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理念とビジョン:「全文」「ダイジェスト版」
ブログ再開後1回目および2回目の紹介記事はいずれも、この本を読んだ方々からの個人的な書評であり、感想であった。つまり、何らかの理由で偶然私の本を手に取り、興味を持った方々が、それぞれの方々の基本認識に基づいて私の本を評価し、公表した結果であって、私はその結果に十分な手応えを感じている。
そこで、ブログ再開後3回目の今回は、この本に対する私からのメッセージをこのブログの読者の皆さんに直接お伝えしたいと思う。私の感触では、9年前の本書発売当時よりも、今現在のほうが事態は悪化しており、私のメッセージが読者の皆さんに実感として身近に感じられやすくなっていると思うからである。
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20年前倒し、このまま行けば2010年は混乱、2030年は大混乱!?(2010-04-01)
43年前に行動を起こしていれば!
科学者の役割と政治家の役割
科学者の役割は、事態があまり深刻にならないうちに事実を指摘することにある。
科学者は、政治家にわかりやすい形で問題を提起してほしい。
政治家の役割は、科学的な判断に基づいて政策を実行することにある。その最も具体的な
表現は、政府の予算だ。政策の意図が政府の予算編成に反映されること
が必要だ。
43年前の1972年6月に、第1回国連人間環境会議がスウェーデンの首都ストックホルムで開かれた。この言葉は当時のスウェーデンのパルメ首相が述べたものである。同首相は1986年2月28日にストックホルムの路上で何者かによって暗殺されたが、同首相のこの言葉は40年以上経った今、ますます輝きを増してきたように思う。
今日のブログ記事で最初にこの言葉を掲げたのは、この言葉には「環境問題」に対するスウェーデンの考え方やその対応へのアプローチがみごとに凝縮されているとともに、民主主義社会のもとで自由経済を享受してきたわれわれ日本人が、21世紀初頭にかかえているさまざまな問題を解決し、21世紀の新しい社会「持続可能な社会」をつくる際に必要な、普遍性の高い手がかりが含まれていると思うからである。
第1回国連人間環境会議からの教訓
この第1回国連人間環境会議の教訓の一つとして、スウェーデン環境保護庁は翌年の73年から世界最大の経済大国米国のワシントンと第2位の経済大国日本の東京のスウェーデン大使館にそれぞれ環境問題専門の担当官を置くことを決定した。ワシントンのスウェーデン大使館にはスウェーデン人が、そして、東京のスウェーデン大使館には私がその任につくことになった。それ以来22年間、95年に大使館でその職を辞すまで、私は日本とスウェーデンの環境分野の政策や認識の変化を同時進行でウオッチしてきた。
その結果を端的な言葉で表せば、スウェーデンが「予防志向の国」(政策の国)であるのに対し、日本は「治療志向の国」(対策の国)と断言できる。両国の環境問題に対する認識と行動には20年の落差があると言っても過言ではないと思う。
『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』
2006年2月、私は朝日新聞社から『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書 792)を上梓した。この本は、私の22年間の大使館での体験をベースに私自身が築き上げた「私の環境論」に基づいて、私が理解した日本とスウェーデンの状況を分析し、評価したものである。私の認識では、日本がこれから解決すべき問題についてはスウェーデンではすでに解決されている場合が多いので、9年前に発売されたこの本は今なお日本が抱えるさまざまな問題の解決に極めて有効であると考えている。このことは、このブログの再開のきっかけとなった「読書記録」(2015-01-18)を書かれた方の読後感でも明らかだ。
この本を書いた最大の目的
「スウェーデンをまねしろ!」というのが本書のメッセージではない。21世紀のグローバルな市場経済の荒波を、国際社会の先頭を切って進むスウェーデンの国家目標(ビジョン)とそれを実現するための「政策」を真剣に検証してほしいというのが、本書を書いた第一の目的である。
国際社会の動きにたえず振り回されている感がある世界第4位の経済大国「日本」 の21世紀前半のビジョンづくりのために・・・・・
ちなみに、この本を出版した2006年の時点では日本は、米国に次ぐ世界第2位の経済大国であったが、2011年には世界銀行の報告によると日本は米国、中国、インドに次ぐ第4位に後退したそうである。
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35年間の虚しさ:1972年の「GNP至上反省」と2007年の「偽」、でもまだ希望はある!(2007-12-31)
将来の方向を考え、行動する手法
将来の方向を考え、行動する手法として 「フォアキャスト」(日本)と「バックキャスト」(スウェーデン)という2つの手法がある。フォアキャストは、これまでの経済学のように「地球は無限」という前提に立って、現状を延長・拡大していく考え方である。これは国づくりの前提として環境問題を考える必要がなかった20世紀に、日本をはじめ、すべての先進工業国が使ってきた伝統的な手法である。これに対して、将来から現在を見るバックキャスト的手法というのがある。これは、スウェーデン政府が21世紀の長期ビジョンを想定するときに使っており、「地球は有限」を前提に、「経済は環境の一部」と見なし、国民の合意のもとに政策を決め、社会を望ましい方向に変えていく手法である。
「改革なくして成長なし」、「我が国が持続的な経済成長を取り戻すためには・・・・・」、という表現に象徴されるように、日本のビジョン(政治目標)は今なお “金のフロー” に着目した従来の経済学的発想による「持続的な経済成長」(つまり、20世紀の経済社会の延長上にある「経済の持続的拡大」)である。2001年4月に発足した小泉政権の5年間のビジョンも、そして現在の安倍政権が掲げたビジョンの基本になっている経済政策「アベノミックス」も同様である。いずれも、20世紀型経済の発想からまったくといってよいほど抜け出ていない。
一方、スウェーデンの21世紀前半のビジョンは “資源・エネルギーフロー” に着目した「エコロジカルに持続可能な社会(緑の福祉国家)の構築」、つまり、「20世紀型の福祉国家」から「21世紀型の緑の福祉国家」への転換である。この認識と行動の落差は極めて大きい。
