環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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小泉元首相の「原発ゼロ」、誰も関心を示さない“循環型社会”?

2013-10-26 16:39:05 | 原発/エネルギー/資源
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 5日前のブログ「小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”」の結論として、私は「政治が決断すれば、原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えに基本的に賛同しました。

 しかし、これはあくまで一般論で、私は、アベノミックスによる「経済の持続的拡大」をめざす現在の日本社会の状況を考えたときに、小泉さんのお考えに大きな危惧をいだいています。私のこの危惧を読者の皆さんと共有するのに極めて有効な記事が10月19日の読売新聞の「論点」に掲載されています。

論 点

  エネルギー政策  「原発ゼロ」を目指して 小泉純一郎氏

        小泉氏は楽観的過ぎないか 論説委員 遠藤弦

 この記事は小泉さんが「論点」に寄稿し、論説委員の遠藤弦さんが対論(反論)を試みたという形をとっています。ネット上では、小泉さんのお考えに賛否両論が飛び交っており、大雑把に言えば、反対論の多くの主張が遠藤さんの対論に集約されていると思います。 

 この記事の中で、小泉さんは「循環型社会」というキーワードを次のように3回使っておられます。

①私は、今、政府・自民党が「原発をゼロにする」という方針を打ち出すべきだと主張している。そうすれば、原発に依存しない、自然を資源にした「循環型社会」の実現へ、国民が結束できるのではないか。原発の代替策は、知恵のある人が必ず出してくれる。(冒頭部分)

②千年、万年の年月を経過しても、放射能の有害性が消滅しない処分場を建設する莫大な資金やエネルギーを、自然を資源にする循環型社会の建設に振り向ける方が、やりがいがあり、夢があるのではないか。(後半部分)

③挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい。(結びの部分)


 1972年の「第1回国連人間環境会議」以来、スウェーデンと日本の環境問題を同時進行でフォローしてきた私にとって、小泉さんの寄稿の中に3回登場した「循環型社会」という概念は国際的には「持続可能な社会(Sustainable Society)」と同義の21世紀社会を展望する際のキーワードだと理解するのですが、論説委員の遠藤さんの対論には一言もこの言葉が出てきません。また、ネット上に飛び交う「小泉元首相の原発ゼロ」に賛成する人も,反対する人もこの「循環型社会」という言葉にはまったく関心がないようです。

考資料
持続可能な社会か、循環型社会か


 私の懸念は小泉さんが「循環型社会」の定義をはっきりと明らかにしないままに、「原発ゼロ論」を進めていることです。特に、法治国家である日本の社会ではこのキーワードが2000年6月以降、国際社会とは違う意味合いで法律上使われていることに注意する必要があります。

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 日本では、2000年(平成12年)6月2日に循環型社会形成推進基本法」と称する法律が公布され、2001年(平成13年)1月6日をもって全面施行されました。それ以来、日本全国で、この法律の周知徹底のための広報や国や自治体の活動が今日まで推進されてきています。

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21世紀前半にめざすべき「持続可能な社会」の構築への法体系が未整備な日本


 小泉・連立内閣政権は2001年4月に発足し、2006年まで続きました。ですから、小泉政権はできたばかりの新法「循環型社会形成推進基本法」の周知活動に熱心だった(?)はずです。「循環型社会形成推進基本法」は「循環型社会」という言葉を冠してはいますが、この法律は持続的経済成長を追求する日本の社会から大量に排出される廃棄物の処理・処分関連の法律であって、小泉さんが「原発ゼロ」という主張の中でイメージしておられると推測する“循環型社会”とはまったく似て非なるものです。

 ちなみに、この5年間に小泉・連立内閣のもとで刊行された経済財政白書の副題は、

2001年「改革なくして成長なし」、
2002年「改革なくして成長なしⅡ」、
2003年「改革なくして成長なしⅢ」、
2004年「改革なくして成長なしⅣ」、
2005年「改革なくして成長なしⅤ」

と徹底しています。小泉政権は成長一点ばりだったのです。

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「成長一辺倒」の戦後60年 ② そして、これからも?(2007-02-16)


 小泉さんは、読売新聞の「論点」とは別のところで、「私はいままで原子力の専門家たちが言っていた、原発は安全でクリーンでコストが安いというのは本当なのか、自分なりに勉強してみました。そして疑問を抱いたのです。原子力は果たして現在の人間が制御できるのだろうか。そしていま、私は、原発はゼロにすべきだ、しかもできるだけ早く政治はゼロの方針を決断するべきだ。いまそういう論者になっているのです。」とおっしゃっています。

 そうであれば、ぜひとも、小泉政権の発足とほぼ、時を同じくして施行された日本の「循環型社会形成推進基本法」をご自分で勉強してみてごらんになるのはいかがでしょうか。

 大切なことは21世紀にめざすべき社会のビジョン「持続可能な社会」を描き、そのビジョンを実現するためのエネルギー体系を構築することだと思います。

 私は国際社会の共通の認識である「持続可能な社会」の構築のためには、原子力エネルギーゼロをめざして原発を段階的にフェーズアウトすると同時に化石燃料の使用も段階的に削減して行くような、まったく新しい経済活動をつくり出すことが必要だと思います。

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原発を考える① まずは、皆さんへの質問(2007-04-10)

原発を考える② 原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ(2007-04-11) 

原子力委員会の長期計画策定会議第二分科会の報告「エネルギーとしての原子力利用」(平成12年6月5日)は日本の原子力の位置づけについて、「21世紀にふさわしい循環型社会の実現に向けて最大限に活用していくことが合理的です」と述べています。

 ここで、思い起こして欲しいのはこの「分科会の報告」が公表されたのが、平成12年(2000年)6月5日で、「循環型社会形成推進法」が公布されたのが平成12年6月2日(平成13年1月6日完全施行)、そして、小泉政権が発足したのが平成13(2001年)年4月であったこと、小泉政権は2006年まで続きます。2000年の原子力委員会は「原子力の最大限の活用→循環型社会の実現」、2013年の小泉元総理は「脱原発→循環型社会の実現」とは? つまり、この奇妙な矛盾する現象を理解するには、「循環型社会」の概念あるいは定義が当時の原子力委員会と現在の小泉元首相の間で異なっているということでしょう。

 2001年4月の政権担当以来、3.11の大震災直前までの小泉元首相の「循環型社会」に対する基本認識は原子力委員会と共有していましたが、大震災以降、小泉元首相の「循環型社会」は無意識のうちに、あるいは、意図的に、1990年代前半頃まで日本で議論されていた「循環型社会」(国際社会に定着し始めた「持続可能な社会」とほぼ同義)に戻ったのではないかと、私は推測します。


原発を考える③ 4月10日の「設問の意図」(2007-04-12)

原発を考える④ 過去の「原発に関する世論調査」(2007-04-13)
    

原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)


小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”

2013-10-21 11:41:44 | 原発/エネルギー/資源
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 2011年3月11日の東京電力福島第一原発大事故後から、小泉元首相の「原発に対する懸念」が散見されるようになり、特に今年の夏頃からは、元首相の「脱原発論」がネット上で、そして、マスメディアでもとりあげられるようになってきました。その多くは編集され、断片的で、似たような論調が多くあります。私も小泉元首相の「脱原発論」には非常に興味があります。10月17日の東京新聞が、前日に木更津で行われた小泉元首相の講演会の模様を次のように報じています。



 この記事からは小泉元首相の「原発ゼロの主張」の理由がもう一つわかりにくかったのですが、10月17日に放映された日本テレビの情報番組「ミヤネ屋」では講演の要点がかなり詳しく伝えられていました。これまた、編集されており、断片的ではありますが、聞き取れる音声を忠実に拾ってみました。

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ご紹介いただきました、小泉純一郎でございます。

 浜田靖一代議士からお話がありましてね、木更津、地元なんだと、何とかね、来てくださいよという話だったもんです。ちょっと木更津遠いなと思ってね、お断りしようかなと思ったんだけども、新次郎のことが頭に浮かびましてね、そうだ・・・

