環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

進化してきた福祉国家⑨ 「現実主義の国」vs「現状追認主義の国」

2007-08-31 11:58:15 | 社会/合意形成/アクター

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今年6月のハイリゲンダム(ドイツ)のG8サミット以降、 「気候変動(日本では、地球温暖化)」に関する報道の数が際立ってきました。その理由はいよいよ来年2008年が京都議定書が示した期限の最初の年であること、そして、来年のサミットが日本で(洞爺湖で)開催されることになっているからでしょう。

「気候変動(地球温暖化)」は確かに21世紀の経済活動を制約する最大の環境問題ではありますが、もっと重要なことは、次の図が示すように、気候変動(図の中央の赤網をかけたところ)を含めた様々な同時進行する「環境問題」に対応できる社会、つまり、「生態学的に(エコロジカルに)持続可能な社会」を構築することではないのでしょうか
 


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「生態学的に持続可能な社会」を構築するという視点に立って、「私の環境論」に基づいて、日本とスウェーデンを比較してみたのが次の図です。

この図の「現実主義の国」というスウェーデンの姿勢を示唆しているパルメ首相の言葉「現実は社民党の最大の敵である」(Reality is the Social Democrat’s worst enemy.)を、「現状追認主義の国」という日本の姿勢を示唆していると考えられる高名な政治学者・思想史家の丸山眞男さんの言葉「現実とは」を紹介しておきましょう。



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(7/22)
 




小泉前首相を引き継いだ安倍首相は、ことあるごとに、 「持続的な経済成長」を口にします。安倍首相を支え、去る7月29日の第21回参議院議員選挙の結果、「自民党の歴史的大敗」の責任をとって辞任した自民党の前幹事長の中川秀直さんが、著書「GDP1000兆円計画 上げ潮の時代」 (講談社 2006年10月発行) の「はじめに―――GDPが2倍になる必然」で次のように書いておられます。

「成長なくして日本の未来なし」を掲げる安倍晋三政権が発足した。「改革なくして成長なし」をキャッチフレーズにした小泉純一郎政権は、「マイナスからゼロ・プラスに」「不正常から正常に」に持っていくことに成功した。その改革の松明を引き継いだ安倍政権は、「確かなプラス」という明確な方向性を示して、日本を成長軌道に乗せていくことになる。「改革」の小泉政権から、「成長」の安倍政権へ―――

中川さんはさらに続けます。

・・・・・名目4%成長で成長していけば18年でGDPはいまの500兆円から1000兆円に倍増する。生まれたばかりの赤ちゃんが大学に入るころ、あるいは、いま20歳の青年が38歳の社会の中堅層になったころ、そして、50歳の壮年は68歳で、まだ働き続けるか年金での悠々自適の暮らしを選ぶかを考えているころ、日本の生活水準は2倍になっている。そして経済成長は、格差是正の良薬でもあるのだ。・・・・・

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そして、次の図は21世紀前半のスウェーデンと日本のビジョンを比較したものです。

先進工業国の中で、21世紀前半に「あべこべともいえるビジョン」を掲げた両国ですが、そのビジョンの目標年次はどちらも2020~30年となっています。

去る8月27日に発足した安倍改造内閣の閣僚は18人で、その平均年齢は60.4歳(ちなみに安倍首相は52歳)ですから、今年6月にドイツのハイリゲンダム・サミットで合意した「2050年までに温暖化ガスの排出量を半減させること」を見届けるのは無理かもしれませんが、この内閣の閣僚の多くはこの内閣がめざす「持続的な経済成長」というビジョンの結果に立ち会うことはできるでしょう。「上げ潮の時代」を書いた中川秀直さんも、そして、私も大丈夫だと思います。

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進化してきた福祉国家⑧  「福祉国家」スウェーデンを理解するために

2007-08-30 20:43:16 | 社会/合意形成/アクター

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ジャーナリスト、専門家、評論家、大学教授などスウェーデンの社会、特にスウェーデンの福祉制度や福祉政策等を紹介したり、論評される方々が多くおります。しかし、私はその紹介の仕方にある種の疑問を感じています。日本のジャーナリストや専門家の多くの方々のものの見方があまりにも狭すぎるという感じがするからです。

通常、福祉の話をする方は福祉の話だけしかしませんし、環境の話をする方は環境の話を、エネルギーの話をする方はエネルギーの話だけしかしないと言ってよいでしょう。紙面の制約や時間的な制約はあるでしょうが、話の多くは断片的で、現象面の解説が多く何故そうなのかといった背景の説明がほとんどありません。

福祉、環境、エネルギーは私たちが生きていく上で誰にとっても大切なことですから、それぞれを個別に考えるのではなく、それぞれが直接的に、あるいは間接的に関連し合っているというように幅広い見方をする必要があります。

日本には、日本の考え方があるし、日本の土壌があり、その土壌の上に日本は日本に適したと思われる福祉制度やエネルギー体系を持った社会システムを作ってきたわけですから、これらを考える際には日本の歴史を考慮に入れて考える必要があります。同じように、スウェーデンには、スウェーデンがめざした「福祉国家」というものがあります。

それぞれの国がそれぞれのめざした目標に対して努力してきた結果を現時点で比較してみた時に、両者に大きな相違が生じていたことがわかったのです。この相違はそれぞれの国の価値観とそれに基づく考え方の相違、そして国内外の諸問題に対する対応の相違によるものだと思います。

そして、両国は今、それぞれが築き上げてきた社会システムに修正を加える必要があることに気付いたところです。スウェーデンはすでに10年以上前から社会システムの修正に踏み出しました。

私たちは、便宜上、ものごとを事象別に考えますが、「現実の社会」はそうではなく、様々な事象が相互に影響しあっているのです。ですから、ですから、システマティックな考え方が必要です。

環境政策、エネルギー政策などの国の重要な政策の出てくる背景には、核になるその国の社会というものがかならず存在します。次の図はこれらの関係を示したものです。

ですから、エネルギーの話をするときにも、政治とか行政、法制度などの社会の基本的な要素を考慮に入れた社会システム全体を考える必要があります。私たちはこのような当たり前のことをすっかり忘れて、エネルギーの供給や研究開発と言う狭い枠の中で議論しがちです。

