環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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小泉元首相の「原発ゼロ」、誰も関心を示さない“循環型社会”?

2013-10-26 16:39:05 | 原発/エネルギー/資源
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 5日前のブログ「小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”」の結論として、私は「政治が決断すれば、原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えに基本的に賛同しました。

 しかし、これはあくまで一般論で、私は、アベノミックスによる「経済の持続的拡大」をめざす現在の日本社会の状況を考えたときに、小泉さんのお考えに大きな危惧をいだいています。私のこの危惧を読者の皆さんと共有するのに極めて有効な記事が10月19日の読売新聞の「論点」に掲載されています。

論 点

  エネルギー政策  「原発ゼロ」を目指して 小泉純一郎氏

        小泉氏は楽観的過ぎないか 論説委員 遠藤弦

 この記事は小泉さんが「論点」に寄稿し、論説委員の遠藤弦さんが対論(反論)を試みたという形をとっています。ネット上では、小泉さんのお考えに賛否両論が飛び交っており、大雑把に言えば、反対論の多くの主張が遠藤さんの対論に集約されていると思います。 

 この記事の中で、小泉さんは「循環型社会」というキーワードを次のように3回使っておられます。

①私は、今、政府・自民党が「原発をゼロにする」という方針を打ち出すべきだと主張している。そうすれば、原発に依存しない、自然を資源にした「循環型社会」の実現へ、国民が結束できるのではないか。原発の代替策は、知恵のある人が必ず出してくれる。(冒頭部分)

②千年、万年の年月を経過しても、放射能の有害性が消滅しない処分場を建設する莫大な資金やエネルギーを、自然を資源にする循環型社会の建設に振り向ける方が、やりがいがあり、夢があるのではないか。(後半部分)

③挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい。(結びの部分)


 1972年の「第1回国連人間環境会議」以来、スウェーデンと日本の環境問題を同時進行でフォローしてきた私にとって、小泉さんの寄稿の中に3回登場した「循環型社会」という概念は国際的には「持続可能な社会(Sustainable Society)」と同義の21世紀社会を展望する際のキーワードだと理解するのですが、論説委員の遠藤さんの対論には一言もこの言葉が出てきません。また、ネット上に飛び交う「小泉元首相の原発ゼロ」に賛成する人も,反対する人もこの「循環型社会」という言葉にはまったく関心がないようです。

考資料
持続可能な社会か、循環型社会か


 私の懸念は小泉さんが「循環型社会」の定義をはっきりと明らかにしないままに、「原発ゼロ論」を進めていることです。特に、法治国家である日本の社会ではこのキーワードが2000年6月以降、国際社会とは違う意味合いで法律上使われていることに注意する必要があります。

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平成19年版「環境・循環型社会白書」の不可解(2007-10-27)


 日本では、2000年(平成12年)6月2日に循環型社会形成推進基本法」と称する法律が公布され、2001年(平成13年)1月6日をもって全面施行されました。それ以来、日本全国で、この法律の周知徹底のための広報や国や自治体の活動が今日まで推進されてきています。

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21世紀前半にめざすべき「持続可能な社会」の構築への法体系が未整備な日本


 小泉・連立内閣政権は2001年4月に発足し、2006年まで続きました。ですから、小泉政権はできたばかりの新法「循環型社会形成推進基本法」の周知活動に熱心だった(?)はずです。「循環型社会形成推進基本法」は「循環型社会」という言葉を冠してはいますが、この法律は持続的経済成長を追求する日本の社会から大量に排出される廃棄物の処理・処分関連の法律であって、小泉さんが「原発ゼロ」という主張の中でイメージしておられると推測する“循環型社会”とはまったく似て非なるものです。

 ちなみに、この5年間に小泉・連立内閣のもとで刊行された経済財政白書の副題は、

2001年「改革なくして成長なし」、
2002年「改革なくして成長なしⅡ」、
2003年「改革なくして成長なしⅢ」、
2004年「改革なくして成長なしⅣ」、
2005年「改革なくして成長なしⅤ」

と徹底しています。小泉政権は成長一点ばりだったのです。

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「成長一辺倒」の戦後60年 ② そして、これからも?(2007-02-16)


