環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

昨日行われた野田首相の初めての「施政方針演説」

2012-01-25 22:49:51 | 政治/行政/地方分権
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昨日、第180通常国会が招集され、6月21日までの150日間の議論がいよいよ始まります。今朝の朝日新聞に、野田首相が首相就任後初めて行った「施政方針演説」の全文が掲載されています。全体の内容をつかむために、とりあえず「見出し」と新聞1面をフルに使った「施政方針演説」(全文)の中に、21世紀前半のキーワードである「持続可能な」という言葉が どの程度、どのような文脈で、使われているか調べて見ました。5回登場しますが、そのうち、4回が「持続可能な社会保障(制度)」というものでした。

 1.はじめに(1カ所)
   持続可能な社会保障制度を再構築するという大きな方向性

 2.3つの優先課題への取り組み(1カ所)
    -復興の槌音よ、鳴り響け
      津波を含むあらゆる自然災害に強い持続可能な国づくり ・地域づくりを実現するため、
    -原発事故と戦い抜き、福島再生を果たす
    -日本経済の再生に挑む

 3.政治・行政改革と社会保障・税一体改革の包括的な推進(3カ所)
    -政治・行政改革を断行する決意
    -社会保障・税一体改革の意義
      「社会保障を持続可能で安心できるものにしてほしい」という国民の切なる願いを叶えるため
    -改革の具体化に向けた協議の要請
      歴代の先輩方は年初の施政方針演説の中で、「持続可能な社会保障を実現するための革・・・」
       「持続可能な社会保障制度を実現するには、・・・・・・」

 4.アジア太平洋の世紀を拓く外交・安全保障政策(なし)
    -アジア太平洋の世紀と日本の役割
    -近隣諸国との2国間関係の強化
    -人類のより良き未来のために

 5.むすびに(なし)

 
 つまり、日本のめざす将来目標は「持続不可能な社会」の中に、「持続可能な社会保障制度」を構築するという大変矛盾をはらんだものとなっています。政治家も官僚も学者も企業家も、そして市民もこのおかしさに気づいていないのでしょうか。私は「持続可能な社会保障制度」は「持続可能な社会」の中に構築されるものだと思うのですが・・・・・・

 次の2つの図をご覧ください。この図は21世紀前半社会のキーワードである「持続可能な」という言葉の、スウェーデンと日本の使い方の相違を示したものです。10年前の2002年に描いたものですが、昨日の野田首相の「施政方針演説」を読む限り、内容的にはこの図を修正する必要はなさそうです。



 昨年3月11日に発生した東日本大震災の前まで、マスメディアを賑わしていた「低炭素社会」、「循環型社会」、「自然共生型社会」という概念はどこへ行ってしまったのでしょうか? 4年前の2008年1月に行われた福田康夫・元首相の施政方針演説はなんだったのでしょうか。

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持続可能な社会、低炭素社会、循環型社会、自然共生社会、これらを組み合わせた社会とは何だろう?(2007-10-24)



 今年、6月にブラジルのリオデジャネイロで「1992年の地球サミット(国連環境開発サミット)」の20周年を受けて、 「国連のリオ+20」が開催の予定ですが、現政権は目の前に山積する国内の解決すべき大問題に気を取られるあまり、この大事な国連会議をすっかり忘れているのではないでしょうか。



野田首相は「1.はじめに」の中で、次のように述べておられます。
xxxxx
昨年9月、野田内閣は目の前にある課題を一つ一つ解決して行くことを使命として誕生いたしました。 「日本再生元年」となるべき本年、私は、何よりも、国政の重要課題を先送りしてきた「決められない政治」から脱却することを目指します。
xxxxx

 是非、そうあって欲しいと思います。

 1月20日のブログでも述べたように、スウェーデンと日本の違いは、 「予防志向の国」 「治療志向の国」 、言い換えれば、「政策の国」「対策の国」です。「治療志向の国」日本は、戦後の経済復興から一貫して「経済の持続的拡大」を追い求めてきた社会の仕組みから、つぎつぎに発生する膨大なコスト(たとえば、国や自治体の財政赤字、年金をはじめとする社会保障費、企業の有利子債務など)の「治療」に追い立てられています。

