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アーカイブ(公開論文集)
2009年1月18日の学習会のご案内 ここをクリック
今日の朝日新聞の3面で、「成長の質」高める道を、と題した朝日新聞主幹の船橋洋一さんのお考えを拝見しました。偶然にも、昨日のブログで「低炭素社会」という言葉は十分な議論がないまま、日本の政治、行政、企業の間に、そして、学者・研究者、評論家、市民にも定着してしまった概念の不十分な用語で、「低炭素社会」の普及・定着にマスメディアが果たした役割は大変大きいと思う、と書きました。そこで、次の記事の「低炭素国」めざせと、いう文字がいつもよりも目についたのです。
記事を読んでみました。この記事は最後の段で、「将来の欧州と米国の方向性を語り、日本の進むべき道」を模索しています。私はここで2か所コメントをしておきます。日本の多くの方が共有しているけれども、私は納得がいかず、懸念している部分だからです。
(1)太陽光発電と電気自動車と太陽電池の使用を政府、企業に義務づけ、低炭素経済への転換を加速させる。
それは、船橋さんが日本のエネルギー体系を本気で転換すると考えておられるのかどうかです。それはひとえに、日本の国全体のエネルギー消費を削減(総エネルギー消費の削減していく。エネルギー効率化の向上とか、原単位の向上のような相対的ではない)という大前提の下で 、化石燃料を自然エネルギーで代替(単なる自然エネルギーの普及促進ではない)し、現在のエネルギー体系でおよそ30%を占めている原子力を現状維持とするのか、なくす方向に行くのか、あるいは更なる原子力への傾斜ということなのかどうかです。原子力への対応を議論しない、自然エネルギーの議論 はまさに絵に描いた餅だからです。
関連事項
自然エネルギーにCO2削減効果はあるだろうか?(2008-01-14)
日本がなぜ、「今日の化石賞」を受けるのか? 経済成長、エネルギー消費、CO2の整合性なき政策(2008-12-07)
(2)日本には、それを実現するのに必要な技術も能力もある。日本に欠けているのは、政治的な意思と実行力である。
日本は世界に冠たる省「エネ技術」や「環境技術」がある などと、いわゆる識者や政策担当者が言いますが、本当だろうかということです。日本に欠けているのは、政治的な意思と実行力であるというご指摘は、その通りだと思います。問題は「技術」です。
日本の技術が世界的に優れているのは「要素技術」あるいは「単体の技術」で、逆に欠けているのは技術的思想です。せっかくの優れた要素技術を生かすシステム的な考え方やアプローチががほとんどないのです。具体的には太陽光などの自然エネルギーを組み込んだ新しいエネルギーシステムを構築したり、優れた自動車などを用いた総合的な交通システムを構築して社会全体のエネルギー消費や環境負荷を低減するようなシステムの提示が日本からなされないからです。
関連記事
●大和総研 経営戦略研究レポート CSR(企業の社会的責任)とSRI(社会的責任投資) 日本は環境先進国なのか? 2008年3月10日
世界銀行が2007年10月に公表した温暖化対策を評価した報告書において、日本は70カ国中62位、先進国では最下位という衝撃的な結果が示された。洞爺湖サミットで環境立国日本を標榜し、世界のリーダーシップをとるのであれば、日本は環境先進国、という思い込みを捨てて積極的かつ大胆な温暖化対策を早急に進める必要がある。
そのような認識に立てば、この日の夕刊に掲載された次の記事はどのように解釈したらよいのでしょうか。技術があり、能力があるとされる日本の振る舞い についてです。
オバマ次期米大統領が地球温暖化対策を重視しているため、方針を転換。正式加盟も視野に検討する。
私はここに「日本政府の温暖化問題に対する基本認識」の不十分さと、「日本の技術(この場合は自然エネルギー利用技術→太陽電池などの単体ではなく、それらを用いた自然エネルギー中心のシステム技術)に対する自信」の無さを感じるのです。このことは、記事の最後の「前向きな姿勢に転じた」という文章にはっきりと表れています。オバマさんがニューディールを政策を提唱しなければ、日本政府の後ろ向きな(今日の化石賞受賞するような)姿勢は変わらなかったと考えられるからです。
