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私は2006年2月、朝日新聞社から 「スウェーデンに学ぶ持続可能な社会 安心と安全の国づくりとは何か」(朝日選書 792) を上梓しました。そして、その「おわりに」で次のように書きました。
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1996年9月17日、乗員・乗客884万人を乗せたスウェーデン号は、「21世紀の安心と安全」を求めて、周到な準備のもとに目的地である「緑の福祉国家」(生態学的に持続可能な社会)へ向けて出港し、現在、順調に航行を続けています。航行中、予期せぬ難問に遭遇し、場合によってはグローバル化の荒波に呑み込まれ、沈没してしまうかも知れませんが、順調に行けば、目的地に到着するのは2025年頃とされています。
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出港からおよそ11年を経た2008年3月30日、スウェーデン号の乗員・乗客は、出港時より34万人増え、918万人(2008年1月31日現在)となり、船は目的地までのほぼ中間点まで順調に航行してきました。この間、経済も、環境も、福祉も、想定通りの成果を得ているようです。その行動計画や成果の一部は、日本の現状と比較しながら、このブログでも既に紹介しきました。
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★環境問題こそ、安全保障の中心に位置づけられる(07-03-12)
★バックキャストが有効だ!
21世紀に国際社会がめざす「持続可能な社会」が大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される現在の社会を延長・拡大した方向にはあり得ないという、これまで述べてきた議論は、「地球サミット」での議論と、その結果まとめられた数々の合意文書でも明らかです。地球サミット=国連環境開発会議(UNCED)は、15年前の1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された、「国連主催の環境と開発に関する国際会議」です。「気候変動枠組み条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」「環境と開発に関するリオ宣言」(ここで、「持続可能な社会」という考え方が提案されました)や「アジェンダ21」などが採択されました。翌年1993年には、地球サミットの合意の実施状況を監視し、報告するために、国連経済社会理事会によって「持続可能な開発委員会」が設立されています。
持続可能な社会を展望しようとする時、「現行の産業経済システムが持続可能ではなさそうだ」ということは何となく、わかるような気がするとしても、それではどのような産業経済システムが望ましいのかは、今のところ誰にもわかりません。
それでは、現在の「持続不可能な社会」を「持続可能な社会」に転換する手法があるのか、と問われれば、私は「ある」と思います。将来の方向を考え、行動する手法として、「フォアキャスト(forecast)」と「バックキャスト(backcast)」という2つの手法があります。
スウェーデンの未来予測レポートでしばしば使われる「バックキャスト」は、日本では耳慣れない言葉ですが、「将来のあるべき姿を想定し、それに基づいて、いま、何をしたらよいのかを判断する」といった意味で使われています。環境問題の解決にあたっては、この方法が有効だと思います。
バックキャストの方法で、近い将来の、主な環境問題を解決した持続可能な社会を描いてみると、人間の経済活動のあり方を、自然法則に逆らう度合いの少ない方向に変えていかなければならないことが見えてきます。このような、環境をこれ以上破壊しない、さらに、できれば人間が安心して暮らせる環境を創造するような技術開発と投資のあり方を、「持続可能な開発」(Sustainable Development)と呼んでいます。
スウェーデンが考える「持続可能な開発」とは、 「社会の開発」であって、日本が考える「経済の開発、発展、あるいは成長」ではありません。
次の図はこのブログに幾度となく登場した図ですが、スウェーデンと日本の21世紀前半のビジョン(政治目標)の相違を示したものです。スウェーデンのビジョンはバックキャスト的手法で、日本のビジョンはフォアキャスト的手法で考えられ、策定されています。最近日本が国際社会に提案した「地球温暖化対策としてのセクター別アプローチ」はまさに、20世紀型のフォアキャスト的手法の典型です。
