』という哲学はまだ理想にとどまっている」と書いておられますが、私はスウェーデンでは実現しつつあると見ています。

このブログの関連記事
希望の船出から11年-経済も、福祉も、環境も


「地球環境元年」という言葉があるとすれば、日本にとっての地球環境元年はおそらく1988年で、スウェーデンにとってのそれは国内で環境の酸性化論争が起こった1968年でしょう。ここに、20年の認識上の落差があります。この認識上の落差に基づく行動計画の相違により、両国の環境問題に対する対応は大きく異なり、その結果は、将来、ますます異なったものとなっていくでしょう。



再び、 「あべこべの国」 日本とスウェーデン

2011-02-01 10:54:24 | Weblog
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今年も1月が終わり、今日から2月です。私はこのブログの開設(2007年1月1日)以来4年間、国際社会の様々な分野でなされてきたスウェーデンの行動や政策を、「私の環境論」の立場から見ると普遍性が高いので「混迷する日本の問題解決」のために参考になる、あるいは役立つのではないかと考え、そのような視点から情報を提供してきました。

しかし、日本の状況は改善するどころか、ますます混迷を深めているように思います。いくつかの大学での「私の環境論」を通じて見えてきた学生の反応は、「日本とスウェーデンを比較することによって日本の問題点がはっきり見えてきた。日本の進むべき方向を変えることによって、あるいは判断基準を変えることによって希望が出てくる」というものでした。

判断基準の相違①: ワシントン条約 「クロマグロ禁輸」をモナコ提案、17年前にはスウェーデン提案が(2009-08-11)

判断基準の相違②: 「将来の電源」としての原発(2009-08-12)

判断基準の相違③:「気候変動」への対応(2009-08-13)

判断基準の相違④: なぜ、共通の問題へ対応に落差が生じるのか(2009-08-14)

そこで、今年はしばらく、国際社会における共通問題に対して日本とスウェーデンの考え方や対応の相違など、「相違を意識的に強調する視点」で書いてみようと考えました。このような記述をする私の本意は、何はともあれ、日本が明るい希望のある社会に向かって進んで欲しいからです。

そのようなわけで、今日のタイトルは 「再び、『あべこべの国』 日本とスウェーデン」 としました。“再び”と書き加えたのは、以前、このブログ内で同じタイトルの記事を書いたことがあるからです。


過ぎ去った20世紀も、そして、これから歩む21世紀も日本とスウェーデンは、現在までは多くの分野で「あべこべの国」の様相を呈しているように思います。それは社会に対する「価値観の相違」「将来に対する判断基準の相違」と言ってもよいのかもしれません。

「環境問題スペシャリスト」を肩書(日本で唯一人?)として使用している私がなぜ、このブログで経済や財政、社会の仕組みを取り上げるのかと問われれば、私の環境論では、 「環境問題は、私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に目的外の結果が蓄積し続けているもの」  、平たく言えば、「昔から環境と経済は切ってもきれない関係にある(識者は90年代中頃から「環境と経済の統合」など言い始めましたが)と考えているからです。

このブログ内の関連記事
日本の「強固な思い込み」が覆される、日本より「大きな政府」スウェーデン、「人」重視で成長(2010-10-19)

今朝の朝日の社説:「人類史上で初の体験」、私の環境論では「環境問題」と「少子高齢化」が・・・・・(2011-01-01)

2つの大問題――「少子・高齢化問題」と「環境問題」、日本社会に求められていることは何か?(2011-01-02)

皆さんは本当にそう思うのですか!(2011-01-03)








     

菅第2次改造内閣(菅再改造内閣)の発足 

2011-01-15 21:15:11 | Weblog
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1月14日、第2次改造内閣が発足しました。菅首相は改造内閣発足後の記者会見で「安心できる社会保障制度のあり方と持続可能な財源について、国民的な議論を高めたい」と述べ、税と社会保障の一体的改革に意欲を示した」と1月15日の朝日新聞は報じています。

まずは、資料として「菅再改造内閣の顔ぶれ」(朝日新聞は「菅第2次改造内閣」の顔ぶれという言葉を使用)を保存しておきましょう。

菅第再改造内閣の顔ぶれ(毎日新聞 2011年1月15日)