 
  「対策の国」日本の舵取りを任されている野田首相は、昨日の「施政方針演説のおわり」の中で、次のように述べて、初めての施政方針演説を結んでおられます。
xxxxx
 ・・・・・・政治を変えましょう。苦難を乗り越えようとする国民に力を与え、この国の未来を切り拓くために今こそ「大きな政治」を、「決断する政治」を、共に成し遂げようではありませんか。日本の将来は私たち政治家の良心にかかっているのです。国民新党を始めとする与党、各党各会派、そして国民の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げ、私の施政方針演説といたします。
xxxxx

 大変すばらしい決断です。しかし、忘れないでいただきたいことは、1月20日のブログで再考した私の環境論を構成する主要な原則の一つ「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則です。

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そして、もう一つ、次の図も参考に。


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私の環境論14 環境問題は経済の「目的外の結果の蓄積」(2007-01-24)

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン① 「未来社会」の構想(2007-07-20)

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン② フォアキャストvsバックキャスト(2007-07-21) 

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン③ 21世紀はバックキャストが有効(2007-07-22)


改めて、今日の決断が将来を原則的に決める―スウェーデンに失敗例はないのだろうか?

2012-01-20 22:26:20 | 社会/合意形成/アクター
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今日は、改めて、私の環境論の根底にある考え方の一つ「今日の決断が将来を原則的に決める」を考えてみます。私はこのブログ内でこれまで2回、このテーマを取り上げたことがあります。

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今日の決断が将来を原則的に決める(2007-04-04)

再び、「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則の有効性(2007-07-30)


 スウェーデンと日本の違いは、「予防志向の国」 「治療志向の国」、言い換えれば、「政策の国」「対策の国」といえるでしょう。スウェーデンは公的な力で「福祉国家」をつくりあげた国ですから、社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、つねに政治の重要課題でした。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、「教育」に力が入ることになります。一方、これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったようです。

 このブログでは、これまで主としてスウェーデンのよい点、成功例を挙げてきましたが、では、スウェーデンに失敗はないのでしょうか。そんなことはありません。世界に先駆けて新しいことを始めるお国柄ですから、失敗例には事欠かないでしょう。問題は、何をもって失敗と考えるかです。そして、失敗であることがわかった時点でその誤りを修正し、先へ進めることができるかどうかです。特に、このブログの主なテーマである 「エコロジカルに持続可能な社会の構築―安心と安全の国づくりの話」 ではなおさらです。たとえば、こんな例はいかがでしょう。

 1997年9月に、北欧の「強制不妊手術問題」が日本のマスコミをにぎわせました。1935年から約40年間にわたって、知的障害や病気を理由に、6万人が不妊手術を強制された、というものです。日本の新聞などマスメディアの論調は、「人権重視のあの福祉国家がなぜ?」という驚きでした。

 北欧の不妊法は、1929年にデンマークで、34年にノルウェーで、35年にはフィンランドとスウェーデンで制定されました。ほぼ同じ時期に、大陸のドイツやスイス、オーストリアなどでも類似の法律がつくられました。また、米国や英国、カナダ、フランスなども例外ではありません。日本では、戦後の1948年になって、「優生保護法」という類似の法律がつくられました。

 30年代は、「悪質な遺伝子を淘汰し、優良な子孫を残すことが人類にとって望ましい」という優生学の思想がヨーロッパで支配的になり、北欧の不妊法もそのような国際状況のなかで生まれたのです。

 100年前のスウェーデンは、ヨーロッパの最貧国でした。人権や平等の理念のもとに、「最貧国」を「福祉国家」に変えるビジョンを掲げた社民党が、初めて政権の座に就いたのは1932年でした。政権に就いて3年たった社民党政権が不妊法を制定した理由は、福祉国家の建設のために、当時最先端の科学として認識されていた優生学の知見が有用であると考えたからです。

 スウェーデンで強制不妊手術を許したのは、宗教的な背景だといわれています。不妊手術はイタリアなどのカトリックの国では許されませんでしたが、スウェーデンのようなプロテスタントの国では、それほど強い抵抗感はなかったのです。

 左右両陣営から広く支持されていたスウェーデンの「不妊法」は、1976年に廃止されました。政府は、国民からの批判を受けて、病気や知的障害などを理由に強制的に不妊手術を受けさせられた市民を対象に、99年に一人当たり約260万円の国家賠償金を支払うことになりました。