このことは何も外国を理解するときばかりではなく、日本の事象を理解するときにも言えます。特に、スウェーデンを考える場合には、上の図の中央にある社会システムが「福祉国家」になっていることに注意しなければなりません。
 
その場合の「福祉国家」はもちろん、昨日検証した「すべての国民を対象とし、一定の生活水準を保証する」スウェーデンの福祉国家であって、日本国憲法第25条が規定する「健康で文化的な最低生活」や「日本の福祉制度によるもの」ではないことは言うまでもありません。

私が言いたいことは、これまでの日本のジャーナリストや専門家がスウェーデンの事情を考えるときに、あまりにも「日本の頭」で、つまり「日本の視点」だけでスウェーデンを考えていたということです。ですから、スウェーデンの様々な事象を理解するには、日本の視点を越えた幅広い視点が求められますし、そのような幅広い視点を持つことがこれから日本の考え方を変えることに通じると思います。

これまでの日本の伝統的な考え方である「ものごとを細かく分けて分析するような方式」では福祉問題や環境問題、あるいはエネルギー問題などのように国民生活すべてにかかわってくるような問題には対応できないと思います。私たちは、どうも、ものごとを小さく狭く考える傾向があります。

日本で、現在、社会問題となっている「働き過ぎ」の話にしても、労働時間の短縮にばかり意識が集中しているように感じます。私はもっと幅広く見なければいけないと思いますし、労働の問題も社会とのつながりの中で考える必要があると思っています。特にスウェーデンの労働問題を考えるには、福祉国家との関連で理解するよう努める必要があります。



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進化してきた福祉国家⑦  他の先進工業国の「福祉(政策)」との質的相違

2007-08-29 15:31:01 | 少子高齢化/福祉/年金/医療
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今年1月1日にこのブログを開設して以来、今日は306本目の記事となります。8月13日の「進化してきた福祉国家① 世界の最貧国から世界で最も豊かな福祉国家へ」を掲載してから昨日まで、何か一つ最も重要なことを書き忘れていたのではないかと思い続けてきました。

それは、「福祉」という言葉の意味が、スウェーデンと他の国(特に欧米諸国および日本)では質的に大きく異なるということです。

今思えば、この質的相違をもっと早く皆さんにお知らせすべきであったと反省しています。この相違が理解できないと昨日のブログのテーマであった「官庁の地方分散と福祉」の内容を十分にご理解いただけなかったかもしれません。





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8月21日のブログで紹介した訓覇法子(くるべのりこ)さんの著書『スウェーデン人はいま幸せか』 (NHKブックス 1991年))に続いて出版されたもう一つの著書『現地から伝えるスウェーデンの高齢者ケア:高齢者を支える民主主義の土壌』(自治体研究社、1997年1月5日発行)の中にその質的な相違が実に明確に記述されています。





欧米諸国は上の図の①~③のいずれかに分類され、「社会保障国家」と呼ばれています。私たちが「福祉国家」と認識しているデンマークも訓覇さんの定義にしたがえば、「社会保障国家」で、福祉国家ではありません。 先進工業国の中で 「福祉国家」 と呼ばれるのは、スカンジナビア3国(スウェーデン、フィンランド、そしてノルウェー)ということになります。

スウェーデンのマルメ大学総合病院リハビリテーリングセンターで作業療法士をされておられる河本佳子さんはスウェーデンと日本の相違を次のように考えておられます。



★日本はどこに

ところで、訓覇さんの分類には日本が登場しません。④ではないことは確かですので、①~③のどこかにということになるのでしょう。①でしょうか。再確認しておきたいのですが、訓覇さんの本が出版されたのが1991年ですから、この本で使われたデータは90年頃まで、つまり、15年前の欧米の状況を示していると考えられます。

以下の日本の事例は訓覇さんの本の出版以後の日本の状況を示すものです。




 「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」という憲法第25条の規定を具体化したのが1950年制定の「生活保護法」だとのことですが、以下に示した行政の対応や事例をみると憲法が求める条件を法律制定後50年近く経った現在でさえも満していないといえるのではないでしょうか 「すべての国民を対象とし、国民最低生活保障ではなく、一定の生活水準を保障する」というスウェーデンの考え方と日本の考え方の開きの大きさに愕然とするのは私だけではないでしょう。








なお、この事例は埼玉県の場合ですが、なんと1日で行政の決定を翻しています。





「生活保護にも人間の視点を」という投書に示された日本の状況と、訓覇さんが定義する 「福祉国家」スウェーデンの状況(すべての国民を対象とするスウェーデン型福祉国家の強みは、保障の普遍性やレベルの高さだけでなく、人々に受給者、貧困者、社会的脱落者などという烙印を社会が押さないことにある。すべての人が同等の価値を有する民主主義が、社会の重要な価値観に据えられているからである。)との質的相違はとてつもなく大きいと思います。

20世紀の「生活保護の状況」に加えて21世紀に新たに生じた「少子高齢化」に伴う年金・医療・介護など福祉全般にわたる、スウェーデンと日本の落差は、たんに「国民負担率」で示される差以上のものがあります。この10年間で日本の状況はどの程度改善されたのでしょうか。それとも悪化しているのでしょうか。

1999年に100万人を超えた生活保護受給者数は2005年には142万人に増加したそうですから、事態は改善されていないものと思われます。

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進化してきた福祉国家⑥  官庁の地方分散と福祉

2007-08-28 08:08:45 | 政治/行政/地方分権

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今朝の朝日新聞の一面トップの記事はもちろん、昨日行われた安倍改造内閣発足に関するものです。 「地方を重視」という見出しがあり、増田寛也・前岩手県知事を総務相に登用することで、「地方軽視」と指摘された改革路線の修正をにじませた、と書かれています。そして、総務担当大臣の主な任務として「地方分権改革 道州制地方・都市格差是正 郵政民営化」が掲げられています。 

今日は「進化してきた福祉国家⑥」で、官庁の地方分散と福祉を取り上げます。日本の「これから(明日)」を考えるときのヒントが含まれているかもしれません。とは言っても、今から数10年前の話、1970年代初めに遡りますけれど・・・・・ちなみに前回の「進化してきた福祉国家⑤ スウェーデン型社会民主主義」 は8月17日の記事でした。

