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環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

20年前倒し、このまま行けば2010年は混乱、2030年は大混乱!?

2010-04-01 17:43:04 | Weblog
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今日4月1日は、日本の新年度が始まる日です。そこで今日から、私の環境論を立体的に考えるために2000年に作成し、今日まで掲載してきた「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱!?」の図(上の左図)を、「このまま行けば、2010年は混乱、2030年は大混乱!? 」という下の図に改める。つまり、大混乱の想定される時期を20年前倒したということです。

関連記事
あれから40年 2010年は混乱か?-その4   デニス・メドウズさん vs 茅陽一さん(2009-05-01) 


10年前に比べて、世界人口は増え、BRICsと呼ばれる新興国やアジア・アフリカ諸国の経済活動が大きくなり、世界のCO2排出量も過去最多となるなど国際情勢が拡大方向で激変し、国内事情も20世紀同様に拡大方向をめざし、政権交代後も政治が混乱し続けているからです。つまり、「有限な地球という認識」にもかかわらず、世界全体が意図的に「20世紀の経済拡大」の上にさらなる「21世紀の経済拡大」を追求しているからです。



この図は「私たちの将来を決めるのは誰か」を考えるとき重要な図です。2000年に生まれた赤ん坊は生きているかぎり、2030年には30歳になる。同じように、20歳の大学生は50歳に、50歳の人は80歳になる。このように考えれば、「明日の社会の方向を決めるのは今を生きる私たちだけだ」という至極当然のことが理解できるでしょう。

とくに日本ではいまなお、60歳以上の人たちが、社会のさまざまな問題に対して政治的、行政的、企業的な将来の決定を行なっている現状を思い起こす必要があります。その意味で、「日本の団塊の世代」は日本の、そして、世界の未来に対して大変な責任を負っていることになります。   

政治の分野では、先の長くない政治家が、およそ60年前につくられた古い法的枠組みのなかで「20世紀型の経済の拡大志向の考え」をほとんど変えることなく、20世紀の手法であった「フォアキャスト的手法」で21世紀前半社会の方向づけをしているのが現状です。そして、これまでの日本の制度では、政策をリードしてきた官僚は数年で別の部署に異動し、政策決定の責任を追及されないのです。

このような状況は民主党政権が登場したことで改革される期待が高まってはいますが、具体的な成果が目に見えるようになるまでにはさらなる混乱と多くの時間が必要とされます。

関連記事
10年前に考えた「このまま行けば、2010年は混乱?」、 ついに、その年がやって来た(2010-01-01) 


今日はまさに2010年の新年度の最初の日です。2008年9月15日のリーマン・ショックに始まった米国発の100年に一度と言われる大変深刻な「グローバルな経済危機」に直面して、日本とスウェーデンの両国民の心境は次のようだと思います。 


今朝の朝日新聞のオピニオン欄「こうする! 日本再生 耕論」で、企業再生の専門家の冨山和彦さんが「もう20年も停滞しているのに、いまだに危機感が薄い。この国は一度、破綻させたほうがいい。この方が問題点がクリアに成り、人々の危機感が高まる。・・・・」と述べ、その背景を解説しています。「日本に危機感が薄い」という点では、上の図に書いたとおり、15年前からそのような印象を持っているので私も同感です。その背景説明は必ずしも同じではないが、「停滞の底流には戦後作り上げた政治・経済システムの耐用年数が切れたことにある」という点は私も同じ考えである。最後の段で、「法人税を下げ、労働市場を緩和する。こんなことは北欧諸国でさえ徹底的に進めている・・・・・」とあります。北欧諸国がそうしていることは事実だが、「北欧諸国でさえ」というところが引っかかります。この「さえ」という言葉に冨山さんは特別の意味合いを込めているのでしょうか。

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雑誌「世界」(2009年1月号)の「特集 大不況」に登場する識者の環境意識、ほとんどなし(2008-12-08)

グリーン・ニューディール(米国)、緑の日本、そして、緑の福祉国家スウェーデン(2009-01-04)

「グリーン・ニューディール」と呼ぶにふさわしい スウェーデンがめざす「緑の経済と社会」の変革(2009-04-08)

●追加記事 朝日新聞 2009年5月11日
 経済危機インタビュー 
 ケベック大学教授 ジル・ドスターレルさん 「政治が制御」へ改革を 







新刊書のお知らせ 『北欧学のすすめ』、21世紀型社会 北欧とはどんな国々?

2010-02-20 21:02:49 | Weblog
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 下の図をクリックして下さい。     ゼロ・ウエィストワークショップのご案内        2010年は混乱、大混乱は2030年頃かも?  
                             



今日は、今日2月20日に東海大学出版会から発行された新刊書『北欧学のすすめ』(東海大学出版会 317ページ横書き 本体2600円+税)のご紹介です。私も第3部「第6章 EUの環境政策をリードする北欧-“持続可能な社会に最も近い国”スウェーデンの環境政策」を担当しました。この本は混迷する国際社会の中で特に、「持続可能性(サスティナビリティ)」の分野で先を行く北欧諸国の背景資料として、北欧諸国を総合的に理解する手がかりを提供していると思います。



まえがきから

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 北欧とは一般的にデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、そしてアイスランドの5カ国のことを指しています。近年では北欧の取り組みや文化について雑誌などで特集が組まれることもあり、日本語で読むことのできる書籍もかなり増えてきました。その背景には「実験国」という語で表現される北欧の姿があります。北欧諸国はいずれも小国ながら、さまざまな分野で先駆的な取り組みをおこない、「実験」をくり返してきたと考えられています。 
 そのことは福祉に加え環境保護や男女の平等、あるいは外交や教育の分野についても当てはまります。このような取り組み・実験をおこなってきた結果として、北欧は私たちの住む日本とは多くの点で異なる社会となっています。だからこそ、北欧は私たちに多くのことを教えてくれる可能性があるのだと思います。・・・・・・・
xxxxx 
       

