環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

改めて、今日の決断が将来を原則的に決める―スウェーデンに失敗例はないのだろうか?

2012-01-20 22:26:20 | 社会/合意形成/アクター
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今日は、改めて、私の環境論の根底にある考え方の一つ「今日の決断が将来を原則的に決める」を考えてみます。私はこのブログ内でこれまで2回、このテーマを取り上げたことがあります。

このブログ内の関連記事
今日の決断が将来を原則的に決める(2007-04-04)

再び、「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則の有効性(2007-07-30)


 スウェーデンと日本の違いは、「予防志向の国」 「治療志向の国」、言い換えれば、「政策の国」「対策の国」といえるでしょう。スウェーデンは公的な力で「福祉国家」をつくりあげた国ですから、社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、つねに政治の重要課題でした。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、「教育」に力が入ることになります。一方、これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったようです。

 このブログでは、これまで主としてスウェーデンのよい点、成功例を挙げてきましたが、では、スウェーデンに失敗はないのでしょうか。そんなことはありません。世界に先駆けて新しいことを始めるお国柄ですから、失敗例には事欠かないでしょう。問題は、何をもって失敗と考えるかです。そして、失敗であることがわかった時点でその誤りを修正し、先へ進めることができるかどうかです。特に、このブログの主なテーマである 「エコロジカルに持続可能な社会の構築―安心と安全の国づくりの話」 ではなおさらです。たとえば、こんな例はいかがでしょう。

 1997年9月に、北欧の「強制不妊手術問題」が日本のマスコミをにぎわせました。1935年から約40年間にわたって、知的障害や病気を理由に、6万人が不妊手術を強制された、というものです。日本の新聞などマスメディアの論調は、「人権重視のあの福祉国家がなぜ?」という驚きでした。

 北欧の不妊法は、1929年にデンマークで、34年にノルウェーで、35年にはフィンランドとスウェーデンで制定されました。ほぼ同じ時期に、大陸のドイツやスイス、オーストリアなどでも類似の法律がつくられました。また、米国や英国、カナダ、フランスなども例外ではありません。日本では、戦後の1948年になって、「優生保護法」という類似の法律がつくられました。

 30年代は、「悪質な遺伝子を淘汰し、優良な子孫を残すことが人類にとって望ましい」という優生学の思想がヨーロッパで支配的になり、北欧の不妊法もそのような国際状況のなかで生まれたのです。

 100年前のスウェーデンは、ヨーロッパの最貧国でした。人権や平等の理念のもとに、「最貧国」を「福祉国家」に変えるビジョンを掲げた社民党が、初めて政権の座に就いたのは1932年でした。政権に就いて3年たった社民党政権が不妊法を制定した理由は、福祉国家の建設のために、当時最先端の科学として認識されていた優生学の知見が有用であると考えたからです。

 スウェーデンで強制不妊手術を許したのは、宗教的な背景だといわれています。不妊手術はイタリアなどのカトリックの国では許されませんでしたが、スウェーデンのようなプロテスタントの国では、それほど強い抵抗感はなかったのです。

 左右両陣営から広く支持されていたスウェーデンの「不妊法」は、1976年に廃止されました。政府は、国民からの批判を受けて、病気や知的障害などを理由に強制的に不妊手術を受けさせられた市民を対象に、99年に一人当たり約260万円の国家賠償金を支払うことになりました。


 一方、スウェーデンより13年遅れて1948年に制定された日本の「優性保護法」は1996年に廃止となりました。スウェーデンの「不妊法」が廃止された後20年も日本では「優性保護法」が施行されていたことになります。次の2つの記事をご覧ください。






 いくつか別の例を挙げてみましょう。

 東西冷戦体制のときにスウェーデンは国民の80%以上を収容できる核シェルターをつくりました。これには、たいへんな建設費と維持費がかかっています。東西冷戦体制のさなか、核の脅威が差し迫っていた40年前の判断では、この事例は成功例だったかもしれませんが、東西冷戦体制がなくなったいま考えると、これは「失敗例」といえないこともありません。

 60年代末に、核兵器の開発と保有の権限を放棄する選択をしたことや、70年代中頃に「軽水炉・再処理・高速増殖炉」路線を変更し、ワンスルー利用(使用済み核燃料の再処理をしないで、そのまま保管すること)を選択したこと、さらには、1991年に気候変動への対応策として世界に先駆けて導入したCO2税はどうでしょうか。

 携帯電話の導入は? また、「旧スウェーデン・モデル(20世紀の福祉国家)」や、旧スウェーデン・モデルの下でつくられ、年金受給者の安心に貢献した60年の「旧年金制度」は失敗だったのでしょうか。旧スウェーデン・モデルは70年代に、日本の識者から多くの批判を受けました。

これまでに挙げた事例はおそらく、批判が花盛りの頃だったら「失敗例」と判断されたかもしれません。しかし、現在の判断基準に照らせば、失敗とはいえないと思います。

 実はスウェーデンには、 「持続可能な社会」の観点から見て、たいへん大きな失敗例があります。きわめてスウェーデンらしい失敗ということもできます。それは、原発の導入です。

 スウェーデンは60年代から、「環境の酸性化」に悩まされてきました。そこで経済成長にともなって増えつづける電力需要に対処するために、「環境の酸性化への対応」と「エネルギーの自立」と「中立政策」を考えて、水力のつぎに、迷うことなく原子力を選択しました。

 化石燃料を輸入に頼らざるを得ないスウェーデンが火力発電に踏み切ることは、東西冷戦体制のもとで、東西どちらかの陣営から化石燃料を購入することになり、伝統的な中立政策と矛盾することになります。ほかの先進工業国が(やはり化石燃料を自給できない日本もそうであったように)、水力発電のつぎに化石燃料による火力発電を導入したことを考えると、この選択にはスウェーデンらしさがよくあらわれていると思います。

 そして、スウェーデンは、80年代から原子力を廃棄しようとしています。原発の選択は、その時点では成功例だったかもしれませんが、「21世紀の持続可能な社会」に向けての判断基準に照らすと、失敗例だと思います。

 このように、ある事柄が成功か失敗かは、そのときの状況、立場、判断基準により異なります。しかし、21世紀最大の問題である環境問題に対応するには、失敗例に学ぶことではなくて、成功例に学び、予防志向で早めに行動を起こさなければならないと思います。なにしろ、時間がありませんし、失敗したら後戻りができないのですから。

 日本は、目先のコストが高くなることをたいへん気にしますが、社会全体の長期的なコストについては、これまであまり関心を払ってこなかったようです。
 けれども90年代後半になって、戦後の経済復興から一貫して「経済の持続的拡大」を追い求めてきた日本の社会の仕組みから、つぎつぎに発生する膨大なコスト(たとえば、国や自治体の財政赤字、年金をはじめとする社会保障費、企業の有利子債務、不良債権、アスベスト問題など)が目に見えるようになってきました。そしていま、その「治療」に追い立てられているのです。


 

皆さんは本当にそう思うのですか!

