環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

2010年4月掲載のブログ

2010-04-30 18:37:35 | 月別記事一覧
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1.2010年4月掲載のブログ

2.24年前の今日、スウェーデンのフォーシュマルク原発がチェルノブイリ原発事故を特定(2010-04-27)

3.世界経済のグローバル化がもたらしたこの10年間の「環境負荷の増大」(2010-04-05)

4.20年前倒し、このまま行けば2010年は混乱、2030年は大混乱!?(2010-04-01)




24年前の今日、スウェーデンのフォーシュマルク原発がチェルノブイリ原子力原発事故を特定

2010-04-27 13:34:44 | 原発/エネルギー/資源
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24年前の昨日、4月26日は旧ソ連(現在のウクライナ)で史上最悪の原発事故が発生した日でした。チェルノブイリ原発事故です。朝日にも読売にも産経にもまったく関連記事がありませんでしたが、日経には次のコラム記事がありました。


このことは、事故のニュースそのものは時間の経過と共に風化しつつあることを示していますが、一方この記事の最後の部分にあるように、事故現場では24年を迎えた今なお事故の後遺症に対応するために莫大な費用が必要であることを示しています。

この事故の発生現場を最初に特定したのはスウェーデンの放射線モニタリング・システムでした。この日、スウェーデンのフォーシュマルク原発は異常に高い放射線レベルを観測したので、スウェーデン国防研究所(FOA)と共同作業で、当時冷戦構造にあった西側の原子力施設として最初にチェルノブイリ原発事故を、特定したのです。事故の発生の翌日には事故の発生場所が特定されたのです。

次の記事では、事故の被害救済対象者数が480万人とされています。この人数は当時のスウェーデンの人口の半分以上(現在の人口は930万人)に相当します。もしこのような事態がスウェーデンで起こったならば、スウェーデンの福祉制度は崩壊したかもしれません。

昨日は、私が環境論を講じている大学で、授業の冒頭にこの問題を話題として提供しました。学生の反応の一部を記録しておきましょう(原文のまま)。

●1986年の今日の話は初めて聞いたことだったので、そんなことがあったなんて驚きでした。最近、北欧の環境(エコ)に注目があつまっているけれど、当たり前のことではあるけれど、ポット出たエコ精神じゃなく、ずっと続けて来た歴史がある節約だったり、省エネ対策だからこそ、世界が注目しているんだなと思いました。(2年女子)

●今日がチェルノブイリの事故の日というのは知らなかった。チェルノブイリの事故は聞いただけだが、すごい大変な事故だったと思う。そしてスウェーデンの原発をなくす方針には驚いた。日本では原発をなくしてどうするのかという意見が多いが、日本と同じように、原発の代わりがないのになくすことに踏み切ったスウェーデンの方針には驚いた。(3年男子)

●原発に頼っていたスウェーデンだがチェルノブイリ原発の事故などで安全性に不安がもたれるようになった。そうしてスウェーデンで大事なエネルギーを得る原発も環境のことを考えたり、廃止する方向に行こうとするのはすごいと思った。使用済み核燃料を処理しきれていないのにこれ以上の原発を増やそうとしている日本は目先のことしか考えていないのではないかと将来が不安になった。(2年女子)

●チェルノブイリの原子力発電所の事故は、なんととなく知っていましたが、事情最悪の原子力発電所の事故ということは全くしりませんでした。その事故を最初に見つけたのがスウェーデンのモニタリング・システムだということは初めてしりました。(3年男子)


これらの反応を見ていると、チェルノブイリ原発事故が起きたのはこれらの学生が生まれる前の事故であったことに改めて気づく。日本の政策担当者は本当に現在のエネルギー体系の転換を真剣に考え、行動に移すべきだと思う。

古くて、新しい原発議論が「気候変動問題」への対応との関連で、再び高まってきました。ここで議論しておきたいことは、「原子力ルネッサンス」などという巧みなネーミングのもとに国際的にも国内的にも推進の動きが高まってきたように見える「原発のCO2削減効果に対する有効性」についてです。


