環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

私の環境論 「経済危機と環境問題」⑥ エマニュエル・トッド・人口統計学・歴史学者

2008-10-30 20:08:22 | 環境問題総論/経済的手法
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20世紀の政治・経済分野の基本テーマは「市場経済主義(資本主義)」か「社会主義」かでした。21世紀前半社会の基本テーマが、グローバル化に基づく「市場経済主義のあり方」であることに異論をはさむ社会科学者はほとんどいないでしょう。21世紀の社会は、過去・現在の延長線上にありますが、現在をそのまま延長・拡大した(フォアキャストした)方向にはあり得ないことは、これまで議論してきたように、「資源・エネルギー・環境問題」から明らかです。  

国連をはじめとするさまざまな国際機関も20世紀の価値観で維持されているものが多く、21世紀の社会を展望するには至っておりません。このことは、20世紀の政治・経済をリードしてきたG8の国々がいまだ20世紀の発想から抜けきれないでいるのですから、むしろ当然のことです。 

ヨーロッパには、ドイツ、フランス、英国、北欧諸国という、所得水準が高く、資本主義のあり方がまったく異なる国々が共存しています。これらの国々は福祉への取り組みも異なりますが、EUを構成する主要国として米国とは異なる道を模索しています。この現象は「米国型の市場原理主義」と「ヨーロッパ型の福祉国家路線」の対立のようにも見えます。スウェーデンはEUをリードし、日本は米国に追従しているように見えます


朝日新聞の企画「経済危機の行方 世界は」が、6回目となりました。今回登場するのは人口統計学・歴史学者のエマニュエル・トッドさんです。「経済危機の行方」を議論するときに、「資源・エネルギー、環境問題」の視点が入っているかどうか、ご確認ください。



私の環境論 「経済危機と環境問題」⑤ 本田由紀・東大大学院教育学研究科準教授

2008-10-27 15:35:17 | 環境問題総論/経済的手法
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自然に働きかけて人間生活に有用な財やサービスをつくりだす経済活動、つまり、生産活動や消費活動、余暇活動は、もともと人間にとって「手段」であって、「目的」ではありません。経済活動の目的は、本来、人間生活を豊かにするために「生活の質」を向上させることであり、経済成長率を高めることではないはずです。 

経済活動の規模や成果をあらわす経済成長率の基礎データは、すべて「金額」で表示されています。従来の経済学はこのように、貨幣に換算できない関係は無視し、貨幣による関係だけで人間社会の活動を評価してきました。経済学には、「資源・エネルギーの流れ」が十分にインプットされていないのです。こうした枠組みにとらわれた経済学者やエコノミストには、環境問題の本質は見えてこないでしょう。  

これからの経済学は、「モノやサービスの流れ」を「金の流れ」で見るのではなく、「資源・エネルギーの流れ」で見なければなりません。環境問題は、「経済学の枠組みを現実に合わせるために早急に変えなければならないこと」を示唆しています。環境負荷を最小限に抑えながら製品やサービスを供給し、消費するためには、どのような経済のあり方が必要なのか、これこそが、21世紀の経済学の主要なテーマであるはずです。

したがって、「資源・エネルギー・環境問題(あるいは政策)」の議論は、いまの経済学が対象としている「経済問題(政策)」「雇用問題(政策)」「福祉問題(政策)」などと緊密な関連のもとに議論されなければならないはずです。 

朝日新聞の企画「経済危機の行方 世界は」が、5回目となりました。今回登場するのは東京大学大学院教育学研究科準教授の本田由紀さんです。教育学者が「経済危機の行方」を議論するときに、「資源・エネルギー、環境問題」の視点が入っているかどうか、ご確認ください。


本田さんのお考えの趣旨は明快な見出しが示唆するように、「市場主義の波」が「戦後日本型循環モデル」を崩したので、新たに「個人を守る社会モデル」の構築が求められているというものです。上の記事の中に、「資源・エネルギー・環境問題」の視点がはいっているかどうか、ご確認ください。「劣悪な環境」という言葉が1か所(青の網を変えた部分)出てくるだけで、そのような視点はまったく見受けられません。   

 「個人を守る社会モデル構築を」という見出しのもとに書かれているお考えを、すでに20世紀の後半に築き上げた具体例の一つがスウェーデンの福祉国家だと思います。スウェーデンは今、20世紀から21世紀の変わり目に、「福祉国家」から環境に十分配慮した「緑の福祉国家」への転換を急いでいます。道半ばの今、経済も、福祉も、環境もバランスよく進展しているように見えます。