目 次

第1部 「北欧」 とは何か?
第1章 北欧とは(池上佳助)
第2章 北欧文化を支える価値観-「共生」と「想像」「創造」-(吉田欣吾)

第2部 北欧のあゆみ
第3章 統合と分離-デンマーク・スウェーデン・ノルウェー(清原瑞彦・佐保吉一・池上佳助)                               
第4章 フィンランドのあゆみ-「フィンランド」と「フィンランド人」の誕生(吉田欣吾)

第3部 共生の北欧
第5章 再評価されつつある北欧型福祉モデル(内藤英二)
第6章 EUの環境政策をリードする北欧-「持続可能な社会に最も近い国」スウェーデンの環境政策(小澤太)
第7章 北欧の地域協力と国際貢献(池上佳助)
第8章 未来を向く北欧の教育-フィンランドの教育・学力・持続可能な発展(ヘイッキ・マキバー著、高瀬愛監修・吉田欣吾訳)
第9章 北欧における多言語・多文化共生-ことばの役割・環境・権利(吉田欣吾)

第4部 想像と創造の北欧
第10章 北欧文学の流れ-北欧5カ国を代表する作家たち(山崎陽子)
第11章 北欧の児童文学-北欧5カ国の多彩な子ども本(福井信子)
第12章 北欧の児童青少年演劇(上倉あゆ子)
第13章 北欧の神々-北欧神話(森信嘉)
第14章 北欧のデザイン-「北欧らしさ」の作られ方をめぐって(伊藤大介)

第5部 言語の北欧
第15章 北欧におけるゲルマン語―北ゲルマン語(森信嘉)
第16章 北欧におけるウラル語族の言語-フィンランド語とサーミ語(吉田欣吾)
第17章 入門北欧語
デンマーク語入門(福井信子)
スウェーデン語入門(上倉あゆ子)
ノルウェー語入門(森信嘉)
フィンランド語入門(吉田欣吾)

コラム:グルントヴィ■福井信子
コラム:ロンネビーの血浴―歴史に何ら影響を与えなかった大虐殺■清原瑞彦
コラム:フィンランドを読み解く鍵「3つのS」■吉田欣吾
コラム:統計から見る北欧■池上佳助
コラム:フィンランド教育は万能薬?■吉田欣吾
コラム:レースのペチコート-私の素敵なクリスマスの思い出■奥田ライヤ-
コラム:フィンランドに伝わる叙事詩集「カレワラ」■荻島崇
コラム:ノルウェーの巨星-フリチョフ・ナンセン■池上佳助

各章の推薦図書

図書案内
   

関連記事
進化してきた福祉国家⑩ スウェーデンについて、私たちが知っていること(2007-09-05)

進化してきた福祉国家⑪ スウェーデンについて、私たちが最近知ったこと(2007-09-06)

持続可能な国づくりの会からの 「第3回シンポジウム」 のご案内

2009-09-21 10:05:59 | Weblog
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今日は、私がスペシャル・サポーターとしてかかわっている 「持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>」 からの「シンポジウム」のご案内です。


この件に関に関するお問い合わせは、主催者の次のブログからお願いします。

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持続可能な国づくりの会 <緑と福祉の国・日本> の最新の紹介動画 をお楽しみ下さい。
 







判断基準の相違④: なぜ、共通の問題へ対応に落差が生じるのか

2009-08-14 06:45:25 | Weblog
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「学習会」 と 「シンポジウム」 のご案内:下の図をクリック
    



8月11日から3回にわたって、次のような具体的な例で「スウェーデンと日本の判断基準の相違とその結果を検証してみました。


①将来の電源(2009-08-12)

②地球温暖化への対応(2009-08-13)

③「クロマグロ」の規制提案(2009-08-11)


スウェーデンの判断基準で日本の現状を見ますと「日本の環境・エネルギー問題に対する対応は不十分である」ということになりまし、逆に、日本の判断基準が正しいとすれば、「スウェーデンの対応は馬鹿げている」ということになるからです。皆さんはどちらの判断基準のほうに合理性があると考えますか。


判断基準が異なれば、対応が異なり、対応が異なれば、結果が違ってくるのは目に見えています。それでは、なぜ共通の問題に対して判断の基準が異なるのでしょうか? 次の図は私なりにその理由を一般化したものです。


「判断基準の相違」は問題に対する認識の相違、つまり、認識の深さと広さの相違によるものです。それではどうして認識の深さと広さが違ってくるかと言いますと、これは社会や人生の価値観の相違に由来するのだと思います。

「社会の変化」と「知識の拡大」に対応して判断基準が変わっていかなければ、本来、見える筈のものも見えず、わかる筈のものもわからなくなってしまいます。重要なことは「変わるもの」と「変わらないもの(あるいは変わるべきでないもの)」を社会や人生の価値観によって見分けることです。

当然のことながら、利害の異なる市民で構成されている社会や個人の価値観を形づくる規範は倫理観です。倫理学は人間が安心して行き続けるために他者に強制できる事柄の限界を決める学問です。最近は環境に対しても「環境倫理学」という言葉が使われるようになってきました。社会問題を民主的に解決するためにも、環境問題の解決をめざすにも現実に則した判断基準が必要です。

私はスウェーデンの発想のほうが合理性があると思います。日本は21世紀に入って世界が大きく変化し、さまざまな変化の兆候が見えてきているにもかかわらず、20世紀の発想と仕組みで対処しているために「問題に対する認識」が不十分なのだと思います。このことは何も環境問題やエネルギー問題に限らず、あらゆる面で認められる現象です。特に、日本の国の骨格を形作っている法体系に顕著な問題点が表れていると思います。





持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>からの 「シンポジウム」 のご案内 

2009-07-30 17:42:11 | Weblog
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今日は私がスペシャル・サポーターとしてかかわっている「持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>」からの「シンポジウム」(予告)のご案内です。