内閣改造が行われ、閣僚の顔ぶれが変わっても、対応すべき諸問題はいっこうに変わりません。ここ当分は、マスメディアの報道を静観しましょう。

ただ1つ、今回の改造内閣でのビッグサプライズは与謝野さんの入閣でした。私は昨年3月に、与謝野さんがお書きになった『民主党が日本経済を破壊する』(文藝春秋 2010年1月20日第1刷)をざっと読んでいましたので、なぜこのような結果になったのかまったく理解できません。



この本の中には、私が30年以上にわたってウオッチしてきたスウェーデンに関する与謝野さんの認識を示す記述が数カ所出てきます。その1つに、与謝野さんが“衝撃を受けた”という下りがありますので、そこの部分を紹介しておきましょう。


私はこれまでの経験から、エコノミストの「将来の見通し」に対して多くの場合懐疑的なのですが、1月15日の毎日新聞に「菅再改造内閣に対するエコノミストの評価と注文」という表と「欧州より日本の方が財政赤字は深刻」と題する興味深い(私にとってはわかりやすい)フランスの経済学者の意見を伝える記事を見つけましたので、今後の検証のために保存しておきます。




さあ、閣僚の皆さん、日本の近未来のためにぜひ真剣に考え、議論し、行動して下さい。
  

常に時代の最先端を歩むスウェーデン:上海万博の 「スウェーデン館」、大阪万博 「スカンジナビア館」

2010-09-25 21:24:08 | Weblog
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開園148日

今日の「スウェーデン館_中国2010年上海万博公式サイト」をクリックすると、上のような文字が目に飛び込んできます。
上海万博の会期は10月31日までの180日間です。

そして、スウェーデン館(パビリオン)が・・・・・



ネット上には数多くの関連記事がありますが、それらの中から資料価値が高いものを選んでみました。

ネット上にある主な関連サイト

●上海万博スウェーデン館(上海市観光局のホームページ)

上海国際博覧会は2010年5月1日から10月31日までの半年間開催されます。閉幕まであと37日(9月25日現在)、昨日(9月24日)の参観者数はおよそ35万人、累計参観者数はおよそ5577万人だったそうです。
 
2010年10月17日にこの記事を追加

●スウェーデン館_パビリオンCゾーン_中国2010年上海万博

●Welcome to the website of the Swedish Pavilion
スウェーデン館のウェブサイトへようこそ


博覧会の統合テーマは「より良い都市、より良い生活」(Better City、 Better Life)。この統合テーマに沿って、スウェーデンがスウェーデン館で提案するテーマは「持続可能性」(Sustainability)で、具体的には「持続可能な都市」(Sustainable cities Swedish theme at Expo 2010 in Shanghai)です。まさに時代が求めている最先端のテーマです。

スウェーデンでは、持続可能な都市の概念づくりや建設の実施は、今に始まったことではありません。次の図が示しますように、既に18年前の1992年の「地球サミット」の頃から自治体を中心に始まっていました。



このブログ内の関連記事
ストックホルム最大の「都市再生プロジェクト」の現状(2007-07-11)

緑の福祉国家62 「政策評価」のためのチェック項目(2007-06-01)

年度末にあたって、改めて「日本の都市再開発への疑問」(2008-03-27)

今日の決断が将来を原則的に決める(2007-04-04)



それでは、このあたりで40年前の「大阪万博」にタイムスリップしてみましょう。大阪万博の「スカンジナビア館」の外観と主張は次のようなものでした。そして、統合テーマは「人類のシンポと調和」でした。



このブログ内の関連記事
1970年の大阪万博のスカンジナビア館(2007-03-18)

第1回国連人間環境会議(2007-03-28) 



ネット上で見つけた興味深い関連記事

●幻のスカンジナビア館~1 

●幻のスカンジナビア館~2

●牛鍋蝸牛(ぎゅうなべ・かたつむり)地名の虫ブログ : スカンジナビア

●小田原万博探偵ブログ : 幻のスカンジナビア館の図面をさがせ。

●小田原万博探偵ブログ : 幻のスカンジナビア館のガレキをさがせ。

●パビリオンその後

●日本万国博覧会 – Wikipedia

●原子力委員会 長計についてご意見を聴く会(第9回)議事録 ご意見を伺った方 小林 傳司 南山大学教授 

 この議事録は32ページにおよぶ長文ですが、その12ページに次のような記述があります。
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 ・・・・・それから、大学紛争、公害問題、皆さんご存じのとおり、それからアポロ11号、これは1969年の7月です。大阪万国博覧会、人類の進歩と調和、月の石が展示されました。未来学ブームです。唯一未来を謳歌しない展示をしていたパビリオンがありました。それはスカンジナビア館でありまして、そこでは公害問題の展示一色でした。ちょうどこの時期に入れかわるわけですね。意識が少しずつ変わり始める時期です。日本でも万博会場の外側では公害問題が議論されていました。そして、オイルショックが1973年です。そして、アメリカがテクノロジー アセスメントの部局をつくるのが1972年です。・・・・・・