私の環境論 「経済危機と環境問題」④ ポール・サミュエルソン・マサチューセッツ工科大学名誉教授

2008-10-25 18:55:08 | 環境問題総論/経済的手法
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私たちはこれまで、去年よりも今年、今年よりも来年というように、経済が右肩上がりに拡大していくことを「豊かになった、生活水準が向上した」と考え、 “よし”としてきました。しかし、これが環境問題の主な原因だったのです。

「不況になると、困ったこと」と考え、景気回復を考えます。確かに、目の前だけを考えれば、不況は困ったことですが、「景気回復」とは、その判断基準を変えない限り、一般社会の議論では「経済成長の拡大」と同義語と言ってよいでしょう。だとすれば、環境問題の主な原因と考えてよいでしょう。

環境問題の主な原因が「経済成長の拡大」であることが明らかとなった現在、社会の変化と知識の拡大に対応して、「判断基準」を変えていかなければ、本来、見える筈のものも見えず、わかる筈のものもわからなくなってしまいます。

次の最新の記事は、経済活動と環境問題が直接結び付いていることを示めすよい事例です。


今、米国を震源とする金融危機で世界経済は大きく揺らいでいます。朝日新聞の企画「経済危機の行方 世界は」が、今日で4回目となりました。今回登場するのは経済学者ポール・サミュエルソンさんです。この著名な経済学者が「経済危機の行方」を議論するときに、もうひとつ同時進行で起きている「資源・エネルギー、環境問題」の視点が入っているかどうか、ご確認ください。

私の環境論 「経済危機と環境問題」③ 入江 昭・ハーバード大名誉教授

2008-10-19 09:45:10 | 環境問題総論/経済的手法
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このブログの読者の方々にはお馴染みになったと思いますが、「私の環境論」の根底にある認識のうち、「経済」と「環境問題」のかかわりを示す図を改めて掲げておきます。


日本のあちこちで地震、台風、火山の噴火など自然災害が相次いで発生しています。国際社会に目を転ずると、2004年12月26日のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や2005年8月29日に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」など、自然災害の報道が多くなっています。戦争やテロ活動はやむきざしがなく、貧困の原因の一つとも指摘されている経済のグローバル化は、さらに急速に進展しています。
 
今年5月2日から3日にかけてミャンマーをサイクロンが襲いました。死者・行方不明者が計32万人、このうち死者は最大約10万2000人、行方不明者は22万人と言われています。5月10日には、米国オクラホマ州で竜巻が発生し、死者22人を含め多数の被害者、家の崩壊などの被害が報じられました。そして、5月12日には、中国中西部の四川省でマグニチュード7.8の大規模地震が発生し、中国政府は17日、四川大地震で地震の死者が2万8881人、負傷者19万8347人に達したと発表したそうです。その後日本でも大きな地震が相次いでが起きています。

これらは災害としての人的、物的被害に加えて、環境にも大きな負荷をかけますが、これらの環境負荷を人間の力で抑えることはほとんど不可能です。ですから、私たちにできることは、私たちが生きていくために行う「経済活動の環境への負荷(環境への人為的負荷)」をできるだけ少なくするということになります。



「私の環境論 経済危機と環境問題」は3回目となりました。初回が経済学者(岩井克人さん)、2回目がエコノミスト(行天豊雄さん)、そして、今日は歴史学者(入江昭さん)です。この企画にこれから何人の識者が登場するのか不明ですが、今日までのところは「経済のこれから」を考えるときに、「私の環境論」の最も重要な視点である「経済」と「環境問題や資源・エネルギー問題」がまったくインプットされていないことは明らかです。


私の環境論 「経済危機と環境問題」② 行天豊雄・元大蔵省財務官

2008-10-18 18:55:03 | 環境問題総論/経済的手法
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21世紀の日本経済や科学技術を論ずる雑誌や書物が溢れています。これらの著者の多くは評論家あり、自然科学系あるいは社会科学系の大学教授あり、エコノミストあり、ジャーナリストありと多彩ではありますが、これらの著者に共通していることは21世紀の経済や科学技術の行く末を論ずる際に、工業化社会の経済の将来を左右する最も重要な要因である「資源・エネルギー問題」や「環境問題」の視点がまったくといってよいほど、欠落していることです。

このことは、今なお経済学の基本的な枠組みが、生産の基本的要素として 「資本」、「労働」および「土地」、あるいは「技術」を掲げていることからも明らかです。

21世紀の経済や技術を論ずる経済学者やエコノミストの議論もこの枠組みを超えるものではありません。大学で講じられている経営学は企業や組織を学問の対象とし、「戦略論」「組織風土論」、「知識創造論」、「リーダーシップ論」、「ゲーム論」などを展開してきましたが、いまなお、企業活動に必然的に伴う「資源・エネルギー・環境問題」に十分踏み込んでいません。