この件に関に関するお問い合わせは、主催者のブログからお願いします。

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持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>からの 「学習会」 のご案内 

2009-07-29 11:24:17 | Weblog
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今日は私がスペシャル・サポーターとしてかかわっている「持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>」からの「学習会」のご案内です。

この件に関に関するお問い合わせは、主催者の次のブログからお願いします。

学習会のお知らせ:9月13日 13:00~ 大井玄 氏@新横浜










環境政策フォーラム主催の2つの講演会   「低炭素社会」 と 「緑の経済と社会の変革」

2009-07-01 11:44:48 | Weblog
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下の図をクリックしてください。
 


「日本版グリーン・ニューディールで経済の活性化を」を掲げる環境政策フォーラム主催の講演会に2回続けて参加しました。 1回目は「第65回モーニングセッション」で、2回目は「第66回モーニングセッション」です。講演後の質疑応答のセッションで、それぞれの講師に基本的な質問を行い、回答を得ました。今後の環境政治のあり方、考え方について重要なことですので、将来の議論のために記録にと止めておきます。

第65回モーニング・セッション
日時:2009年5月29日(金) 08:30~10:30
場所:帝国ホテル 雅の間
    ゲスト:衆議院議員 小杉 隆さん
    参加者:参加者名簿に記載されている参加者 66人

講演内容(小杉さんの講演メモから)
●政治家としての原点
 政治家小杉隆を衝き動かしたものは何か?、公害問題との直面、国政での挑戦、GLOBE体験
低炭素社会を目指せ
 京都議定書、IPPC 気候変動に関する政府間パネル、スターンレビュー、2050年までの60~80%削減、COP15(コペンハーゲン)に向けた中期目標、低炭素社会基本法:社会構造、産業構造をいかに変えるか?
自然共生型社会を世界に示せ
 生物多様性国家戦略の目指すものは何か?、COP10(名古屋)10/18~、里山イニシアティブ、生物多様性の経済価値
循環型社会を構築せよ
 3R Reduceリデュース=廃棄物を出さない、Reuseリユース=再使用するRecycleリサイクル=再資源化する、地球規模の循環をどこまで構築できるのか?、東アジア循環型地域圏
●環境と経済の統合を目指して
 課題先進国の経験と環境技術の戦略的活用、経済危機対策 低炭素革命と成長戦略、
 ①太陽光発電 ②低燃費車 ③省エネ製品 ③交通機関・インフラ ④資源大国


講演後の私の質問
私の質問は2つありました。

①私は日本が「公害対策先進国」で、「公害対策技術」は世界的なレベルにあると思うが、一般に「公害(問題)」と「環境問題」がほとんど同義語として用いられているように思う。小杉さんのお考えはどうか。

②安倍首相を引き継いだ福田首相が最初に行った「所信表明演説」の中で、21世紀のキーワードである「持続可能社会」を4回も使かっていたにもかかわらず、その後の「施政方針演説」では、「持続可能社会」はすべて消え、「低炭素社会」に置き換えられたのはなぜか。

関連記事

私の環境論7 「環境問題」は「公害問題」ではない(2007-01-17)

2007年10月1日の福田新首相の所信表明演説 なんと「持続可能社会」が4回も登場(2007-10-02)

混迷する日本⑥ 福田首相の変心?(2008-01-20)



小杉さんの回答
「公害問題」と「環境問題」はかなりの部分で重なっていると思う。②の質問についてはよくわからないが、「低炭素社会」という言葉に新鮮さがあったからではないか。

私はこの2つの回答には納得できません。公害と環境問題は部分的には重なる部分がありますが、両者が大きく異なる概念だから、1967年の「公害対策基本法」に代わって、1993年に「環境基本法」が成立したのです。

1987年に公表されたブルントラント報告の中で提唱された「持続可能(な)社会」はしっかりした概念であり、1992年の地球サミットで合意された概念だからです。「環境の小杉」と称され、しかも自民党地球環境委員長であられる小杉さんの環境分野の基本認識を疑わざるを得ません。

関連記事

「環境基本法」成立から14年② 不十分なので、このままでは私は反対だ!(2007-12-07)

持続可能な社会、低炭素社会、循環型社会、自然共生社会、これらを組み合わせた社会とはなんだろう?(2007-10-24)

低炭素社会は日本の政治主導による「持続可能な社会」の矮小化か?(2009-01-12)



第66回モーニング・セッション
日時:2009年7月1日(水) 08:30~10:30
場所:帝国ホテル 欄の間
   ゲスト:環境大臣 斉藤鉄夫さん(第2次福田内閣に続く麻生政権でも環境大臣)
     参加者:参加者名簿に記載されている参加者 75人

講演内容:緑の経済と社会の変革

講演後の私の質問
斉藤さんは技術がよくおわかりの環境大臣ですので、安心して質問ができ、また、明快なお答えがいただけるものと期待しております。私の質問は基本的なもので、YesかNoでお答えいただけるものです。3つあります。

①京都議定書の目標では、日本は90年比で6%の削減を約束しました。京都議定書の目標は温室効果ガスの「総量」を削減することになっていますが、日本が努力したのは「総量の削減」ではなく、 「原単位の向上(効率化)」を高めることでした。その結果、排出総量は増加してしまいました。この理解でよろしいでしょうか。

関連記事

温室効果ガスは「総量規制」で(2007-07-29)

松下、CO2排出量の目標を「原単位」ではなく、「総量」に!(2007-10-06)

日本の温暖化対策: 経済産業省vs環境省、 日本経団連vs経済同友会(2007-10-17)

日本は世界トップレベルの低酸素社会? 経済界の判断基準が明らかにされた「意見広告」(2009-03-27) 