2011-01-03 11:17:52 | 社会/合意形成/アクター
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今日は、昨年12月にネット上で「ドラッカーの環境問題に対する認識」を検索していた時に、検索結果として出てきた次の2つ記事について考えてみましょう。これら2つの記事は、入力したキーワード「ドラッカーの環境問題に対する認識」でヒットした約480,000件のうち、現在の順位(2011-01-03 午前10時現在)では11位、12位となっています。

いずれも「日本人の環境問題に対する認識」を調べたものです。前者は日本の大手広告会社博報堂の生活総合研究所、後者は内閣府大臣官房政府広報室の調査によるものです。最新の調査ではありませんが、その傾向を知る手がかりにはなりそうです。とにかく、ざっと、目を通してみてください。

Business Media 誠:環境問題への意識は高いが、知識不足&行動しない ...
2008年5月20日 ... 環境問題に対する意識や行動は、国によってどれほどの違いがあるのだろうか。東京在住の人は「地球温暖化への危機感」(88.4%)や「経済発展より環境保護を優先」(90.2% )の回答が世界8都市でトップになるなど、危機感を抱いている人 ...
bizmakoto.jp/makoto/articles/0805/20/news014.html - キャッシュ - 類似ページ

環境問題に関する世論調査
環境問題全般に対する関心・意識について (1) 家庭における環境保全の取組 (2) 環境に関する情報の入手方法 (3) 環境保全活動への参加状況 (4) 今後の環境保全への取組 ア 環境保全行動に際して必要になるもの (5) 環境保全と経済の関係についての考え方 ...
www8.cao.go.jp/survey/h17/h17.../index.html - キャッシュ - 類似ページ

皆さんのご感想はいかがでしたか。敢えて、調査方法の問題などの妥当性を無視して、結果だけを見れば、「日本人の環境問題に対する認識」と「ドラッカーの認識」や「私の認識」との間にはとんでもなく大きな落差があることがおわかりいただけるでしょう。

そこで、今日は、上記の2つの調査結果を意識しながら、4年前にとりあげた「出来ること(ところ)から始めることの危険性」再度とりあげます。「日本の将来社会」の議論の参考にしていただければ、幸いです。


出来ること(ところ)から始めることの危険性

上の2つの調査報告が示すような状況下では、市民の草の根的な運動だけでは環境問題の解決はおぼつきません。私たちが今なすべきことは、経済拡大を目的とした古い考えや社会制度や法制度をそのままにして「身近なところ(こと)から始める」「できるところ(こと)から始める」ではなく、「現状をよく知ること」です。

「私たち一人一人の力は本当にささやかであるが、そのささやかな力でも無数に集まれば、社会を動かすことができる。いままでの社会の変革はすべて、ささやかな一歩の上に築かれたものであり、『そのささやかな思い』と『行動の集積の結果』がやがて、大きなうねりとなって社会に変化が起こる」 

こうしたメッセージには、「異議なし」といいたいところです。しかし、こと日本の環境問題に関しては、あえて異議を唱えなければなりません。このような発想からは、「環境問題の規模の大きさについての認識」「時間の観念」が抜け落ちているのではないでしょうか。

 各人が「ことの重要性」に気づき、 「できるところから始める」という考えは、日本ではきわめて常識的で合理的で一般受けする穏便な考えですので、とくに市民団体から好まれます。日本の社会の仕組みはきわめて強固で、目の前には困った状態が迫ってきているので、とりあえず「できるところから始める」とか、「走りながら考える」とかいった発想になりがちです。この発想だと、むずかしいことを先送りすることになりかねません。 このことはマスメディアが「政府の決定の先送り」を頻繁に報じていることからも明らかです。


では、どうしたらよいのでしょうか。環境問題に対して、個人にできることはないのでしょうか。

 私は、個人にできることはたくさんあると思いますが、「対処すべき環境問題の規模の大きさ」と「残された時間の短さ」を考えると、この種の発想に基づく行動は問題の解決をいっそうむずかしくすると思います。

「現行経済の持続的拡大」という国民の暗黙の了解で進められている日本の産業経済システムのもとで、個人のレベルでできることは、「一歩前進」あるいは「しないよりもまし」と表現されるように、いくらかは「現状の改善」には貢献するかもしれませんが、「21世紀の日本の方向転換」には貢献できないでしょう。いま、私たちに求められているのは方向転換のための政治的な第1歩であり、1歩前進だからです。

1992年6月の「国連環境開発会議(=地球サミット)」や97年の「地球温暖化防止京都会議」、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議(=環境・開発サミット)」、最近ではCOP16(気候変動)やCOP10(生物多様性)なとで世界各国の首脳や代表が集まって議論したのは、もはや環境問題の解決が国民一人一人の心がけではどうにもならないところまで来ているからではないのでしょうか。

21世紀の明るい社会は、現行の産業経済システムをさらに量的に拡大した延長上、すなわち、右肩上がりの統計で示される方向にはあり得ないので、私たちは社会の一員として、まず「環境問題の本質」を理解し、その共通の認識のもとに、それぞれの職業分野の知識を総動員して、環境問題解決のための行動に参加しなければなりません。 

このブログ内の関連記事
「出来ること(ところ)から始めること」の危険性①(2007-09-08)

「出来ること(ところ)から始めること」の危険性②(2007-09-09)


「出来ること(ところ)から始めること」の危険性③(2007-09-10)


私たちの社会では、さまざまな経済・社会問題が同時進行しています。そのほとんどは「相対的」であり、「絶対的」ではありません。ですから、これらの経済・社会問題の把握には、次のような考え方が必要となります。


個人が最もその力を発揮できるのは、自分の「職業分野」「専門分野」あるいは「得意な分野」を通じて行動するときだけだからです。


もし、“もしドラ”に触発されていなかったら、ドラッカーを誤解したままだった!

2010-12-25 14:55:44 | 社会/合意形成/アクター

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“もしドラ”に触発されて、12月12日、15日、17日の3回にわたって、8年前に読んだドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』の中から私が疑問に思う個所と、共感/賛同できる個所を抜き出して皆さんに紹介しました。ドラッカーは日本のビジネス界に圧倒的な支持を得ていた偉大な経営学者ではありますが、私がこれまでに読んだドラッカーの作品は後にも先にもこの『ネクスト・ソサエティ』だけでした。17日のブログでは、『ネクスト・ソサエティ』を読んだまとめとして、次のように書きました。

xxxxx
この「訳者あとがき」に次のようなメッセージがあります。

しかしいまや、経済が社会を規定するとの思想どころか、経済が経済を規定するとの理論からさえ脱却しなければならない。間もなくやってくるネクスト・ソサエティ(異質の次の社会)においては、経済が社会を変えるのではなく、社会が経済を変えるからである。

このメッセージこそ、ドラッカーが276ページの『ネクスト・ソサエティ』に込めたもっとも重要なメッセージだと思います。この点では私は100%ドラッカーに賛同します。しかし、私がそう考えるのは、環境問題への基本認識が不十分なドラッカーとは大きく違って、経済活動の拡大の目的外の結果の蓄積が今私たちが直面している「環境問題」であり、21世紀の市場経済システムを揺るがす最大の問題である、と考える「私の環境論」に基づくからです。 

ですから、ドラッカーが主張する「ネクスト・ソサエティ」はスウェーデンの国家ビジョンである「20世紀の福祉国家から21世紀の緑の福祉国家への転換」とは方向性が一致しますがドイツの政策の根底にある「エコロジー的近代化論」日本の政策の大前提である「持続的な経済成長」(小泉、安倍、福田、麻生の自民党政権、それに続く鳩山、菅の民主党政権)とは方向性が一致しません。 
xxxxx

20世紀の「福祉国家」(旧スウェーデン・モデル)で強調された「自由」、「平等」、「機会均等」、「平和」、「安全」、「安心感」、「連帯感・協同」および「公正」など8つの主導価値は、21世紀の「緑の福祉国家」(新スウェーデン・モデル)においても引き継がれるべき重要な価値観です。

このブログ内の関連記事
緑の福祉国家3 スウェーデンが考える「持続可能な社会」(2007-01-13)

「大不況」、ドラッカーなら、ケインズなら、ではなくて、現在のスウェーデンに学んでみたら(2009-01-11)


2002年に『ネクスト・ソサエティ』を読んだ私の印象は、「21世紀の社会を議論する上で、環境問題に対するドラッカーの意識は極めて不十分」ということでした。そこで、今日は、ためしに、グーグルに「ドラッカーの環境問題に対する認識」と入力し、クリックしてみました。

すると、予期に反して、約470,000件がヒットしました。そして、大変驚いたことに、約470,000件最初の記事に、なんと「環境問題」は人類全体の問題であるとの共通認識なくしては効果なし・・・とあるではありませんか。この認識は「私の環境論」と見事なくらい一致します。そして、この記事の次の2番目の記事がなんと、私のブログ記事、“もしドラ”が思い出させてくれたドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」でした。