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スウェーデンと日本の違いは、 「予防志向の国」 と 「治療志向の国」 、言い換えれば、 「政策の国」と「対策の国」といえるでしょう。スウェーデンは公的な力で「福祉国家」をつくりあげた国ですから、社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、つねに政治の重要課題でした。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、 「教育」に力が入ることになります。一方、これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったといってよいでしょう。90年代後半になって「20世紀の経済成長を前提につくられ、21世紀の今なお続く社会制度」から次々に発生する膨大な社会コストの「治療」に、日本はいま、追い立てられているのです。90年後半から始まったように見える「マスメディアを通じて知らされる日本社会の劣化」は止まることなく、さらに進行を続けているかのようです。私にとってはスウェーデンのことよりも、この日本の将来がほんとうに気がかりです。
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日本の21世紀前半社会を明るく豊にするか暗く貧しくするかは、2007年から定年が始まったおよそ700万人ともいわれる団塊の世代の「少子・高齢化問題」と「環境問題」に対する認識と行動とその子供たちの行動にかかっていると言えるでしょう。
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「明日の方向」を決めるのは私たちだけだ(07-01-04)
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1996年9月17日、乗員・乗客884万人を乗せたスウェーデン号は、「21世紀の安心と安全」を求めて、周到な準備のもとに目的地である「緑の福祉国家」(生態学的に持続可能な社会)へ向けて出港し、現在、順調に航行を続けています。航行中、予期せぬ難問に遭遇し、場合によってはグローバル化の荒波に呑み込まれ、沈没してしまうかも知れませんが、順調に行けば、目的地に到着するのは2025年頃とされています。
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出港からおよそ11年を経た2008年3月30日、スウェーデン号の乗員・乗客は、出港時より34万人増え、918万人(2008年1月31日現在)となり、船は目的地までのほぼ中間点まで順調に航行してきました。この間、経済も、環境も、福祉も、想定通りの成果を得ているようです。その行動計画や成果の一部は、日本の現状と比較しながら、このブログでも既に紹介しきました。
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持続可能な社会を展望しようとする時、「現行の産業経済システムが持続可能ではなさそうだ」ということは何となく、わかるような気がするとしても、それではどのような産業経済システムが望ましいのかは、今のところ誰にもわかりません。
それでは、現在の「持続不可能な社会」を「持続可能な社会」に転換する手法があるのか、と問われれば、私は「ある」と思います。将来の方向を考え、行動する手法として、「フォアキャスト(forecast)」と「バックキャスト(backcast)」という2つの手法があります。
スウェーデンの未来予測レポートでしばしば使われる「バックキャスト」は、日本では耳慣れない言葉ですが、「将来のあるべき姿を想定し、それに基づいて、いま、何をしたらよいのかを判断する」といった意味で使われています。環境問題の解決にあたっては、この方法が有効だと思います。
バックキャストの方法で、近い将来の、主な環境問題を解決した持続可能な社会を描いてみると、人間の経済活動のあり方を、自然法則に逆らう度合いの少ない方向に変えていかなければならないことが見えてきます。このような、環境をこれ以上破壊しない、さらに、できれば人間が安心して暮らせる環境を創造するような技術開発と投資のあり方を、「持続可能な開発」(Sustainable Development)と呼んでいます。
スウェーデンが考える「持続可能な開発」とは、 「社会の開発」であって、日本が考える「経済の開発、発展、あるいは成長」ではありません。
次の図はこのブログに幾度となく登場した図ですが、スウェーデンと日本の21世紀前半のビジョン(政治目標)の相違を示したものです。スウェーデンのビジョンはバックキャスト的手法で、日本のビジョンはフォアキャスト的手法で考えられ、策定されています。最近日本が国際社会に提案した「地球温暖化対策としてのセクター別アプローチ」はまさに、20世紀型のフォアキャスト的手法の典型です。
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日本の21世紀前半社会を明るく豊にするか暗く貧しくするかは、2007年から定年が始まったおよそ700万人ともいわれる団塊の世代の「少子・高齢化問題」と「環境問題」に対する認識と行動とその子供たちの行動にかかっていると言えるでしょう。
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