②日本の中期目標では、2005年比で温室効果ガスを15%削減することになっています。この目標を達成するために「太陽光発電の導入量を2020年に20倍に拡大する」とありますが、私の考えでは、太陽光や風力に代表される自然エネルギーは稼働中にCO2を発生しない発電装置ではありますが、CO2削減装置ではないので、これらの装置を設置しただけではCO2はまったく削減できないのではないでしょうか。CO2をほんとうに削減するには、これらの装置の設置に併せて実際に石炭火力発電所を停止する必要があるのではないでしょうか。

関連記事 

自然エネルギーにCO2削減効果はあるだろうか?(2008-01-14)


③気候変動(地球温暖化)問題では「現世代の公平性」も必要ですが、その本質は「将来世代との公平性」にあるのではないでしょうか。先月麻生首相が決定した日本の中期目標の決定の際の判断基準や経済界の判断基準である「国際的な公平性」「国民の負担」「実現の可能性」などは、現世代だけの判断基準ではないでしょうか。

斉藤さんの回答
①、②、③の質問に対する斉藤さんの回答はいずれも「Yes」でした。斉藤さんは誠実にコメントも加えてくださいました。


私の質問とは別に、斉藤さんは政府が決めた2020年の中期目標では90年比での削減ではなく、2005年比15%削減とした理由は米国の中期目標が2005年比であること、また15%の削減の手段の中には新規原発が9基建設することが含まれていることを明らかにしました。

私の考えでは、原発も自然エネルギーと同様、稼働中にはCO2を排出しない発電装置ではありますが、CO2削減装置ではありません。ですから、原発を設置しただけでは、CO2はまったく削減されないことは明らかです。原発を設置したら、火力発電所の石炭使用量を削減しなければなりません。つまり、火力発電所を原発で置き換える必要があります。日本では、次の図が示すように、これまで原発を増設しつつ、石炭火力発電も増設してきたのです。



関連記事

原発を考える⑪ CO2削減効果はない「原発」(2007-04-22)

再び、原発と温暖化対策の議論 また、18~20年に逆戻り?(2008-03-21)  





笠松和市さんの講演会 「持続可能なまちを目指して」のご案内

2009-06-19 07:18:32 | Weblog
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私も“スペシャル・サポーター”としてかかわっている「持続可能な国づくりの会」が徳島県上勝町・町長であられる笠松さんをお招きして講演会が行われますので、お知らせします。




新型感染症 「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」の発生から半月、ついに日本でも発生確認

2009-05-10 13:38:40 | Weblog
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下の図をクリックしてください。


半月前の4月24日に、WHO(世界保健機関)が豚インフルエンザ(後に日本の報道では、「新型インフルエンザ」と呼ばれるようになった)の発生を公表し、4月25日の朝日新聞夕刊がこのニュースを初めて報道しました。


それ以降、日本のマスメディアは連日、このニュースをこぞってトップニュースとして報道し続けています。そこで、私の環境論でも、環境負荷の新しい項目として、「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」を新型感染症に追加することにしました。次の図をご覧ください。

●WHOの初動の経緯 

●新型インフルエンザ 国内初確認 2009年5月9日

●WHOの警戒フェーズと2009年5月9日現在の感染者数確認件数

●2009年5月20日現在の世界の感染者数(2009-05-21日追加)

このたび追加した「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」は、他の新型感染症と同様に、発生そのものは人間の意思でコントロールできませんが、ある程度の発生予測はできますので事前事後の対応しだいで、環境への負荷や人体への負荷、つまり被害の程度をかなり軽減できるはずです。

被害の程度を左右するのは、国や自治体の社会的対応能力です。日本の企業人、エコノミスト、政策担当者の多くはこれまで日本の経済パフォーマンスを語るとき、「効率の良さ」を挙げてきましたが、これには次のような2つの大前提があることを忘れてはなりません。

①平穏時あるいは予想される範囲の近未来しか想定していないこと。あらかじめ準備していたことを遂行する時には、日本の官僚機構、企業、学校などの既存の組織はきわめて有効に働くが、事前に想定された範囲を超える出来事(大事故や大きな自然災害など)が起こるとシステムが機能しなくなる。
 
②健康な成人を想定していること。社会を構成するのは老若男女である。それぞれに健康なものもいれば、そうでないものもいる。日本の制度は健康な成人に焦点を当てた「強者の論理」に基づくものである。

①および②の前提に立てば、生産、物流コストをぎりぎりまで切り詰め、「効率化」を図ることが可能となりますが、安定した社会やインフラ・ストラクチャーの整備、自由な企業活動を保障するとともに、国民の健康、生活、財産の安全を確保するには、さらにコストがかかるはずです。日本は効率重視のために、この種の社会全体のコストを削ってきたように思います。

今回の新型インフルエンザの発生は、これからさらに拡大を続けていくと思われますので、今後、①と②の前提の上に成り立っている日本の医療制度やその関連分野でさまざまな問題点がはっきりと目に見えるようになってくるでしょう。

関連記事
私の環境論9 環境への人為的負荷(2007-01-19)

新しい感染症:鳥インフルエンザ(2008-02-27)




ハチドリのひとしずく  2年半前にタイムスリップしてみよう

2009-05-05 09:45:54 | Weblog
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今日はこどもの日。テレビや新聞は、高速道路の通行料金1000円という麻生内閣の新政策に起因すると見られる「ゴールデン・ウィークの大渋滞」と「メキシコ発の新インフルエンザ」に関わるニュースで持ちきりです。今日のテーマは「ハチドリのひとしずく」という絵本です。

私の環境問題に対する考え方を、世に問うてみたいと思いこのブログを開設したのが2007年1月1日ですから、そろそろ2年半になります。昨日、過去の大学講義の資料を整理していましたら、おもしろい資料に出会いました。そこで、今日はこのブログの開設1ヶ月前、具体的には2006年11月にタイムスリップします。
私が環境論を講じている大学で、2006年11月27日に次のような宿題を出しました。1週間後の12月4日に60余人が宿題を提出しました。ここでは、提出者のおよそ1割に相当する7人の回答を紹介します。ここに紹介した宿題提出者の回答は全提出者の回答を代表するものと考えてよいと思います。宿題の回答用紙はA4サイズで、表に(1)、裏に(2)の回答が書いてあります。