 しかし、あの福島県の原発事故、その後のさまざまな問題を考えてみると、こりゃー、日本で原発をこのまま推進して行くのは、無理だなと感じ始めました。政治が決断すれば、日本は原発ゼロでもやっていけるという・・・

 私が原発ゼロにしろという一番の理由、いくつかありますけれども、一番の理由はね、処分場がないということですよ。仮に原発がいくつか、これからの電気に必要だからと言って、再稼働を認めたとしてもですよ、ゴミはどんどん増えていくわけです。政治的な方向を出せばね、国民はね、大方の国民は協力してくれるんじゃないか・・・

 特に8月、フィンランドの「オンカロ」の視察に行って、改めて、これは“日本は原発ゼロにしなきゃいかんな”と確信を持ちましたね。これねぇ、10万年というのは気の遠くなる先の話ですよね。日本がね、400メートル地下を掘ったらね、水が漏れ出るどころじゃないですよ、温泉が出てきますよ。しかもね、フィンランドは地震がない。

 本物の「オンカロ」に行ってこのような状況を見てですね、やっぱり、原発は必要だとこの論理で国民を説得することはできない、むしろますますゼロにすべきだということならば説得は可能だと思いましたね。

 今ね、原発がなかったらね、経済成長できないよ、と言うけれども、日本の企業の技術力とかね、努力は大したもんだと思うんです。今後ね、さまざまなそういう原発ゼロに代わる代替エネルギーの開発、それを支援策・奨励策取れば日本はやっていけるんじゃないかな・・・

 有害性が消えない、そうゆう原発の処分場をつくるために莫大なカネとエネルギーを使うよりも、そのカネを自然を資源にする環境にやさしい、そうゆうエネルギーにふり向けたほうが、はるかにやりがいがあって、夢のある事業ではないかなと思ってるんです。
         

 大震災の「ピンチ」を「チャンス」に変える時だ、というふうに受け止めたい。政治に休みはないんですよ。どんな時代でも、これでいいという時代はない。
xxxxx


 私は、この講演会で語られた小泉元首相の言葉から、日本とスウェーデンの「政権を支える原子力分野の専門家の原発に対する基本認識と政治家の原発に対する基本認識」、それに加えて、「その基本認識の大きな落差に起因する現実の行動の具体的な相違」を改めて感じました。 一言で言えば、同じ先進工業国でありながら、“雲泥の差”といっても過言ではないでしょう。この機会に相違の具体的な例を紹介しましょう。

 小泉元首相は講演で、「原発をゼロにしろという一番の理由は処分場がないということだ」と述べておられます。日本では、今でこそ放射性廃棄物の処分の重要性が語られていますが、私の理解では日本の反原発運動は主として「原発の安全性」への市民の疑問から出発していました。一方、スウェーデンの初期の反原発運動の発端は「原発の安全性」ではなく、たとえ安全に原発が稼働していても必ず発生する「放射性廃棄物」の処分に対する懸念からでした。

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 スウェーデンの反原発運動は1960年代にすでに始まっていました。ノーベル賞受賞物理学者ハネス・アルフベン博士と中央党の国会議員ビルギッタ・ハンブレウス女史が初期の反原発運動の中心でした。

スウェーデンの商業用原子炉の1号機(オスカーシャム原発1号機)が運転を開始した1972年(昭和47年)秋の国会で、反原発運動の中心的存在であった中央党のビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただした時、答弁に立った当時の産業大臣は「今のところ、国際的に認められた放射性廃棄物の最終処分方法はない」と答えました。 同議員は「それならば」と原子炉新設の停止を求める提案を国会に提出しました。この提案は国会で否決されましたが、そのとき以来、原発は常にスウェーデンの政治の重要な議題の一つになったのです。

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 スウェーデンの商業用原子炉1号機が運転を開始した1972年に、原子力発電事業者は共同出資してスウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB)を設立しました。SKBは、1977年の「安全に関する条件法」(Safety Stipulation Act)に従って、放射性廃棄物関連の処分施設の建設を開始しました。

 1985年には、高レベル放射性廃棄物の中間貯蔵施設(CLAB)がオスカーシャム原子力発電所の敷地内で稼働を始め、1988年春には低・中レベル放射性廃棄物の最終処分施設(SFR)がフォーシュマルク原子力発電所に隣接する海底で稼働を始めました。

 高レベル放射性廃棄物(主として使用済み核燃料)は約30~40年間、上記の中間貯蔵施設(CLAB)に貯蔵し、放射線のレベルが下がった後、新設する最終処分場(SFL)に移されることになっています。SKBは2009年6月にエストハンマル自治体のフォーシュマルクに高レベル放射性廃棄物の最終処分場(SFL)の建設予定地を選定し、2011年3月16日に政府に処分場の立地・建設許可申請を行いました。申請の認可はまだおりていませんが、2020年頃、稼働できるように最終処分場が建設される予定です。

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 小泉元首相が、今年8月に三菱重工、東芝、日立、清水建設といった原発に関わる企業の幹部と一緒に訪問したというフィンランドの高レベル放射性廃棄物の地下特性調査施設「オンカロ」(高レベル放射性廃棄物の最終処分に必要なデータを集めて処分技術を確立する目的で建設された施設で、最終処分場に先駆けてつくったこの施設は将来、最終処分場として何らかの致命的な地質学的問題がなければ、最終処分場の一部分として有効活用しよういう計画になっている)は、スウェーデンのSKBの「KBS-3」という処分概念 をベースにして、フィンランド独自の研究開発の成果をプラスする形で設計されています。

 このような一連の流れの中で注目すべきことは、スウェーデンでは原発に関わる科学者や技術者などの専門家が原発の抱えるさまざまな問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです。

 このように見てくると、日本とスウェーデンでは「原子力問題に関する基本認識」が専門家のレベルでも、政治家のレベルでも大きく異なることがご理解いただけるでしょう。

●スウェーデンの商業用原子炉1号機(オスカーシャム原発1号機)が運転を開始したのは1972年(昭和47年)でした。
●反原発運動の中心的存在であった中央党のビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただしたのも1972年でした。
●スウェーデンの原子力発電事業者が共同出資して、スウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB)を設立したのも1972年でした。


 そして、スウェーデン政府が、世界に先駆けて「第1回国連人間環境会議」を首都ストックホルムで開催したのも、1972年でした。この会議の開催中にある小グループの会合で、当時のパルメ首相は「科学者と政治家」の役割について次のように述べています。

 科学者の役割は事態があまり深刻にならないうちに事実を指摘することにある。
 科学者はわかりやすい形で政治家に問題を提起してほしい。

 政治家の役割はそうした科学的な判断に基づいて政策を実行することにある。
 そのもっとも具体的な表現は政府の予算だ。政策の意図が政府の予算編成に反映されることが必要だ。


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 私は当時のパルメ首相のこの言葉にスウェーデンの考え方(予防志向の考え方)が見事に凝縮されていると思います。この言葉はスウェーデンの原発問題にも適用されています。一方、小泉元首相の「脱原発論」には日本の原発問題に対する考え方(治療志向の考え方)とそれに基づく具体的な行動がこれまた見事に凝縮されていると思います。

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社会的な合意形成 ⑥ 科学者と政治家の役割(2007-03-05)
 


 翌年1973年(昭和48年)には第1次オイルショックが起こりました。今にして思えば、40年前の「オイルショックの時の政治的決断」とその決断による具体的な対応が2013年の現状を創り出しているのです。その意味で、「政治が決断すれば,原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えは正しいと思います。

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2006年に 「原発批判派」 になった武田さんは、3年後の2009年には再び “原発推進派”へ変心?