試しに、近くの書店に立ち寄って平積みになっている新刊書の目次を眺めてみたらよいでしょう。経済、ビジネス関係の書物や科学技術の書物で、ここで指摘したような視点を持った書物を容易に捜し出すことができるでしょうか。ぜひ、お試しになって下さい。   

経済関係の書物でも、特に、将来の経済の方向性を議論しているもの、具体的には「21世紀」を冠した書物で、 「資源・エネルギー問題や環境問題」に基礎を置いてない経済議論は絵に書いた餅のようなもので、バーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界です。書物だけではありません。テレビの討論番組も、著名なエコノミストや一流経営コンサルタントによる経済に関する高価な有料セミナーも・・・・・・

さて、今朝の朝日新聞に、有識者に聞く「経済危機の行方」の第2弾が掲載されました。私の問題意識に触れておられるでしょうか。



私の環境論 「経済危機と環境問題」① 岩井克人・東大経済学部教授

2008-10-17 21:12:03 | 環境問題総論/経済的手法
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私の環境論が他の多くの日本の専門家の議論と異なるのは、 「環境問題」と「経済(活動)」 を最初から関連づけて考えていること、そして、環境問題の解決のためには 「民主主義の考え方」と「その実践」
が必須なこと、具体的には環境問題の解決は、従来の公害とは違って技術的な対応だけでは不十分で、経済社会の制度の変革をともなうこと、21世紀に主な環境問題を解決した「エコロジカルに持続可能な社会」の創造のためには、さまざまな「政策」とそれらの政策を実現するための「予算措置」が必要なこと、つまり、環境問題の解決に当たって、「技術の変革」「政治と行政のかかわり」を強く意識していることです。


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20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていましたが、21世紀の安全保障の概念は軍事的側面だけでなく、さらに広く「経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと展開していかなければなりません。戦争やテロ活動がなくなり、世界に真の平和が訪れたとしても私たちがいま直面している環境問題に終わりはないからです。その象徴的存在が「気候変動問題」といえるでしょう。

上記のような認識で、次の記事をご覧ください。この記事は米国のサブプライムローンに端を発した「経済危機の行方」を有識者へのインタビューを通じて明らかにしていこうという今日から始まった企画の第一弾のようですが、この記事の中にはまったく「環境問題や資源・エネルギー問題」が出てきません。これから登場する識者の意識の中に実体経済を支える「環境問題や資源・エネルギー問題」がしっかり組み込まれているかどうか注目していきましょう

私たちが行動すると、その目的が達成されようとされまいと、必ず「目的外の結果」が生ずることになります。20世紀後半に顕在化した「環境問題」の大半は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行った「企業の生産活動」「企業と市民の消費活動」があいまってつくりだした経済活動の「目的外の結果」が蓄積したものです。ですから、経済活動が大きくなれば「目的外の結果」も比例的に、あるいはそれ以上に大きくなります。つまり、「経済」と「環境問題」は切っても切れない関係にある、分かり易くいえば「コインの裏表」と表現してもよいでしょう。

「経済学者やエコノミストの多くはコインの表である“金の流れ”で社会の動きを評価し、判断している。環境論者はややもすると環境問題の現象面ばかり見ている。21世紀の経済はコインの裏である“資源・エネルギー・環境問題”で考えるべきだ」という私の主張は、案外、新しい視点なのかもしれません。 


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日本の社会を構成する「主なプレーヤー」の問題点(4) 官僚と縦割り行政

2008-10-11 13:05:25 | 政治/行政/地方分権
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前回のブログ「日本の社会を構成する『主なプレーヤー』の問題点(3)」に対して、読者の方から次のような質問をいただきました。 

>縦割り行政を変えることが構造改革の第一歩であると先生は主張されていますが、マスコミなどを見ていても、それほど問題にされていないように見えます。僕自身もあまりその問題性がピンとこないのですが、理解を深められるようなポイントを教えていただきたいのですが。


私は20年以上前から、スウェーデン(政治主導の議会制民主主義)と日本(官僚主導の議会制民主主義?)の行政組織に基づく「国家の意思決定の相違」を指摘してきました。スウェーデンは「国家目標や重要な政策の達成のために各省庁をはじめとする行政組織をいとも簡単に政治的に統廃合や新設、改編を行いますが、日本では大変な困難を伴います。たとえば、このブログ内では、次の関連記事をご覧ください


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環境基本法成立から14年 不十分なので、このままでは私は反対だ!(2007-12-07)