 一方、スウェーデンより13年遅れて1948年に制定された日本の「優性保護法」は1996年に廃止となりました。スウェーデンの「不妊法」が廃止された後20年も日本では「優性保護法」が施行されていたことになります。次の2つの記事をご覧ください。






 いくつか別の例を挙げてみましょう。

 東西冷戦体制のときにスウェーデンは国民の80%以上を収容できる核シェルターをつくりました。これには、たいへんな建設費と維持費がかかっています。東西冷戦体制のさなか、核の脅威が差し迫っていた40年前の判断では、この事例は成功例だったかもしれませんが、東西冷戦体制がなくなったいま考えると、これは「失敗例」といえないこともありません。

 60年代末に、核兵器の開発と保有の権限を放棄する選択をしたことや、70年代中頃に「軽水炉・再処理・高速増殖炉」路線を変更し、ワンスルー利用(使用済み核燃料の再処理をしないで、そのまま保管すること)を選択したこと、さらには、1991年に気候変動への対応策として世界に先駆けて導入したCO2税はどうでしょうか。

 携帯電話の導入は? また、「旧スウェーデン・モデル(20世紀の福祉国家)」や、旧スウェーデン・モデルの下でつくられ、年金受給者の安心に貢献した60年の「旧年金制度」は失敗だったのでしょうか。旧スウェーデン・モデルは70年代に、日本の識者から多くの批判を受けました。

これまでに挙げた事例はおそらく、批判が花盛りの頃だったら「失敗例」と判断されたかもしれません。しかし、現在の判断基準に照らせば、失敗とはいえないと思います。

 実はスウェーデンには、 「持続可能な社会」の観点から見て、たいへん大きな失敗例があります。きわめてスウェーデンらしい失敗ということもできます。それは、原発の導入です。

 スウェーデンは60年代から、「環境の酸性化」に悩まされてきました。そこで経済成長にともなって増えつづける電力需要に対処するために、「環境の酸性化への対応」と「エネルギーの自立」と「中立政策」を考えて、水力のつぎに、迷うことなく原子力を選択しました。

 化石燃料を輸入に頼らざるを得ないスウェーデンが火力発電に踏み切ることは、東西冷戦体制のもとで、東西どちらかの陣営から化石燃料を購入することになり、伝統的な中立政策と矛盾することになります。ほかの先進工業国が(やはり化石燃料を自給できない日本もそうであったように)、水力発電のつぎに化石燃料による火力発電を導入したことを考えると、この選択にはスウェーデンらしさがよくあらわれていると思います。

 そして、スウェーデンは、80年代から原子力を廃棄しようとしています。原発の選択は、その時点では成功例だったかもしれませんが、「21世紀の持続可能な社会」に向けての判断基準に照らすと、失敗例だと思います。

 このように、ある事柄が成功か失敗かは、そのときの状況、立場、判断基準により異なります。しかし、21世紀最大の問題である環境問題に対応するには、失敗例に学ぶことではなくて、成功例に学び、予防志向で早めに行動を起こさなければならないと思います。なにしろ、時間がありませんし、失敗したら後戻りができないのですから。

 日本は、目先のコストが高くなることをたいへん気にしますが、社会全体の長期的なコストについては、これまであまり関心を払ってこなかったようです。
 けれども90年代後半になって、戦後の経済復興から一貫して「経済の持続的拡大」を追い求めてきた日本の社会の仕組みから、つぎつぎに発生する膨大なコスト(たとえば、国や自治体の財政赤字、年金をはじめとする社会保障費、企業の有利子債務、不良債権、アスベスト問題など)が目に見えるようになってきました。そしていま、その「治療」に追い立てられているのです。


 

改めて、「原子力エネルギーの利用」について  これからの議論の参考に

2012-01-13 07:01:06 | 原発/エネルギー/資源
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 日本でも今年の春から夏にかけて電気エネルギー、とりわけ「原子力エネルギーの将来」について熱い議論が社会のさまざまな分野で戦わされることになるでしょう。「原発やそれに伴う放射性物質の影響」に関する書籍や雑誌が賛成/反対の双方の立場からこれまでのお馴染みの著者や新たに議論に参加してきた馴染みの薄い著者によって市場に提供され、すでに出尽くした感があり、事態は混沌とした状況をつくり出しています。