2013-06-23 16:04:51 | 原発/エネルギー/資源
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 1972年にスウェーデンの首都ストックホルムで開催された「第1回国連人間環境会議」以来およそ40年にわたって、国際社会における日本とスウェーデンの「環境政策およびエネルギー政策」や「振る舞い」を同時進行でフォローしてきた私は、武田邦彦さんの最新のエネルギー分野のお考えを理解しようと思い、武田さんの著書『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版 平成23年6月8日 第1刷発行 平成23年9月7日 第5刷発行)を読みました。



 この本の著者略歴には「内閣府原子力委員会および安全委員会の専門委員、文部科学省科学技術審議会専門委員を歴任。福島第一原発の事故について発信するブログは1日40万件を超すアクセスとなり、多くの人の指標となった。」と書かれています。
 
 このアクセス件数が示すように、武田さんのお考えが多くの読者にある種の影響を与えたことは容易に想像できます。私もこの本のタイトルのあまりに“挑発的なネーミング”につられてこの本を購入しました。

 4年前に読んだ本で、武田さんを“信念の原発推進派”と思い込んでいた私は、『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』の「はじめに」を読み、武田さん自身が語る原発に対する記述が4年前と大きく異なっていることに気づき、大変な違和感をいだきました。まずは、「はじめに」をご覧いただきましょう。







 上の図の赤で示したところに注目してください。想像するに、この本を手にとった多くの読者は、私とは逆に、福島第一原発事故後のいわゆる原子力ムラの原発推進者とは一線を画す“誠実な原子力科学者”としての期待と信頼を武田さんに感じたと思います。その結果、武田さんのブログに1日40万件を超すアクセスがあったという、私には信じられないような現象が生じたのでしょう。  



 ところで、私は『リサイクル幻想』(文春新書 平成12年10月20日 第1刷発行)以降、武田さんの著書を10冊ぐらい読んできました。その中に、『つくられた環境問題-NHKの環境報道に騙されるな!』(ワック株式会社 2009年6月17日 初版発行)があります。



 この本の目次を見たときに、この本は私が理解した「日本とスウェーデンの環境問題やエネルギー問題」の大筋とかなり異質なものであることを知り、非常に興味を覚えました。

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日本がお金を出して開いた第1回の国連環境会議」という珍説を掲げた新刊書(2009-06-21)



 この本は「第1章 すべて解決している日本の環境問題」で始まり、 「エピローグ 日本のエネルギーは心配ない」で終わっています。第1章からエピローグまで、快適なテンポで武田さんと日下公人さんのトークが続きます。「マスメディアに問題は多いが、環境問題もエネルギー問題も日本にはまったく問題がないので皆さんご安心を」というのが著者のメッセージなのでしょうか。

 1973年以来、スウェーデンと日本のエネルギー問題、環境問題、労働問題を同時進行でフォローしてきた私は、この本の内容に多くの違和感を持っています。 「日本にはまったく問題がないので皆さんご安心を!」というのが著者のメッセージであるとするなら、このブログで示してきた私のメッセージとは正反対といってもよいでしょう。間違いなく、日本の多くの読者の印象とはかけ離れた見解と言えるのではないでしょうか。

 この本を読んで私は、武田さんを“信念の原発推進者”と判断したのです。武田さんの主張を明らかにするために、この本の「エピローグ 日本のエネルギーは心配ない」の最初のテーマ「エネルギー問題はすべて解決されている」(192~193)を紹介します。





 武田さんはご自身の言葉で「 ほんとうのことを言えば、原子力はエネルギーの中でもっとも安全です。私は実績主義ですが、五十年間、原子炉を動かしてきたという実績から言えることです。原子力は何の危険性もない。いまは、それを言っても無駄だから言わないだけのことです。」
とおっしゃっておられます。

 ところが武田さんは、2011年6月発売の『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』の「まえがき」で、「しかし、2006年に原発の耐震指針が改訂されてからは、“原発批判派”になりました。同時に著書やあらゆる機会に、“原子力発電所は地震で壊れるようにできている”との警鐘も鳴らしてきました。」 と書いておられます。

 武田さんが「2006年から“原発批判派”になった」とおっしゃるのなら、3年後の2009年発売の著書のエピローグで「本当のことを言えば、原子力はエネルギーの中でもっとも安全です。・・・・・原子力は何の危険もない。・・・・・」と書いたのは大変な矛盾だと思いますが、いかがでしょうか。武田さんの著書で好んで用いられている「ウソ」という表現は、私たちが日常生活で用いている「うそ」や「嘘」という表現を超えた武田さん独自のニュアンスがこもった表現なのでしょうか?
 

そして、今年になってもう一冊『新聞・テレビは「データ」でウソをつく 政府とメデイアのデータ・トリックを見破る方法』(日本文芸社 2013年2月1日 第1刷発行)が追加されました。

 

 冒頭に書きましたように、私は武田さんの最新のエネルギー分野のお考えに興味を持ち、理解しようと思い、関連の著書を読んで来ました。エネルギーの中でも、特にご専門としている原子力(原発)に対するお考えに注目してきました。この本では原発を議論の対象にしておりませんが、「はじめに」で原発に触れておられますので、「はじめに」をご覧いただきましょう。




 2011年3月11日の東日本大震災以降に武田さんの『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』を読み、次に『新聞・テレビは「データ」でウソをつく 政府とメディアのデータ・トリックを見破る方法』を読んだ方々の多くは、何の疑問も持たずにある種の納得感を得て、日本の現状および将来に相当の危機感を抱くことになったかもしれません。

 しかし、私はこの本の前に2009年の『つくられた環境問題-の環境報道に騙されるな!』を読んでおり、この中で「本当のことを言えば、原子力はエネルギーの中でもっとも安全です。・・・・・原子力は何の危険もない。・・・・・あと百年間も原子炉を動かしていったら、自然と安全だということがわかります。」という記述から、私は武田さんが、東日本大震災が起こるまで「原発は安全である」と主張しておられたのだと考えます。そうだとすれば、武田さんも「原発は安全である」とほぼ日本人全員が信じていたという誤った認識形成に積極的に荷担していたということになるのではないでしょうか。東日本大震災以降、いわゆる原子力ムラの原発推進者の発言が比較的静かになっている中で、武田さんの発言だけが異彩を放っています。


 武田さんと言えば、2007年に『環境問題はなぜウソがまかり通るか』、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2』、2008年には『環境問題はなぜウソがまかり通るのか 3』を立て続けに発表しました。「ウソ」という一般人の興味を引く言葉を著書のタイトルに加えることによって、一般読者の関心を引きつけたことは確かだと思います。

 私は武田さんの著書『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』というタイトルに触発されて2007年にこの本を購入しました。そして、このブログでも過去に3回取り上げました。

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判断基準を変えれば、別のシーンが見えてくる! (2007-10-10)

同じ情報を与えられても解釈は異なることがある(2007-10-10)

武田さんの「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」と槌田さんの「環境保護運動はどこが間違っているか」(2007-10-14)



 マスメディアに加えて最近ではソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などネット上には立場を異にする様々な発言者による種々雑多な情報があふれています。私たちはこれらのメディアによって発せられる多彩な情報を取捨選択し、優先順位を付けて、「私たちの望ましい未来社会の構築のために有効活用できる力を養う」という大変困難な状況に置かれていることに改めて気づかなければなりません。









日本原電の敦賀原発の直下に「活断層」と、原子力規制委員会の専門チームが判断

2012-12-11 12:22:57 | 原発/エネルギー/資源
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 去る8月13日を最後に、およそ4ヶ月間中断していたブログを今日から再開することにしました。日本も国際社会もさまざまな分野で、いよいよ混乱の状況を深めています。この機会に上の図「このまま行けば、2030年は大混乱!?」を再度クリックしてみてください。私の考えが読者の皆さんのお考えの参考になることを切望しております。