約 474,000 件 (0.22 秒)
検索結果

「環境問題」は人類全体の問題であるとの共通認識なくしては効果なし ...
2010年11月1日 ... ドラッカーは、生態系に対する問題意識と政策は、国境を越えざるをえないという。危機にあるのは、人類の生存 ... 「環境の破壊は地球上いずこで行われようとも、人類全体の問題であり、人類全体に対する脅威であるとの共通の認識が ...
diamond.jp/articles/-/9913 - キャッシュ

“もしドラ”が思い出させてくれた、ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ ...
2010年12月12日 ... この本に示されたドラッカーの「環境問題に対する基本認識」は、彼が主張する経営学の中では「ほとんど意識されていない」と断じてもよいのではないでしょうか。私の環境論では「環境問題」は、「市場経済が直面する21世紀最大の問題」 ...
blog.goo.ne.jp/.../e/619f8cd8aba33fc0d30582b5b156ae5c - キャッシュ


何だか、とても不思議な気がします。インターネットという無限とも思える空間で、2つの記事がバッタリ出会うとは! まったく信じがたい出来事です。一気にドラッカーとの垣根が取り払われ、濃霧が去ったような気持ちです。検索のキーワードとして別の言葉を入れて検索したり、別の検索エンジンを使っての検索では、このような奇跡は起こらなかったでしょう。

せっかくの与えられた機会ですから、検索の結果ヒットした「約470,000件」の中から、「ドラッカーの環境問題に対する認識」を示す次の記事を紹介します。

●「環境問題」は人類全体の問題であるとの共通認識なくしては効果なし(2010-11-01)

●歴史には文明を分かつ“峠”が存在する その峠が転換期である(2010-11-29)

●ドラッカーの環境意識
ドラッカーの環境意識(1)~分煙スペースはない  

ドラッカーの環境意識(2)~絶えざる創造的破壊  

ドラッカーの環境意識(3)~普遍性を持つ教養人間

●「アジア太平洋文明」とドラッカー

●人を幸せにするのは何か-「脱」経済至上主義のあり方

●ハーバード・ビジネス・レビュー 2009年12月号
 

●ドラッカーのIT経営論 『ネクスト・ソサエティ』を再読する



私は、今、ドラッカーの2002年の作品『ネクスト・ソサエティ』に付けられたサブタイトル「歴史が見たことのない未来がはじまる」の意味するところが理解できたような気がします。私が8年前に偶然手にしたドラッカーのこの1冊が「私の環境論」と基本的な枠組みでほとんど完全なまでに一致することを知り、改めて、ドラッカーの思索の深さにうたれました。そして、私は遅まきながら今日からドラッカーのファンになりました。

今日のブログ上の「奇跡」とも言える事実との出会いは、私にとってすばらしい、そして忘れがたい「2010年のクリスマス・プレゼント」となりました。今年最大の収穫といってもよいでしょう。もし、“もしドラ”に触発されて、このブログを書いていなければ、このようなミラクルは起こらなかったでしょうし、私は「経営学の神様」とも呼ばれているドラッカーを「環境問題」に対する認識が極めて薄い、多くの他の経営学者と同列に評価し、ドラッカーを誤解したまま年を重ねていったことでしょう。その意味で“もしドラ”には感謝でいっぱいです。“もしドラ”ありがとう。




“もしドラ”が思い出させてくれた、ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」 その3

2010-12-17 15:02:09 | 社会/合意形成/アクター
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12月12日と15日に、「もしドラ」に摸して、8年前に読んだドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』の中から私が疑問に思う個所と、共感/賛同できる個所を抜き出して皆さんに提供しました。今日は、ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』への私のコメントの3回目(最終回)です。目次をご覧ください。


第Ⅲ部 ビジネス・チャンスに「第4章 資本主義を超えて」があります。この「第4章 資本主義を超えて」(p203~223)はインタビュー記事です。冒頭に、次のように書かれています。

このインタビューは、カリフォルニア州クレアモントの著者の部屋で「ニュー・ パースペクティブ・クォータリー」誌の編集者ネイザン・ガンデルスによって行 われた。著者がテーマを指定し、インタビューアーの原稿に手を入れた。「ニュー・パースペクティブ・クォータリー」誌、1998年春号初出)

「第4章 資本主義を超えて」の小見出しは次のようです。

資本主義のまちがい
市場経済理論の欠陥
資本家の退場
政府とNPO
NPOのベスト・プラクティス
公僕がNPOを破壊する
アジアの社会不安
19世紀型国家の日本    
中国の3つの道
21世紀最大の不安定化要因

この章から「19世紀型国家の日本」「21世紀最大の不安定化要因」がどのように書かれているかを抜き出してみます。


★「日本」は19世紀のヨーロッパ?



★21世紀最大の不安定化要因は少子高齢化

2日前の12月15日の産経新聞が出生率に関する最新の状況を報じています。次の図はその記事に添えられた図です。



ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』には「日本の読者へ」と題するメッセージがあり、著者による「あとがき」がない代わりに、訳者による「訳者あとがき」があります。この本を再読し、「日本の読者へ」と「訳者あとがき」に私が共感/賛同できるポイントが見事に盛り込まれていましたので、両者のコピーを添付しておきます。


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「成長一辺倒」の戦後60年 ①(2007-02-15)

「成長一辺倒」の戦後60年 ② そして、これからも?(2007-02-16)

「経済成長」は最も重要な目標か(2007-03-19)

21世紀前半社会:ビジョンの相違② 日本のビジョン「持続的な経済成長」(2007-07-26)

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21世紀前半にめざすべき「持続可能な社会」の構築への法体系が未整備な日本(2007-12-19)

混迷する日本②  臨時国会閉会 21世紀の新しい社会をつくる法律ができない(2008-01-16)

混迷する日本⑦ 「日本はもはや経済一流」とは呼べない、太田弘子・経済財政担当相(2008-01-21)



この「訳者あとがき」に次のようなメッセージがあります。

しかしいまや、経済が社会を規定するとの思想どころか、経済が経済を規定するとの理論からさえ脱却しなければならない。間もなくやってくるネクスト・ソサエティ(異質の次の社会)においては、経済が社会を変えるのではなく、社会が経済を変えるからである。

このメッセージこそ、ドラッカーが276ページの『ネクスト・ソサエティ』に込めたもっとも重要なメッセージだと思います。この点では私は100%ドラッカーに賛同します。しかし、私がそう考えるのは、環境問題への基本認識が不十分なドラッカーとは大きく違って、経済活動の拡大の目的外の結果の蓄積が今私たちが直面している「環境問題」であり、21世紀の市場経済システムを揺るがす最大の問題である、と考える「私の環境論」に基づくものです。

ですから、ドラッカーが主張する「ネクスト・ソサエティ」はスウェーデンの国家ビジョンである「20世紀の福祉国家から21世紀の緑の福祉国家への転換」とは一致しますがドイツの政策の根底にある「エコロジー的近代化論」日本の政策の大前提である「持続的な経済成長」(小泉、安倍、福田、麻生の自民党政権、それに続く鳩山、菅の民主党政権)とは一致しません。 

このブログ内の関連記事
エコロジー的近代化論(環境近代化論)(2007-03-14)

エコロジー的近代化論の問題点(2007-03-15)

ドイツの環境政策を支えるエコロジー的近代化論(2007-03-16) 

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2007年9月10日の安倍首相の所信表明演説 ハイリゲンダム 美しい星50(2007-09-11)


13年前に、日本経済新聞社から「7つの資本主義」という本が刊行されています。

私はこの本を読んでおりませんが、本の内容は「資本主義は一つではない。国の数だけ経済システムは存在する。歴史・文化によってその姿は様々だ。米・英・仏・日・独・オランダ・スウェーデンの七ヶ国を取り上げ、膨大なデータを駆使してその経済システムの特色を解明。 」と非常に魅力的です。ネット上にはこの本に対するかなりの情報があります。参考のために、その中から内容の濃いものを2点紹介しておきましょう。