マスメデイアの報道も「昨年3月11日の東京電力福島第1原発事故とそれにまつわる様々な対応についての報道」から、「日本のエネルギー体系をこれからどうするべきか」という方向性を議論する中で「原子力エネルギーをどう扱うか」という議論が高まってくるでしょう。

このブログ内の関連記事
スウェーデンの「脱原発政策の歩み」⑲ 学校での原子力教育はこれだと思った!(2007-11-17)



 そこで、そのような議論が高まって来るであろうこれからに備えて、参考資料として、2009年10月6日に書いたブログを再掲します。このブログは東日本大震災の1年半前に書いたものですが、大震災があろうがなかろうが、先進国であろうが新興国であろうが、代替エネルギーがあろうがあるまいが、そして、人口の大小や経済規模の大小にかかわらず、「予防的視点」で原子力エネルギーを考えればこのようになると考えています。私の原子力エネルギーに対する考えは今のところ不変です。


★2009年10月8日のブログから

古くて、新しい原発議論が「気候変動問題」への対応との関連で、再び高まってきました。ここで議論しておきたいことは、「原子力ルネッサンス」などという巧みなネーミングのもとに国際的にも国内的にも推進の動きが高まってきたように見える「原発のCO2削減効果に対する有効性」についてです。今日は皆さんと一緒に、もう一度、この大切な問題を考えてみたいと思います。私の考えに対するコメントは大歓迎です。


原発依存を強める「日本」、 原発依存を抑制する「スウェーデン」

去る9月16日に発足した鳩山新政権が国際的に公約した「温室効果ガスを2020年までに90年比で25%削減する」という目標の達成計画の中に前政権が掲げた新規原発9基が含まれているかどうか現時点では不明ですが、民主党のマニフェストには「安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む」と書いてあります。

この機会に日本とスウェーデンの原子力エネルギーの利用に対する考え方の相違を確認しておきましょう。日本とスウェーデンでは原発の利用に対する考え方が正反対です。原発依存を強める「日本」に対して、原発依存を抑制する「スウェーデン」ということになります。なお、言うまでもないことですが、日本の、そして、スウェーデンの「原子力技術のレベルの高さ」や「最新の原発事情」について私よりも正確にご存じなのは、ほかでもない日本の原子力分野の専門家のはずです。


「原発の利用状況」 と 「温室効果ガスの排出量」 の関係

脱原発の方向性を定めた1980年3月のスウェーデンの「国民投票の結果」とその結果に基づく同年6月の「国会決議」以降の両国の原発の利用状況をまとめてみますと、次のようになります。



1980年から2008年の28年間に、スウェーデンが2基の原発を廃棄したのに対し、日本は33基の原発を増やしました。この間、スウェーデンは京都議定書の基準年である1990年以降漸次、温室効果ガス(このうちおよそ80%がCO2)を削減し、2007年の排出量は9%減でした。一方、日本では、1990年以降、温室効果ガス(このうち90%以上がCO2)の排出は増加傾向にあり、2007年には過去最悪(9%増)となりました。日本では90年以降15基もの原発を運転開始したにもかかわらず、CO2の排出量が増加している事実に注目して下さい。

関連記事
1970年代からCO2の削減努力を続けてきたスウェーデン(2009-06-02) 


ここで注意すべきは、原発は正常に稼働している限りは実質的に温室効果ガス(具体的にはCO2)を排出しない発電装置と見なしてもよいと思いますが、原発はCO2削減装置ではないことです。しかも、原発利用のフロント・エンド(ウランの採掘から原発建設完成・運転開始まで)から、運転期間を経て、LCAという手法を用いて調べてみますと、原発はフロント・エンドとバック・エンドの作業工程で相当量のCO2を排出することがわかっています。ですから、たとえ正常に稼働している原発が運転時に事実上CO2を排出しないと見なしても、「原発がクリーンな発電装置である」というのは誤りだと思います。

関連記事
原発を考える⑪CO2削減効果はない「原発」(2007-04-22) 