 今朝の朝刊各紙が一面で「敦賀原発の再稼働」の是非にかかわるニュースを報じています。原発の再稼働の問題は来る12月16日の総選挙の争点の一つになっていますので、読者の方の関心も高いと思います。

 「原発の再稼働」についてのさまざまな議論の中で、私が最も関心を持ち続けてきた論点は「稼働開始後に原発が活断層の上にあることが現在の科学的知識で明らかになった場合、法的にどのように考え、どう対処するのか」という点、つまり、今回の敦賀原発がまさにその実例です。常に、科学的知識は深化し、技術は進歩するからです。

 今朝の東京新聞に、私が最も関心を持ち続けてきた論点をかなり分かり易く取り上げた記事がありました。「廃炉 法的規定なし 運転停止 電力会社への『要請』」と題したこの記事は私にとって非常に参考になる、価値ある記事ですので、後日の議論のために以下のように抜粋しておきます。

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 国は活断層の上に原発を建てることを認めていない。しかし、完成後の原発で活断層が見つかったとき、どう扱うのか法的な決まりはない。原子力規制委員会は運転を禁じることも廃炉も、強制はできず、電力会社への要請という行政指導で対応することになる。

 活断層についての規定は、原発の耐震設計審査指針の手引に書かれている。「活断層の直上に耐震上重要な建物を設置することは想定していない」とあり、活断層上の建設を禁止する趣旨と解釈されている。

 規制委の田中俊一委員長が、日本原子力発電敦賀原発(福井県)を、安全審査の対象から外し、再稼働させない考えを示したのも、こうした規定を根拠にしている。

 ただ、規制委の事務局を務める原子力規制庁によると、規定は建設前の状況を想定したもので、完成後に活断層が見つかった場合のことは想定していないという。

 定期検査にしても、現在は行政指導で止めているが、法的には申請されれば検査をし、一定の性能を満たせばパスさせることになっている。

 規制委が原子炉等規制法に基づく運転停止の強制力を持つのは、来年7月になってからのことだ。

 廃炉に関しては、今後も規制委は命令できず、あくまで電力会社の判断となる。田中氏は「経済的な理由から廃炉せざるを得なくなるのでは」と話すが、不確定要素が多い。
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 ここまで読んでいただけたら、この機会に、上の図の「21世紀の社会への挑戦」「持続可能な国づくりの会 理念とビジョン」をクリックしてみてください。


原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑫(最終回)私の素朴な疑問

2012-08-13 06:35:11 | 原発/エネルギー/資源
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⑫(最終回)私の素朴な疑問 (2007年4月23日)

 4月10日から始めた「原発を考える」シリーズも今日で12回となりました。私の環境論に基づく「原発に対する基本的な考え」を皆さんにお伝えできたと思いますので、今回でいったんこのシリーズを終わります。

 シリーズを終わるにあたって、いかに日本のマスメディアがスウェーデンの原発政策をミスリードするのかを具体的に見ておきましょう。次の記事は1988年年6月9日の朝日新聞の夕刊に掲載された記事です。同様の記事が他紙にも掲載されていました。(図12‐1)


 この記事を読んで、私はこの記事はスウェーデンの原子力政策に関心を持つ人々に誤解を与えるのではないかと懸念し、朝日新聞の「論壇」に、私が理解するスウェーデンの最新の状況を投稿しました。私が初めて「原発問題」を日本の社会に問いかけたきっかけは、およそ20年前、1988年8月10日の朝日新聞に投稿したこの「論壇」でした。(図12‐2)

この記事を拡大するにはここをクリック

 この投稿記事に真っ先に反応したのは、意外にも、当時、反原発・脱原発運動を進めていた方々ではなく、政府の科学技術庁でした。新聞掲載の翌日か2日後に、科学技術庁の原子力担当課長(?)から職員に講演して欲しいとの依頼を受けました。

 それ以来、私は日本とスウェーデンの原発の動向をウオッチしてきました。この「原発を考える」というシリーズを終わるに当たって、いまなお、十分な回答を得られていない私の率直な疑問を提示しますので、皆さんも一緒に考えてください。なお、これらの疑問は私の最初の本『いま、環境・エネルギー問題を考える』(ダイヤモンド社、1992年7月)に収録されています。

疑問:その1
 1990年12月23日に発表されたわが国の総理府の「原子力に関する世論調査」によれば、調査対象の90%が原発に不安を感じるが、64.5%は原発の必要性を感じているそうです。一方、スウェーデンの世論調査では、自国の原発に不安を感じるのは常に調査対象の30~40%程度で、1980年の国民投票でも投票者の60%弱が12基までとの上限があるものの「原発容認」に票を投じていました。

 2010年における原発を発電容量で「現在の2倍以上(110万Kw級原子炉で40基分相当)」にするという目標を1990年6月に設定した日本と、2010年には原発を「ゼロ」にするという目標を10年前に掲げて様々な試みを行ってきたスウェーデンとの間に「原発」に対する考え方の大きな相違があるのは何故なのでしょうか?

 
疑問:その2
 日本の原子力関係者の一部には、スウェーデンはそのエネルギー政策で〝苦悩あるいは迷走〟しているという表現を好む向きがあります。

 私に言わせれば、順調に稼働し、しかも自国の原発技術に対して政府や国民がかなりの信頼を寄せている原発を廃棄し、しかも自然破壊の原因となる水力発電のこれ以上の拡張を禁止し、さらに、環境の酸性化の原因とされる化石燃料の使用に厳しい規制を要求する国民各層の意見を反映して策定された「国のエネルギー政策」を、そのような判断基準を持たない国の視点で現象面だけを見れば、「苦悩しているように見える」のは当然でしょう。

(1)もし原発が環境に対してクリーンであるならば、20年以上も硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)に起因するとされる「環境の酸性化(日本では〝酸性雨問題〟と言います)」に悩み、しかも

(2)二酸化炭素(CO2)の排出にも最も厳しい姿勢を示しているスウェーデンが、順調に稼働し信頼されている原発を〝苦悩あるいは迷走〟しながらも廃棄しようとするのは何故なのでしょうか?

疑問:その3
200年を越えるという情報公開制度の歴史を持つスウェーデンで、国際的に見ても
 (1)最大限の安全対策
 (2)最大限の廃棄物対策
 (3)徹底した原発労働者の放射線被ばく防護対策
 (4)原発の安定した順調な稼働実績
 (5)徹底した原発施設の一般公開
 (6)原発情報の積極的な公開と提供
などに加えて、十分な「PA活動(国民の合意形成活動)」を続けてきたにもかかわらず、1989年4月に東京で開かれた日本原子力産業会議の第22回年次大会で、スウェーデン原子力産業会議の会長に「スウェーデンでは『PA活動』が成功しなかった」と言わせしめたのは何故なのでしょうか?
 

疑問:その4
 日本の高校社会科の教科書における原発の扱いにも問題があります。この件を報じた1990年7月1日付けの朝日新聞の記事をみますと、私は「原稿本」の表記が正しく、文部省の指示にしたがって修正した「見本本」は誤りであり、修正は改悪であると思います。(図12‐3)


 疑問に思う方は日本の原子力委員会が編集している『原子力白書(平成元年版)』の13~14ページのスウェーデンの項を参照してください。原子力白書はかなり正確にスウェーデンの状況を記述しています。

 仮に、この記事の「見本本」の表記が正しいとすれば、スウェーデンのエネルギー政策の行方に一喜一憂(?)することもなければ、何組もの調査団をわざわざスウェーデンまで送り、類似の関心事項を繰り返し調査するような無駄は必要ないと思いますがいかがでしょうか? 