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宿題(2006-11-27)

(1)次の2つの記事(「ハチドリのひとしずく」)を読み、感想を書きなさい。
(2)今日の講義で前半の講義が終了し、次回から後半の講義が始まります。これまで7回の講義を受けて、「環境問題に対して考えたこと」を自由に書きなさい。
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提出者A(経営情報学部3年 男)

(1)二つの記事を読んで、小さなことでも全体のために何かしてみようという気持ちになりました。地球温暖化という問題は1人の人間にとってはあまりに大きすぎる問題であり、問題解決のために何をすればよいのかわかりづらく、自分1人が小さなことを行っても無駄であるだろうと思っていました。しかし、たとえ小さなことであってもそれが集まれば大きな物事にも対抗できる大きな力になるのだと感じました。「1人ができることをやろう」、このフレーズにとても共感し、まず身近なことからでも「何か」をしていこうと思いました。

(2)この講義を受講する前はGDPや経済力を向上させて行くことができれば生活は豊かになっていくものだと思っていました。環境問題も少しずつ努力していけると考えていました。しかしながら、前半の講義を受けてみるとこの考えが覆されました。初めの頃は講義を聞いても、ニュースではあまり問題視されていないため危機的な状況にあることが信じがたく思っていましたが、今ではなぜ報道されないのか不思議に思います。今の日本は経済成長を第一の目標としていますが、これを直さない限り、いつかは日本は環境問題を抑えきれなくなると思うようになりました。

提出者B(経営情報学部3年 女)

(1)ハチドリのクリキンディの「私は、私にできることをしているだけ」という言葉が、すごく心に響いてきました。きっと誰もが、ハチドリ以外の森の生き物たちのように逃げていると思います。ハチドリのような人はすごくまれで、ほとんどいないと思います。しかし、そのようなことをしていることに気づくことがとても大切なのではないかと感じました。そうすることで、ハチドリのような人が増えていくと思います。ハチドリのように自分にできることを1人でやるのではなく、周りにいる人達に広め、巻き込んでいくことで、とても大きな力になっていくと思います。
 環境問題はとても大きな問題で、1人ではとても太刀打ちできません。しかし、だからといって1人もこのことから目をそむけ知らないふりをしていては現状は悪くなっていく一方です。1人の力は小さいけれど、やれることから少しづつやる、あきらめないことが大切だということがこの本から気づかされます。ただ、環境を大切にしようなどと言われても何をしたらよいのかわかりませんが、この本では、自分でも何かできることがあるかも知れないと人に気づかせてくれます。どんどん広がっていけば良いなあと思いました。そして、私も自分のできることを考えてみようというとても良い機会になりました。

(2)今まで経済が成長していくことは、とても良いことだと思っていました。そして、経済成長と環境問題は別々に考えたことはありましたが、一緒に考えたことはありませんでした。一つビルを建てるといっても建設費だけでなく、その先の維持費がかかり、維持費がまかなえず倒産し、そのビルを壊す・・・・・まさに環境を壊しているということもよくわかりました。そして、その維持には大量のエネルギーが必要となり、安易に次々にビルなどを建てるという問題の重大さがわかりました。目先のことだけで便利だからという理由での経済成長はとてもおそろしいことだなぁと思いました。また、太陽光発電や風力発電など、自然エネルギーを使った発電はとても環境に良いものだと思っていました。しかし、自然のエネルギーは例えば、太陽光発電であれば太陽が出ていない日は発電できないなど確実にエネルギーを得ることができないため、その事態に備えて原子力発電で発電している事実を知り、環境に優しいエネルギーの難しさを知りました。一見、環境にやさしいと思っても、もとをたどると環境問題につながってしまうことに驚き、同時に絶望さえ感じてしまいました。
 この授業を受けて、今までの何倍もの環境問題の深刻さを感じました。先進国はもっと環境問題の根底を知り、もっと真剣に向き合って行かなければならないと思
います。そして、私ももっと環境問題について知りたいと思い、もっと知らなければならないと思いました。

提出者C(経営情報学部 3年 男)

(1)この「ハチドリのひとしずく」というストーリーを読んで素直に感動した。この短いストーリーの中には私としては環境問題だけではなく、もっといろいろな深いことを読み取ることができるように思う。このハチドリのクリキンディの精神というものは環境問題を解決していく上で非常に重要なことであり、無くてはならない精神、考えであると感じました。私もついつい、自分が努力をしたところで環境なんて何も改善されないと考えてしまっていたが、今回この「ハチドリのひとしずく」とうものを読んで、考え方を改めるべきだということを思い知らされました。環境問題を少しでも解決していく上で、1人1人ができるとこを精一杯行い、1人1人が環境について常に考えて生活していくことが大切になってくるのであろうと感じた。

(2)環境問題というものについて私は今まで、現象面のみをすぐに見てしまっていたが、そうではなく、経済活動との関係が大きいということを今回学んだ。数十年先の環境問題を今日の決断が原則的に決めてしまうということも学んだと同時に印象に残るものであった。屋上緑化の話はとても面白く感じたし、確かに本末転倒な話であると感じた。そして、日本には関西国際空港をはじめとしてとてつもなくムダで環境を破壊するような建物があるんだと感じました。資源・エネルギー・環境問題が経済活動の本質であるということを強く再認識させられた。
 今のような考えのまま、経済活動と環境問題を、先生のように結びつけて考えずにいたのなら、この社会は持続不可能な社会なのではないかと私は感じさせられた。先生がおっしゃっている「戦後の経済復興という当時は正しかったビジョンが目標を達したあとも経済の持続的拡大として現在に至っている」ということはもっともだと感じたし、これは大きな問題であると同時に、一刻も早く気づくべきことであると感じた。