ネット上の関連記事
●松岡正剛の千夜千冊 281夜 『7つの資本主義』 2001年4月30日

【スウェーデンの資本主義】かつては社会主義と資本主義の間にいたと思われていたスウェーデンだが、実際には「社会品質に関心がある資本主義をつくりたがっている国」だった。「社会が市場をつくるもので、市場が社会をつくるものではない」というこの国の経営者たちの哲学は、アメリカや日本に聞かせたい。

●情報システム学会 メールマガジン 2010.8.25 No.05-05 [12] 情報システムの本質に迫る 第39 回 制約条件としての情報システム

この分類結果から、各国の文化について、次のような特徴を挙げることができる。まず米国は、7 つの項目すべてで、前者側の特質をもっている。対照的に、日本は7 つの項目すべてで後者側の特質をもっている。スウェーデンは、6つの項目で米国と同じ特質をもち、外部基準に関してのみ、日本と同じ特質をもっている。

ここに掲げた「情報システム学会のメールマガジン」ではスウェーデンの資本主義についてかなり詳細に分析されています。それにしても、なぜ、情報システム学会が13年前に刊行された「七つの資本主義(現代企業の比較経営論)」を今年の8月のメールマガジンで取り上げ、とりわけスウェーデンに誌面を割いているのでしょうか?


『もしドラ』旋風に触発されて、改めて8年前のドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」を読んでみると、先進工業国としてスウェーデンと日本はグローバルな市場経済社会の中で、正反対と言ってもよいほど「国民の意識」と「社会の制度」に相違があることがわかります。このことが理解できれば、日本が得意とする(?)そして、こだわりが強い「技術論」では「21世紀の社会の変化」に迅速に対応できないこと がおわかりいただけるでしょう。

このブログ内の関連記事
スウェーデンの「グリーン・ニューディール」は1996年に始まっていた!-その1(2009-01-08) 

スウェーデンの「グリーン・ニューディール」は1996年に始まっていた!-その2(2009-01-09)

スウェーデンの「グリーン・ニューディール」は1996年に始まっていた!-その3(2009-01-10)

15年前のウォーラーステインの主張がいよいよ現実に!(2009-02-01)

ロバート・ハイルブローナー 21世紀の資本主義、その行方は???(2008-03-30)


“もしドラ”が思い出させてくれた、ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」 その2

2010-12-15 17:56:46 | 社会/合意形成/アクター
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今日のブログは、12月12日の“もしドラ”が思い出させてくれた、ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」の続き(その2)として、12月12日のブログの内容を発展させたものです。ドラッカーの著書「ネクスト・ソサエティ」の表紙をもう一度ご覧ください。


サブタイトルが「歴史がみたことのない未来がはじまる」となっています。このサブタイトルを私の環境論で翻訳すると「人類史上初めて直面する2つの大問題(具体的には「環境問題」と「少子高齢化問題」)を抱えた未来がはじまる」となります。



このブログ内の関連記事
2つの大問題:「環境問題」と「少子・高齢化問題」(2007-06-24)

 
ドラッカーは『ネクスト・ソサエティ』で「2030年の社会」を想定し、対処するための論述を重ねています。「2030年」というのは私がこのブログの左上に掲げ「このまま行けば、2030年は大混乱!?」と想定した年ですし、昨年来日した「成長の限界」の著者の1人デニス・メドウズさんが新たに想定している年でもあります。2002年に出版されたこの本を読んだ当時、私が注目した点を挙げると次①~⑤のようになります。合わせて、スウェーデンがとってきた対応を併記しておきます。 

1987年4月に、国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」が「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(通称ブルントラント報告)を公表してから、今年(2010年)で23年が経ちました。スウェーデンは、この国際的な概念を国の政策にまで高めた数少ない国の一つで、その実現に具体的な一歩を踏み出した「世界初の国」といえるでしょう。

①ドラッカーが「2030年の社会」を想定するときに、資源・エネルギー・環境問題の視点が極めて乏しい。(懸念)

1996年9月17日、当時のペーション首相は施政方針演説で、「スウェーデンはエコロジカルに持続可能性を持った国をつくる推進力となり、そのモデルとなろう。エネルギー、水、各種原材料といった天然資源の、より効率的な利用なくしては、今後の社会の繁栄はあり得ないものである」と述べました。これは、20世紀の「福祉国家」を25年かけて環境に十分配慮した「緑の福祉国家」に転換する決意を述べたものです。

首相がこのビジョンを実現するための転換政策の柱としたのは、「エネルギー体系の転換」「環境関連法の整備や新たな環境税の導入を含めた新政策の実行と具体的目標の設定」「環境にやさしい公共事業」「国際協力」の4項目でした。

スウェーデンはこのビジョンを実現するために「環境の質に関する16の目標」を定めました。目標年次は2020~2025年です。この目標年次はドラッカーが述べた「2030年の社会」と重なります。



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②アメリカでは安全保障が脅かされているときを除いて、最も重要なものは経済であるとされる。日本をはじめ、アメリカ以外の先進国では社会こそもっとも重要である。(共感)

1996年9月17日に当時のペーション首相が行った施政方針演説のなかで、「持続可能な開発」に対するスウェーデンの解釈が明らかになっています。英文では、つぎのように表現されています。

Sustainable development in the broad sense is defined as community development that 〝meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs〟.

ここでは「広義の持続可能な開発とは、将来世代が彼らの必要を満たす能力を損なうことなく、現世代の必要を満たす社会の開発」と定義されています。重要なことは「社会の開発」であって、日本が理解したような「経済の開発、経済の発展や経済の成長」ではありません。資源・エネルギーへの配慮を欠いた経済成長は「社会」や「環境」を破壊する可能性が高いからです。
 
偶然にも、スウェーデンの行動は、ドラッカーの「日本をはじめ、アメリカ以外の先進国では社会こそもっとも重要である」という主張と一致していますが、日本は不一致です。スウェーデンの考えが公表されたのは1996年ですから、ドラッカーの主張をスウェーデンが参考にしたとは考えられません。


首相は施政方針演説後の記者会見で「緑の福祉国家の実現を社民党の次期一大プロジェクトにしたい」と語り、「スウェーデンが今後25年のうちに緑の福祉国家のモデル国になることも可能である」との見通しを示しました。ここに、明快なビジョンが見えてきます。 

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③先進国の政府のうち、今日まともに機能しているものはひとつもない。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本のいずれにおいても、国民は政府を尊敬していない。信頼もしていない。あらゆる国で政治家のリーダーシップを求める声が聞かれる。だが、それはまちがった声だ。あらゆるところで問題が起こっているのは、人間に問題があるからではない。システムに問題があるからである。 (共感)

つい最近のことですが、北岡孝義さんという方の『スウェーデンはなぜ強いのか 国家と企業の戦略を探る』(PHP新書681 2010年8月3日 第1版第1刷)という魅力的なタイトルの本に出会い、読んでみました。北岡さんは、この最新著の「終章 スウェーデンから何を学ぶか」を次のように結んでいます。

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④いまでは新しい考えが求められている.この60年間を支配してきた経済理論と経済政策についても同じことが言える。今後25年間、イノベーションと企業家精神がもっとも必要とされているのが政府である。(共感)

次の毎日新聞の「余録」をご覧ください。ドラッカーが主張しているようなことがスウェーデンではすでに行われていることがわかります。



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⑤日本の失業率はアメリカやヨーロッパの失業率の算出基準と異なる。(共感)

ドラッカーは日本の失業率について、次のように書いています。



私は常々、国際比較をするときに「対象となる事象」の定義が国によって異なるのではないかと考えてきました。次に示す2001年9月5日の毎日新聞の記事は、ドラッカーの記述を裏付けているように思います。