スウェーデンでは、国の官庁を首都ストックホルムから地方に分散する試みに、40年近く前から取り組み、地方の活性化に効果を上げてきました。国会が官庁の移転を最初に決めたのが1971年のことだったそうです。官庁のうち移転の対象になったのは国の政策立案に当たる省を除いた、実務を担当する行政機関でした。90年頃までに50近い政府機関や軍事施設が移転し、およそ10万人がストックホルムから地方に移り、同時に鉄道や道路、空港、通信設備、大学、公共サービスへの投資も行われました。

スウェーデンのこの官庁の分散化で注目しておきたいのはこの移転計画が「平等の生活条件、機会均等」などの福祉政策に裏打ちされた分散化であったという点です。当時、政府は民間にも分散を求めましたが、企業は、生産施設は移しても本社機能を移そうとはしませんでした。今後は民間の分散が課題だそうです。
 
日本でも、東京一極集中化を是正するために、新たな経済圏や東京遷都などがこれまでマスコミで何回となく論ぜられましたが、このような議論が煮詰まり行動の時が近づくにつれて、おそらく、問題になるのは日本の労働力に流動性がないことだろう思います。

「ハイテクを駆使した立派な器はできたけれども、その中に入るべき肝心の人が集まらなかった」などということが起こりかねません。日本は技術への信仰が強すぎるあまり、工学的志向が強すぎて、しばしば、私たち人間の心理的な側面をおろそかにしがちだからです。

その意味で、スウェーデンの福祉制度が労働力の流動化にプラスの作用をしている点を考えてみる必要があると思います。日本の企業が“人手不足”を理由に、“人集め”という目先の目的で競って社宅の改善をはじめとする福利・厚生施設の整備を進めますと、ますます福利・厚生をはじめとした様々な企業間格差が増大し、大企業への労働力が集中し、労働市場の労働力の流動性は失われることになるでしょう。

労働力の流動性が失われれば、大都市への一極集中を解消するのはほとんど不可能でしょう。スウェーデンは「機会均等」とか「平等」ということを福祉国家の基本理念の一つとして掲げていましたので、企業は自社の社員の福利・厚生施設を充実する必要はありませんでした。この原則は大企業であろうと中小企業であろうと変わりません。

一般論としては、スウェーデンでは企業の従業員に対する「福利・厚生」の面での企業間の格差はほとんど無いということです。その代わり、国は企業の大小に応じて税金を取り、従業員の属する企業の大小や業種に関係なく、その税金を福利・厚生の面から国民に均等に分配するという形を取ることになっています

つまり、健康障害を起こした場合、あるいはその他の福祉サービスの必要な場合に、どのような職業に就いていようと、どのような企業に属していようと、あるいはどこに住んでいようと、大都市に居住していたときと同程度の福祉(社会サービス)が国から得られるということが国の制度で原則的に保証されていることがわかれば、国民はいっそう自由になれるでしょう。

この種の「安心感」からスウェーデンの労働力の流動性は先進工業国の中でも大きかったといってよいでしょう。ここにも、「福祉国家」スウェーデンを支えている基本理念である「機会均等」や「平等」という考えが具体的な形で生かされています。



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今度は、過去最低を更新!

2007-08-27 06:35:49 | 政治/行政/地方分権


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今朝の朝日新聞の2面の「時時刻刻 きょうがわかる」には「米に並ぶ排出国 温暖化対策 中国そろり」「石炭消費量5年で1.7倍」「CO2の原因認める」「途上国を全面 排出権売り手に」「成長持続へ省エネ指令」「非効率工場次々閉鎖」という見出しが躍っています。そして、この大きな記事に添えられたデータをみれば、この記事は当然のこと、想定されたことは言え、かなりショックな記事です。


でも、今日の私がもっと大きなショックを受けたのは「埼玉知事選」と「盛岡市長選」の結果を伝える一面の比較的小さな次の記事です。


両候補とも再選されましたが、埼玉知事選の投票率はなんと27.67%、盛岡市長選は30.94%で前回の投票率を大きく下回っています。

比較のために、2006年のスウェーデンの議員選挙の投票率を紹介します。スウェーデンにはつぎの3つのレベルの議員選挙があります。

① 国会議員の選挙(Riksdag)
② 地方議員の選挙(County Council)
③ 基礎自治体議員の選挙(Municipality Council)

スウェーデン統計局のデータを参照します。それぞれの図の投票率(%)の後のかっこの中の数値は選挙区の数を示しています。たとえば、図の中で80.2・84.6(5)とあるのは80.2~84.6%であった選挙区が5つあったということです。


数字が小さく、読み取りにくいので、リライトします。

国会議員選挙投票率(2006年) 地方議員選挙投票率(2006年) 
83.2・84.6%(選挙区数5)   80.3・81.1%(選挙区数5)
81.8・83.2%(選挙区数13)  79.4・80.2%(選挙区数4)
80.4・81.8%(選挙区数5)   78.5・79・4%(選挙区数4)
79.0・80・4%(選挙区数5)   77.6・78.5%(選挙区数4)
77.6・79.0%(選挙区数1)   76.7・77.6%(選挙区数3)

基礎自治体(市町村)議員選挙投票率(2006年)
83.5・89・4%(選挙区数27)
77.5・83.5%(選挙区数186)
71.5・77.5%(選挙区数71)
65.5・71.5%(選挙区数5)
59.5-65.5%(選挙区数1)

スウェーデンの議員選挙投票率をみると、国会議員選挙投票率も地表議員選挙投票率も日本に比べて非常に高いことがわかります。


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スウェーデンの国会議員の投票率の推移


昨日のブログでは、過去最高を更新したことを取り上げましたが、今日は過去最低を更新です。好ましくないと思われることが過去最高を更新し、好ましいと思われることが過去最低を更新する「日本の今」はどうなっているのでしょう。

「地方分権」こそが、環境問題やその他の問題を解決する21世紀の有効手段だと考え、スウェーデンの状況を先に紹介しましたが、日本の地方分権はどうなっていくのでしょうか。

ますます日本の現状に不安を覚えます。「国民の不安解消」こそ、国や地方を問わず、政治の対象であるべきというのが私のブログのテーマなのですが・・・・・



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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑩   地方分権:国と地方の役割分担