提出者D(経営情報学部 3年 男)

(1)記事を読んでまず最初に気になったのは、「結局、火は消えたのだろか?」ということだった。どうしても気になって先生に直接尋ねたところ、「消えない」とのことだった。森の火事に、たった一匹のハチドリが立ち向かっているのだから消えなくて当然である。おそらく、この物語を読んだ多くの人はハチドリという小さな存在の努力に感動するのだと思う。しかし、私はひねくれ者なので、どうしても素直に感動することができない。「私は私にできることをしているだけ」というハチドリの言葉も単なる自己満足に思えてしまう。
 私がこのように感じてしまう理由は簡単である。結局ハチドリの努力は実を結ばず、火は消えないのだ。ハチドリの努力はすばらしいものであるし、感動的かもし
ない。しかし、ハチドリが立ち向かうには森の火事は大きすぎる問題である。これは人間の活動にも当てはまる。いくらNGOが独自に環境運動をしても、根本的な
解決にはならないし、一部の人間が努力しても他のものも努力するわけではない。そもそも「できることから」の「から」という言葉が気に入らない。「から」とい
うとまだまだ先を見据えているような印象を受けるが、現実はそうでもないように感じる。結論として、環境問題(火事)に立ち向かうには個人(ハチドリ)の力は小さすぎるということである。だからこそ国、政府が真剣に取り組まなくてはならない。

(2)今までは「環境問題」というと、自分とは関係ないことのように感じていた。いくらニュースや新聞で環境問題について騒いでいても、私には直接の被害はなかったからである。しかし、講義の中で私の考えは変わった。たしかに現時点では目に見えるような大きな問題はあまりないかもしれない。しかし、10年後、20年後には誰の目にも明らかな問題が起こって来るであろう。だからこそ、今の時点から対策を立てなくてはならない。私1人が努力をしても問題は解決しないが、政府の態度には不安を覚える。なんだかもどかしくて焦りを感じる。何故、国の対応はこんなにも遅いのだろう? 環境問題について考えれば考えるほど、国への不満が大きくなっていく。
   
提出者E(国際関係学部 3年 男)

(1)まず、この本に書かれていることはこの講義の趣旨とは異なるものであると思う。実際に読んでいないが、おそらくこの本の伝えるメッセージは、「1人1人が自分にできることをすることが大事」、また「自ら行動することが大事」ということではないか。そうだとすれば、現在の考え、制度、社会を根本的に変えなければいけないとする考えとは異なる。しかし、1人1人が自分の生きる日本、あるいは地球という場所について考えなければならないのは確かである。地球全体を考える環境問題 に対してあまり興味がない、日々の生活に忙しい現代人にとって自分に直接関係ないことは重要ではないのかもしれない。
 そんな人々にもどう当事者意識を持たせるかということも考えなければならない。その役割は新聞、テレビ、インターネットなどのメディアではないか。ハチドリの物語では森が燃えるという状況が描かれている。私たちの住む地球をそんな状況にさせたいと思う人はまずいないだろう。人間の生きる条件の最も基本的な地球環境についてもっと議論すべきだと思う。

(2)私も小学生の頃だったか、はっきり覚えていないが、環境問題について作文を書いた覚えがある。そこで、最後に書いたのが、自分にできることをしようという感じのことだった。小学生の考えることなら問題はないのかもしれない。しかし、今はそう考えるだけでは不十分である。考え、行動しなければならない。また、それが合理的で効果的でなければならないと思う。ただ、「持続可能な社会」を目指すとすれば、現在の社会を大きく変えていかなければならない。もし、その方向を目指していくとすれば、歴史上でもかなり重要な出来事で、その作業は困難をきわめるであろう。例えば、スーパーのレジ袋削減運動というのはどれだけ効果があるのかわからない。しかし、それに参加するとそれで満足してしまうという危険性もあると思う。何をすることが環境によいことなのか、悪いことなのかわからないので、これからスウェーデンの事例を見て考えてみたい。

提出者F(経営情報学部 3年 男)

(1)ハチドリのひとしずくという絵本のことは知っていて、僕もこの話を聞いた時は、考えさせられる話だと思いました。この話は今の日本の環境対策の方向性とまったく同じだと思いました。日本という国家レベルでとか大きな組織として環境対策を行うのではなく、個人が自分にできる範囲で行うという点が同じだと思いました。 
 この絵本を広める活動はレジ袋をもらわないとかアイドリングストップといった小さな環境への配慮を増やしていくのに効果があると思います。あと、この記事を読んで、二酸化炭素1.00グラムを削減することを「1ポトリ」という単位で表すことを初めて知りました。しかし、経済成長によって生ずる環境問題の深刻さを伝える記事を少しでも載せ、個人の取り組みだけでなく、国家として本当に環境問題に対する動きをしなければならないという危機感が必要だと感じました。やらないよりは少しは良いので、自分にできることはやろうという活動はもっと広がって行ったほうが良いと思いました。

(2)前半の講義を受けて、環境問題は人類共通の重大事で、最大の課題であることを知りました。僕たちは今まで、環境問題の現象面にばかり目がいっていて、その原因となっている経済活動との関連のことはよくわかっていなかったということを思い知りました。今の日本人が生活を維持するために必要なエネルギーの問題も考えさせられました。解決策が今の段階ではないのではないかと思いました。原子力発電所を増やせばいいという考えもありますが、安全性を考えると良いとは思いません。現在でも行っている自然エネルギーの活用の効率性をあげ、増やしていくしかないと思います。「今日の決断が明日の環境を決める」ということの意味をエネルギー問題と都市の関連を通して知ることができました。
 僕のイメージでは、経済が発達すればするほど、環境は悪化していくと以前から考えていました。現在、最大の経済大国であるアメリカと日本は環境に配慮する責
任が非常に大きいにもかかわらず、具体的な取り組みが少なすぎると思います。そして、国民の意識がとても低いことに危機感を覚えました。日本は今も経済成長を最大の目標に掲げていることは間違いであると思いました。