疑問:その5
 皮肉なことに、スウェーデンの原子力技術の水準の高さを最もよく知っているのは、日本ではほかでもない、原子力の専門家の方々です。 原子力エネルギーが環境に対してクリーンかどうか、あるいは環境にやさしいかどうかは1991年8月12日の朝日新聞の記事「原子力への課税提案へ」という記事や業界誌の週刊『エネルギーと環境』の1991年7月11日号の「原発もCO2課税の対象に、波紋投げる」という記事をみれば、明らかでしょう。

 原子力エネルギーが環境にクリーンと言うなら、あるいは環境にやさしいと言うなら、スウェーデン以外の工業先進国、たとえば、米国、英国、ドイツ、フランスなどが原子力エネルギーの利用にこれまで以上に積極的にならないのはなぜなのでしょうか?

 もう一度繰り返しますが、これらの疑問は私が15年以上前からいだいてきた疑問です。化石燃料に乏しく、輸入石油への依存度が高いという点で、かつては日本と似た立場にあった北欧の先進工業国スウェーデンの動向やEUの動向に適切に応えることこそ、 日本の原子力関係者に求められていることではないでしょうか?



原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  CO2削減効果はない「原発」

2012-08-12 12:20:24 | 原発/エネルギー/資源
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11 CO2削減効果はない「原発」  (2007年4月22日

 4月10日のブログ「1 まずは、皆さんへの質問」 に掲げた「21世紀の電源としての原発の論点」で8つの論点をあげましたが、今日はそのうちの一つ「環境にやさしいか」について検証します。具体的には原発にCO2削減効果があるかどうかです。

★原発にはCO2削減効果はまったくない

 まず、私がはっきり申し上げておきたいことは、「原発は発電時にCO2を排出しない発電装置」ではありますが、原子力推進者が主張するように、「CO2の排出削減装置」ではありませんので、「原発にはCO2を削減する効果はまったくない」ということです。

 次の図をご覧ください。この記事は「原発は発電時にCO2を排出しない発電装置」であると言っているにすぎません。(図11‐1)
 

 原発とCO2の削減に関する私の主張は次のとおりです。(図11‐2)


★あえて、原発のCO2削減効果を主張したいのなら……

 原発自体にCO2削減効果がないにもかかわらず、それでもCO2の削減に原発が有効であることをあえて主張したいのであれば、原発がつくりだす膨大な電力を生み出すために必要な化石燃料の使用を、原発の運転開始と同時に中止することです。このような措置をとれば、化石燃料は原発により置き換えられたことになりますので、原発の設置によって「CO2の排出量は削減された」とみなしてもよいでしょう。

 こうすることによって、CO2の削減は可能になるでしょうが、同時に私たちは、現在十分に解決できていない原発特有のマイナス面(安全性、核廃棄物、核拡散、労働者被曝、廃炉、核燃サイクルなどの放射線がかかわる問題や温排水などの難問)とそれに対処するための「膨大なコスト」をさらに抱え込むことになります。そして、事故が起きた場合には、さらに……

 しかし、実際には原発をつくるだけで、化石燃料の削減はなされていないようです。これではCO2は削減できません。次の図をご覧ください。(図11‐3)


 1990年4月に運転を開始した柏崎刈羽原発5号機から、97年7月運転開始の玄海4号機まで、15基の原発が90年代に新設され、稼働してきましたが、この間に日本のCO2排出量は10%強も増加しています。この10年間に石油、水力、地熱、新エネルギー、再生可能エネルギーの供給量はまったく同じです。変化があるのは、石炭と天然ガスと原発の増で、総エネルギー供給量は増えています。

 そして、この間に原発は15基増えており、CO2排出量は1億トン以上(10.1%)増えています。このことは、原発と化石燃料との置き換えがまったくなされていないことをはっきり示しています。

 なお、2006年末までに原発はさらに3基増え、1990年から18基が稼働しているにもかかわらず、CO2の排出量も90年代に比べてさらに増えています。

 逆に、次の記事は「必要な電力の供給量を維持するために、停止した原発が化石燃料を燃やす火力発電で置き換えられた」という趣旨の記事内容となっています。ですから、私の推測通りの結果が出ているのです。(図11‐4)



  以上の理解は、次の図からも支持されるでしょう。(図11‐5)

 さて、もう一度、「原発はCO2の削減に有効か」を皆さんにお尋ねします。次の2つの相反する意見を私のコメント抜きで紹介します。前者は1990年当時の電気事業連合会会長・那須翔さんの発言です。後者は1991年の東京大学教授・鈴木篤之さんの発言で、核廃棄物の専門家であられる鈴木篤之さんは現在、原子力安全委員会の委員長を務めておられます。みなさんで考えてみてください。(図11‐6および7)









原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑩「持続可能な社会」のエネルギー体系とは

2012-08-10 07:25:11 | 原発/エネルギー/資源
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⑩「持続可能な社会」のエネルギー体系とは (2007年4月19日)

 4月10日から始めた「原発を考える」のシリーズも今日で10回目を迎えることになりました。原発の本質的な問題を考えるために、私はあえて、これまで原発事故には触れてきませんでした。そして、4月10日のブログの最後に、次のように書きました。
 
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 ここに掲げた論点は、原発の問題点として、電力会社の不祥事の問題は一切取り上げていません。私がここで議論したいことは原発の本質を議論するために、「原発が正常に稼働しており、原発に対する安全性向上に向けたさまざまな技術開発が常に着実に行われており、電力会社も真剣に対応している。情報公開は完全に確保され、電力会社の不祥事は一切ない。」という前提での議論です。
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★「原発」に対する私の結論
 そして、原発に対する私の結論は、たとえ上記のような条件が整っていたとしても、3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」昨日のブログ「原発と持続可能な社会―その2」の最後に書きましたように火力発電と原発の増大は、ますます「持続可能な社会への軟着陸を難しくすることになる」ということです。 


★原発トラブル

 2007年3月30日に電力各社が経済産業省原子力安全・保安院に提出した報告書から、70年代から2001年にかけてさまざまな不祥事を繰り返していたことがわかります。(図10-1および図10-2)



 ですから、これまで検証してきた原発の本質に加えて、この図表のような不祥事や事故の現状を考えると、原発は「21世紀の持続可能な社会」の電源としてふさわしくないことは明らかだと思います。


★「持続可能な社会」のエネルギー体系とは

 それでは、「持続可能な社会」のエネルギー体系としては、どのようなエネルギー体系が望ましいのでしょうか。私は次のように考えます。

 21世紀前半の社会を支える技術体系は、そのエネルギー体系に左右されます。20世紀に頂点を極めた近代工業の高い経済性は、「すぐれた技術力にある」と考えがちですが、これらの技術はすぐれた一次エネルギーである「石油」「石炭」「天然ガス」などの化石燃料や電力に支えられたもので、化石燃料が入手しにくくなれば、現在の高度な技術は役に立たなくなり、現在のような高い経済性は期待できないことを理解しなければなりません。

 21世紀初頭のエネルギー政策で最優先すべき政策課題は、最終エネルギー消費を抑制する「省エネ政策」でなければなりません。ここで注意しなければならないのは、3月16日のブログ「環境効率性、そして、効率化と省エネの混同」と3月17日のブログ「日本はほんとうに省エネ国家なのか、評価基準の見直しを!」で指摘しましたように、日本の省エネの概念が「効率化や原単位」をベースに考えていることです。この考えを改め、省エネの概念を「最終エネルギー消費の削減」に変えなければなりません。

 その上で、21世紀前半にめざすべき日本のエネルギー体系の構築には次のような視点が必要です。

①現行のエネルギー体系のもとでは、投入したエネルギーのうち有効利用されているエネルギーは3分の1で、残りの3分の2は廃熱として損失となっている。このエネルギー体系そのものの改善なしに、需要に応じてエネルギー供給を増大させることは、環境への人為的負荷をさらに高めることになる。したがって、まず現行のエネルギー体系を改善し、省エネルギー化に努めて最終エネルギー消費を抑制する。

②その上で、既存の化石燃料や原発の利用を現状に凍結し、「新しいエネルギー利用技 術(燃料電池、コジェネレーション、ヒートポンプ、クリーン・エネルギー自動車など)」や「自然エネルギー」で既存の化石燃料と原発を段階的に代替して(置き換えて)いく。