2007-08-27 04:46:30 | 政治/行政/地方分権

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スウェーデンは少ない人口にもかかわらず、世界で最も非中央集権的な基礎自治体(288のコミューン=市町村)があり、日常生活に密着した各種の責任を担っています。スウェーデンの地方分権の理念は、「行政の決定は、できるかぎりその影響を受ける人々の近くでなされるべきである」という点にあります。

この理念を支えるために、地方自治体は1974年から「課税権」と「税率の決定」79年から「起債権」を持ち、93年からは、国からの補助金は一括して地方自治体の裁量で自由に使える「一括交付金」に変更されました。
 
詳しいことは難しすぎて私にはよくわかりませんが、日本でも先の小泉政権下で「地方にできることは、地方に」という理念(?)のもとに進められた「三位一体の改革」(「国から地方への補助金・負担金を廃止・縮減」「地方への税源移譲」「地方交付税の見直し」を同時に行う改革)に相当するような行政改革が30年以上前に一段落し、およそ15年前に追加措置が取られたということでしょう。


スウェーデンには環境問題のみならず、ほかの多くの問題の解決に、地方の自主的決定、独立が必要だとする確固たる認識があります。



このような認識に基づいて、スウェーデンでは、国、地方の役割分担がはっきりしています。外交、防衛、経済、労働市場の政策など、国家レベルでの対応を求められる分野のみが国の担当分野です。
 
一方、社会福祉サービス、義務教育、保育、環境、文化、住宅政策など市民の身のまわりに直接関係する諸課題は、基本政策の策定を除いて、ほとんどすべて地方自治体(コミューンと呼ばれる)地方自治体の権限で行なわれます。これは地方自治体の予算の支出項目を見れば明らかです。
 
医療については、その技術的水準を保つことが地方自治体(市町村)の規模ではむずかしいと考えられているので、全国20のレン(日本で言えば「県」)が対応しています。
 
地方自治体への権限移譲は環境問題を含む多くの分野でつぎつぎに導入されてきましたが、これはスウェーデンの伝統的な「個人の民主的な権利」を確保するためのものです。
 
福祉問題の専門家、山井和則さん(民主党・衆議院議員)と斎藤弥生さんによる『スウェーデン発 高齢社会と地方分権――福祉の主役は市町村』(ミネルヴァ書房、1994年)に、スウェーデンの中央政府と地方自治体との関係をたいへんわかりやすく説明した、 「ダイヤモンドモデル」「砂時計モデル」があります。

ダイヤモンドモデルは、広域行政(州レベル)が最も大きな権限を持っています。ヨーロッパでは、スイスやドイツがこの型に当たります。スウェーデンは、砂時計モデルに最も近い国です。

スウェーデンの環境政策が変化しはじめたのは、80年代に入ってからのことです。それ以前は、環境政策の主な目標は、地域と地方に影響を及ぼす主な固定発生源からの排出をモニタリングし、汚染物質の排出量を低減することが中心でした。それであっても当時としては先進的で、いくつかのスウェーデンらしい方法はあったものの、具体的な対応策では日本の環境対策とそれほど大きな違いはありませんでした。

80年代後半になると、環境政策は交通、農業、製品、原料などの日常の経済活動から拡散された排出に対応するようにシフトしてきました。
 
90年代に入ると 「持続可能な開発」、さらには「緑の福祉国家の実現」をめざして、問題が起こる前に発生源で問題を解決する手段(予防原則)を見出すことにいっそうの力点を置く政策がとられるようになってきました。20世紀の国づくりでは想定外であった「環境問題への対応」が、21世紀の国づくりの大前提としてはっきり意識されるようになってきたわけです。
 
このような考え方の変化は国の役割を変え、地方自治体への権限の移譲をいっそう促しました。

「緑の福祉国家の実現」には、これまでの役者(国会、中央政府)から、これからの役者(地方自治体および住民、個人)に役割の重要性が移行してくるという明確な認識から、1992年1月に「新自治法」が施行され、地方自治体の権限がさらに強化され、地方自治体は必要とする「行政局や庁」を自由に設置することができるようになりました。

96年末までに、全国288のすべてのコミューン(市町村)が、持続可能な開発をめざす行動計画「ローカル・アジェンダ21」を策定しました。国の政策は地方自治体と住民の協力により、具体化されます。
 
地方自治体と住民の協力こそが現実的な問題解決の基本であるという考えです。まさに、環境問題に関心のある方ならご存じの「Think globally, Act locally」の標語どおりです。



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またまた更新、3つの指標

2007-08-26 11:00:57 | 経済


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これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったようである。90年代後半になって日本の社会制度からつぎつぎに発生する膨大な社会コストの「治療」に、日本はいま、追い立てられている、とこれまでのブログで繰り返し書いてきました。

昨日の朝日新聞の記事2点と今年1月26日の朝日新聞の記事を参考にします。いずれの記事にも、 「(過去)最高」の文字が ・・・・・ 日本の社会は望ましい方向に向かっているのでしょうか。


★国の借金、最高836兆円 6月末


財務省は24日、6月末時点の国の借金残高が836兆5213億円と過去最高を更新したと発表したそうです。

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★05年度の国民医療費 最高の33兆円


この記事は小さな記事ですが、このデータは私が気にかかっていたデータです。日本の医療費がいかに高いか、そして年々増加しているはこれまでの新聞報道などでご承知のことと思います。

1990年の厚生省の国民医療費推計によれば、当時の日本の医療費は年間20兆円を越えていたそうです。この17年間に統計の内容が変わったり、定義が変わったりしたかどうかは定かではありませんが、医療費が増えていることはまちがいないでしょう。

もっとも、この医療費が国際的に見て高いのかどうかの判断はその内容(治療的に使われているのか、予防的に使われているのか)を十分吟味した上で議論しなければなりません。日本ではコストとか、経済性ということが盛んに議論されますが、それは往々にして「目の前のコスト」であり、「目の前の経済性」である場合が多いのです。


★「国民負担率」 最高の39.7%


このデータも、日本の福祉政策や経済政策を議論する時に、かならずといってよいほど引合いに出される日本独自の不思議なデータです。

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このように、良きにつけ悪しきにつけ、 「最高」という文字が躍るのは、「持続的な経済成長」という国のビジョンのもとで、適切な制度の構造改革がなされていないためだと思います。



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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑨   省益に左右されない「意思決定システム」