・・・・・大阪万博のときの電力は当時稼働を始めた若狭湾の原子力発電所によって全面的に供給され、それは未来の火として売物でありました。今4割近くの電力を原子力発電所で賄いながら、万博のときに、2005年、愛知万博ですが、売物に絶対なりません。これをどう考えるかということになるわけです。・・・・・
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●PDF] 淀野 隆 「私の万博体験」 ~モノとヒトの出会いのドラマ~

この報告書も33ページにおよぶ長文ですが、7~8ページにかけて次のような興味深い記述があります。
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・・・・・ ところが博覧会では“ 先進国” の欧米諸国館では、どちらかといえば「ところてん式」動線を重視していた。典型は「英国館」であろう。いかなる内容のショーであろうと、1時間に1,800人に来場してもらい満足な情報を与えるためには、2分間で60 人ずつに情報に接してもらう必要がある、という計算をした。そこで採用されたのが、「マルチ情報提供」である。32 台のプロジェクターを使い16 のスクリーンに英国の文化、芸術、建築、生活などの紹介を2分間隔で見せる。大阪万博では、これをじっくり見るには、観客は忙し過ぎた。しかしマルチ映像との出会いにすべての日本人は驚いた。

スカンジナビア館はこのスライドプロジェクター技術をフルに活用し、公害問題に真正面から取り組んだパビリオンだった。来場者は入り口で「紙のスクリーン」を渡される。その手に持ったスクリーンで、天井から投射される映像を受けて進む。中央から右がマイナスの世界、左がプラスの世界だった。公害に対する警告や生活のあり方が映像や文字で投射された。これも大阪万博のお客には「奇異」であり「面白くない」ものだった。 殆どの来館者が素通りした。仲の良いスカンジナビア館の広報官からある日相談を受けた。

「みんな素通りしてしまう。どうすれば良いだろう?」「そうだね出口の扉を閉めて中で滞在させるようにしたら……」とアイデアを出した。数日後に電話があり「駄目だ!今度はみんな出口の前に集まり出口が開くのを待っている…」これには私も絶句してしまった。
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さらに、もう一つ追加します。

●循環型社会への模索-われわれはどこからきてどこへいくのか-
武田信生 支部長(京都大学大学院教授・眞宗大谷派西廣寺住職)

およそ8年前に行われた武田さんのこの講演の要約の中に「大阪万博で、スカンジナビア館は『工業社会における環境保護』を提唱し、技術が人間にマイナスに働くこともあるという警告をしていた」という記述があります。 

私はこの講演の要約に示された武田さんの「環境問題」に対するお考えに全面的に賛同します。ただ、ここで注意しなければならないのは、この講演の要約の中で武田さんがおっしゃている「循環型社会」と、現在、日本の政府や自治体が進めている「循環型社会」は、同じ言葉を使っているにもかかわらず、両者は定義がまったく異なり、似て非なるものであることです。日本政府や自治体が進めている「循環型社会」は循環型社会形成推進基本法(2000年、平成12年6月2日法律第110号)に準拠するものですが、この法律の目的は大量生産/大量消費/大量廃棄で成り立っている日本社会の廃棄物の処理・処分に力点を置いた基本法だからです。

このブログ内の関連記事
「持続可能な社会」をめざす国際社会と独自の「循環型社会」をめざす日本(2007-09-30)

平成19年版「環境・循環型社会白書」の不可解(2007-10-27)



このように、1970年の「大阪万博」と40年後の「上海万博」でのスウェーデンの振る舞いを概観してみますと、日本が高度成長期を経験した直後に、スウェーデンは他の北欧諸国と協力して「大阪万博」で今でいう「地球規模の環境問題」に警鐘をならし、2010年の「上海万博」では、高度経済成長まっただ中にあり、おそらく持続不可能な都市上海で、「持続可能な都市」の構築の必要性を訴え続けていることがわかります。