ですから、原発を建設しただけでは温室効果ガスは増加することはあっても、減少することはないのです。日本政府が「2020年の中期目標である温室効果ガスの排出量を15%削減する」ために新規原発を9基建設するのであればその9基の原発がうみだす電力量と同じかそれ以上の電力を生み出す既存の運転中の石炭火力発電所を止めるという政策手段を取らなければ、いくら原発を9基建設しても、つまり、原発で石炭火力を代替しない限りはCO2の大気中への排出量を削減することはできないのです。9基の原発の建設は、「CO2の発生を伴わない電力を既存の電力網に供給する」というだけの話です。

こうすることによって、CO2の削減は可能になるでしょうが、同時に私たちは、現在十分に解決できていない原発特有のマイナス面(安全性、核廃棄物、核拡散、労働者被曝、廃炉、核燃サイクルなどの放射線がかかわる問題や温排水などの難問)とそれに対処するための「膨大なコスト」をさらに抱え込むことになります。例えば一例ですが、

●核燃サイクル 総費用18兆8000億円(毎日新聞 2004-01-16)

●核燃サイクル 割高試算 経済性揺らぐ信頼(朝日新聞 2004-07-03)


「経済成長」と「温室効果ガスの排出量」の関係

2008年2月21日、スウェーデンのラインフェルト首相はEU議会で演説し、「スウェーデンは1990年(京都議定書の基準年)に比較して、2006年には44%の経済成長(GDP)を達成し、この間の温室効果ガスの排出量を9%削減した」と語りました。次の図が示しますように、「経済成長」と「温室効果ガスの削減」を見事に成功させたのです。



スウェーデンでは97年頃から「経済成長」と「温室効果ガス」(そのおよそ80%がCO2)排出量の推移が分かれ始めています。このことは、「経済成長」と「温室効果ガス排出量」のデカップリング(相関性の分離)が達成されたことを意味します。ここで重要なことは、温室効果ガスの削減が「原発や森林吸収や排出量取引のような日本が期待している手段ではない国内の努力によって(日本では“真水で”と表現します)達成されたもの」であることです。スウェーデンは今後も、独自の「気候変動防止戦略」を進めると共に、EUの一員としてEUの次の目標である2020年に向けてさらなる温室効果ガスの削減に努めることになります。

一方、日本は1986年頃から、「経済成長(GDP)」と「CO2の排出量」とが、これまた見事なまでの相関関係を示しています。さらに困ったことに、日本では今なお、二酸化炭素税の導入がままならないばかりでなく、すでに述べたように、2007年度の温室効果ガスの排出量が過去最悪(およそ9%増)となったことです。

関連記事
原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入り口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)  

経済、エネルギー、環境の関係(2007-02-17) 
これまでの日本の状況は増大する電力需要に対応するために、火力も、原子力も、水力を含めた自然エネルギーもすべて増加させてきたことは、このブログの電事連の統計資料でも明らかです。

ここでは火力発電を原子力で置き換えていませんですから、原発を増やしてもCO2を削減できないことは自明の理だと思います。



スウェーデンの原発に対する最近の動き

現時点(2009年10月現在)で、スウェーデンには日本のように新規原発をつくり続けていこうとするようなエネルギー政策はなく、 「原発依存を抑制する方向性(脱原発の方向性)に変わりはない」と断言できます。ただ、今年2月にスウェーデンの脱原発政策にちょっとした動きがありました。

それは、既存の10基の原発の寿命(国民投票が行われた1980年のときに想定されていた原発の技術的寿命は25年でしたが、現在では60年程度と見積もられているようです)が近づいてきた場合に混乱がおこらないよう、「現在の原発サイト(フォーシュマルク、オスカーシャム、リングハルスの3個所)に限って、そして既存の10基に限って更新(立て替え)が可能になるように、更新の道を開いておく」という政治的な決定がなされたことです。

1996年に21世紀のビジョン「緑の福祉国家」を掲げた比較第一党の社民党は現在、野党の立場にありますが、2001年の党綱領で「緑の福祉国家」(エコロジカルに持続可能な社会)には原発は不要であることを明記しています。







改めて、環境問題の解決とは?

