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昨日は、2007年2月2日に公表された「IPCC第1作業部会の第4次報告書」が「温暖化は人為起源の可能性がかなり高い」と主張しているのに対し、日本では「温暖化懐疑論」が今年の7月から8月にかけて「環境図書売り上げベスト10」(「環境新聞 2008-09-03」)に華々しく登場している現状を紹介しました。そして、この状況は私には「少々奇異に感じられる」と書きました。
さて、今日は「温暖化懐疑論」に対する、この分野ではまったくの素人の、私の考え を書きます。温暖化という現象にはたくさんの論点が含まれており、 「温暖化懐疑論」の論者の議論もさまざまな分野にまたがっていますので、ここでは、最も基本的なテーマである「温暖化の原因」に関する懐疑論に限定して 、私の考えを述べます。「温暖化の原因」の議論は、さまざまな懐疑論を含めたすべての温暖化議論の出発点だからです。
●地球温暖化の原因に関する「温暖化懐疑論」
「環境図書売り上げベスト10」に登場した7人(武田邦彦、丸山茂徳、伊藤公紀、渡辺正、池田清彦、養老孟司および赤祖父俊一の諸氏)のうち、 「温暖化の原因」について、科学者としてしっかりとした議論を展開しておられるようにお見受けするのは「地球温暖化論に騙されるな!」の著者、丸山茂徳・東京工業大学大学院教授(地質学者、専攻は地球惑星科学)と、「正しく知る地球温暖化」の著者、赤祖父俊一・アラスカ大学フェアバンクス校名誉教授(地球物理学者)のお二人でしょう。他の方々の議論は「温暖化の原因」以外の議論が中心のようなので、ここでは議論しません。
昨日のブログに登場した丸山さんは、「地球温暖化論に騙されるな!」のエピロークで、気候変動の5つの要素あげ、それらの要素の影響度を次のように整理しておられます。
そして、結論として、「過去100年ほど地球の平均気温が上がっているのは事実、温暖化ガスの温室効果は微小ですが、気温を上げる要因です。『温暖化=二酸化炭素犯人説』はまったくの誤りだと断言しますが、私は現在の『二酸化炭素排出削減運動』を全否定はしません」と述べ、丸山さんの総合的な予測は「温暖化」ではなく、「寒冷化」であると主張しておられます。
一方、米国・フェアバンクスのアラスカ大地球物理研究所と国際北極圏研究センター(IARC)の前所長であられた赤祖父さんはインターネット上の「OhmyNews」の2008年1月16日号「誤報だらけの地球温暖化情報 (上) 映画『不都合な真実』は、科学とは無関係なエンターテインメント?」で、伊須田史子さんのメールによるインタビューに次のように答えています。
X X X X X
地球温暖化は実際に起きています。問題はその原因です。気候変動には自然変動と、人間の活動による変動とがあります。私は手元にある実データをもとに、気候変動に関する政府間パネル(IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change)が示すことをしていない、この2つの比率を独自に算出しました。結果ですか? 観測されている温度上昇の6分の5ほどは自然変動によるもの、残りの6分の1ほどが人間の活動によるものだということが分かりました。
X X X X X
赤祖父さんは、丸山さんとは逆で、「地球温暖化は実際に起きている」、しかし、その原因は「人間の活動」によるよりも「自然変動」によるほうが大きいと主張されています。そして「要は、エネルギーのムダを省き、石油資源をできるだけ子孫に残しましょう、で十分な大義名分があるのです」と語っておられます。
お二人の科学者の主張は「寒冷化」と「温暖化」で正反対ではありますが、気候変動の主な原因は「人為的要因」ではなく、「自然要因」であるという点で一致しており、「エネルギー消費の削減」にはお二人とも肯定的です。
お二人の議論は、赤祖父さんの主張に象徴されますように、考えうる温暖化の様々な原因(要因)の総和のうち、それぞれの原因がどの程度を占めるのかのという議論であり、その意味では「温暖化の原因」をめぐる科学的な議論ではありますが、この種の科学的議論は温暖化の原因を極めるために組織された専門委員会でその道の専門家同士が議論することではないのでしょうか。私は「IPCC第1作業部会」はそのような目的で作られた部会だと思っておりましたが、懐疑派の科学者から見るとそうではないのかもしれませんね。
しかし、「現実の人間社会への温暖化の好ましくない影響の可能性」を考えるときには、たとえ「自然変動主因説」が科学的には正解であったとしても、その主因を人為的にコントロールするのがほとんど不可能であることを考えれば、温室効果ガスを削減しようとする対応政策は社会的常識論として論理的に正しいのではないでしょうか。