 小泉さんは、読売新聞の「論点」とは別のところで、「私はいままで原子力の専門家たちが言っていた、原発は安全でクリーンでコストが安いというのは本当なのか、自分なりに勉強してみました。そして疑問を抱いたのです。原子力は果たして現在の人間が制御できるのだろうか。そしていま、私は、原発はゼロにすべきだ、しかもできるだけ早く政治はゼロの方針を決断するべきだ。いまそういう論者になっているのです。」とおっしゃっています。

 そうであれば、ぜひとも、小泉政権の発足とほぼ、時を同じくして施行された日本の「循環型社会形成推進基本法」をご自分で勉強してみてごらんになるのはいかがでしょうか。

 大切なことは21世紀にめざすべき社会のビジョン「持続可能な社会」を描き、そのビジョンを実現するためのエネルギー体系を構築することだと思います。

 私は国際社会の共通の認識である「持続可能な社会」の構築のためには、原子力エネルギーゼロをめざして原発を段階的にフェーズアウトすると同時に化石燃料の使用も段階的に削減して行くような、まったく新しい経済活動をつくり出すことが必要だと思います。

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原発を考える① まずは、皆さんへの質問(2007-04-10)

原発を考える② 原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ(2007-04-11) 

原子力委員会の長期計画策定会議第二分科会の報告「エネルギーとしての原子力利用」(平成12年6月5日)は日本の原子力の位置づけについて、「21世紀にふさわしい循環型社会の実現に向けて最大限に活用していくことが合理的です」と述べています。

 ここで、思い起こして欲しいのはこの「分科会の報告」が公表されたのが、平成12年(2000年)6月5日で、「循環型社会形成推進法」が公布されたのが平成12年6月2日(平成13年1月6日完全施行)、そして、小泉政権が発足したのが平成13(2001年)年4月であったこと、小泉政権は2006年まで続きます。2000年の原子力委員会は「原子力の最大限の活用→循環型社会の実現」、2013年の小泉元総理は「脱原発→循環型社会の実現」とは? つまり、この奇妙な矛盾する現象を理解するには、「循環型社会」の概念あるいは定義が当時の原子力委員会と現在の小泉元首相の間で異なっているということでしょう。

 2001年4月の政権担当以来、3.11の大震災直前までの小泉元首相の「循環型社会」に対する基本認識は原子力委員会と共有していましたが、大震災以降、小泉元首相の「循環型社会」は無意識のうちに、あるいは、意図的に、1990年代前半頃まで日本で議論されていた「循環型社会」(国際社会に定着し始めた「持続可能な社会」とほぼ同義)に戻ったのではないかと、私は推測します。


原発を考える③ 4月10日の「設問の意図」(2007-04-12)

原発を考える④ 過去の「原発に関する世論調査」(2007-04-13)
    

原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)


スウェーデンの故パルメ首相が32年前に広島の原爆資料館に残した言葉

2013-10-25 14:53:03 | 政治/行政/地方分権
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 4日前の私のブログ「小泉元首相の“脱原発論”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”」の中で、1972年の「第1回国連人間環境会議」のある会合でスウェーデンの当時のパルメ首相が述べた「科学者と政治家の役割」を紹介しましたが、今朝の朝日新聞のコラム「天声人語」には、32年前の1981年(昭和56年)に同首相が広島の原爆資料館に残した言葉が次のように紹介されています。



 私もこのブログで、広島の原爆資料館に残された故パルメ首相の言葉を紹介したことがあります。そこで、改めて、そのブログを検証してみました。偶然にも、このブログに掲載されていた同首相の言葉も1981年のものでしたが、内容は異なっていました。

天声 人語  どの国の政府であれ、責任ある地位に就く者には、すべて広島を訪ねることを義務づけるべきだ。
私のブログ  世界の人々は、ヒロシマの名において決して過ちを犯してはならない。このことが決して再び起こってはならない。

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22年前にタイムスリップ  「広島の原爆資料館」と「竹原火力発電所」を訪問(2010-08-14)

「原爆資料館で見つけた故パルメ首相のメッセージ」と「閣内の環境相の位置づけの重要性」(2010-08-17)


 今朝の天声人語は、「反核平和の政治家で知られたその人が、天上でうなずいているだろう。被爆国でありながら、『核不使用声明』への賛同を見送って来た日本が、ようやく声明に署名した。これまで、米の「核の傘」に頼る政策に合わないと拒んでいた。」と述べています。
ここでも、国際社会におけるスウェーデンと日本の立ち位置の相違を垣間見ることができます。

ネット上で見つけた関連記事        
検証 ヒロシマ 1945〜95 <15> 原爆資料館|検証ヒロシマ|ヒロシマ ...