めざすべき目標は、ただ「自然エネルギー(再生可能なエネルギー)の導入促進」をすることではなくさらに進んで、21世紀の望ましい社会である「持続可能な社会」を支える、 「再生可能なエネルギーによる新しいエネルギー体系の構築」である。

報道機関向けに部分公開された「東京電力本店と福島第一原発の現場を結ぶTV会議」

2012-08-07 09:47:41 | 原発/エネルギー/資源
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 今朝の朝日新聞一面に掲載された「報道機関向けに部分公開されたTV会議」の記事は「ベントできるならさ、おい吉田。ベントできるんだったら、もうすぐやれ、早く」と、東京電力本店にいた元副社長の早瀬祐一顧問が福島第一原発の吉田昌郎所長に指示したという緊迫感と臨場感あふれる書き出しで始まっています。

 私にとってのこの記事の最初のキーワードは「ベント」です。このブログでも原発の過酷事故における「ベント」の重要性と、そのベント・システムに放射性物質の大気への放出を防止するフィルターをつけたスウェーデンの予防的な考え方を紹介しました。

このブログの関連記事
25年前に原発格納容器のベント用にフィルターを設置した国と、“安全神話”でいまだ設置ゼロの国(2012-03-27)


 もう一つのキーワードは「早瀬祐一顧問」です。「早瀬さん」は今朝の朝日の記事では元副社長という肩書きがついておりましたが、私が初めて早瀬さんのお名前を知ったのは17年前のことでした。当時の早瀬さんは電気事業連合会(電事連)の原子力部長でした。東京電力から電事連に出向していらしたのですね。

このブログの関連記事
原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  原発と持続可能な社会―その2(2007-04-18)


 私は2007年4月18日のブログの終わりに、次のように書きました。

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 私の考えでは、2050年の世界は現在の産業経済システムの下で、経済活動を拡大した状況ではありえないということです。早瀬さんが個人として、あるいは電気事業連合会が組織として、2050年頃の社会をどのようにイメージしているのかぜひ伺いたいと思います。

 あまり難しい議論はこの際必要ありません。基本的な考え方は次のとおりです。

 「現行の産業経済システムの下で経済の持続的な拡大が今後少なくとも50年以上は続くということが確実であり、環境問題にはあまり配慮しないというのであれば、現行の産業経済システムを支えているエネルギー体系を構成する火力発電と原発の増大はそれなりに合理性があると思います。けれども、そうではなさそうだというのであれば、3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」 に書きましたように、「火力発電と原発の増大はますます持続可能な社会への軟着陸を難しくすることになる」ということです。
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原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑨原発と持続可能な社会―その2

2012-06-30 15:32:10 | 原発/エネルギー/資源
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原発と持続可能な社会―その2  (2007-04-18)

 大量生産・大量消費・大量廃棄に代表される現在の産業経済システムが将来(2030年、2050年、2100年)も続けられるという見通しがはっきりしているのであれば、「安全性、核廃棄物の処理・処分、労働者被ばくなどに十分配慮する」という前提で、現在の産業経済システムを支えている原発へのさらなる依存も選択肢の一つだと思います。

 しかし、この議論には、21世紀最大の問題であるはずの「環境問題」の視点がすっぽり抜け落ちていることを忘れてはなりません。

 また、「お前の言うことはわかるが、子供や孫の将来のことなどかまっていられるか。どうせ人生は一度だけなのだから、今日を楽しく生きることが大切だ。なぜ、それがいけないのか。江戸時代へ戻れというのか! 持続可能な社会など構築できるはずはない。自分の生きている間だけどうにかなれば、あとは野となれ山となれだ」と人生を悟り切ってしまったような利己主義者には原発へのさらなる依存は有力な選択肢です。

 そうでない人は次の図をご覧ください。これは1995年5月7日の朝日新聞の記事です。


 この新聞記事は朝日新聞社の坂本修さんが電気事業連合会の原子力部長である早瀬佑一さんと原子力資料情報室の西尾漠さんに「日本に核燃料リサイクルは、本当に必要なのか」を聞いたという構成になっています。10年以上前の記事ですが、今でもこの記事が十分新鮮に感じられるのは、日本の原発議論が堂々巡りしており、あまり進展していないからだと思います。私が注目したいのは早瀬さんの議論の出発点です。早瀬さんはこの記事の最初のところでなぜ原発なのかを次のように明確に説明しています。

× × × × ×
 日本はリサイクル路線が必要です。石油はあと40~50年で枯渇の危機を迎えるといわれます。液化天然ガス(LNG)、石炭も無限ではありません。だから石油危機以降、化石燃料に頼る発電を見直し、原子力を推進してきました。しかし、ウランもまた、70年程度でなくなるといわれています。新しいエネルギー源として何があるかといえば、燃えかすの核燃料から抽出したプルトニウムの有効利用なのです。
× × × × ×

 そして、後半で、「電力業界の最も大きな責任は、電力の供給力をいかに確保するかです。需要はのびますから、準備は絶対に必要です」と述べ、最後に「利用者がある以上、供給責任はゆるがせにできず、原子力発電に費用をかけています。それが国民の理解につながっていないとすれば、説明のしかたが悪いのかも知れません」と結んでいます。

 この発言で重要なことは、電力会社は「1964年の電気事業法」で「供給の義務」を負わされていることです。この規定は社会が要求する需要に対して電力会社は供給の義務があり、「供給を断ることができない」ということです。高度経済成長期に「経済の拡大」を促進する目的で制定された法律が現在も、そして将来さえも規定するのはおかしいのではないでしょうか。

 電気事業法も21世紀前半の「経済のあり方」や「社会のあり方」を十分考えて、新法につくりかえるべきではないでしょうか。

 電気事業連合会という組織の立場だけで原発を考えれば、私は早瀬さんの主張に全く同感です。環境問題や日本のような工業社会を支える資源の問題を十分に考慮せず、現行の産業経済システムの下でさらなる経済の拡大をしていくために電源の確保だけを考えれば、私も原発と化石燃料による発電が最適だと思います。そこで、次の図をご覧ください。


 早瀬さんの議論の出発点はこの図の少し前のバージョンにあることは間違いありません。私は早瀬さんの主張に対して全く同感だと言いましたが、それは「電気事業連合会という組織の立場で電力の供給だけを考えれば」という条件付きでの話です。私の環境・エネルギー問題に対する視点から見れば、早瀬さんのお考えには大いに異論があります。

 私の考えでは、2050年の世界は現在の産業経済システムの下で、経済活動を拡大した状況ではありえないということです。早瀬さんが個人として、あるいは電気事業連合会が組織として、2050年頃の社会をどのようにイメージしているのかぜひ伺いたいと思います。

 あまり難しい議論はこの際必要ありません。基本的な考え方は次のとおりです。

 「現行の産業経済システムの下で経済の持続的な拡大が今後少なくとも50年以上は続くということが確実であり、環境問題にはあまり配慮しないというのであれば、現行の産業経済システムを支えているエネルギー体系を構成する火力発電と原発の増大はそれなりに合理性があると思います。けれども、そうではなさそうだというのであれば、3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」に書きましたように、「火力発電と原発の増大はますます持続可能な社会への軟着陸を難しくすることになる」ということです。



原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑧原発と持続可能な社会―その1

2012-06-26 11:04:55 | 原発/エネルギー/資源
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原発と持続可能な社会―その1 (2007年4月17日)

 過度の原発への傾斜の問題は、万が一、過酷な原発事故が起きた場合にも、需要側サイドの電力の要求により、事故を起こした原発と同じ発電所にある他の原発や他の発電所の同タイプの原発を安全確保のために止めることができず、原発を運転し続けなければならないことです。