提出者G(経営情報学部 3年 男)

(1)自分もこの講義を受ける前までは、このような行動で環境保護や温暖化阻止に非常に大きな意味は効果があると思って手放しで賞賛していただろうと思う。しかし、環境問題と人間の経済活動のつながり、つまり環境問題の本質は大量生産・大量消費という人類全体の社会構造にあるということを学んだ今ではその効果に疑問が出てくる。たしかに、物語の内容は心を打つし、1人1人が環境問題について関心を持ち、行動していくことはよいことだと思う。何もしないよりもはるかにましだとも思う。
 しかし、この記事は環境問題の表面ばかり見ていて、上に述べたような本質を見る視点が欠けているので環境問題に対する根本的な解決にはならないと思った。

(2)環境問題に対して見方が大きく変わった。環境問題と人間の経済活動の関わりについては今までよく知らずに、環境問題の表面的な部分しか見ていない自分に気づいた。また、今までスウェーデンについては北欧の一国という程度の知識しかなかったが、環境や福祉についてここまで先進的な考えを持ち、また、それを実行していることを知って驚いた。また、7回の講義を受けて、これからは社会の方向性を変えていく、つまりライフスタイルをも変えていく必要があるのではないかと思った。

以 上

 2006年12月5日
  

私が興味深く感じたのは、宿題(1)と(2)の回答の間にあまりに大きな落差があることです。皆さんはいかがでしたか。2006年の後期に私の講義を履修し、上のような考えを残した学生は去年あたり卒業したでしょうし、ネット上に熱い思いを綴った人たちも、2年半経った今、日本の現状をどのように感じておられるのでしょうか。

ちなみに、滋賀県のHPには、滋賀県知事の嘉田さんが「知事談話」として庁内放送したと書かれています。

庁内放送 知事談話(更新日 2008-06-06)


ハチドリのように生きたい

明日への道しるべ@ジャネット館


グリーン・イノベーション・ジャパン:2020年をメドに、120兆円の市場と280万人の雇用を

2009-04-22 16:29:11 | Weblog
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今日の環境新聞が環境省が中心となって「2020年をめどに、グリーン・イノベーション」(日本版グリーン・ニューディール)をまとめたと報じています。


記事によれば、この施策は、1月より斉藤鉄夫環境相が提案し、麻生太郎首相が本格的な策定を指示していまもので、有識者との意見交換やパブリックコメントなど国民の意見を広く求めながらとりまとめたとのことですが、私にはまったくコメントできません。

ここでは、日本の環境省がこの日にこのような名称の「緑の経済と社会の変革」なるものを策定して、発表したと記録に留めておくだけにします。数年後に振り返ってみることにしましょう。

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「グリーン・ニューディール」と呼ぶにふさわしい、スウェーデンがめざす「緑の経済と社会の変革」(2009-04-08)


なぜスウェーデンにそれができたのか ~人も自然も幸福な国~

2009-04-17 18:41:21 | Weblog
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5月17日(日)に開催される、持続可能な国づくりの会が主催する「連続公開講座」の今年3回目のご案内です。




このパネル討論会から皆さんへの私のメッセージは次のとおりです


スウェーデンがホスト国となった37年前の1972年の第1回国連環境会議(ストックホルム会議)のテーマは「環境」でした。20年後の1992年のリオの地球サミットのテーマは「環境」と「経済行為である開発」とのかかわりを確認した国連の2回目の環境関連の会議でした。そして、その10年後の2002年のヨハネスブルグ会議は前二つの環境に関する国連の会議の結果を踏まえて、人類の将来の安心と安全のための「持続可能性」を議論した最初の会議でした。そして、3年後には2012年(1972年の「第1回国連人間環境会議」から40年)となります。

このような、人類の歴史的会議の流れの中で、スウェーデンがまさに最先端の考えを国際社会に提示してきたのと対照的に、世界第2位の経済大国を自認する日本は、実質的には1992年の議論「環境と開発のかかわり」のレベルに止まっているかのようです。  







(注)ここでいう「スウェーデン版グリーン・ニューディール」というのは、私が勝手にそのように呼んでいるだけで、スウェーデン政府やスウェーデンのマスメディアが使用することによってスウェーデン社会の中で相当の共通認識がえられている概念ではありません。

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「グリーン・ニューディール」と呼ぶにふさわしいスウェーデンがめざす「緑の経済と社会の変革」(2009-04-08)

スウェーデンの「グリーン・ニューディール」は1996年に始まっていた!-その1(2009-01-08)

私の環境論 「経済危機」と「環境問題」のとりあえずのまとめ(2008-11-29)

「グリーン・ニューディール」と呼ぶにふさわしい スウェーデンがめざす「緑の経済と社会」の変革

2009-04-08 21:05:18 | Weblog
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京都に本部を置くNPO法人「環境市民」が、月刊会報誌『みどりのニュースレター』の2009年4月号 No.191で特集「環境が生む雇用―社会に吹く新しい風」を組みました。編集部の依頼で小論を寄稿しました。「特集の趣旨」と植田和弘さんの「巻頭提言」に、私が寄稿した小論を掲載します。なお、植田さんは、私も会員である「環境経済・政策学会」の現会長でもあります。




皆さんは、植田さんの「巻頭提言」に示されているようなイメージと方向性を持って、スウェーデン社会が21世紀の社会に向かって、自信をもって前進していることがおわかりいただけたでしょうか。緑の福祉国家へ向かう主要な変革や転換政策についての詳細は、このブログの「市民連続講座:緑の福祉国家1~63」を参照してください。