小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”

2013-10-21 11:41:44 | 原発/エネルギー/資源
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 2011年3月11日の東京電力福島第一原発大事故後から、小泉元首相の「原発に対する懸念」が散見されるようになり、特に今年の夏頃からは、元首相の「脱原発論」がネット上で、そして、マスメディアでもとりあげられるようになってきました。その多くは編集され、断片的で、似たような論調が多くあります。私も小泉元首相の「脱原発論」には非常に興味があります。10月17日の東京新聞が、前日に木更津で行われた小泉元首相の講演会の模様を次のように報じています。



 この記事からは小泉元首相の「原発ゼロの主張」の理由がもう一つわかりにくかったのですが、10月17日に放映された日本テレビの情報番組「ミヤネ屋」では講演の要点がかなり詳しく伝えられていました。これまた、編集されており、断片的ではありますが、聞き取れる音声を忠実に拾ってみました。

xxxxx
ご紹介いただきました、小泉純一郎でございます。

 浜田靖一代議士からお話がありましてね、木更津、地元なんだと、何とかね、来てくださいよという話だったもんです。ちょっと木更津遠いなと思ってね、お断りしようかなと思ったんだけども、新次郎のことが頭に浮かびましてね、そうだ・・・

 しかし、あの福島県の原発事故、その後のさまざまな問題を考えてみると、こりゃー、日本で原発をこのまま推進して行くのは、無理だなと感じ始めました。政治が決断すれば、日本は原発ゼロでもやっていけるという・・・

 私が原発ゼロにしろという一番の理由、いくつかありますけれども、一番の理由はね、処分場がないということですよ。仮に原発がいくつか、これからの電気に必要だからと言って、再稼働を認めたとしてもですよ、ゴミはどんどん増えていくわけです。政治的な方向を出せばね、国民はね、大方の国民は協力してくれるんじゃないか・・・

 特に8月、フィンランドの「オンカロ」の視察に行って、改めて、これは“日本は原発ゼロにしなきゃいかんな”と確信を持ちましたね。これねぇ、10万年というのは気の遠くなる先の話ですよね。日本がね、400メートル地下を掘ったらね、水が漏れ出るどころじゃないですよ、温泉が出てきますよ。しかもね、フィンランドは地震がない。

 本物の「オンカロ」に行ってこのような状況を見てですね、やっぱり、原発は必要だとこの論理で国民を説得することはできない、むしろますますゼロにすべきだということならば説得は可能だと思いましたね。

 今ね、原発がなかったらね、経済成長できないよ、と言うけれども、日本の企業の技術力とかね、努力は大したもんだと思うんです。今後ね、さまざまなそういう原発ゼロに代わる代替エネルギーの開発、それを支援策・奨励策取れば日本はやっていけるんじゃないかな・・・

 有害性が消えない、そうゆう原発の処分場をつくるために莫大なカネとエネルギーを使うよりも、そのカネを自然を資源にする環境にやさしい、そうゆうエネルギーにふり向けたほうが、はるかにやりがいがあって、夢のある事業ではないかなと思ってるんです。
         

 大震災の「ピンチ」を「チャンス」に変える時だ、というふうに受け止めたい。政治に休みはないんですよ。どんな時代でも、これでいいという時代はない。
xxxxx


 私は、この講演会で語られた小泉元首相の言葉から、日本とスウェーデンの「政権を支える原子力分野の専門家の原発に対する基本認識と政治家の原発に対する基本認識」、それに加えて、「その基本認識の大きな落差に起因する現実の行動の具体的な相違」を改めて感じました。 一言で言えば、同じ先進工業国でありながら、“雲泥の差”といっても過言ではないでしょう。この機会に相違の具体的な例を紹介しましょう。

 小泉元首相は講演で、「原発をゼロにしろという一番の理由は処分場がないということだ」と述べておられます。日本では、今でこそ放射性廃棄物の処分の重要性が語られていますが、私の理解では日本の反原発運動は主として「原発の安全性」への市民の疑問から出発していました。一方、スウェーデンの初期の反原発運動の発端は「原発の安全性」ではなく、たとえ安全に原発が稼働していても必ず発生する「放射性廃棄物」の処分に対する懸念からでした。

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原発を考える④ 過去の「原発に関する世論調査」(2007-04-13)