このことは、赤祖父さんの主張を比喩的にいえば、コップの容量100%(温度上昇の要因を6/6とすると)の83%以上(温度上昇の5/6)が人間がコントロールできない「自然要因」という名の液体で占められていて、その上に、人間がコントロールできる「温室効果ガス」という名の液体が残りの17%(温度上昇の1/6)を占めており、しかも将来的に「温室効果ガス」が間違いなく増加すると仮定した場合、コップの中の液体がこぼれない(温暖化による困った状況が起こらない)ようにするためには、「残りの人為的な17%の温室効果ガス」を少しでも削減する方向の努力を続けていくことが現実的で望ましいことになるのではないでしょうか。ここでいう温室効果ガスには水蒸気は含まれていません。自然界の水蒸気を人間が地球的規模でコントロールすることは不可能だからです。
世界の現状を、 「コップの中身がほぼ満杯で、まもなくコップの中の液体がこぼれだす(科学者が想定する気候変動への限界を超える)状況にある」と仮定しますと、「自然要因」が増えても、あるいは、「人為的要因」が増えても、どちらの場合にもコップの液体はこぼれだすことになります。繰り返しますが、「自然要因」は現実問題として人間がコントロールすることは難しく、「人為的要因」は私たちの意思でコントロールできる可能性があります。つまり、私たちの将来が「寒冷化」であろうと、「温暖化」であろうと、この問題を好ましい方向に転換させるために私たちにできることは「人為的要因」をコントロールするしかなく、あとは「自然の法則」に身をゆだねざるを得ないのです。
●温暖化問題に対する私の考え方
そうであれば、たとえIPCCの主張と懐疑派の主張が対立したままであっても、私の環境論で「温暖化問題」に十分対応できそうです。次の図を御覧ください。
この図は私の環境論の「環境負荷」を示す重要な図です。以前にこのブログで紹介しましたので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
丸山さんと赤祖父さんの主張は、この図の「人間の意思」ではコントロールできない事象の①および②の一部に相当します。ですから、私たちにできることはIPCCが主張し、懐疑派の科学者も肯定する「人間の意思」でコントロールできる事象、つまり「経済活動に伴う環境への負荷」(環境への人為的負荷)をできるだけ少なくするということになるのです。そして、このことは「温暖化対策」だけでなく、「酸性雨」などの大気汚染や他の環境問題解決にとっても望ましいはずです。
●「科学者の9割は『地球温暖化』CO2犯人説はウソだと知っている」を評価する参考になりそうな「関連ブログ」
環境図書月刊売上ベスト10の2位にランクされている丸山さんの「科学者の9割は『地球温暖化』CO2犯人説はウソだと知っている」(宝島社 2008年8月23日第1刷発行)は、このブログで取り上げた「『地球温暖化』論に騙されるな!」(講談社 20008年5月29日 第1刷発行)のおよそ3カ月後に発売されたもので、私は後者に比べると、前者は内容的に非常に見劣りがすると思います。素人の私は後者はしっかりとした論調だと思っていたのですが、前者を読んだ後偶然にも、後述する吉村さんのブログに出会い、丸山さんの“科学者としての行動”に疑問を感じ、失望しました。前者(宝島社)を先に購入していたら、私は後者(講談社)を購入しなかったでしょう。
シンポジウムで行われたアンケートによれば、「『21世紀が一方的温暖化である』と主張する科学者は10人に1人しかいないのである。一般的にはたった1割の科学者が主張することを政治家のような科学の素人が信用するのは異常である・・・・」と書いておられるのですが、アンケートの対象となったのは何人の科学者なのかというような基本的なことが書いてありません。どのようなアンケートだったかもこの本からは分かりません。
詳しいことは、シンポジウムの参加者にしかわからないのですが、幸い、ネット上には、このシンポジウムに参加した温暖化論を支持する科学者の吉村じゅんさん(専門は気象学)という方のまじめなブログがありますので、このブログが丸山さんのこの本を評価する手がかりを与えてくれるように思います。
吉村じゅんさんのブログ
2008年9月2日 「科学者の9割は『地球温暖化』CO2はウソだと知っている」(1)
2008年9月14日 科学者の9割は『地球温暖化』CO2はウソだと知っている」(2)
私もこれまで「地球温暖化を含む環境問題に対する日本政府の対応」や一部の「環境・エネルギー分野の活動」に私の環境論から異論を唱えてきました。その一端は再開前のこのブログでも書いてきました。日本の最近の「温暖化懐疑論」という現象には少なからず違和感があります。皆さんは、最近のこの現象をはじめとする「環境問題懐疑論」現象をどのように考えますか。
常に国際社会の動きに振り回されて来た感がある日本で、このやや特異な現象が日本の環境政策や市民の環境運動に今後どのような影響を及ぼすか注視する必要があると思います。