なお、ここで言う「スウェーデン版グリーン・ニューディール」というのは、この小論の最初と最後でお断りしましたように、私が個人的に“そう呼ぶにふさわしい”と勝手に思っているだけのことで、スウェーデン政府や政策担当者が、米国や日本のように、「世界同時不況」への緊急対策と打ち出したものでもなければ、スウェーデンのマスメディアが政府の政策を反映してそのように報じているものでもありません。


関連記事
スウェーデンの「グリーン・ニューディール」は1996年に始まっていた!-その1(2009-01-08)
 
またしても、ミスリードしかねない「スウェーデンの脱原発政策転換」という日本の報道(2009-03-21)

★「希望の船出」から11年-経済も、福祉も、環境も・・・・・(PDFファイル) 


●追加記事 朝日新聞 2009年5月11日
 経済危機インタビュー 
 ケベック大学教授 ジル・ドスターレルさん 「政治が制御」へ改革を 



3月15日のトークショー 「ぶんぶん通信 No.1」 から

2009-03-16 10:24:08 | Weblog
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すでに、お知らせしましたように、3月15日(日)の同じ時間帯に2つの催しものがありました。

一つは私もスペシャル・サポーターとしてかかわっている「持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>」の学習会です。講師は元駐スウェーデン大使であられた藤井 威さん、講演のタイトルは「スウェーデン型社会という解答」です。講演の概要はこの持続可能な国造りの会の事務局ブログでお知らせすることになっています。

もう一つは長編ドキュメンタリー映画「六か所村ラプソディ」の監督、鎌仲ひとみさんと私のトークセッション。 180名の定員に対して参加者は228名と盛況でした。トークセッションの前後に2回、制作過程から生まれたビデオレター「ぶんぶん通信 No.1」(上映時間 およそ1時間)が上映されました。このビデオレターには昨年のスウェーデンの状況が挿入されていましたが、日本の現状と映し出されたスウェーデンの状況の間に大きな落差を感じた方が多かったのではないでしょうか。このトークショーの内容や評価は主催者や参加者にお任せしましょう。

●ネット上のブログから①

●ネット上のブログから②

●ネット上のブログから③

●ネット上のブログから④



皆さんへのメッセージ

①私は、スウェーデン大使館科学技術部で1973年から95年までの22年間、「環境・エネルギー問題、労働環境問題」を担当してきました。

②これからお話しすることは、スウェーデンと日本の「環境・エネルギー問題」を同時進行でウオッチしてきた私が理解した95年以降のスウェーデンの現状についてです。

③したがって、別の方が「別の判断基準」で両国を分析すれば、「別の姿を描くこと」も可能でしょう。

私の話を批判的にお聞きいただき、「日本の環境・エネルギー問題への対応」を真剣に考えていただきたいと願っています。私たちのために、私たちに続く子供や孫のために、そして、願わくば将来世代のために・・・・・

今回は講演会ではなく、トークショーですので、司会者の林さんと鎌仲さん、私が話をしている間、背景のスクリーンに24枚のスライドが映し出されました。そこで、その中からスウェーデン社会と日本の社会の相違を理解するのに役立ちそうな普遍性の高いスライド16枚を紹介します。



●フロンティア国家 スウェーデン

●長期単独政権:日本 vs スウェーデン
進化してきた福祉国家②社民党の44年にわたる長期単独政権(2007-08-14)

●「治療志向の国」と「予防志向の国」

●社会的心理構造:日本 vs スウェーデン

●個人と社会のあり方:スウェーデン、米国、日本

●環境政策の策定プロセス

●スウェーデンの行動原理

●「スウェーデン」と「日本」 政策・対策の行動原理が正反対とも言える3つの点

●科学者と政治家の役割
第1回国連人間環境会議

●スウェーデンの地方分権:その理念
日本の地方分権:医療の広域化(2007-09-04)

●国と自治体の力関係
なぜ、先進的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう⑩ 地方分権:国と地方の役割分担(2007-08-27)  

●環境問題の社会的な位置づけの相違 

●スウェーデンの原発政策を転換した本

●「環境・エネルギー問題」を考えるときの視点



2008年秋に顕在化した世界同時経済不況の捉え方

「スウェーデン版グリーン・ニューディール」(スウェーデンがそう呼んでいるのではなく、日本の状況を見ながら私が勝手にそう呼んだだけのことです)は、米国や日本のグリーン・ニューディールとは違って、2008年秋に顕在化した「世界同時経済不況」への緊急対策として策定されたものではありません。スウェーデンは世界経済システムに組み込まれた「開放経済の小国」ですので、他の先進工業国と同様に、現在、世界同時経済不況の嵐の中にあり、これまで好調な経済パフォーマンスを示していた経済指標が悪化し始めています。

「緑の福祉国家」については、このブログの「緑の福祉国家1.ガイダンス」~「緑の福祉国家63」をご覧ください。

緑の福祉国家1.ガイダンス(2007-01-11)

緑の福祉国家63(最終回) 改めて、緑の福祉国家の概念を(2007-06-02)




これらのスライドは、まず私のブログを理解するときの参考になるでしょうし、マスメディアが思い出したように伝える断片的でフローなスウェーデンに関する情報の背景を理解するときに、他の方が書いたスウェーデンに関する書籍やデータを理解するときの背景資料としても役立つでしょう。

関連記事
またしても、ミスリードしかねない「スウェーデンの脱原発政策転換」という日本の報道(2009-03-21)


そして、何よりも日本の問題を考えるとき、日本の何が問題なのかを見つける手がかりとなるでしょう

3月15日(日)の2つの催し物

2009-02-25 12:55:29 | Weblog
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今日は3月15日(日)の同じ時間帯に行われる催し物を2つご紹介します。

一つは長編ドキュメンタリー映画「六か所村ラプソディ」の監督、鎌仲ひとみさんと私のトークセッション。鎌仲さんは今年秋公開予定の長編ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転(仮題)」の取材で大忙し。







もう一つは私もスペシャル・サポーターとしてかかわっている「持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>」の学習会です。