この分野の国際社会における日本の振る舞い
今日のブログは1972年に開催された「第1回国連人間環境会議(United Nations Conference on the Human Environment)」(ストックホルム会議)が出発点であったが、この43年前の「第1回国連人間環境会議」以降、1992年の「環境と開発に関する国連会議」(リオの地球サミット)、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(ヨハネスブルグサミット)、2012年の「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)と国連の環境会議が10年ごとに3回開催されてきた。
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あれから40年、2010年は混乱か?―その1(2009-04-09)
また、この流れと並行して、1995年ドイツのベルリンで開催された「気候変動枠組み条約第1回締約国会議」(COP1)以降、気候変動枠組み条約締約国会議は毎年開催され、2014年に20回目(COP20)を迎えた。
これらの国際会議のいずれでも、日本は消極的な対応に終始した。 次に掲げた関連記事をご覧いただければ、国際社会における日本の振る舞いや姿がはっきりとするであろう。
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10月の「COP10」で議論される2つの主要テーマ 「名古屋ターゲット」と「名古屋議定書」(2010-09-12)
1992年の「地球サミット」 当時のスウェーデンと日本の環境問題に対する認識の大きな相違(2010-09-13)
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そこで、ブログ再開後3回目の今回は、この本に対する私からのメッセージをこのブログの読者の皆さんに直接お伝えしたいと思う。私の感触では、9年前の本書発売当時よりも、今現在のほうが事態は悪化しており、私のメッセージが読者の皆さんに実感として身近に感じられやすくなっていると思うからである。
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この第1回国連人間環境会議の教訓の一つとして、スウェーデン環境保護庁は翌年の73年から世界最大の経済大国米国のワシントンと第2位の経済大国日本の東京のスウェーデン大使館にそれぞれ環境問題専門の担当官を置くことを決定した。ワシントンのスウェーデン大使館にはスウェーデン人が、そして、東京のスウェーデン大使館には私がその任につくことになった。それ以来22年間、95年に大使館でその職を辞すまで、私は日本とスウェーデンの環境分野の政策や認識の変化を同時進行でウオッチしてきた。
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2006年2月、私は朝日新聞社から『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書 792)を上梓した。この本は、私の22年間の大使館での体験をベースに私自身が築き上げた「私の環境論」に基づいて、私が理解した日本とスウェーデンの状況を分析し、評価したものである。私の認識では、日本がこれから解決すべき問題についてはスウェーデンではすでに解決されている場合が多いので、9年前に発売されたこの本は今なお日本が抱えるさまざまな問題の解決に極めて有効であると考えている。このことは、このブログの再開のきっかけとなった「読書記録」(2015-01-18)を書かれた方の読後感でも明らかだ。
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「スウェーデンをまねしろ!」というのが本書のメッセージではない。21世紀のグローバルな市場経済の荒波を、国際社会の先頭を切って進むスウェーデンの国家目標(ビジョン)とそれを実現するための「政策」を真剣に検証してほしいというのが、本書を書いた第一の目的である。
国際社会の動きにたえず振り回されている感がある世界第4位の経済大国「日本」 の21世紀前半のビジョンづくりのために・・・・・
ちなみに、この本を出版した2006年の時点では日本は、米国に次ぐ世界第2位の経済大国であったが、2011年には世界銀行の報告によると日本は米国、中国、インドに次ぐ第4位に後退したそうである。
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将来の方向を考え、行動する手法として 「フォアキャスト」(日本)と「バックキャスト」(スウェーデン)という2つの手法がある。フォアキャストは、これまでの経済学のように「地球は無限」という前提に立って、現状を延長・拡大していく考え方である。これは国づくりの前提として環境問題を考える必要がなかった20世紀に、日本をはじめ、すべての先進工業国が使ってきた伝統的な手法である。これに対して、将来から現在を見るバックキャスト的手法というのがある。これは、スウェーデン政府が21世紀の長期ビジョンを想定するときに使っており、「地球は有限」を前提に、「経済は環境の一部」と見なし、国民の合意のもとに政策を決め、社会を望ましい方向に変えていく手法である。
「改革なくして成長なし」、「我が国が持続的な経済成長を取り戻すためには・・・・・」、という表現に象徴されるように、日本のビジョン(政治目標)は今なお “金のフロー” に着目した従来の経済学的発想による「持続的な経済成長」(つまり、20世紀の経済社会の延長上にある「経済の持続的拡大」)である。2001年4月に発足した小泉政権の5年間のビジョンも、そして現在の安倍政権が掲げたビジョンの基本になっている経済政策「アベノミックス」も同様である。いずれも、20世紀型経済の発想からまったくといってよいほど抜け出ていない。
一方、スウェーデンの21世紀前半のビジョンは “資源・エネルギーフロー” に着目した「エコロジカルに持続可能な社会(緑の福祉国家)の構築」、つまり、「20世紀型の福祉国家」から「21世紀型の緑の福祉国家」への転換である。この認識と行動の落差は極めて大きい。
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