環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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私の環境論7 「環境問題」は「公害問題」ではない

2007-01-17 09:55:30 | 市民連続講座:環境問題

  
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日本で環境問題にかかわる最も基本的な法律といえば、1967年制定の「公害対策基本法」で、それが93年に「環境基本法」に置き換えられました。法律だけではありません。74年3月に発足した「国立公害研究所」が、日本独自の概念である「地球環境問題」に対応するために、90年7月から「国立環境研究所」と改称したのにともなって、多くの地方の「公害研究所」が「環境研究所」と看板を書き換えています。
 
そして、その典型的な例が日本の「環境白書」です。白書というのは政府が国会に提出する年次報告で、その名のとおり、白表紙の報告書です。私の手元にある「環境白書」の最も古いものは「昭和50年版環境白書」で、第4回目の環境白書です。この環境白書の「はしがき」を見ますと、「この環境白書は、公害対策基本法第7条の規定に基づき政府が第75回国会に提出した『昭和49年度公害の状況に関する年次報告』及び『昭和50年度において講じようとする公害防止に関する施策』である」と書いてあります。

つまり、環境白書の内容は、この「はしがき」が述べているように「公害の状況に関する年次報告」であり、「翌年度の公害防止に関する施策」なのです。このことは政府が国会に提出した白表紙の報告書を表紙だけ変えて、「環境白書」の名で「公害白書」を市販していたことになります。 

この状況は1993年発行の「平成5年版環境白書」まで、なんと20年以上も続いてきました。

94年6月発行の「平成6年版環境白書」の「はしがき」は、「この環境白書(「総説」「各論」)は、環境基本法第12条の規定に基づき政府が第129回国会に提出した『平成5年度環境の状況に関する年次報告』及び『平成6年度において講じようとする環境の保全に関する施策』である」と記されており、ここに初めて、形式的には「表紙」と「内容」が一致したことになります。

しかし、「公害」と「環境問題」を同義語として用いるのは明らかに誤りであるし、日本の認識不足だと思います。

いま、私たちが直面している「環境問題」は、過去の公害のように企業と住民(被害者)が対立するのではなく、国民の間に協力体制ができないことには、解決はおぼつきません。いずれにしても、日本で早急になすべきことは国民各主体の間にこれまでのような「公害への共通認識」ではなく、「環境問題への共通認識」を育て上げることです。

十分な「環境への共通認識」が育っていないうちに、不十分な「環境基本法」のもとでいろんな立場にある人々がそれぞれに「自立的な取り組み」(「それぞれができることから始める」とか「身近な所から始める」といったような)を求めることは、環境への負荷をさらに高めることになりかねません。

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2 コメント

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Unknown (サイトウタツヤ)
2007-01-17 22:05:02
日本で環境問題を語る時、公害と混同しているなと思う場面にいくつか出くわしたことがあります。

経済に明るい方と知り合いで市場経済の話(株式)を伺ったことがありました。経済のお話については、勉強になることばかりでした。
それで、経済をよく知っている人にとって環境問題はどういう風に受け止められているのかと思い「環境問題はどう思いますか?」と質問したところ
「環境は良くなっているとおもいますよ、昔と比べて公害は明らかに減っているでしょう」
とのお答えをいただきました。

私としては根本的な将来不安(「オイルピーク」「環境負荷の増大」など)についてのリスクを経済はどのように捉えているのかをお聞きしたかったのですが、それ以上はこのことについてはお聞きしませんでした。

その彼は非常に人思いで優しさに溢れている方ですので、その答えだったからどうのと言うことはありませんが、環境問題と公害が日本では混同されているなと思う一コマでした。
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Unknown (小澤)
2007-01-18 06:02:03
サイトウさん、
大変わかりやすいシーンをご紹介いただきありがとうございます。

私のブログの第一の柱「連続市民講座:環境問題」の主要テーマは「経済」と「環境」は切り離せない、です。

経済に明るい人(一般人のほかに、特に「エコノミスト」称される方々がいます)に共通することは社会の動きを「お金の流れ」を通してみていることです。言い換えれば、「お金の流れ」でしか見ていないことです。

そこには、社会の動きは「資源とエネルギーの流れ」
であり、その流れのほうが21世紀には優先するとする「私の環境論」との決定的な意識の相違があります。このことはなるべく早い時期に「日本は今」のカテゴリーで取り上げるつもりです。

67年の公害対策基本法の規制対象は製造業が中心でした。ですから、これまでは、例えば、銀行や金融関係などの業種は「公害」とは無関係という認識が日本では支配的でした。しかし、現在では、「エコファンド」に象徴されるように、金融関係も間接的に環境問題にかかわっていることが少しは理解されてきたようです。この概念も日本の発想ではなく、国際社会の発想です。ここに、「公害」の概念と「環境問題」の概念の相違があります。また、両者の混同もあります。

ここでは、エコノミストの1人である前経済財政政策・金融担当大臣竹中平蔵さんが在任中に書いた「明日の経済学」(幻冬舎 2003年1月)のp144の記述を紹介するに止めます。

・・・・・・経済発展をしているところは環境もよいのです。まさに日本がその典型でしょう。「それは煙を吐く部分を海外に持って行っているからだろう」という見方もあるかも知れませんが、そもそも環境問題は、ある程度衣食住が足りて生活の質という面を考えられる余裕ができてこそ対処できるものです。ですから、経済発展があって初めて環境問題が克服できるとも言えます。その観点からも、また、これまでに積極
的に取り組み続けてきたという実績からも日本は環境問題に関して世界の中で極めて重要な役割を担えると
思いますし、また、そうすべきです。・・・・・・

私の記事「環境問題」は「公害問題」ではない、を参考にしながら、竹中さんの記述を考えて見てください。

「経済発展をしているところは環境もよいのです」というなら、竹中さんは中国の現状をどう解説するのでしょう。竹中さんは元大学の経済学部の教授であり、経済担当大臣を経て、また、大学の教授に復帰した方です。

竹中さんが日本の経済学者の間でどのような評価を得ているのか、門外漢の私にはわかりませんが、竹中さんが2000年以降に一般向けに書いた数冊の本の環境問題に触れた部分(ほとんどありませんが)は私には違和感があります。





 
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