スウェーデンと日本の間には、「環境問題に対する考え方や対応」について、20年の落差があると言っても過言ではないでしょう。

支持したい「昨日の朝日の社説」:財政再建と成長 両立へ、新たな道を開こう

2010-07-03 14:13:43 | Weblog
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昨日の朝日新聞の社説は「大恐慌に陥った世界経済の立て直しのため66カ国がロンドンに集まった1933年の世界経済会議。・・・・・」という文章で始まります。そして、「税金を高くすると消費が低迷し、成長を損なうと懸念する声も、あって当然だ。だが、近年の経済指標を分析すると、いちがいにはいえないことがわかる。税金が高く社会保障支出が大きいスウェーデンも、税が安い米国に匹敵する高成長を維持してきた。日本は米国型に近いが、低迷している」という文脈で「スウェーデン」が登場します。昨年9月の民主党政権の発足以降、何かと「スウェーデン」がマスメディアに取り上げられる割合が多くなってきたような気がします。

昨日の社説はこれから5~10年後の日本の政治・経済の行く末を考えるのに非常に示唆的だと思いますので、全文を保存しておきましょう。

●財政再建と成長 両立へ、新たな道を開こう 2010年7月2日

社説の冒頭に登場する「1930年代の世界大恐慌」と後半に登場する「スウェーデン」、この2つの結びつきが描き出す「目に浮かぶような光景」をスウェーデンの政治・経済に詳しい岡沢憲芙さんが1991年の著書『スウェーデンの挑戦』で次のように紹介しておられます。

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スウェーデン神話はイギリスでも強かったようである。1930年代の世界は権威主義体制への傾斜を示していた。面倒な手順など省略して経済成長を効率的に達成し、社会的安定を回復するには手っ取り早い方法かもしれない。そうした潮流の中でスウェーデンは例外的存在であった。

奇妙なことであるが、虚偽と嫌悪、敵意と残忍性、無知と無関心が支配していた当時の世界の風潮とは逆に、スウェーデンでは楽天的なムードが散見できた。扇動的でも、ヒステリックでもなく、革命的でも華麗でもなかった。トーンを抑えた控え目な改良主義に過ぎなかった。

それでも、時代のムードからすれば、貴重な存在であった。38年の『ロンドン・エコノミスト』の特別記事で、スウェーデンは「絶望の海に浮かぶ希望の島」と表現されたという。

岡沢憲芙著 『スウェーデンの挑戦』(岩波新書177 1991年7月19日第1刷発行 p13)
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さらに、財政学がご専門の神野直彦さんは、岡沢さんの記述を引用しながら、2001年の著書『「希望の島」への改革 分権型社会をつくる』と同年の『二兎を得る経済学 景気回復と財政再建』で、スウェーデンと日本を対比させて考察し、スウェーデンの考え方とその行動を次のように評価しておられます。

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20世紀から21世紀にかけての世紀転換期に生じている大不況のもとで、日本は「競争社会」を目指しさえすれば、景気が回復すると盲信し、国民経済ばかりか財政も破綻させている。まさに日本は、世紀転換期の大不況という「絶望の海」に浮かぶ「絶望の島」にたとえることができる。しかし、この世紀転換期の大不況という「絶望の海」には、「絶望の島」だけではなく、「希望の島」も浮かんでいる。「絶望の海に浮かぶ希望の島」、そのモデルをスウェーデンに見いだすことができる。
 
世界恐慌から脱出しようとしていた1930年代にも、世界的潮流に対して例外的な存在だったスウェーデンを、『ロンドン・エコノミスト』が「絶望の海に浮かぶ希望の島」と賛美したことを、早稲田大学の岡沢憲芙教授が紹介している(岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』 岩波書店 1991年)。この賛美の言葉は、今も昔も変わりなく妥当する。

(神野直彦著 『「希望の島」への改革 分権型社会をつくる』 NHKブックス906 2001年1月25日 第1刷発行 p13)
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かつて世界恐慌に喘ぐ1930年代に、ロンドン「エコノミスト」誌はスウェーデンが世界恐慌の波に飲み込まれなかったことを見て取り、スウェーデンを世界恐慌という「絶望の海」に浮かぶ「希望の島」だと誉め称えた。それをもじって表現すれば、20世紀から21世紀への世紀転換期に生じる、大不況という「絶望の海」に浮かぶ「希望の島」として、スウェーデンを称えることができる。