関連記事
転機の原子力:ルネッサンス① 原発導入、高まる気運

転機の原子力:ルネッサンス② 燃料管理も処分も課題
       現在、高レベル放射生廃棄物の処分場や候補地が決まり、建設への手続きが進んでいるのはフィンランドとスウェーデンだけ。
  米国はネバダ州ヤッカマウンテンが唯一の候補地だがオバマ政権は計画を白紙にしている。      

チェルノブイリ事故24周年に当たって、今日はぜひ、皆さんに、もう一度、この大切な問題を考えて欲しいと思います。私たちの子どもや孫のために。私の考えは次の記事にまとめてあります。私の考えに対するコメントは大歓迎です。
 
関連記事
低炭素社会と原発の役割  再び、原発依存を強化する日本 vs 原発依存を抑制するスウェーデン(2009-10-08)



世界経済のグローバル化がもたらしたこの10年間の「環境負荷の増大」

2010-04-05 08:00:44 | 経済
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4月1日のブログで、過去10年間使ってきた「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱」という図に代えて、「このまま行けば、2010年は混乱、2030年は大混乱!?」という図を新たに掲げました。10年前の2000年に比べて、世界経済のグローバル化がさらに激化し、その結果としての「環境負荷」がますます増大してきたからです。


私の環境論では「経済と環境の関係」を次のように捉えています。

     環境問題は経済活動の「目的外の結果」の蓄積である
     これが「私の環境論」の基本的な認識の一つで、多くの日本の環境問題の学者や専門家、政策担当者、環境NPO、マスメディア、
     そして、企業人との認識と表現方法を異にする点である。

私たちが行動すると、その目的が達成されようとされまいと、必ず「目的外の結果」が生ずることになります。20世紀後半に顕在化した「環境問題」の大半は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行った「企業の生産活動」「企業と市民の消費活動」があいまってつくりだした経済活動の「目的外の結果」が蓄積したものなのです。経済活動が大きくなれば「目的外の結果」も比例的に、あるいはそれ以上に大きくなります。つまり、「経済」と「環境問題」は切っても切れない関係にある、わかり易くいえば「コインの裏表」と表現してもよいでしょう。コインの表である「経済」は基本的には資源とエネルギーで支えられており、コインの裏である「環境問題」は経済活動の結果、つまり、資源とエネルギーの利用結果が蓄積したものなのです。

したがって、「これまでの経済学者やエコノミストの多くはコインの表である「経済」“金の流れ”だけで評価し、判断しています。環境論者はややもすると経済活動を注視することなく、経済活動の拡大の結果生じた「環境問題の現象面」ばかり見ています。21世紀の経済はコインの裏である“資源・エネルギー・環境問題”で考えるべきだ」とする私の主張は、案外、新しい視点なのかもしれませんね。 

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私の環境論では、「環境・エネルギー問題の本質」は次の図のようになる。


ですから、21世紀の経済成長の制約は「資源やエネルギーの供給量の不足」によるものではなく、「環境負荷の増大」によるものであることは疑う余地がありません。したがって、次の図が決定的に重要です。

20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていましたが、21世紀の安全保障の概念は軍事的側面だけでなく、さらに広く「グローバルな経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと展開していかなければなりません。戦争やテロ活動がなくなり、世界に真の平和が訪れたとしても私たちがいま直面している環境問題に終わりはないからです。その象徴的存在が「気候変動問題」といえるでしょう。

そこで、次の図を見ていただきましょう。この図は、1990年から2007年までの17年間に世界で毎年排出し続けてきたCO2の排出量に基づいて、1990年の排出量と2007年の排出量を比較してみたら80億トン増加していたこと(この間、大気中には毎年その年の排出量が累積的に蓄積されていく)と、世界全体の排出国の排出割合がこの17年間で大きく変わってきたことがわかります。


次の図は、世界の2008年の化石燃料の燃焼に伴うCO2の排出量が過去最高の87億トン(炭素換算)に達したこと、90年比で41%増加したことを報じています。重要な視点はこれまであまり、明らかにされていなかったが、青色の網をかけた部分です。



そして、次の図は、その結果として大気中のCO2濃度が2008年に観測史上最高に達したことを示しています。




20年前倒し、このまま行けば2010年は混乱、2030年は大混乱!?