 スウェーデンの反原発運動は1960年代にすでに始まっていました。ノーベル賞受賞物理学者ハネス・アルフベン博士と中央党の国会議員ビルギッタ・ハンブレウス女史が初期の反原発運動の中心でした。

スウェーデンの商業用原子炉の1号機(オスカーシャム原発1号機)が運転を開始した1972年(昭和47年)秋の国会で、反原発運動の中心的存在であった中央党のビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただした時、答弁に立った当時の産業大臣は「今のところ、国際的に認められた放射性廃棄物の最終処分方法はない」と答えました。 同議員は「それならば」と原子炉新設の停止を求める提案を国会に提出しました。この提案は国会で否決されましたが、そのとき以来、原発は常にスウェーデンの政治の重要な議題の一つになったのです。

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スウェーデンの「脱原発政策の歩み」⑭ スウェーデンの反原発運動の発端は放射性廃棄物問題(2007-11-12)


 スウェーデンの商業用原子炉1号機が運転を開始した1972年に、原子力発電事業者は共同出資してスウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB)を設立しました。SKBは、1977年の「安全に関する条件法」(Safety Stipulation Act)に従って、放射性廃棄物関連の処分施設の建設を開始しました。

 1985年には、高レベル放射性廃棄物の中間貯蔵施設(CLAB)がオスカーシャム原子力発電所の敷地内で稼働を始め、1988年春には低・中レベル放射性廃棄物の最終処分施設(SFR)がフォーシュマルク原子力発電所に隣接する海底で稼働を始めました。

 高レベル放射性廃棄物(主として使用済み核燃料)は約30~40年間、上記の中間貯蔵施設(CLAB)に貯蔵し、放射線のレベルが下がった後、新設する最終処分場(SFL)に移されることになっています。SKBは2009年6月にエストハンマル自治体のフォーシュマルクに高レベル放射性廃棄物の最終処分場(SFL)の建設予定地を選定し、2011年3月16日に政府に処分場の立地・建設許可申請を行いました。申請の認可はまだおりていませんが、2020年頃、稼働できるように最終処分場が建設される予定です。

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 小泉元首相が、今年8月に三菱重工、東芝、日立、清水建設といった原発に関わる企業の幹部と一緒に訪問したというフィンランドの高レベル放射性廃棄物の地下特性調査施設「オンカロ」(高レベル放射性廃棄物の最終処分に必要なデータを集めて処分技術を確立する目的で建設された施設で、最終処分場に先駆けてつくったこの施設は将来、最終処分場として何らかの致命的な地質学的問題がなければ、最終処分場の一部分として有効活用しよういう計画になっている)は、スウェーデンのSKBの「KBS-3」という処分概念 をベースにして、フィンランド独自の研究開発の成果をプラスする形で設計されています。

 このような一連の流れの中で注目すべきことは、スウェーデンでは原発に関わる科学者や技術者などの専門家が原発の抱えるさまざまな問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです。

 このように見てくると、日本とスウェーデンでは「原子力問題に関する基本認識」が専門家のレベルでも、政治家のレベルでも大きく異なることがご理解いただけるでしょう。

●スウェーデンの商業用原子炉1号機(オスカーシャム原発1号機)が運転を開始したのは1972年(昭和47年)でした。
●反原発運動の中心的存在であった中央党のビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただしたのも1972年でした。
●スウェーデンの原子力発電事業者が共同出資して、スウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB)を設立したのも1972年でした。


 そして、スウェーデン政府が、世界に先駆けて「第1回国連人間環境会議」を首都ストックホルムで開催したのも、1972年でした。この会議の開催中にある小グループの会合で、当時のパルメ首相は「科学者と政治家」の役割について次のように述べています。

 科学者の役割は事態があまり深刻にならないうちに事実を指摘することにある。
 科学者はわかりやすい形で政治家に問題を提起してほしい。

 政治家の役割はそうした科学的な判断に基づいて政策を実行することにある。
 そのもっとも具体的な表現は政府の予算だ。政策の意図が政府の予算編成に反映されることが必要だ。


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第1回国連人間環境会議(2007-03-28)


 私は当時のパルメ首相のこの言葉にスウェーデンの考え方(予防志向の考え方)が見事に凝縮されていると思います。この言葉はスウェーデンの原発問題にも適用されています。一方、小泉元首相の「脱原発論」には日本の原発問題に対する考え方(治療志向の考え方)とそれに基づく具体的な行動がこれまた見事に凝縮されていると思います。