また、ネット上には、この件について、次のような記事を含めて大量の関連記事がありますが、これらの記事が説明する「失業率の定義」を読んでも、門外漢の私にはその相違がよくわかりません。

●日本の失業率は10%以上!? 各国の失業率定義

●各国の失業者の定義と失業率

重要なことは、それぞれの国の経年変化を重視し、どうしても国際比較をしたいのであれば、「単年度の失業率の国際比較」をするのではなく、「失業率の経年変化の国際比較」をするべきだと思います。理由は簡単です。それぞれの国内では失業率の定義が変化しないからです。




“もしドラ”が思い出させてくれた、ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」

2010-12-12 12:42:16 | 社会/合意形成/アクター
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このブログの目的は、
日本の困った問題の本質を「私の環境論」を通して理解し、その具体的な解決法のヒントを「スウェーデンの現実の政治と行政を基盤とする行動計画」から見つけ、それらの行動計画やその成果を検証して、 「21世紀前半(2020~2050年頃)の日本がめざすべき新しい社会の方向性」を見いだすこと

です。 

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「混迷する日本」を「明るい日本」にするために(2009-01-13)


 「もしドラ」という言葉が今年の流行語大賞にノミネートされた、発売からわずか6ヶ月で100万部を超すベストセラーとなったと、何かと年の瀬を賑わしています。すでに皆さんもご承知のように、「もしドラ」とは岩崎夏海 著「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の略称です。

ネット上には、「もしドラ公式サイト」まであります。

今朝、ためしにグーグルに「もしドラ」と入力し検索したら、約2,840,000件、 「もしドラの感想」と入力し検索したら、約1,540,000件と表示されました。大変な件数ですね。

今までほとんど忘れかけていたのですが、今回の「もしドラ旋風」にあおられて私が直ぐ思い出したのは、2002年に読んだドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」(ダイヤモンド社 2002年5月23日第1刷発行)でした。この本の奥付に「2002年8月8日 読了、環境問題に対する認識はほとんどなきに等しい」と記した私のメモ書きがありました。



そこで、今日は「もしドラ」の正式名称である「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を摸して、 「もし環境問題スペシャリストがドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』を読んでみたら」と題して、 2002年当時のドラッカーの「環境問題に対する意識」に注目しながら、その内容の全体を検証してみました。

とは言っても、ドラッカーは「経営学の神様」として日本の企業経営者にたくさんのファンを持つ米国の経営学者であり、社会学者で、私とは専門分野を完全に異にしますので、門外漢の私が8年前に読んだときに私が感じた「疑問の部分」「納得し、賛同した部分」を紹介するに止めます。

あらかじめお断りしておきますが、私がドラッカーの著作を読んだのは後にも先にもこの『ネクスト・ソサエティ』一冊だけです。経営学者としてのドラッカーの名声と日本の企業人やビジネスマンに多くのファンをもっている程度の知識はありました。この本の購入動機は著書のタイトル「ネクスト・ソサエティ」とそのサブタイトル「歴史が見たこともない未来がはじまる」のネーミングの見事さにひかれ、私の問題意識と見事に一致するような著作を上梓したこの偉大な経営学者が、21世紀を考える時の最大の問題であるはずの「環境問題」をどう認識し、どう記述しているかを知り、学びたかったからです。

ですから、ここでの検証は、あくまでドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』にのみ限定していることを強調しておきます。読了後にメモ的に作成しておいた以下の図を見ていただくと、ドラッカーの「主張の限界とすばらしさ」をご理解いただけるでしょう。

P.F.ドラッカーはウィーンで生まれ、ドイツで新聞記者、英国で証券アナリストを経て米国に渡り、学者となったそうです。そして、2005年11月11日に95歳でなくなりました。


★ドラッカーの「環境問題に対する基本認識」に疑問を感じる部分

ドラッカーの著書『ネクスト・ソサエティ』は2002年の発刊ですから、ネクスト・ソサエティとは2000年代中盤頃をイメージして書かれているはずです。「2030年の社会」という記述がありますので、ドラッカーはその頃をイメージしていると見て間違いないでしょう。

そうだとすれば、2002年発刊のこの本は私たちが20年後にそのときに至るわけですから、この本に書かれている内容は、現在から2020~30年の未来社会をドラッカーが提示したシナリオと見てもよいのではないでしょうか。 「京都議定書」が成立したのは1997年ですから、ドラッカーが京都議定書を知らないはずはありません。

おりしも、今日の朝刊各紙は、メキシコのカンクンで開催されていた「国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP16)が新たな対策の骨格を「カンクン合意」として採択し、閉会したことを報じています。会議のテーマはまさに2020~30年をめざした「地球温暖化対策」についてです。

このような現状を背景に、ドラッカーの「環境意識」を見てみましょう。

この本に示されたドラッカーの「環境問題に対する基本認識」は、彼が主張する経営学の中では「ほとんど意識されていない」と断じてもよいのではないでしょうか。私の環境論では「環境問題」は、「市場経済が直面する21世紀最大の問題」と位置づけているのですが、私が手にした唯一のドラッカーの著書『ネクスト・ソサエティ』は来るべき21世紀の望ましい社会を議論しているにもかかわらず、そこには「環境問題に対する基本認識」がほとんどないようです。

経営学とはまったく無縁であった私は、1990年半ば頃(1995年?)に静岡県立大学の経営情報学部の講師控え室でたまたま、私が数人の講師の方々と雑談しておりましたら、三戸 公(みと ただし)さんが議論に参加したいとおっしゃって議論の輪に加わってこられました。経営学者であられる三戸さんが環境問題に対して私の環境論に非常に関心を示して下さったのをよく覚えています。

このことが縁で、その時以来、私が信頼し続けている経営学者三戸さんは、1994年の著書『随伴的結果-管理の革命-』(文眞堂 1994年6月発行)の中で次のように述べておられます。このお考えに私は大変勇気づけられたものです。



ネット上の関連記事から
●三戸 公 最終講義 何を学んできたか 


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再び「現行の経済成長」は50年後も可能か?(2007-03-09) 

生産条件 資源からの制約(2007-03-10)

私の環境論14 環境問題は経済の「目的外の結果の蓄積」(2007-01-24)

東海大学湘南公開セミナー   「21世紀前半社会の最大の問題:環境問題」-原因は経済活動の拡大ー(2007-12-20)

「大不況」、ドラッカーなら、ケインズなら、ではなくて、現在のスウェーデンに学んでみたら(2009-01-11)



★ドラッカーの主張に納得し、賛同できる部分



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私の環境論19 環境問題の「原因」も「解決」も経済のあり方、社会のあり方の問題だ!(2007-02-02)



2007年1月1日のこのブログ開始以来、私がこのブログで取り上げてきた諸問題(環境問題、エネルギー問題、福祉問題、少子高齢化問題、)に関連するネット上の最新の記事を紹介して、今日のブログの結びとします。

●少子化高齢化急激な人口減少と高齢化がもたらす日本の未来「崩壊か明るい未来か、いま選択の岐路に立つ」――政策研究大学院大学・松谷明彦教授インタビュー(ダイヤモンド・オンライン 2010-12-13)

●資源枯渇、環境問題、高齢化に直面する日本は世界の「課題先進国」、その解決に成長の活路あり――三菱総合研究所理事長 小宮山 宏(ダイヤモンド・オンライン 2010-07-09)

日本の社会を構成する「主なプレーヤー」の問題点(2)2000年以降の首相の「環境問題に対する認識」

2008-09-29 11:44:10 | 社会/合意形成/アクター
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昨日のブログで、「環境破壊・環境危機といわれる環境の現況をいかにとらえ、それにいかに対応するか、その課題は人類と国家の理想を掲げ、その未来を創り出すことを職業としている政治家の能力にかかっています。そしてそのような政治家を生み出すことができるかどうかは、それぞれの国の国民の責任といえるでしょう」と書きました。