2007-08-26 06:36:22 | 政治/行政/地方分権


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スウェーデンでさまざまな先駆的試みが実現する背景には、行政府がつねにビジョンを打ち出していること、そのビジョンのもとで、方向のはっきりした政策を立案し、ビジョンが現実のものとなるための制度を用意していること、があります。今日からその主な社会システム(制度)の一端を紹介していきます。


★エコロジー的視点に欠ける日本の環境法体系

日本の環境行政の最大の欠陥は環境関連の法体系の中にエコロジーの視点が入っていないことです。 “エコ”という言葉がマスメディアで安易に使われるために、「エコロジー」という環境問題を考える際の根本をなす「自然の法則あるいは概念」空洞化させてしまっているのが現状です。もし私たち人間に“英知”があるなら、今すぐにでもその英知を出し合って、協力しなければなりません。

エコロジー的な考えの根本はたくさんの異なったものがそれぞれに影響しあいながら共存するという前提ですから、エコロジー的発想があれば、分野の異なる研究者や省庁の枠を越えた行政官が共通の目的のために協力することが可能になります。このような体制が社会の中になければ環境問題の解決はほとんど不可能でしょう。そう考えた時に、日本の現行の行政システムはそれからかなり離れた方向を向いているのではないかと思います。
 
スウェーデンの環境問題に対する取組みは決して高価な最新の公害防止設備の設置を誇示するのではなく、「足元の一般の生活意識」にその基礎があります。国の政策に国民の要望を汲み上げ、様々な現象を総合的に考え、それらの整合性をはかり行動に移すとき、その構成要素の一つ一つは最高のものではなくてもその行動は大きな力となることは、これまでのブログでも繰り返し書いてきました。。

ですから、政治、行政、司法、企業、科学者、国民など社会を構成する各主体の調和のとれた協力が重要となるのです。その具体的な試みとして、国の政策を左右する政府の政策案がまとまる前に「国民各主体の声を反映できる仕組み」「『利害の異なる国民の合意形成を助ける仕組み』が国の意思決定プロセスの中に組み込まれています。


★環境政策策定のプロセス(レミス手続き)

国の基本的な環境政策の決定までのプロセスを日本のプロセスと比較しながら簡単に説明しましょう。次の図をご覧下さい。


日本では、 「環境問題」は原則的に環境省の所管事項ですから、環境大臣は、必要に応じて、その諮問機関である「中央環境審議会(1993年11月に環境基本法が成立するまでは中央公害対策審議会)など」に諮問し、その答申を受けます。答申に基づいて、環境省は政策を立案し、実行に移します。 「エネルギー問題」の場合には、経済産業省が所管官庁ですから、図の環境大臣が経済産業大臣に、中央環境審議会が総合エネルギー調査会に、環境省が経済産業省に変わります。これが、悪名高い、しかし、容易に変えられない「縦割り行政」です。税金の問題であれば、財務省となります。

これに対して、スウェーデンの場合は、日本のように所管事項によって諮問の関係官庁が変わるということはなく、基本的には、各省の長である大臣の集合体である内閣主導型の「政府」が諮問機関(様々な調査委員会)に案件を諮問し、その答申(報告書)を受けます。調査委員会の報告書はあくまで政府の立場で作った報告書であるという認識です。

平たく言えば、調査委員会の報告書は社会の構成員である国民各主体を代表する各団体からコメントを求めるためのたたき台となる共通資料です。政府は政府の政策案を策定する前に、調査委員会の答申を政府の公式な報告書(SOU)として公表すると共に、この報告書の同一コピーを利害関係の異なる関係機関・団体(具体的には行政機関、産業界、労働組合、消費者団体、環境保護団体およびその他の諸団体)に送付して、それぞれの機関・団体の立場からの文書による意見を求めます。場合によっては、この報告書を隣接諸国に送り、相手国の意見を求めることもあります。

調査委員会の報告書に対するそれぞれの関係機関・団体から送られてきた意見を参考にしながら、政府は法案だけでなく、重要な政策案(政府が国会に出す法案や政策案を英語ではBillと言います)を策定し、国会に提出して国会の審議に付し、国会の承認を得るという手順を踏みます。

この一連の手順を「レミス手続き」と言います。レミス手続きは国の基本的な政策を策定する際に取られる一般的な合意形成のための手順です。「レミス=Remiss」とはスウェーデン語で「照会する、問い合わせる」という意味で、英語のReferenceに相当します。国の政策を左右する政府の政策案がまとまる前に国民各主体の声を反映できる仕組みが国の意思決定プロセスの中に組み込まれているわけです。

行政、学者、市民、産業界、政治家など社会を構成する国民各主体が国の政策決定に参加する仕組みです。この手続きは国民のコンセンサス(合意)を基礎としていますので、時間がかかりますが、一たん政策が決まれば国民の協力が得やすいと言えるでしょう。

スウェーデンには、日本と違って、基本的に「省の決定」というのはありませんので、「省益」はないと言ってよいでしよう。この政策決定プロセスを支えるのは「国民各主体の参加」「情報公開」および「チェック機能」です。

一方、省庁主導型(官僚主導型)の日本では、各省庁の大臣の諮問機関である「審議会」は所管の分野で日本の政策を方向づけたり、あるいは決定する際に重要な役割を担っています。日本とスウェーデンの政策決定のプロセスの相違を意識しながら新聞やテレビを見ておりますと、ことあるごとに「審議会はいつも政府の言いなりになっている。審議会は行政の隠れ蓑になっている。今までのようなやり方ではこれからの問題に対応できないのではなかろうか? もっと幅広い対応が必要である」という趣旨の記事や主張に出会います。日本の構造改革でまず最初にしなければいけないのが「縦割り行政」だ、というのが私の以前からの主張なのですが・・・・・

このような記事を見るにつけ、スウェーデンの国の意思決定システムには、日本の参考になりそうなヒントがいくつかあるような気がします。


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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑧    国の方向を決めた政治的選択 

2007-08-25 07:42:52 | 政治/行政/地方分権

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今年1月1日に開設したこのブログ「環境・経済・福祉(社会)、不安の根っこは同じだ! 将来不安こそ、政治の力で解消すべき最大の対象だ」は、早いもので今日、237日目を迎えました。この間、一日も休むことなく掲載し続けた記事は今日のこの記事で、通算300本目となります。