2012-01-10 20:27:05 | 環境問題総論/経済的手法
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 私の環境論では、環境問題と経済の関係は、1月5日のブログで明らかにしましたように、20世紀後半に顕在化した「環境問題の大半」は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行った「企業の生産活動」と「企業と市民の消費活動」があいまってつくりだした経済活動の「目的外の結果」が蓄積したものであると考えています。このことは、このブログでも何回も引き合いに出した次の図からも疑う余地はまったくないでしょう。


 ですから、環境問題解決のための具体的な行動は、自然科学が明らかにした「有限な地球という制約」の下で、経済の拡大を大前提として、顕在化した「個々の環境問題の現象面」に一つずつ対応するのではなく、経済的にみれば「経済規模の拡大から適正化」への経済の拡大を前提に大転換であり、社会的には20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量を出来るだけ抑えた社会)」への大転換を意味します。

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私の環境論18 環境問題の解決とは(2007-02-01)


 21世紀に私たちが「経済の適正規模」を模索しなければならないのは、「資源・エネルギーの不足や枯渇によって経済活動が制約されるから」(20世紀型発想による懸念)ではなく、「20世紀の経済活動の拡大により環境に蓄積された環境負荷(温室効果ガスやオゾン層破壊物質の放出、廃棄物など)と、21世紀の経済活動にともなう環境負荷の総和が環境の許容限度や人間の許容限度に近づくことによって経済活動が制約されるから」(21紀型発想による懸念)なのです。

 従って、 環境問題に対する最も重要な判断基準は 「社会全体のエネルギー消費量を削減するか、増加させるか」ということになります。

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判断基準を変えれば、別のシーンが見えてくる!(2007-10-10)   

同じ情報を与えられても解釈は異なることがある(2007-10-11)
  
環境問題:私の基本認識と判断基準①(2007-10-12)
  
環境問題:私の基本認識と判断基準②(2010-13)   

武田さんの「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」と槌田さんの「環境保護運動はどこが間違っているか」(2007-10-14)  



●「出来るところから始めること」の危うさ

 日本の私たちがいま為すべきことは、 経済拡大を目的とした古い考えや社会制度をそのままにして 「身近なところ(こと)から始める」「できるところ(こと)から始める」ではなく、 「現状をよく知ること」です。「対処すべき問題の規模の大きさ」と「残された時間の少なさ」を考えると、1988年以降、日本政府が意図的に行ってきた環境政策の結果、日本社会に蔓延してしまった「この種の日本的な発想」は問題の解決をいっそう難しくすることになるでしょう。

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「出来ること(ところ)から始めること」の危険性①(2007-09-08)
  
「出来ること(ところ)から始めること」の危険性②(2007-09-09)   

「出来ること(ところ)から始めること」の危険性③(2007-09-10)
    

改めて、環境問題とは

2012-01-05 18:49:06 | 環境問題総論/経済的手法
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 人類の歴史は常に、「規模の拡大」の歴史でした。「経済成長(発展)」という概念は、自由主義者や新自由主義者、保守主義者、民族主義者、ファシスト、ナチ、レーニン主義者、スターリン主義者など、イデオロギーにかかわりなく、「共通認識」として共有していた考えで、その必要性については、イデオロギー間に全く意見の相違はありませんでした。つまり、20世紀には「経済成長(発展)」は疑問の余地がないほど当然視されていたのです。

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環境問題に対する日本の議論の推移(2007-08-05)

私の環境論16 環境問題への対応、輸入概念でよいのか!(2007-01-26)



「私の環境論」では、経済と環境の関係を次のように捉えています。

私たちが行動すると、その目的が達せられようとされまいと、必ず「目的外の結果」が生ずることになる。20世紀後半に顕在化した「環境問題の大半」は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行った「企業の生産活動」と「企業と市民の消費活動」があいまってつくりだした経済活動の「目的外の結果」が蓄積したものである。


 ですから、経済活動が大きくなれば「目的外の結果」も比例的に、あるいはそれ以上に大きくなります。つまり、 「経済」「環境」 は切っても切れない関係にある、分かり易くいえば、「コインの裏表」と表現してもよいでしょう。

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環境問題のまとめ ①環境問題とは(2007-12-21)

環境問題のまとめ ②生態系の劣化(2007-12-22) 
 
環境問題のまとめ ③人間の生存条件の劣化(2007-12-23) 

環境問題のまとめ ④企業の生産条件の劣化(2007-12-24) 