今日はこのことを検証するまたとない日です。日本の将来を決定し、未来を創り出す政治家、しかもその頂点に立つ、麻生太郎・新首相が昨日、国会で初めての「所信表明演説」を行いました。


麻生太郎・新首相の所信表明演説

私たちの将来を方向づける大変重要なはずの演説ですから、後々のために全文を掲載しておきます。



次にこの所信表明演説に示された麻生・新首相の「環境の現況」に対する認識を見ておきましょう。


★麻生・新首相の「環境問題に対する認識」
 
上の所信表明演説の緑の網をかけた部分が麻生・新首相の「環境問題に対する認識」で、その部分を拡大したのが次の図です。



ここに示された麻生・新首相の認識と福田康夫・前首相、安倍晋三・元首相、小泉純一郎・元首相の所信表明演説および施政方針演説における「環境問題への認識」を比較してみますと、日本の首相の「環境問題に対する認識の程度」と、「環境問題」と他の「様々な困った社会・経済問題」との社会的な位置づけの相違と重要性の相違が見えてきます。


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今日9月17日は「敬老の日」:さらに2つの過去最高を更新、そして、自民党総裁選:福田vs麻生(2007-09-16)


せっかくの機会ですから、2000年以降の「各首相の環境問題への認識」をおさらいしておきましょう


★福田康夫・前首相の「環境問題に対する認識」

(2007年9月26日~2008年9月25日 通算在職日数:365日)

次の図は2008年1月18日の施政方針演説で示された福田・前首相の「環境問題に対する認識」です。
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私は、この福田・前首相の認識に「淡い期待」「大きな懸念」を抱きました。次の関連記事の「混迷する日本⑥ 福田首相の変心?」を参照ください。


関連記事

混迷する日本⑥ 福田首相の変心?(2008-01-20) 

2007年10月1日の福田新首相の所信表明演説 なんと「持続可能社会が4回も登場(2007-10-02)



★安倍晋三・元首相の「環境問題に対する認識」

(2006年9月26日~2007年9月26日 通算在職日数:366日)


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2007年9月10日の安倍首相の所信表明演説 ハイリゲンダム・サミット 美しい星50(2007-09-11) 

2007年1月26日の安倍首相の施政方針演説(2007-01-27)

2006年9月29日の所信表明演説が示す安倍首相の「環境認識」(2007-07-07) 



★小泉純一郎・元首相の「環境問題に対する認識」

(2001年4月26日~2006年9月26日 通算在職日数:1860日)


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2002年2月4日の小泉首相の施政方針演説(2007-09-12)

2001年5月7日の小泉首相の所信表明演説 米100俵の精神、2001年9月27日に2回目の所信表明演説(2007-09-13) 



今日は日本の新首相、2000年以降この8年間の前首相、元首相の「環境に対する認識」の変遷を検証してみました。明日から国会論戦が始まります。国会議員722人(衆議院議員480人、参議院議員242人)の「環境問題に対する認識」も問われています。

日本の社会を構成する「主なプレーヤー」の問題点(1) 科学者や研究者などの専門家

2008-09-28 21:02:40 | 社会/合意形成/アクター
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私の環境論では、20世紀後半に顕在化した「環境問題」の大半は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行ってきた経済活動の拡大(言い換えれば、資源とエネルギーの利用拡大)の「目的外の結果の蓄積」です。



その意味で環境問題は、20世紀の「公害」とは異なって特定企業だけの問題ではなく、「すべての企業の問題」であり、GDPのおよそ60%を占める「国民(市民)の消費生活の問題」でもあるのです。


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私の環境論9 環境への人為的負荷(2007-01-19)


ですから、環境破壊・環境危機といわれる環境の現況をいかにとらえ、それにいかに対応するかの「情報の創造と伝播」は極めて重要で、情報の一般的提供者であるジャーナリズムやマスメディアの役割に環境危機が克服されるか否かがかかっているといっても過言ではありません。

その課題は人類と国家の理想を掲げ、その未来を創り出すことを職業としている政治家の能力にかかっています。そして、そのような政治家を生み出すことができるかどうかは、それぞれの国の国民の責任といえるでしょう。


●学者・研究者などを含むいわゆる「専門家」

それでは、ジャーナリズムやマスメディアへの情報提供者として責任ある立場の学者・研究者などを含むいわゆる「専門家」はどうでしょうか。

ほとんどの専門家は一般に、自分のかかわっている部分が社会全体の中でどのような位置づけにあるのか十分に意識しないままに、自分の専門分野で常に最大限に頑張る傾向があります。

また、かなりの専門家は、自分の専門分野についてはそれなりの見識と批判力を有していますが、専門領域を超えるとそれらの能力が著しく低下します。その結果、しばしば、社会に共通する大切な問題に対して「専門外の識者や素人の判断基準を逸脱する発言」をするか、あるいは自らの意見を表明しない傾向があります。

以上は「学者・研究者などを含むいわゆる専門家」に対する私自身の大雑把な観察であり、印象ですが、岩波書店の雑誌『科学』(2002年6月号812ページ)で、環境ジャーナリストの今泉みね子さんがドイツのヘルマン・シェーア博士とのインタビューで、「なぜ科学者が環境問題について無責任な発言をするのか」たずねています。その理由が分かりやすく、私の観察結果を補強するとともに、日本の現状にも当てはまりそうな気がしますので紹介します。

日本の場合にもドイツの場合にも、これまでの伝統的な考え方である「ものごとを細かく分けて分析する方法」では、環境問題やエネルギー問題、あるいは福祉のような国民すべてにかかわる「現実的な問題」に対応できません。ここに、専門家と「非専門家」あるいは「素人」の協力の場が存在するのです。 


●経営者、政治家、官僚

作家で評論家の堺屋太一さんが93年9月19日の日本経済新聞の連載記事「満足化社会の方程式」で「(日本の?)経営者は5年、政治家は10年、官僚は15年、実際の世の中の変化から遅れるものだ」と書いておられます。

堺屋さんは経済官僚として78年に通産省を退官、98年(小渕内閣)、2000年(森内閣)に民間から入閣し経済企画庁長官を務めた方ですから、日本の経営者、政治家、官僚に関する観察は妥当なものと考えてよいでしょう。

2つの「フロンティア国家」と日本、1970年、1997年,そして現在

2008-01-01 23:54:21 | 社会/合意形成/アクター
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新しい年が始まりました。明けましておめでとうございます

表題に掲げた2つの「フロンティア国家」とはスウェーデンと米国です。そして、日本。


この38年間、それぞれの国のその時の意識(認識)とパフォーマンスを確認しておきましょう。


1970年は大阪万博です。



1997年は京都議定書です。


そして、現在です。


この図に示されたEU加盟の5カ国はいずれも京都議定書の基準年である90年に比べて温室効果ガスの排出量が減少しています。減少幅はフランスの-1.6%からドイツの-18.4%までさまざまです。しかし、もうひとつ確認しておく必要があるのは、京都議定書の目標値と比較した減少幅です。ドイツは目標値-21.0%に対して実績は-18.4%(目標未達成)で、英国は-12.5%に対して-14.8%(目標達成)、デンマークは-21.0%に対して-7.2%(目標未達成)スウェーデンは+4.0%に対して-7.3%(目標達成)、フランスは0%に対して-1.6%(目標達成)となっています

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UNFCCCが公表した温室効果ガス排出量 1990~2005

緑の福祉国家14 「気候変動」への対応 ③(1/24) 

ですから、2005年時点で京都議定書の目標値をクリアしている国は英国、スウェーデン、フランスということになります。そして、この3国の中で最も削減幅が大きくしかも、経済パフォーマンスが好調なのがスウェーデンなのです。 




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35年間の虚しさ:1972年の「GNP至上反省」 と 2007年の「偽」、 でも、まだ希望はある! 