スウェーデンは、1813年のナポレオン戦争以来190年以上、戦争に参加していません。第2次世界大戦後から「非同盟・武装中立の立場」を守ってきました。1990年8月に始まり、91年1月に終わった「湾岸戦争」や、2003年3月に始まった「イラク戦争」へ軍隊を派遣していない国(北欧諸国では、ノルウェーとデンマークがイラクへ軍隊を派遣)でもあります。
 
60年代末に核兵器の開発と保有の権限を放棄するという平和主義路線の選択を決定したこと、軽水炉型原子炉技術を独自に開発したのは、世界で米国、ソ連、スウェーデンの3カ国だけであること(英国、フランス、ドイツ、日本などは米国からの技術導入)という事実はあまり知られていないかもしれません。

また、よく知られるように、240年もの歴史がある「情報公開制度」と、195年以上の歴史がある「オンブズマン制度」(行政の独走や不正をチェックする国会の制度)があること、

男女同権の立場から第一子に王位継承の最優先権を認めた世界初の国であること、世界初の「個人情報保護法」 (1973年成立、98年改正)を持つ国であることなども、日本の近未来を考えるときに参考になるでしょう。ちなみに、日本の「個人情報保護法」は2005年4月1日から全面施行されました。
 
そして、「郵政民営化」を11年前の1994年に実施したこと、いま最もホットな話題である「年金問題」では、世界に先駆けて「新公的年金制度」 (1999年施行)をつくりあげた国であること、EUの環境戦略をリードする国(EU内閣の環境担当相は2004年4月までスウェーデンのマルゴット・バルストレムさんであった)であること、などの事実を知る人は少ないでしょう。

また、スウェーデンは日本とは違って、バブルの崩壊を克服し、それにともなう「不良債権の問題をすみやかに解決した国」でもあります。

1987年には米国に次ぐ世界第2位の経済規模(GDPの大きさ)を誇った日本は、最近でこそ多少明るいきざしが見えてきたとはいえ、10年以上も経済停滞を続け、国際社会を驚かせました。一方、スウェーデンは、90年代初めには日本と同じようなバブル崩壊で経済が一時停滞しましたが、短期間で停滞を抜け出しました。

1993年から現在に至るまで好調な経済を維持しながら、2025年には、主な環境問題を解決した新しい社会である「緑の福祉国家」を次世代に引き渡すことをめざして、力強い一歩を踏み出したところです。
 
これらの政治的選択が、現在のスウェーデンの基礎をつくっていることは間違いないでしょう。私の環境論の考えの一つの柱である「今日の決断が将来を原則的に決める」とする経験則の応用問題です。

こうした両国のあり方の違いは、政治のリーダーシップにあると私は見ています。

ですから、日本にできなかった実績を持つスウェーデンの政治や政策、すなわち21世紀前半の具体的な行動計画を分析し、提示することは、21世紀前半にめざすべき日本の「持続可能な社会」の方向性を議論するときの参考になると考えました。

このブログでは、こうしたスウェーデンの、主として80年代半ば以降の、「緑の福祉国家」に転換するための政策の枠組みと私が理解した20世紀の「福祉国家」の大枠を紹介し、大きな見取り図を支える制度がどのようにして整えられてきたのかを明らかにしよう試みています。

私にとってスウェーデンはどうでもよいのです。グローバル化した市場経済システムのもとで、彼らが自ら選択した「生態学的に持続可能な社会」の実現に向けてひたすら努力を続けてくれさえすれば・・・・・

私にとって心配なのは、この日本です。私が意を決して今年1月1日にこのブログを開設し、私が理解したスウェーデンと日本の状況を「私の環境論」に基づいて書き続けてきたのは、21世紀前半の日本の国づくりの話のお役に立てば、と考えてきたからにほかなりません。

明日、8月26日(日)に、21世紀に生きる若い人たちが中心となってつくる 「持続可能なづくりの会<緑と福祉の国・日本>の設立総会が開かれます。



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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑦   スウェーデン人のイメージ④

2007-08-24 07:16:09 | 社会/合意形成/アクター

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私たちの身のまわりには、スウェーデン人が発明したり、実用化したり、商品化した技術や生活用品がかなりあります。電気冷蔵庫、電気掃除機、卓上式電話機、マッチ、ファスナー、心臓のペースメーカー、自動車用シートベルト、コンピュータのマウスなどはその代表的な例です。

「自然愛好」「ほどほどの精神」「協力」「勤勉」などスウェーデン人を語るときによく使われる表現は、つい最近まで日本人の好ましい特徴として、国際的にもよく知られてきたところです。 

スウェーデン人が自分たちスウェーデン人について語るとき、多くの人が共通してとりあげる言葉が2つあります。一つは「森」で、もう一つは「ラゴム(lagom)」です。スウェーデン人には、森に対するある特別な感情があり、それが環境保護に熱心な理由だといわれています。基本的人権の一つになっている「自然享受権」に従って野山を歩き、野いちごを口にするとき、もし、その野いちごが農薬や放射能で汚染されていたら、それは「権利が侵された」ということだ、と語るスウェーデン人もいます。
 
ラゴムとは「ほどほどに(節度を持って行動する)」というような意味で、この「ほどほどの精神」が、争いや対立を避け、意見が違っても話し合いを通して問題の解決に向かうスウェーデンの伝統やユニークな社会制度をつくってきたのかしれません。
 
スウェーデンの「福祉国家」を、別の言葉であらわせば、「協力社会」ということになるでしょう。年金、医療保険、介護保険、失業保険など、日本でもこれからますます必要とされるさまざまな安全のセーフティ・ネットや安心のためのさまざまな社会制度は社会を構成する老若男女の協力があって初めて完成されるものです。「競争」よりも「協力」という考え方は、本来、日本人の性(しよう)に合うはずです。 

このように、両国民の資質には共通な部分がかなりあるのですが、 両国が長年にわたって築き上げてきた現実の社会制度と法体系、将来に対する見通しには、大きな違いが認められます。現象的にみると、両国はあべこべの国、正反対の国、と言ってもよいカかもしれません。その象徴的な違いが「予防志向の国」(政策の国)と「治療志向の国」(対策の国)
なのです。

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 「予防志向の国」(政策の国)と治療志向の国(対策の国) 