 エネルギー体系の変更にはリードタイムが必要なことを忘れてはなりません。次の図は原発が持続可能な社会の電源としてふさわしいかどうか考えるために、原発の現状(1994年末時点)と将来を私なりにまとめたものです。(図8)

 原発の寿命は30~40年と言われていますから、日本では2000年~2030年に第1期の廃炉時期を、2030年~2060年に第2期の廃炉時期を迎えることになります。

 私がこの図を作成した1995年に、商用運転中だった47基の原発、建設中だった原発7基は、2006年末の時点で55基(商用運転中)、建設中3基となりました。この12年間に8基の原発が増えたことになります。

 それぞれの時期にどのように対応するかが大きな問題となります。第1の廃炉時期は軽水炉型の原子炉の更新となりますが、この時にいくつかの選択肢があります。原発の総設備容量を増やす方向を選択すれば、日本の将来は「持続可能な社会」からますます遠ざかってしまうでしょう。この時の判断基準としては、 2月4日のブログ「今後50年のビジョンを考える際に必要な経験則」3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」が参考になるでしょう。

 どのようなエネルギーを選択するかによって、私たちの将来は決まってしまうのです。議論の基礎となる共通の資料に基づいて、私たちの将来のエネルギー体系について組織の立場を離れて大いに議論をしようではありませんか。



原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑦それでは、高速増殖炉は? 核融合炉は?

2012-06-24 09:03:46 | 原発/エネルギー/資源
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それでは、高速増殖炉は? 核融合炉は?(2007年4月16日)

  2005年12月26日の朝日新聞によりますと、経済産業省資源エネルギー庁は高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」に代わる新たな高速増殖炉を2030年前後に建設する方針を決めたそうです。

 これは、2005年10月11日に原子力委員会で決定され、3日後の14日に閣議決定された「原子力政策大綱」で、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用する「核燃料サイクル」を堅持する方針が明記されたからです。核燃料サイクルの中核となる高速増殖炉は2050年ごろに実用化をめざすものです。(図7‐1)

 高速増殖炉は「核分裂」を利用した従来型の原子力利用技術の延長線上にあるものですが、もう一つの原子力利用技術に「核融合」という技術があります。その具体的なプロジェクトが南仏に建設が決まった「国際熱核融合実験炉(ITER)」で、2040年頃まで実験を続けることになっています。実用化は早くて21世紀末になると言われています。(図7‐2)

 ですから、高速増殖炉にしても核融合炉にしても、これらの技術による電力供給は私が想定している2050年までには実用化されることはないと考えてよいでしょう。

 そうだとすれば、日本の現在のビジョンである「持続的な経済成長」をめざして、現行の産業経済システムをさらに拡大するために、「安全性に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本政府の主張や、「原発は不安だが、経済成長のために必要」という国民の60~70%を占める考えに沿って、現在の核分裂を利用した原発を2050年に向けてさらに拡大していくという考えが理解できるのではないでしょうか。
 
 でも、私は、この考えは20世紀的な考えで21世紀にめざすべき「持続可能な社会」の電源として原発はふさわしくない と考えています。

 次の図(図7‐3)は日本の原発の廃炉・解体状況を予測したものです。このデータは10年前の1997年5月17日に原子力資料情報室が公表したものですが、もっと新しいデータが現在公表されているかも知れません。このデータが作成されたときよりも現在の原発の数は増えています。原発推進、反対にかかわらず、この種のデータは既存の原発の数がわかっているわけですから、計算の前提条件が同じであれば、同じ結果が出るはずです。

 この図では、今年2007年頃から商業用原発の廃炉・解体が始まると予測されています。これら、原発の廃炉・解体には多量の化石燃料(主に石油)や莫大な費用が必要なことは容易に予測できます。私たちは原発の「入口議論」だけでなく、「出口議論」を真剣にしなければならないのです。




原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか   ⑥原発に否定的な国際的評価の事例 

2012-06-16 10:31:56 | 原発/エネルギー/資源
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 原発に否定的な国際的評価の事例 (2007年4月15日)

 それでは、原発に対する「私の現在の認識と判断」に加えて、「原発に否定的な国際的な評価」の事例をまとめておきましょう。


★私の現在の認識と判断 
 「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という考えは、日本の政府の主張であり、国民の60~70%が「不安はあるが、必要悪」と納得していると考えてよいと思いますが、私はそうは思いません。この考えは20世紀の経済成長をそのまま引きずっている考えで、21世紀の経済のあり方を十分に考えているとは言えません。

 このような硬直した発想は議論の論点が狭すぎることから生じるものだと思います。4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」の表の(6)、(7)、(8)を日本の原発の論点に加え、「21世紀の国のあり方(持続可能な社会の構築)」や「経済見通し」との関係で十分に議論しなければならないと思います。

 特に、 (8)を議論の中心に据えれば、議論の方向は大きく変わってくるでしょうし、可能かどうかは別にして、「原発を捨てること」が論理的には正当性があるということになるのではないでしょうか?そうであれば、原発の新設を止め、「安全に十分配慮した上で、原発の依存度を徐々に縮小していく」ことが、現実的なのではないでしょうか。


★スウェーデンの基本的な考え方
 この点で、スウェーデンの論旨は明解です。スウェーデン政府が1992年の地球サミットに提出した資料の一つに「Ecocycles: The Basis of Sustainable Urban Developmet」がありました。その60ページに「原発は持続可能なエネルギー源ではない。それゆえに、国会は国民投票後にすべての原子力発電所を遅くとも2010年までに廃止することを決定した」という記述があります。

上の図を拡大するには、ここをダブルクリックします。

そして、もうひとつ。地球サミットにスウェーデン政府が提出した国別レポートの付属書の42ページにも類似の記述があります。

上の図を拡大するには、ここをダブルクリックします。


このブログ内の関連記事
スウェーデン国会が高齢化した原発の「更新」に道を開く政策案を可決(2010-06-02)

朝日が報じた「転機の原子力 『ルネサンス』に黄色信号」と、「スウェーデンの最新の原発に関する政策」(2011-01-09)


★IPCCの基本的な考え方
 1995年の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第二次評価報告は「原子力エネルギーは原子炉の安全性、核廃棄物の処分などについて一般に許容される対応策が見つかれば、世界の多くの地域のベースロードとなっている化石燃料による火力発電を置き換える可能性がある」としています。

 このように、IPCCの報告では、原子力については積極的ではなく、「条件が整えば」という仮定の話にとどまっていることに注意する必要があります。

★WCEDの基本的な考え方
 また、持続可能な開発を提唱した国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」は「さまざまな議論があったが、最終的には原発はこれにより生ずる未解決の問題に関するはっきりした解決策が存在しないかぎり、正当化し得ないという点で委員会全員の見解の一致をみた」と1987年4月の「我ら共有の未来」と題する報告書(ブルントラント報告)に書いてあります。

★WSSDの原発の扱い
 2002年8月末から9月初めにヨハネスブルグで開かれた「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)を報ずる毎日新聞の記事です。(図6)






原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑤原発の議論は「入口」だけでなく、「出口」の議論も

2012-06-09 14:06:49 | 原発/エネルギー/資源
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エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う (2007年4月14日)   

 4月13日のブログ「過去の原発に関する世論調査」と4月12日のブログ「4月10日の設問の意図」で、原発に対する国民のおおよその意識を示しました。そして、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、 国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は「原発へのさらなる依存に異議を唱えないだろう、と考えました。

 しかし私は、設問のような夢の原発が開発されたとしても(現実には設問のような原発は開発されないでしょうから)、「原発へのさらなる傾斜に,待った!」といわざるを得ません。

 なぜなら、次の図を見てください(図5‐1)。 この図は2月25日のブログ 「2050年までの主な制約条件」に掲載したものと同じです。


 いくらクリーンなエネルギー(たとえば、自然エネルギー)を必要な量だけ供給できる「夢のエネルギー供給体系」があったとしても、生産活動を支えるほかの生産要素である「原料」や「水」の必要量を将来十分に確保できるという保障があるか、この点については、 3月10日のブログ「生産条件、資源からの制約」で検証しました。