2007-12-31 11:18:24 | 社会/合意形成/アクター
 

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今年1月1日に始めたブログが1日も滞ることなく、12月31日を迎えました。この間に掲載した記事は442本、図表はおよそ800枚(私自身が作成した図表、かなり確度が高く皆が情報を共有できる新聞記事など)。

これらの材料を通して、「私の環境論」の概要を提示してきました。今日は暦の上では、今年最後の日となりますので、日本の1972年の「GNP至上反省」の記事同じ時期のスウェーデン首相のインタビュー記事を掲載します。 



GNP(国民総生産)とは今となってはなんと懐かしい言葉でしょう。今では国別の経済活動の大きさを表す指標として{GDP(国内総生産)が一般的です。時の流れを感じます。 にもかかわらず、大変不思議なことは、35年前の反省は改善されることなく、35年経った今なお、「持続的な経済成長」と名を変えて日本で、そして、「経済のグローバル化」いう新しい名のもとに世界では「経済規模の拡大」が、私の環境論の根底にある「経済活動を支える資源とエネルギーの有限性」を忘れて、地球全体を覆い尽くし始めていることです。




そして、今年の日本を象徴する漢字は「偽」いつになく的を射ているようで納得します。


それでは、私が1月1日のブログに掲げた図を再掲して、今年のブログを終わります。

1年間のお付き合ありがとうございました。明日から始まる新しい年が本当の意味で「大きな変革」の第一歩となることを期待して・・・・・



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「困った状況」が目立つようになってきた日本

2007-11-03 07:54:09 | 社会/合意形成/アクター
 

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ここ数年、様々な分野で国際比較の記事が増え、それらの記事の中に日本とスウェーデンが共に登場するとき、しばしば目にするのが、日本とスウェーデンの状況が対称的な位置づけとなっていることです。このことは両国の社会の制度や仕組みの分野で顕著なような気がします。

スウェーデンが「安心と安全な国づくり」をめざして、21世紀前半に「エコロジー的に持続可能な社会」を構築しようと国を挙げて行動していることはこのブログで取りあげてきました。次の記事が示す「過去最高」はまさに困った状況で、スウェーデンの状況と対称的です。


10月29日のブログでは「男女の賃金格差」のデータを紹介しました。「男女間賃金格差が少ないという事象」は「エコロジー的に持続可能な社会」の「社会的側面」を表しています。社会的側面も常に進化しているのです。

一方、日本の21世紀前半のビジョンは、政権交代が行われ、多少の修正はあるでしょうが、「持続的な経済成長」です。2つの国の政治目標の相違が徐々に見えるようになってきたと理解するのは間違っているでしょうか。次のような事例はいかがでしょうか。


 



 

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男女の賃金格差の問題

2007-10-29 20:05:41 | 社会/合意形成/アクター
 
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10月26日の朝日新聞が「男女の賃金格差大国 日本」という記事を掲げています。この記事のリードの部分に、国際社会の中での日本の立場を示すいつもの見慣れたパターンが見えます。リードの部分には次のように書いてあります。

「同じ価値の労働なら性別に関係なく同じ賃金」を定めた国際条約をめぐり、国際労働機関(ILO)と日本政府の意見が合わない。この原則を定めた条約を日本は批准しているが、原則を規定した法律が日本にあるかどうかがあいまいで、男女の賃金格差も依然大きいからだ。ILOは日本政府に、来月までに原則実現のためどんな措置をとるかを報告するよう求めている。

この記事に添えられた次の図には日本と対称的な位置づけとなっているスウェーデンの状況があります。

この図はスウェーデンの男女間の賃金格差が他の国より小さいことを示しています。すでにこのブログでご承知のように、スウェーデンは「エコロジー的に持続可能な社会の実現」をめざしています。エコロジー的に持続可能な社会には「社会的側面」と「経済的側面」と「環境的側面」の3つの側面がありますが、この図に示された「男女間賃金格差」が少ないという事象は」エコロジー的に持続可能な社会」の「社会的側面」を表しています。

一方、ここに示された日本の政府の姿勢は過去にもしばしばみられた現象です。たとえば、次の例もその一例です。特に、労働分野でこの種の例が多いように思います。







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あべこべの国  日本とスウェーデン

2007-09-20 10:37:53 | 社会/合意形成/アクター
 

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過ぎ去った20世紀も、これから歩む21世紀も日本とスウェーデンは、現在までは多くの分野で「あべこべの国」の様相を呈しているように思います。それは社会に対する「価値観の相違」と将来に対する「判断基準の相違」と言ってもよいのかもしれません。

「環境問題スペシャリスト」を肩書(日本で唯一人?)として使用している私がなぜ、このブログで経済や財政、社会の仕組みを取り上げるのかと問われれば、私の環境論では「環境問題は、私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に目的外の結果が蓄積し続けているもの」 、平たく言えば、「昔から環境と経済は切ってもきれない関係にある(識者は90年代中頃から「環境と経済の統合」など言い始めましたが)と考えているからです。

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最近、神野直彦さん(東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授 専攻は財政学)の最新著「財政のしくみがわかる本」(岩波ジュニア新書566 2007年6月発行)を読みました。神野さんに初めてお目にかかったのは2001年か2002年頃でした。その時、神野さんが「スウェーデンは学問が政策に生かされている国なのですね」という趣旨のことをおっしゃっていたことを印象強く覚えています。



この本の中で、国際比較のために使われている図に日本とスウェーデンの「あべこべの国」の様子がはっきりわかる図表が3枚ありましたので、紹介します。それぞれの国の「社会」を国際比較するための図では、多くの場合がそうであるように、日本と米国の対極にスウェーデンがあり、その間にドイツ、イギリス、フランスなどのEU主要国があるという図式がここにも表れています。


1枚目のこの図は、「3 税はどんなしくみになっているのだろう」という章に登場する図で、私たちに馴染みのある「国民負担率の内訳の国別比較」です。


神野さんの説明: 

まず、アメリカは個人所得課税つまり所得税のウエイトが高いけれども、社会保障負担は低く、付加価値税もないため消費課税は低くなっています。スウェーデンは所得税も付加価値税も社会保障負担も、いずれも高くなっています。これは、それぞれの社会観をあらわしています。
日本の租税負担からわかることは、国民の最低生活を保障していく責任を政府がひきうけていないということです。というのも、個人所得課税のウエイトがいちじるしく低いからです。とはいうものの、国民がおたがいに助けあって生きていこうという考え方も弱いと言っていいと思います。

ドイツとフランスを見ても、個人所得課税の負担は日本よりも大幅に高いのです。つまり、豊かな人々もそれだけ高い負担をしているからこそ、貧しい人々に消費課税の負担のを求めることができるのです。スウェーデンにいたっては、個人所得課税のウエイトが高く、政府が国民に最低生活どころか標準生活を保障しているといえます。もちろん、それだからこそ、貧しい人々にも消費課税の高い負担を求めることが可能なのです。


2枚目のこの表は、「5 借金は財政どんな意味をもつか」という章にある表で「財政収支と債務残高の国別比較」です。 


神野さんの説明:

たしかに日本の財政赤字はGDP比で6.1%と高くなっています。しかし、純利払費は1.5%と低いのです。もう一つ重要なことは、日本政府はひじょうに多額の借金をしていますが、その一方で多額の資産(財産)を持っていることです。そこから収入が大幅に上がってくるのです。表5・1を見れば、総債務残高も高いのですが、資産も多いことがわかります。総債務残高から資産をさしひいた純債務残高は、78%とかなり低くなっていますね。

第二次大戦後、先進諸国は、黄金の30年といわれるような高度成長をなしとげました。その高度成長の果実を、スウェーデンなどは福祉施設に使いました。日本はすべて対外債権、お金の貸し付けとして残しているのです。毎年、国際収支は黒字になっています。その日本の黒字はすべて、外国からお金をとれる権利としてもっているのです。