「国際機関への提案が多い国」と「国際機関の勧告を受けることが多い国」

自然科学や社会科学に基礎を置く理念のもとで、適正な技術、ほどほどの精神、現実へのすばやい対応など、スウェーデンが20世紀後半に実践してきた考え方や行動は、21世紀の「安心と安全の未来」への道を開くことになるでしょう。



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今夏最高記録を更新、東電の最大電力は6147kW

2007-08-23 17:37:50 | 原発/エネルギー/資源


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今朝の朝日新聞の一面トップは、予想どおり、最大電力に関する記事でした。東京電力の22日の最大電力(電力需要)は6147万キロワットで、今夏の最高記録を更新したそうです。「電力カット要請発動」「東電 23か所、17年ぶり」という活字が昨日の大変さを物語っています。



二面の「時々刻々」は一面の解説記事ですが、ここには、事態がもっと深刻であったらどのような措置がとられるのか、わかりやすい記事「↓それでも足りない時は」が載っています。


「電力カットの要請」は90年8月以来17年ぶり だそうです。キーワード「随時調整契約」によりますと、90年は、バブル経済で急増した電力需要に発電設備の増強が追いつかず,契約履行を求める事態になったとのことです。そうであれば、8月7日のブログで紹介した「夏の高校野球は9月に行えばよいのでは」という私の提案は90年の電力ひっ迫時期に行われた、あるシンポジウムの発言だったのかもしれませんね。

私は「最大電力」について、4回関連記事を書きましたが、おそらく今年はこれ以上書くことはないでしょう。昨日は予想最大電力6100万kWに対して、最大電力は14:00~15:00に6147万kW(供給力は6250万kW)発生しましたが、今日の予想最大電力は4950万kW(供給力は6010万kW)、最大電力は14:00~15:00で5179kWに止まっています。

1990年から2006年末までに日本の原子炉は18基増え、現在55基が商業用発電に使われています。にもかかわらず、CO2の排出量は90年代に比べておよそ8%も増えています。これは当然のことで原発は稼働中のCO2の排出量が極めて少ない発電装置ではありますが、CO2削減装置ではないからです。

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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑥    スウェーデン人のイメージ③ 

2007-08-23 06:54:16 | 社会/合意形成/アクター

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元駐スウェーデン大使であられた戸倉栄二さんは、訓覇(くるべ)さんの著書『スウェーデン人はいま幸せか』(NHKブックス 1991年)の「刊行によせて」の中で、「私は長い外国生活を送ったが、最後に駐在したスウェーデンについては殊のほか印象深いものが多かった。特に感じたのは、平和への努力と福祉とが密接不可分の関係にあるということである」と述べて、次のような趣旨のことを書いておられます。
      
(1)1813年のナポレオン戦争以来170年余、全く戦争に参加しておらず、今日の先進各国の歴史を顧みるとき、これは驚くべきことといわざるを得ない。いかなる軍事同盟にも参加しない「中立国」スウェーデンは、平和に役立つ良い具体策があれば次々にこれを国際場裡に提示して、その実現に向かって不断の努力を重ねてきた。
      
(2)このスウェーデンが現在世界で最も進んだ福祉社会の一つを実現している。この福祉社会は、1976年まで実に44年の長きにわたり、政権の座にあったスウェーデンの社会民主党政府の下に築き上げられたものである。
      
(3)高福祉、高負担の福祉政策の行き過ぎとして、社民党内閣を批判する声も多い。しかし、スウェーデンの政治を観察してみると、そこでは与野党というものが、いわば同じ土俵で相撲を取っている。特に、外交問題については与野党の間に政策上の差異は存しないと断言できる。福祉政策についてもスウェーデンの与野党間には、その大綱においてコンセンサスが出来上がっている。福祉社会を維持し、強化していくことについてスウェーデンの政財界有識者の間に ネガティブな見解はほとんどないのである。


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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑤    スウェーデン人のイメージ②

2007-08-22 07:32:36 | 社会/合意形成/アクター


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1995年1月1日のEU加盟後のことはわかりませんが、それ以前のスウェーデンは平等社会の実現」を理想としていたと思います。その実現のために、スウェーデンは社会の弱いグループを保護する政治と平等を軸に、連帯により様々な社会的問題を解決してきましたし、これからもそのような伝統的方法で社会的問題の解決をめざしていくでしょう。

ストックホルム大学社会福祉学部で社会福祉の研究を続けてこられた訓覇法子(くるべのりこ)さんによれば、スウェーデン人一般の国家や公共部門に対する見方はかなり積極的かつ信頼をともなった肯定的なもので、スウェーデンでは、国民の中に公共的なものに反感を持つという伝統はほとんどないそうです。このことはなぜスウェーデン人が社会保険制度や福祉制度のために「自助努力的解決」ではなくて、「公共的解決」を選択したかという説明にもなるとのことです。
 
「国家や公的なものへの信頼感」という点も、日本とスウェーデンの間にある大きな相違の一つです。私はここで、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後にスウェーデンの生協(KF)を訪問した日本のある生協グループが、帰国後書いた次のような趣旨の感想文を思い出しました。
   

X X X X X
「スウェーデンの生協(KF)を訪問した時に、チェルノブイリ原発事故後の食品中の放射能の検査体制について質問したところ、国の機関が検査をしているので、生協としては特別の検査をしていないという返事であった。わが国では、私達が独自の検査体制をもって、検査をしているというのに。また、食品添加物についても、同様の質問をしたところ、同じように、国の機関が検査しているので、生協では検査していないという返事であった」
X X X X X 

私がおもしろいなと思ったのは「わが国では私達が独自の検査体制をもって検査をしているというのに」という箇所です。ここに、公的な機関への信頼感の相違を感じます。
 


訓覇さんの著書『スウェーデン人はいま幸せか』の最終章の一部を、以下のように引用させていただきます。
   

X X X X X 
日常生活のなかで育まれてきた「福祉の思想」が一人一人の心の中に常識として深く息づいていることである。福祉とは、単に選挙の公約でもなく、政治討論の議題でもない。行政処理でもなければ、企業のマーケットでもない。スウェーデンという共同体の、ひいては国民一人一人の幸せの前提であり、生活そのものである。