 さらに、生産工程から排出される産業廃棄物や一般廃棄物等の固形廃棄物、さらには大気へ排出されるガス状あるいは水系に排出される液状の廃棄物など「様々な廃棄物の適切な処理・処分」および「廃熱」への対処が十分か、というこれらの課題に対する明快な解答がないからです。

 生産活動は量的に最も少ない生産要素に縛られるのです。 水は生産工程のプロセス水、洗浄水あるいは冷却水として使われます。渇水が深刻な状況になれば、原料やエネルギーが十分供給されていても工場の操業停止をせざるを得ないことを、私たちは経験から知っているはずです。

 エネルギーだけが十分供給されても、エネルギーだけでは生産活動はできないのです。生産活動を支えているエネルギー問題を考えるときには、「エネルギー以外の生産要素が十分確保される可能性があるかどうか」を、同時に考えなければなりません。

 エネルギーの専門家 (とくに原子力エネルギー推進の立場をとる専門家)は、この30年間、この基本的な原則をすっかり忘れて、「持続的な経済成長のためのエネルギーの供給確保」という一点にこだわり、非現実的な論争の前提のもとで難しい技術論を展開し、「非現実的な論争」を繰り返してきました。反対派も難しい推進派の議論に技術論で対応するために議論はますます技術論に偏り、堂々巡りを繰り返してきたのではないでしょうか。

 原子力エネルギーの利用が時の流れにしたがって、「フロント・エンド」(原発の燃料であるウランの調達問題)から「バック・エンド」(核廃棄物の処理・処分の問題)に力点がシフトしてきたように、経済成長が十分可能であった20世紀においては、「エネルギー供給確保」が最重要課題でしたが、資源と環境の制約から20世紀型の経済成長が期待できない21世紀においては、先進国では「エネルギー成長の抑制」こそが最重要課題となります。

 たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。自然エネルギーや他のエネルギー源についても同様です。

 21世紀のエネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行わなければならないのです。

 このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀型の議論であったかが理解できるでしょう。 

 21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います。

 つまり21世紀の原発問題は4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」に掲げた図「21世紀の電源としての原発の論点」の「(8)『持続可能な社会』に適した電源か?」という視点から議論しなければならないのです。

 ちなみに、今朝の朝日新聞は「2006年の発受電電力量が3年連続で過去最高記録を更新した」と報じています(図5‐2)。


2005年の発受電力量については2月17日のブログ「経済、エネルギー、環境の関係」を参照ください。日本の社会が「持続的な経済成長」を求めつつ、「持続不可能な社会」の方向に更なる一歩を踏み出したことは間違いないでしょう。

 以上のことから、現時点での「原発に対する私の結論」は、まず原発の建設を現状に凍結すること、具体的には新設・増設を行わないことで、それが「持続可能な社会」の構築への第一歩だと思います。では、高齢化した原発の更新はどうでしょうか。これについては難しい問題なので、しばらく結論を保留したいと思います。




原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ④過去の「原発に対する世論調査」

2012-06-08 09:43:39 | 原発/エネルギー/資源
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過去の「原発に関する世論調査」 (2007年4月13日)

  4月12日のブログ「4月6日の設問の意図」で、「設問の意図」という図を掲げました。そして、国民の原発に対する意識を、「原発賛成派」(20%)、「推進派にも反対派にも属さないが、原発は不安だが必要と考える人々」(60%)、「原発反対派」(20%)の3つに分類しました。

 私がそのような割合を決めたのは、内閣府の世論調査や新聞社の世論調査を参考にして、私自身の考えによるものです。それらの世論調査の中から、ご参考までに3つの調査結果を示しておきます。

 内閣府の2006年の調査(図4‐1)では、「何となく不安である」(48.1%)と「不安である」(17.8%)を加えると、65.9%となります。 総理府(現在の内閣府)の1990年の調査(図4‐2)では、「原子力発電への懸念については、何らかの不安を感じる人が90.2%」となっています。また、朝日新聞社の2002年の調査(図4‐3)でも、「原子力発電所で事故が起きることに、9割近くの人が不安を感じている」と回答しています。

右の記事を拡大するには,ここクリックしてください。 


 このようなことから4月12日のブログで掲げた「設問の意図」が的はずれではないことがご理解いただけたのではないでしょうか。

 そうであれば、4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」で皆さんに問いかけたように、

 仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、 国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう。

 しかし私は、あり得ないことですが、完全に安全性が確保され、核廃棄物も完全に処理・処分できる〝夢の原発〟が開発されたとしても、 「原発へのさらなる傾斜に、待った!」といわざるを得ません。


 その理由を明日のブログで説明します。




原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか   ③4月10日の「設問の意図」

2012-06-06 09:40:55 | 原発/エネルギー/資源
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 今朝の朝日新聞の投書欄に次の意見が掲載されました。


 この投書に示されたご意見は一昨日ご覧いただいた「反原発論者は暗い現実を見て」というご意見と現状の認識においては共通しているにもかかわらず、明るい未来を実現するエネルギー源の利用について、具体的には「原発の利用」については正反対の印象を受けます。このように、「現状の認識」が共有でき、共に「明るい将来像」を求めながら、その実現を可能にする原子力の利用について一致できないという現実があります。

 それは、「明るい将来像」が現状を改善し、延長していけば到達できるのか、あるいは方向転換をしなければ到達できないのかという議論が不十分なことに起因しています。つまり、日本の原発議論、もう少し広く言えば,エネルギー議論はエネルギーの分野だけという狭い範囲で考えていて、「望ましい明るい社会という将来像」が日本の社会で十分議論され、国民の間で共有されていないことに原因があるのだと思います。


原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ③4月10日の「設問の意図」  (2007年4月12日)

 4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」で原発に関する私の論点8点を、4月11日のブログ「原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ」で日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点を紹介しました。私の論点8点は、1995年に、私の原発に対する視点を明らかにするために当時の原発論争をベースに設定したものですので、96年の私の前著『21世紀も人間は動物である―持続可能な社会への挑戦 日本vsスウェーデン』(新評論、1996年7月10日)の226ページに掲載してあります。

 一方の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点は、昨日もお話したとおり、私の論点8点よりも5年遅れて「長期計画策定会議第二分科会」の報告として公表されたものです。両者を比較してみれば、私の論点8点は原子力委員会の5点をすべて含んでおり、その意味で私の原発への視点のほうが広いといえるでしょう。

 さて、昨日のブログに対してお二人の方(冨田さん、XAITOさん)からコメントをいただきました。議論を進めるのに好都合なことに、冨田さんは「原発の安全性が確保され、核廃棄物も安全に処理・処分される技術があるならば、原発は拡大の方向でよい」と考えるとのことですし、XAITOさんは「足りないことが問題なのではなくて、使いすぎ自体が問題」とコメントされていますので、「原発の拡大は好ましくない」と判断されていると私は解釈しました。
  
 お二人の判断は、まさにこのブログの一番上に掲載している「バーナー」(オレンジ色に白地)に書いたような状況になっています。

 そこで、次の図をご覧ください(図3)。


 この図はこれまでの内閣府や新聞社の世論調査をもとに、私が「原発に対する国民の意識」を分類したものです。95年に作成した図ですが、10年を経た2006年の内閣府の世論調査でも不安に感じる人の割合は大体同じようです。

 この図に示した国民の認識の割合(%)が「まあ、そんなものだろう」と合意していただけるなら、 4月10日のブログで皆さんに問いかけたように、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう。

 これは「日本政府がこれまで言い続けてきたこと」であり、「原発に不安を感じるが必要である」と考えている一般の人(原発は必要悪という人もいます)が納得してきた「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本の主流の考え方に基づくものです。おそらく冨田さんのお考えも大きく括れば、ここに分類されるのではないでしょうか。