次の2つの図を比較検討してみてください。最初の図は前回のブログで掲載したものですが、再掲します。


そして次の図をご覧ください。

2004年6月1日付の朝日新聞は、「ガス削減議論足踏み」という大きな見出しを掲げて、「8審議会、調整がカギ」と報じています。8つの審議会の背景には、内閣府、国土交通省、環境省、経済産業省、農水省、総務省のそれぞれの思惑がからんでおり、「京都議定書」の否定論まで取り沙汰されているそうです。そして、京都議定書から10年以上たった現在、実態は悪化することはあっても、一向に改善の方向に向かってはいません。

これらの状況はかねてより多くの人が指摘しつづけ、私も「 環境基本法案等に関する衆議院環境委員会公聴会(中央公聴会)」で指摘した「行政の縦割構造」の結果ではないでしょうか。

8つの審議会の調整がむずかしいのは、「行政の縦割構造」の問題に加えて、8つの審議会やそれらの審議会を構成している委員の間に、温暖化問題に対する基本的な共通認識が不十分なために足踏み状態が続いているのだと思います。

「行政の縦割構造」
は、20世紀のように、環境問題を想定していなかった「経済の持続的拡大」という国家目標のもとでは、たいへん有効に機能してきましたが、21世紀のように経済の方向を「拡大」から「適正化」へ向けて転換をせざるおえない状況では、ことごとく足かせとなります

この伝統的な「行政の縦割り構造」をそのままにして、いくら新しい政策を策定しても実効性が伴わないことは明らかでしょう。総ての現象はそれぞれにつながっているからです。それゆえに、構造改革の第一歩は「行政の縦割り構造」を変えることだと私は思います。

そして、「行政の縦割り構造」の弊害は

①国としての合意形成が十分にできないこと。 
このブログでも再三取り上げてきた環境分野における経産省と環境省の対立などはその具体的な実例です。
②難しい案件の「先延ばし(先送り)」と「骨抜き」

という形で顕在化してきます。

日本の社会を構成する「主なプレーヤー」の問題点(3) 経営者、政治家、そして官僚

2008-10-03 07:22:51 | 政治/行政/地方分権
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9月29日のブログで、15年前の作家の堺屋太一さんの「経営者、政治家そして官僚」に対する見方を紹介しました。まとめると次の図のようになります。


この堺屋さんの見方に賛同したコラムニストが1993年9月23日の日本経済新聞で、「とくに官僚15年という指摘は鋭い」として、官僚に苦言を呈しています。是非読んでみてください。


このブログで、あえて15年前のコラムを取り上げたのはここに書かれていることは15年前のコラムニストの主張であっても、私には今なお、2008年の10月3日現実のように見えるからです。皆さんのご感想はいかがでしたか。

もし、ご同意いただけるとしたら、「スウェーデンの判断基準」で環境・エネルギー分野をウオッチしてきた私には日本の現実は、経営者・政治家・官僚の“三位一体”で、国際社会の大きな変化の中で15年間足踏みを続けてきたか、あるいは、誤った方向に踏み出してしまったか、もしかするとやや後退してしまったのかもしれないという懸念があります。

次の図をご覧ください。


ここに示されている状況は6年前の2002年の状況ですが、それよりほぼ10年前に上のコラムニストが書いた「官僚に対する苦言」の状況とほとんど変わりませんし、6年後の2008年の今現在の状況ともほとんど同じだと私には思えます。つまり、日本の政治・行政システムはほぼ15年間、現状維持(この場合は15年前の状況を維持)を続けてきたといえるのではないでしょうか。

次の図は、2000年に都庁の有志によるある研究会で私の講演の後、当時の管理職から出てきた発言です。私は8年後の今でも、この発言は的を射ていると思います。いかがですか。

再び、政治家に戻りましょう。堺屋さんは「政治家は10年、実際の世の中の変化から遅れるものだ」とおっしゃっておられます。
次の図は7年前の2001年に中西輝政・京都大学教授が書いた論文に書かれている教授の「日本の政党に対するお考え」と私の「認識」を比較したものです。私も中西さんと同じような印象を持っています。



そして、今日最後の図は「成長論しか言えない経済学界」の話です。コメントは必要ないでしょう。


9月29日の所信表明演説の「就任に当たって」の最後の部分で、麻生・新首相は次のように述べています。

X X X X X
・・・・・
わたしは、悲観しません。
わたしは、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません。時代は、内外の政治と経済において、その変化に奔流の勢いを呈するが如くであります。しかし、わたしは、変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑いません。そしてわたしは、決して逃げません。
・・・・・X X X X X

私はこの30年間、特に1990年以降、日本の経営者、政治、官僚、そして日本人の環境問題やエネルギー問題に対する考え方を中心に、「日本の経済成長」という概念にさまざまな疑問と懸念を感じ、その一端をこのブログに書いてきました。私の考え方が杞憂であれば幸いです。