一人一人の生活を大切にすることが、自分の生活を大切にし、ひいては共同体を発展させていくことにつながるという認識は自然発生するものではない。教育などを通して、子供達に福祉の思想を伝えていくのは大人すべての責任である。たとえ疾病手当ての受給額が10%あるいは20%引き下げられても、医療負担が少し増えても、スウェーデン人は損をするだろうとは考えないだろうし、スウェーデン社会の追い求めてきた理想社会、そしてそれを支える理念は崩壊しないであろう。

弱き人々と共に歩むことができるスウェーデン人はほんとうの「豊かさ」の原点を知っているからである。築き上げてきた「豊かさ」は一時的な経済危機によって簡単に失われるものではないであろう。
     
90年代のスウェーデンは揺れに揺れながら、社会科学の実験国として構築してきた「豊かさ」を検証し、 「すべての国民にとってより平等の社会」をめざすためのたゆみない努力を、忍耐強く続けていくと私は思う。
X X X X X


訓覇さんの著書『スウェーデン人はいま幸せか』は1991年、つまり、近年ではスウェーデンが最も経済的に苦悩していたときに書かれたものです。現在のスウェーデン経済は絶好調と言ってもよいでしょう。すでに何回も書いたように、スウェーデン政府の報告書(2007年1月4日公表)によれば90年から2005年までの15年間にCO2を7%削減しながら36%の経済成長を遂げています。このスウェーデンの現状を、訓覇さんは現在どう評価しておられるのでしょうか。

スウェーデンのCO2の排出量の推移を掲げます。


スウェーデンの最新の経済成長率(GDP)と失業率を掲げます。







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なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう④    スウェーデン人のイメージ①

2007-08-21 12:41:35 | 社会/合意形成/アクター

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スウェーデン滞在が長く、その間にストックホルム大学社会福祉学部大学院研究員であられた訓覇法子(くるべのりこ)さんは15年以上前に出版した 『スウェーデン人はいま幸せか』 (NHKブックス 1991年4月)の中で、スウェーデン人のイメージを次のように述べておられます。

     
(1)争いや対立を避けようとする意識が高く、理想として同じ考え方や意見でもってまとまれるよう、話し合いを通してできる限りの努力をする。     

(2)スウェーデン人はどちらかというと芸術家タイプというより、自然科学的思考をし、合理的かつプラクティカルなタイプである。

(3)不法・不正に対して妥協せず、高度の遵法精神を持つ人道主義である。
     
(4)個人尊重と連帯思想の見事なバランス。日本人における「個」というものが全体あっての「個」として存在するなら、スウェーデン人の場合は、独立した「個」があって、全体が存在するといえる。この国の人々は嘘がなく、意見が異なっても感情を害することなく、相手を尊重しようとする努力をおこたらない。そのうえで意見を尊重し、全体としての見解および結論にできる限り歩み寄ろうとする。

訓覇さんによれば、今から120年以上前の1884年(明治17年)に設けられた労働者保険委員会が1888年にスウェーデンで初めての階級分析を行っており、このときの調査分析の結果はなんと国民の94.4%が労働者階級あるいはそれに等しいというものであったそうです。つまり、当時のスウェーデン人のほとんど全部が労働者階級に属していたというわけです。この事実が基礎になって、年金などの普遍的供給の原則が打ち立てられたのだそうです。

訓覇さんはさらに続けます。
     
(1)スウェーデンでは首相、大臣だろうが、会社の社長だろうが、地下鉄に乗ったり、自分の車を運転して通勤するのである。国王もプライベートの旅行の時は自分でカバンを持って歩き、迎えもなしに自分でサッサと車を運転して帰る。首相官邸などなく、ごく普通のアパートに住んでいるし、フットボールだって、映画だって、お供なしでバスや地下鉄に乗って気軽にでかける。つまり、必要でないものは必要でないのである。     

(2)生活困難などの問題は個人の責任によって起こるのではなく、社会構造が引き起こすものだとして、個人レベルでの問題解決よりも社会変革という構造的視野からの問題への取り組みに焦点があてられる。つまり、問題として表面にあらわれた個々の現象を見るのではなく、その背後にひそむ根本的問題への対処を重視すべきであるというものである
     
(3)共通の問題に対してこれを個人的に解決しないで、集団的に、あるいは共同体として解決する方法を選択し、それをシステム化していく。
 
資本主義社会の貧困についての1991年6月3日付けの朝日新聞のインタビュー記事の中で、「日本では、生活保護の厳しい運用が続いています」というインタビューアーの発言に対して、東大教授の岩井克人さんは「レーガン、サッチャー流の『貧乏は本人の責任だから自助努力で立ち直れ』というイデオロギーを、中曽根臨調路線が単純に輸入したあらわれだ。この結果、日本ではそれでなくとも隠れている貧困が、さらに見えにくくなっている」と答えています。

この記事の岩井さんの応答と(2)と読み合わせると、スウェーデンと米国、英国および日本との間に「生活困難」という共通の問題に対する対応の仕方の相違があることがわかります。

それにしても、日本の現在の状況は1991年の状況より改善されたのでしょうか。私にはインタビュアーへの岩井さんの応答が今でも妙に新鮮に感じられます。



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今年もやってきた「最大電力」に一喜一憂する季節

2007-08-20 11:44:54 | 原発/エネルギー/資源


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今日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事は「電力 綱渡り」の記事です。

この記事によれば、電力需要が最も多いのはお盆の前の2週間と後の2週間とのことです。つまり8月ということでしょう。

この記事には、対策は2つ(上の記事の赤枠部分)、とあります。その部分を拡大します。

私がこの種の記事を目にするといつも思うことは、電力会社は「1964年の電気事業法」で「供給の義務」を負わされていることです。この規定は社会が要求する需要に対して電力会社は供給の義務があり、「供給を断ることができない」ということです。そこで、技術的に対応しようとすれば、さらなる原発を、ということになりかねません。

自然科学がすでに「地球の有限性」を明らかにしていますので、高度経済成長期に「経済の拡大」を促進する目的で制定されたさまざまな法律が、現在も、そして将来さえも規定しているのはおかしいのではないでしょうか。

日本が法治国家であるならば、「経済の拡大」を促進する目的で制定した43年前の電気事業法も、 21世紀前半の「経済のあり方」や「社会のあり方」を十分考えて、新法につくりかえるべきではないでしょうか。

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最も電力需給が厳しくなるのは8月下旬



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