したがって、将来の世代には、使い道がないといってもいいほどのお金が、インドネシアやアメリカなどから入ってくることになります。私たちは将来の世代に負担を残すどころか、大きな財産を残しているということです。

ただし、世界の歴史の中で、大きな軍事力ももたずに、ここまで借金を外国に認めた国はないのです。アメリカやインドネシアが「借金を返さない」と言ったら、どうやってとってくるのかということは、誰も心配していません。しかし、そのほうが本来は重要な話のはずです。


そして、3枚目のこの図は、「8 財政の未来像をえがく」という最終章にある図で、「政策分野別社会支出(対国民所得比)の国際比較」と名付けられています。この章は、将来の財政の方向性を考えるための章です。


神野さんの説明:

図8・1を見てください。日本はスウェーデンやドイツ、フランスなどのヨーロッパの国々とくらべて、年金は医療保険は半分以上の数値になっています。しかし、児童手当と高齢者福祉サービスの数値は極度に低くなっています。つまり、育児サービスと高齢者福祉サービスが大きく遅れていることが、はっきりとわかりますね。もちろん、愛情は別です。政府が責任をもつのはサービスで、愛情は家族の責任であり、コミュニティの責任です。

最終章の一番最後の「財政を民主主義の手にゆだねる」と題した項は、この本に示された神野さんのお考えの「まとめ」と考えられる部分です。大切なことなので全文を引用させていただきます。

X X X X X 
私たちが財政の未来を考えていく上でもっとも重要なことは、財政を民主主義の手にゆだねるということなのです。民主主義の手にゆだねるということは、国民が意思決定に参加できる公共の空間を、できるだけ多く、分断してつくっておくということです。

どういう社会を形成するか、どういう生活を形成するかという決定権限を、国民に多くゆだねることが民主主義です。

私は、民主主義は二つの原則から成り立っていると考えています。一つは未来は誰にもわからないという原則。もう一つは、人間には誰でもかけがえのない能力があるという原則。この二つが民主主義の原則だと思います。

この二つの原則から出てくる結論は、私たちの社会の未来をどうするのかという選択は、すべての社会の構成員がかけがえのない能力を発揮しておこなうべきだということです。共同意思決定に未来の選択をゆだねたほうがまちがいがない、まちがいが少ないという確信が民主主義だ、と私は思っています。

財政は、民主主義にもとづいて営まれる経済であり、市場社会は市場経済と財政という二つの経済によって構成されている、とお話ししました。私たちは日本の社会を活性化しようとすれば、この二つの経済を活性化することが必要です。
市場経済の活性化のみを求めても、けっして市場社会は活性化しません。市場経済を活性化するには、民主主義の活性化が必要であり、市場経済と民主主義がおたがいに手をとりあっていかないと、市場社会はけっして活力を生み出しません。

市場経済は効率を要求し、格差を容認します。一方、民主主義は公平を追求し、格差の是正を要求します。私たち財政学者は、効率と公正をいかに融合させるのかということに心を砕いてきました。市場社会の政策には、効率と同時に、公平・公正という価値基準が重要であるということをわすれてはならないというのが、私たちの財政学の過去からの教えなのです。

そして私たちの未来を決めていくのは、結局のところ、この本を読んでいるあなたを含めた私たち一人一人だということを忘れてはならないのです。
X X X X X


①私のコメント
神野さんは「政策分野別社会支出(対国民所得比)の国際規格」の図で、「つまり、(日本は)育児サービスと高齢者福祉サービスが大きく遅れていることが、はっきりとわかりますね」とおっしゃておられます。 そして、年金問題は大混乱です。

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私のコメント②
そして、神野さんの結論は「市場経済と民主主義がおたがいに手をとりあっていかないと、市場社会はけっして活力を生みだしません」とおっしゃておられます。以前のブログで、私は「民主主義の成熟度ランキング」を紹介したことがあります。覚えていらっしゃいますか。スウェーデンが1位、ドイツ13位、米国17位、日本21位、英国23位、フランス24位でしたね。神野さんのおっしゃる条件「市場経済と民主主義、あるいは効率と公正の融合」にもっともかなうのはスウェーデンでしょう。

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議論よりも行動?

2007-09-19 20:06:42 | 社会/合意形成/アクター
 

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最近、「環境問題はもはや議論している場合ではない。具体的な行動計画を策定し、それを実行に移す段階にある」と主張する識者が日本にも出てきました。国際的に高い次元からこのように述べるのであれば、まさにその通りだと思います。

1992年5月に国連環境計画(UNEP)が公表した「世界環境報告 1972-92」をはじめとして、

① 「世界環境概況 2000」 UNEP 1999年
② 「IPPCの第3次評価報告書」 IPCC 2001年
③ 「2020年までの環境見通し」 OECD 2001
④ 「地球環境白書」 UNEP 2002
⑤ 「生きている惑星の報告」WWF 2002年
⑥ 「IPCCの第4次評価報告書」 IPCC 2007年2月2日

が指摘していますように、確かに事態はそこまで進んでいるからです。

ただ、注意する必要があるのはこの主張は環境問題で国際社会をリードして来た国々が環境問題の「重要性」と「緊急性」に気づいて、「議論している場合ではない。国民の間で早急に環境問題に対する合意を取りつけ、すべての国民の協力の下に早く行動に移さなければ環境問題の解決は時間的に間に合わないかもしれない」という危機感から出たものであることです。

しかし、この種のメッセージが日本の識者から日本の国民に向かって不用意に発せられる場合には、そのようなことを言う識者の「日本の環境問題に対する現状認識」に首をかしげざるをえません。

日本のように、これまでの公害対策基本法を頂点とする環境法体系を25年間運用してきた結果、「公害への共通認識」はできたものの、“環境問題への共通認識”が未だ国民の間に確立していない日本で、社会を構成している各主体が“それぞれに環境に配慮して”自主的かつ積極的に行動を起こせば、間違いなく「環境への人為的負荷」をさらに高める結果となるでしょう。1993年11月に制定された「環境基本法」のアプローチはまさにこの危険性をはらんでいると言えるでしょう。

行動を起こす前に、十分議論し、“包括的で、整合性のある、柔軟な、しかも継続性のある”しっかりとした政策を打ち出し、社会を構成する各主体(国、地方自治体、事業者および国民)が一致協力して共通の目標に向かって行動をとることが必要です。

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2007-09-15 08:02:36 | 社会/合意形成/アクター


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昨日のブログで、「ライフスタイルの変更は個人の自主的な取り組みに基づく行動であるから、その前に社会システムや慣習を改善すべきだ」と書きました。慣習は文化とのかかわりが強いので難しい面もありますが、国民の多くが認めているような「過剰包装」だとか「折々のつけ届け」など改善の余地はたくさんあると思います。

社会システム(社会の仕組み)を変えるという点では、スウェーデンの例をひとつ紹介します。例えば、スウェーデンでは1980年代に企業責任でアルミ缶の回収システムが作られました。85年に66%だったアルミ缶の回収率は、94年10月1日から「包装に対する製造者責任制度」が導入された時点では90%に達し、97年1月の環境保護庁の調査では92%になっていました。


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つまり、環境問題の本質は何かを十分理解したうえで、とにかく社会の仕組みを変えることが必要だと思います。
 
しばしば、日本の識者が標榜する日本の識字率や教育水準(進学率)の高さ、均質性、単一言語によるコミニュケーションの容易さなどを考えれば、日本は先進工業国の中で「社会の合意を作るための基本的な条件」が最も整っている国のはずです。環境先進国と言われるスウェーデンやドイツなどヨーロッパの国では人口に占める移民の割合が多く、この点では日本よりもはるかに不利な条件下にあります。米国も同様です。それなのになぜ日本では?????なのでしょうか。



要は、私たちが環境問題の本質を知り、「社会の仕組み」を変え、「不都合になった慣習」を改善し、行動に移せば、国民のライフスタイルは自ずから改善されるはずです。


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