舟橋さんが「日本に欠けているもの」として掲げた政治的な意思と実行力を、私なりに表現すれば次のようになります。
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今日の朝日新聞の3面で、「成長の質」高める道を、と題した朝日新聞主幹の船橋洋一さんのお考えを拝見しました。偶然にも、昨日のブログで「低炭素社会」という言葉は十分な議論がないまま、日本の政治、行政、企業の間に、そして、学者・研究者、評論家、市民にも定着してしまった概念の不十分な用語で、「低炭素社会」の普及・定着にマスメディアが果たした役割は大変大きいと思う、と書きました。そこで、次の記事の「低炭素国」めざせと、いう文字がいつもよりも目についたのです。
記事を読んでみました。この記事は最後の段で、「将来の欧州と米国の方向性を語り、日本の進むべき道」を模索しています。私はここで2か所コメントをしておきます。日本の多くの方が共有しているけれども、私は納得がいかず、懸念している部分だからです。
(1)太陽光発電と電気自動車と太陽電池の使用を政府、企業に義務づけ、低炭素経済への転換を加速させる。
それは、船橋さんが日本のエネルギー体系を本気で転換すると考えておられるのかどうかです。それはひとえに、日本の国全体のエネルギー消費を削減(総エネルギー消費の削減していく。エネルギー効率化の向上とか、原単位の向上のような相対的ではない)という大前提の下で 、化石燃料を自然エネルギーで代替(単なる自然エネルギーの普及促進ではない)し、現在のエネルギー体系でおよそ30%を占めている原子力を現状維持とするのか、なくす方向に行くのか、あるいは更なる原子力への傾斜ということなのかどうかです。原子力への対応を議論しない、自然エネルギーの議論 はまさに絵に描いた餅だからです。
関連事項
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(2)日本には、それを実現するのに必要な技術も能力もある。日本に欠けているのは、政治的な意思と実行力である。
日本は世界に冠たる省「エネ技術」や「環境技術」がある などと、いわゆる識者や政策担当者が言いますが、本当だろうかということです。日本に欠けているのは、政治的な意思と実行力であるというご指摘は、その通りだと思います。問題は「技術」です。
日本の技術が世界的に優れているのは「要素技術」あるいは「単体の技術」で、逆に欠けているのは技術的思想です。せっかくの優れた要素技術を生かすシステム的な考え方やアプローチががほとんどないのです。具体的には太陽光などの自然エネルギーを組み込んだ新しいエネルギーシステムを構築したり、優れた自動車などを用いた総合的な交通システムを構築して社会全体のエネルギー消費や環境負荷を低減するようなシステムの提示が日本からなされないからです。
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そのような認識に立てば、この日の夕刊に掲載された次の記事はどのように解釈したらよいのでしょうか。技術があり、能力があるとされる日本の振る舞い についてです。
オバマ次期米大統領が地球温暖化対策を重視しているため、方針を転換。正式加盟も視野に検討する。
私はここに「日本政府の温暖化問題に対する基本認識」の不十分さと、「日本の技術(この場合は自然エネルギー利用技術→太陽電池などの単体ではなく、それらを用いた自然エネルギー中心のシステム技術)に対する自信」の無さを感じるのです。このことは、記事の最後の「前向きな姿勢に転じた」という文章にはっきりと表れています。オバマさんがニューディールを政策を提唱しなければ、日本政府の後ろ向きな(今日の化石賞受賞するような)姿勢は変わらなかったと考えられるからです。
舟橋さんが「日本に欠けているもの」として掲げた政治的な意思と実行力を、私なりに表現すれば次のようになります。
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