 経済学者/エコノミストや社会科学者の多くはコインの表である“金の流れ” で社会の動きを評価し、判断していますし、環境論者はややもすると“環境問題の現象面”に注目し、その解説に精力を注いでいます。けれども、もっと大切なことは「21世紀の経済はコインの裏である“資源/エネルギー/環境問題”で考えるべきだ」というのが私の環境論の基本的な主張です。

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私の環境論 「経済危機と環境問題」⑪ とりあえずのまとめ(2008-11-29)


 20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていましたが、21世紀の安全保障の概念は軍事的側面だけでなく、さらに広く「グローバルな経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと展開していかなければならなりません。戦争やテロ活動がなくなり、世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している「環境問題」に終わりはないからです。その象徴的存在が「気候変動問題」といえるでしょう。

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「環境問題」こそ、安全保障の中心課題に位置づけられる(2007-03-12)

懸念される、今年6月に開催予定の国連の「持続可能な開発会議」(リオ+20)

2012-01-01 10:46:27 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト
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新年あけましておめでとうございます。

2007年1月1日に開設した私のこのブログは今年で6年目を迎えました。

 国際的には昨年から引き続く経済的、社会的な混乱と今年予定されている政治的なリーダーの交代、日本ではそれらの国際状況の混乱に加えて、東京電力福島第一原発事故の混乱で、国内外ともに、上の図で示した混乱の予想が現実化して、誰の目にもわかるようになってきました。

 この機会に、ともすれば忘れがちな国際社会の環境・エネルギー分野の大きな潮流を思い起こしておきましょう。 私の環境論では環境/エネルギー問題は、目の前の国内外の経済的・社会的問題よりもさらに大きな 「市場経済を揺るがす21世紀前半の最大の問題であるはず」だからです。

 私は、1972年にスウェーデンの首都ストックホルムで開催された「第1回国連人間環境会議」(ストックホルム会議)の翌年の1973年からおよそ40年にわたり日本とスウェーデンの環境・エネルギー政策を同時進行でウオッチしてきました。

 この過程で、およそ30年前の1983年に、初めて「持続可能な開発」という言葉に出会い、それ以来、私は「持続可能性(Sustainability)」という概念に強い関心を持ち続けてきました。

この言葉を初めて目にする方もおられるかもしれません。英語では「Sustainable Development(SD)」というのですが、1980年に国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)などがとりまとめた報告書「世界保全戦略」に初めて使われ、以来広く使われています。

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 おおよその意味は、 「現在ある環境を保全するだけではなく、人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する能動的な開発」、「人間社会と、これまで人間の経済活動によって破壊されつづけてきた自然循環の断続を修復する方向の開発」ということです。

 1987年4月に、国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」が「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(通称ブルントラント報告)を公表してから、今年で25年が経ちました。

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今なお低い日本の政治家の「環境問題に対する意識」、1992年の「地球サミット」は、その後は?(2007-09-28)

「持続可能な社会」をめざす国際社会と独自の「循環型社会」をめざす日本(2007-09-30)



 21世紀にめざす「持続可能な社会」が大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される現在の社会を延長・拡大した方向にはあり得ないという、このブログでこれまで述べてきた議論は、1992年6月の「地球サミット」での議論と、その結果まとめられた数々の合意文書でも明らかです。

 地球サミット=国連環境開発会議(UNCED)=は、20年前の1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された、国連主催の環境と開発に関する国際会議です。「気候変動枠組み条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」「環境と開発に関するリオ宣言」(ここで、「持続可能な開発/社会」という考え方が提案されました)や、「アジェンダ21」などが採択されました。翌年には、地球サミットの合意の実施状況を監視し、報告するために、国連経済社会理事会によって「持続可能な開発委員会」が設立されました。

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 そして、20年を経た今年2012年、国連は、1992年の「地球サミット」の20周年を記念して、6月20~22日に再びブラジルのリオデジャネイロで 「持続可能な開発会議」(リオ+20)を開催する予定です。私の懸念は、日本のマスメディアが昨年から引き続くグローバル社会における国際的、国内的な政治、経済、社会の混乱や東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原発過酷事故のフォローに忙しく、さらに大きな、そして、もっと基本的な「人間社会の持続可能性」という重要性に、今なお思いを馳せる想像力が欠けてきているのではないかということです。

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