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社会的な合意形成 ⑤ 環境問題解決の鍵:科学と政治(2007-03-04) 

社会的な合意形成 ⑥ 科学者と政治家の役割(2007-03-05)
 


 翌年1973年(昭和48年)には第1次オイルショックが起こりました。今にして思えば、40年前の「オイルショックの時の政治的決断」とその決断による具体的な対応が2013年の現状を創り出しているのです。その意味で、「政治が決断すれば,原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えは正しいと思います。

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再び、「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則の有効性(2007-07-30)





IPCC総会で承認された第5次報告書(地球温暖化の科学的根拠)、今回、「温暖化懐疑論」を提起するのは誰か

2013-10-02 21:53:25 | 温暖化/オゾン層
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 私の環境論が、他の多くの日本の環境の専門家と称される方々の議論と異なるのは、「環境問題」と「経済(活動)」を最初から関連づけて考えていること、そして、環境問題の解決のためには「民主主義の考え方」と「その実践」が必須なことを十分に意識していることです。具体的には環境問題の解決は、従来の公害とは違って技術的な対応だけでは不十分で、経済社会の制度の変革をともなうこと、そして、その解決策である21世紀に主な環境問題を解決した「エコロジカルに持続可能な社会」の創造のためには、さまざまな「政策」とそれらの政策を実現するための「予算措置」が必要なこと、つまり、環境問題の解決に当たって、「技術の変革」と「政治と行政のかかわり」を強く意識していることです。

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私の環境論8 環境問題とは(2007-01-18)

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年末にあたって、改めて「環境問題とは」(2008-03-29)

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 20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていましたが、21世紀の安全保障の概念は軍事的側面だけでなく、さらに広く「経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと展開していかなければなりません。戦争やテロ活動がなくなり、世界に真の平和が訪れたとしても私たちがいま直面している環境問題に終わりはないからです。その象徴的存在が「気候変動問題(地球温暖化問題)」と言えるでしょう。

このブログ内の関連記事
「環境問題」こそ、安全保障の中心に位置づけられる(2007-03-12)



 さて、国連広報センターの10月1日付けプレスリリース(13-068-J 2013年10月1日)によれば、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が9月27日、スウェーデンのストックホルムで最新の評価報告書を発表し、気候システムに人が影響を与えていることは明らかだとしたうえで、この事実が世界のほとんどの地域ではっきりと表れていると結論づけた」と報じています。

 そして、気候システムが温暖化していることは疑いのない事実であり、ストックホルムで承認されたIPCC第1作業部会評価報告書『気候変動2013:自然科学的根拠』の政策決定者向け要約 (Working Group I Contribution to the IPCC Fifth Assessment Report Climate Change 2013: The Physical Science Basis Summary for Policymakers) によると、過去30年間を10年ごとに区切ってみても、1850年以来のどの10年間よりも地球の平均気温が高い状態が続いているとのことです。

このブログ内の関連記事
IPCCの創設とスウェーデン(2008-01-05)


 9月28日の朝日新聞が1面で、この評価報告書の概要を分かり易く、しかも明確に次のようにまとめています。


7面の解説記事:気温上昇2度以内「困難」IPCC報告書 専門家が指摘




第4次報告書で用いられた英語表現はVery likely:90–100% probability(日本語では可能性が非常に高い) 
第5次報告書で用いられた英語表現はExtremely likely: 95–100% probability(日本語では可能性が極めて高い)

 2007年の第4次報告書に比べて今回の第5次報告書が明らかにした最も重要なことは、「温暖化の原因は人為起源の温室効果ガスである可能性が極めて高い(95%以上)」と指摘したことです。この指摘は、私にとって極めて意義深い指摘です。2007年1月1日に開設したこのブログで、私が問い続けてきた地球温暖化を含む「環境問題の本質」に対する基本的な理解今回の報告書の指摘が見事に合致したからです。

2007年に第4次報告書が公表された後、2008年にはいくつかの「温暖化懐疑論」が提起されました。日本の温暖化懐疑論に対して当時の私の考えをこのブログで書きましたので、改めて紹介しておきましょう。今回の第5次報告書に対して、誰がどんな「温暖化懐疑論」を提起するのか楽しみです。

このブログ内の関連記事 
日本の「温暖化懐疑論」という現象(1)(2008-09-24)

日本の「温暖化懐疑論」という現象(2)(2008-09-25)