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昨日は、2007年2月2日に公表された「IPCC第1作業部会の第4次報告書」が「温暖化は人為起源の可能性がかなり高い」と主張しているのに対し、日本では「温暖化懐疑論」が今年の7月から8月にかけて「環境図書売り上げベスト10」(「環境新聞 2008-09-03」)に華々しく登場している現状を紹介しました。そして、この状況は私には「少々奇異に感じられる」と書きました。
さて、今日は「温暖化懐疑論」に対する、この分野ではまったくの素人の、私の考え を書きます。温暖化という現象にはたくさんの論点が含まれており、 「温暖化懐疑論」の論者の議論もさまざまな分野にまたがっていますので、ここでは、最も基本的なテーマである「温暖化の原因」に関する懐疑論に限定して 、私の考えを述べます。「温暖化の原因」の議論は、さまざまな懐疑論を含めたすべての温暖化議論の出発点だからです。
●地球温暖化の原因に関する「温暖化懐疑論」
「環境図書売り上げベスト10」に登場した7人(武田邦彦、丸山茂徳、伊藤公紀、渡辺正、池田清彦、養老孟司および赤祖父俊一の諸氏)のうち、 「温暖化の原因」について、科学者としてしっかりとした議論を展開しておられるようにお見受けするのは「地球温暖化論に騙されるな!」の著者、丸山茂徳・東京工業大学大学院教授(地質学者、専攻は地球惑星科学)と、「正しく知る地球温暖化」の著者、赤祖父俊一・アラスカ大学フェアバンクス校名誉教授(地球物理学者)のお二人でしょう。他の方々の議論は「温暖化の原因」以外の議論が中心のようなので、ここでは議論しません。
昨日のブログに登場した丸山さんは、「地球温暖化論に騙されるな!」のエピロークで、気候変動の5つの要素あげ、それらの要素の影響度を次のように整理しておられます。
そして、結論として、「過去100年ほど地球の平均気温が上がっているのは事実、温暖化ガスの温室効果は微小ですが、気温を上げる要因です。『温暖化=二酸化炭素犯人説』はまったくの誤りだと断言しますが、私は現在の『二酸化炭素排出削減運動』を全否定はしません」と述べ、丸山さんの総合的な予測は「温暖化」ではなく、「寒冷化」であると主張しておられます。
一方、米国・フェアバンクスのアラスカ大地球物理研究所と国際北極圏研究センター(IARC)の前所長であられた赤祖父さんはインターネット上の「OhmyNews」の2008年1月16日号「誤報だらけの地球温暖化情報 (上) 映画『不都合な真実』は、科学とは無関係なエンターテインメント?」で、伊須田史子さんのメールによるインタビューに次のように答えています。
X X X X X
地球温暖化は実際に起きています。問題はその原因です。気候変動には自然変動と、人間の活動による変動とがあります。私は手元にある実データをもとに、気候変動に関する政府間パネル(IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change)が示すことをしていない、この2つの比率を独自に算出しました。結果ですか? 観測されている温度上昇の6分の5ほどは自然変動によるもの、残りの6分の1ほどが人間の活動によるものだということが分かりました。
X X X X X
赤祖父さんは、丸山さんとは逆で、「地球温暖化は実際に起きている」、しかし、その原因は「人間の活動」によるよりも「自然変動」によるほうが大きいと主張されています。そして「要は、エネルギーのムダを省き、石油資源をできるだけ子孫に残しましょう、で十分な大義名分があるのです」と語っておられます。
お二人の科学者の主張は「寒冷化」と「温暖化」で正反対ではありますが、気候変動の主な原因は「人為的要因」ではなく、「自然要因」であるという点で一致しており、「エネルギー消費の削減」にはお二人とも肯定的です。
お二人の議論は、赤祖父さんの主張に象徴されますように、考えうる温暖化の様々な原因(要因)の総和のうち、それぞれの原因がどの程度を占めるのかのという議論であり、その意味では「温暖化の原因」をめぐる科学的な議論ではありますが、この種の科学的議論は温暖化の原因を極めるために組織された専門委員会でその道の専門家同士が議論することではないのでしょうか。私は「IPCC第1作業部会」はそのような目的で作られた部会だと思っておりましたが、懐疑派の科学者から見るとそうではないのかもしれませんね。
しかし、「現実の人間社会への温暖化の好ましくない影響の可能性」を考えるときには、たとえ「自然変動主因説」が科学的には正解であったとしても、その主因を人為的にコントロールするのがほとんど不可能であることを考えれば、温室効果ガスを削減しようとする対応政策は社会的常識論として論理的に正しいのではないでしょうか。