しかし、悲しいかな20世紀から21世紀の世紀転換期の大不況という「絶望の海」には、スウェーデンという「希望の島」の対極に、日本という「絶望の島」も浮かんでいるのである。

(神野直彦著 『二兎を得る経済学 景気回復と財政再建』 講談社+α新書 2001年8月20日 第1刷発行 p48)
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このような現状から判断すると私も、昨日の朝日新聞の社説「財政再建と成長 両立へ、新たな道を開こう」の実現に、スウェーデンの教訓(解決方法)が生かせることを切に望みます。

現憲法下の通常国会で記録したという最低成立率55.6%の法律が示唆すること

2010-06-17 07:34:11 | Weblog
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6月16日に第174通常国会が閉会しました。今日、6月17日の朝日新聞は「内閣提出の審議は進まず、新規提出の63本のうち、成立したのは35本。55.6%の成立率は現憲法下の通常国会では最低だった。政権が重要視した法案の多くは成立せず、郵政改革法案、地球温暖化対策基本法案が廃案。政治主導確立法案、労働者派遣法改正案、地域主権改革推進法案は継続審議になった。」と報じています。

この記事からは成立したのがどんな法律で、廃案や継続審議になったのがどのような法案なのかはわからないので、読売新聞と日本経済新聞の記事から不明な部分を補い、「現憲法下の通常国会で最低だった法案成立率の実態」を明らかにしようと試みました。

★今国会で成立した主な法律

★今国会で成立した法律

内閣提出法案および議員立法、条約


★今国会で廃案・継続審議となった法案



これらの法案をご覧になるとおわかりのように、今国会で成立した法律も、今国会で廃案・継続審議となった法案でも、これまでの国会での状況と同じように「○○改正法案」あるいは「改正○○法案」という類の「改正」を冠した法案が多いことです。

つまり、これらの改正法はいずれも、現状に適応できなくなった古い法律を現状に適応できるように改正されたものです。法律の趣旨は20世紀の発想をそのまま引きずっている法律ですので、改正しないよりはましということです。

関連記事
混迷する日本②  臨時国会閉会 21世紀の新しい社会をつくる法律ができない(2008-01-16)

21世紀前半にめざすべき「持続可能な社会」の構築への法体系が未整備な日本(2007-12-19)


このことは日本の法体系が、21世紀に入って10年経ったにもかかわらず、20世紀の法体系を引きずっており、21世紀の新しい社会をめざす法体系が整っていないことを示しています。たとえ政権交代が行われても、政治の目標が「持続的な経済成長」である限り、21世紀の社会を意識した新しい法体系は必要なく、現行法を改正すれば対応できるということかもしれません。このような考えでは、ますます国際社会の大きな変化に対応できなくなるおそれが高まります。





14年前の私の想定が、今現実の問題となっているように思います。スウェーデンは当時よりも好ましい方向に進展し、日本は好ましくない方向に劣化してきたといっても過言ではないでしょう。




CO2の中期削減目標:小宮山宏vs武田邦彦  日本経済の近未来:野口悠紀雄vs辛坊次郎+辛坊正記

2010-05-30 23:02:55 | Weblog
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 ついに、大混乱の予兆が見えてきました。日本が抱える2つの大問題「地球温暖化対策としてのCO2の25%削減中期目標」と「日本経済の近未来」に異なる主張を明らかにした今年(2010年1月から5月)発売の最新著書を紹介しましょう。著者はいずれも社会的に大きな影響力を持つ方々なので、ここでは、本の表紙、著者の略歴および目次を紹介し、内容の是非はこのブログの読者の判断にお任せしたいと思います。

このブログのタイトル「小宮山宏 vs 武田邦彦」は小宮山さんと武田さんが同じ土俵の上でバトルを繰り広げたというわけではありません。野口さんと辛坊兄弟の場合も同様です。今年に入ってそれぞれが自己主張をする本を刊行したということです。しかし、それぞれの方の主張の基盤となる認識が対立的なのです。