2010-04-01 17:43:04 | Weblog
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今日4月1日は、日本の新年度が始まる日です。そこで今日から、私の環境論を立体的に考えるために2000年に作成し、今日まで掲載してきた「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱!?」の図(上の左図)を、「このまま行けば、2010年は混乱、2030年は大混乱!? 」という下の図に改める。つまり、大混乱の想定される時期を20年前倒したということです。

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10年前に比べて、世界人口は増え、BRICsと呼ばれる新興国やアジア・アフリカ諸国の経済活動が大きくなり、世界のCO2排出量も過去最多となるなど国際情勢が拡大方向で激変し、国内事情も20世紀同様に拡大方向をめざし、政権交代後も政治が混乱し続けているからです。つまり、「有限な地球という認識」にもかかわらず、世界全体が意図的に「20世紀の経済拡大」の上にさらなる「21世紀の経済拡大」を追求しているからです。



この図は「私たちの将来を決めるのは誰か」を考えるとき重要な図です。2000年に生まれた赤ん坊は生きているかぎり、2030年には30歳になる。同じように、20歳の大学生は50歳に、50歳の人は80歳になる。このように考えれば、「明日の社会の方向を決めるのは今を生きる私たちだけだ」という至極当然のことが理解できるでしょう。

とくに日本ではいまなお、60歳以上の人たちが、社会のさまざまな問題に対して政治的、行政的、企業的な将来の決定を行なっている現状を思い起こす必要があります。その意味で、「日本の団塊の世代」は日本の、そして、世界の未来に対して大変な責任を負っていることになります。   

政治の分野では、先の長くない政治家が、およそ60年前につくられた古い法的枠組みのなかで「20世紀型の経済の拡大志向の考え」をほとんど変えることなく、20世紀の手法であった「フォアキャスト的手法」で21世紀前半社会の方向づけをしているのが現状です。そして、これまでの日本の制度では、政策をリードしてきた官僚は数年で別の部署に異動し、政策決定の責任を追及されないのです。

このような状況は民主党政権が登場したことで改革される期待が高まってはいますが、具体的な成果が目に見えるようになるまでにはさらなる混乱と多くの時間が必要とされます。

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今日はまさに2010年の新年度の最初の日です。2008年9月15日のリーマン・ショックに始まった米国発の100年に一度と言われる大変深刻な「グローバルな経済危機」に直面して、日本とスウェーデンの両国民の心境は次のようだと思います。 


今朝の朝日新聞のオピニオン欄「こうする! 日本再生 耕論」で、企業再生の専門家の冨山和彦さんが「もう20年も停滞しているのに、いまだに危機感が薄い。この国は一度、破綻させたほうがいい。この方が問題点がクリアに成り、人々の危機感が高まる。・・・・」と述べ、その背景を解説しています。「日本に危機感が薄い」という点では、上の図に書いたとおり、15年前からそのような印象を持っているので私も同感です。その背景説明は必ずしも同じではないが、「停滞の底流には戦後作り上げた政治・経済システムの耐用年数が切れたことにある」という点は私も同じ考えである。最後の段で、「法人税を下げ、労働市場を緩和する。こんなことは北欧諸国でさえ徹底的に進めている・・・・・」とあります。北欧諸国がそうしていることは事実だが、「北欧諸国でさえ」というところが引っかかります。この「さえ」という言葉に冨山さんは特別の意味合いを込めているのでしょうか。

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●追加記事 朝日新聞 2009年5月11日
 経済危機インタビュー 
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