このことは、赤祖父さんの主張を比喩的にいえば、コップの容量100%(温度上昇の要因を6/6とすると)の83%以上(温度上昇の5/6)が人間がコントロールできない「自然要因」という名の液体で占められていて、その上に、人間がコントロールできる「温室効果ガス」という名の液体が残りの17%(温度上昇の1/6)を占めており、しかも将来的に「温室効果ガス」が間違いなく増加すると仮定した場合、コップの中の液体がこぼれない(温暖化による困った状況が起こらない)ようにするためには、「残りの人為的な17%の温室効果ガス」を少しでも削減する方向の努力を続けていくことが現実的で望ましいことになるのではないでしょうか。ここでいう温室効果ガスには水蒸気は含まれていません。自然界の水蒸気を人間が地球的規模でコントロールすることは不可能だからです。
世界の現状を、 「コップの中身がほぼ満杯で、まもなくコップの中の液体がこぼれだす(科学者が想定する気候変動への限界を超える)状況にある」と仮定しますと、「自然要因」が増えても、あるいは、「人為的要因」が増えても、どちらの場合にもコップの液体はこぼれだすことになります。繰り返しますが、「自然要因」は現実問題として人間がコントロールすることは難しく、「人為的要因」は私たちの意思でコントロールできる可能性があります。つまり、私たちの将来が「寒冷化」であろうと、「温暖化」であろうと、この問題を好ましい方向に転換させるために私たちにできることは「人為的要因」をコントロールするしかなく、あとは「自然の法則」に身をゆだねざるを得ないのです。
●温暖化問題に対する私の考え方
そうであれば、たとえIPCCの主張と懐疑派の主張が対立したままであっても、私の環境論で「温暖化問題」に十分対応できそうです。次の図を御覧ください。
この図は私の環境論の「環境負荷」を示す重要な図です。以前にこのブログで紹介しましたので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
丸山さんと赤祖父さんの主張は、この図の「人間の意思」ではコントロールできない事象の①および②の一部に相当します。ですから、私たちにできることはIPCCが主張し、懐疑派の科学者も肯定する「人間の意思」でコントロールできる事象、つまり「経済活動に伴う環境への負荷」(環境への人為的負荷)をできるだけ少なくするということになるのです。そして、このことは「温暖化対策」だけでなく、「酸性雨」などの大気汚染や他の環境問題解決にとっても望ましいはずです。
●「科学者の9割は『地球温暖化』CO2犯人説はウソだと知っている」を評価する参考になりそうな「関連ブログ」
環境図書月刊売上ベスト10の2位にランクされている丸山さんの「科学者の9割は『地球温暖化』CO2犯人説はウソだと知っている」(宝島社 2008年8月23日第1刷発行)は、このブログで取り上げた「『地球温暖化』論に騙されるな!」(講談社 20008年5月29日 第1刷発行)のおよそ3カ月後に発売されたもので、私は後者に比べると、前者は内容的に非常に見劣りがすると思います。素人の私は後者はしっかりとした論調だと思っていたのですが、前者を読んだ後偶然にも、後述する吉村さんのブログに出会い、丸山さんの“科学者としての行動”に疑問を感じ、失望しました。前者(宝島社)を先に購入していたら、私は後者(講談社)を購入しなかったでしょう。
シンポジウムで行われたアンケートによれば、「『21世紀が一方的温暖化である』と主張する科学者は10人に1人しかいないのである。一般的にはたった1割の科学者が主張することを政治家のような科学の素人が信用するのは異常である・・・・」と書いておられるのですが、アンケートの対象となったのは何人の科学者なのかというような基本的なことが書いてありません。どのようなアンケートだったかもこの本からは分かりません。
詳しいことは、シンポジウムの参加者にしかわからないのですが、幸い、ネット上には、このシンポジウムに参加した温暖化論を支持する科学者の吉村じゅんさん(専門は気象学)という方のまじめなブログがありますので、このブログが丸山さんのこの本を評価する手がかりを与えてくれるように思います。
吉村じゅんさんのブログ
2008年9月2日 「科学者の9割は『地球温暖化』CO2はウソだと知っている」(1)
2008年9月14日 科学者の9割は『地球温暖化』CO2はウソだと知っている」(2)
私もこれまで「地球温暖化を含む環境問題に対する日本政府の対応」や一部の「環境・エネルギー分野の活動」に私の環境論から異論を唱えてきました。その一端は再開前のこのブログでも書いてきました。日本の最近の「温暖化懐疑論」という現象には少なからず違和感があります。皆さんは、最近のこの現象をはじめとする「環境問題懐疑論」現象をどのように考えますか。
常に国際社会の動きに振り回されて来た感がある日本で、このやや特異な現象が日本の環境政策や市民の環境運動に今後どのような影響を及ぼすか注視する必要があると思います。
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