★地球温暖化対策としてのCO2の25%削減中期目標

それぞれの主張は、鳩山首相が国連で行った演説への評価の「正反対ともいうべき相違」から始まります。


小宮山宏 著 『低炭素社会』 の目次



 小宮山さんは、著書「低炭素社会」の第1章で、2009年9月、ニューヨークで行われた国連気候変動サミットの開会式において、鳩山由紀夫首相が、「2020年までに1990年比で25%の温室効果ガスを削減する」すると宣言したことを日本の「先進国宣言」だと受け止めたと述べています。そして、その発言を、もっとも肯定的に解釈するならば、「これから人類は温暖化の解決にむかう」と、日本がいち早く世界に向けて宣言したと捉えることができると書いておられます。また、鳩山首相の発言は、日本がその長い歴史の中でほぼ初めて「人類の目標づくり、ルールづくりに主体的にコミットする」宣言であったと言える、とおっしゃっておられます。
 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という組織を積極的に肯定し、「温暖化懐疑論」のほとんどは間違いであるという立場をとっています。


 一方、武田さんは、著書「CO2・25%削減で日本人の年収は半減する」の「まえがき」の結びで、「本書では、この2つのスキャンダル(小澤注:COP15の前に起こった「メール流出事件」と「COP15において開催国デンマークの担当大臣が辞任するという事態」)を詳細に解説し、さらにわが国政府が打ち出した歴史的愚策、『CO2・25%削減』の実態を暴いていくことにする」と書き、鳩山首相の宣言を酷評しています。
 当然のことながら、IPCCには極めて批判的であり、本書の40ページには「さらに、前東大総長を中心として『温暖化に懐疑的な学者を叩く』というおよそ学問とは無関係のヤクザまがいの活動を展開し、反対する学者に東大は『反対できるものならやってみろ』と手紙をだすという有様だった」と書いておられます。
 武田さんの本の「最終章(第10章 ねつ造された「地球の危機」)」は、「精一杯勉強して、科学技術の進歩につながる研究をし、経済を成長させ、意味もなく節約することなく、将来に備えて今こそCO2を出すべきである。CO2排出量におびえず、よりよい未来を実現するべきだ。民主党政権の『CO2・25%削減』に伴う国民負担は、あらゆる点で無意味である」という主張で結ばれているところが、いかにも武田さん的です。


武田邦彦 著 『CO2・25%削減で日本人の年収は半減する』 の目次



 

★日本経済の近未来

 こちらは、このまま事態が経過すれば、「日本経済の近未来は極めて深刻である」という点では著者の意見は一致しています。どこが大きく異なるかと言いますと、「小泉・竹中改革」の評価であると思います。


野口悠紀雄 著 『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか』の目次①第1章~第5章

野口悠紀雄 著 『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか』の目次②第6章~第8章



 野口さんは著書の244ページで、「潜在成長力」という概念の問題点を次のように指摘しています。

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景気拡大策の根拠付けとして、「潜在成長力」という概念がしばしばつかわれる。「需要が潜在供給能力」を下回っているから、需要を増やすべきだ」という考えである。しかし、この考えには大きな問題がある。なぜなら、そこでいう「供給能力」とは、現在存在する設備を完全利用した場合の生産量だからである。この概念を根拠として需要を拡大するのは、「現在存在する過剰設備を廃棄せず、それに見合う需要を探し出す」という考えにほかならない。
しかし、そうした発想からは脱却する必要がある。「生産能力を所与として販売を拡大する」というビジネスモデルは、もう継続できないのである。輸出や生産がピーク時から二割程度減少した状態が今後も引き続くと考え、その状況に対応できるように、日本の産業構造を基本から転換させる必要がある。
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 一方、辛坊さんらは、著書の「第3章 日本沈没を食い止めた小泉・竹中改革」で示されているように、小泉・竹中改革をはっきりと支持していますが、私の認識では、竹中さんの主張「サプライ・サイド政策」がまさに、野口さんのおっしゃる「潜在成長力」という概念だったと思うのです。竹中さんは当時、日本経済の「潜在成長力」はおよそ2%で、毎年2%成長すると、35年で所得水準が2倍になることをいみしている(1.02の35乗は2になる)、つまりおおむね1世代、つまり親から子どもの世代にかけて、生活水準を2倍にできるという「夢のある経済」なのである、と言っていた(著書「経世済民 経済戦略会議の180日」(ダイヤモンド社 p131~132 1999年3月)。




辛坊次郎・辛坊正記 著 『日本経済の真実 ある日、この国は破産します』の目次① 第1章~第2章 

辛坊次郎・辛坊正記 著 『日本経済の真実 ある日、この国は破産します』の目次② 第3章~第4章