環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”

2013-10-21 11:41:44 | 原発/エネルギー/資源
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック       持続可能な国づくりを考える会のブログは、ここをクリック
お問い合わせはここをクリック   アーカイブ(公開論文集)      持続可能な国づくりを考える会のホームページ(HP)は、ここをクリック



          
                                                                         理念とビジョン:「全文」 「ダイジェスト版」


 2011年3月11日の東京電力福島第一原発大事故後から、小泉元首相の「原発に対する懸念」が散見されるようになり、特に今年の夏頃からは、元首相の「脱原発論」がネット上で、そして、マスメディアでもとりあげられるようになってきました。その多くは編集され、断片的で、似たような論調が多くあります。私も小泉元首相の「脱原発論」には非常に興味があります。10月17日の東京新聞が、前日に木更津で行われた小泉元首相の講演会の模様を次のように報じています。



 この記事からは小泉元首相の「原発ゼロの主張」の理由がもう一つわかりにくかったのですが、10月17日に放映された日本テレビの情報番組「ミヤネ屋」では講演の要点がかなり詳しく伝えられていました。これまた、編集されており、断片的ではありますが、聞き取れる音声を忠実に拾ってみました。

xxxxx
ご紹介いただきました、小泉純一郎でございます。

 浜田靖一代議士からお話がありましてね、木更津、地元なんだと、何とかね、来てくださいよという話だったもんです。ちょっと木更津遠いなと思ってね、お断りしようかなと思ったんだけども、新次郎のことが頭に浮かびましてね、そうだ・・・

 しかし、あの福島県の原発事故、その後のさまざまな問題を考えてみると、こりゃー、日本で原発をこのまま推進して行くのは、無理だなと感じ始めました。政治が決断すれば、日本は原発ゼロでもやっていけるという・・・

 私が原発ゼロにしろという一番の理由、いくつかありますけれども、一番の理由はね、処分場がないということですよ。仮に原発がいくつか、これからの電気に必要だからと言って、再稼働を認めたとしてもですよ、ゴミはどんどん増えていくわけです。政治的な方向を出せばね、国民はね、大方の国民は協力してくれるんじゃないか・・・

 特に8月、フィンランドの「オンカロ」の視察に行って、改めて、これは“日本は原発ゼロにしなきゃいかんな”と確信を持ちましたね。これねぇ、10万年というのは気の遠くなる先の話ですよね。日本がね、400メートル地下を掘ったらね、水が漏れ出るどころじゃないですよ、温泉が出てきますよ。しかもね、フィンランドは地震がない。

 本物の「オンカロ」に行ってこのような状況を見てですね、やっぱり、原発は必要だとこの論理で国民を説得することはできない、むしろますますゼロにすべきだということならば説得は可能だと思いましたね。

 今ね、原発がなかったらね、経済成長できないよ、と言うけれども、日本の企業の技術力とかね、努力は大したもんだと思うんです。今後ね、さまざまなそういう原発ゼロに代わる代替エネルギーの開発、それを支援策・奨励策取れば日本はやっていけるんじゃないかな・・・

 有害性が消えない、そうゆう原発の処分場をつくるために莫大なカネとエネルギーを使うよりも、そのカネを自然を資源にする環境にやさしい、そうゆうエネルギーにふり向けたほうが、はるかにやりがいがあって、夢のある事業ではないかなと思ってるんです。
         

 大震災の「ピンチ」を「チャンス」に変える時だ、というふうに受け止めたい。政治に休みはないんですよ。どんな時代でも、これでいいという時代はない。
xxxxx


 私は、この講演会で語られた小泉元首相の言葉から、日本とスウェーデンの「政権を支える原子力分野の専門家の原発に対する基本認識と政治家の原発に対する基本認識」、それに加えて、「その基本認識の大きな落差に起因する現実の行動の具体的な相違」を改めて感じました。 一言で言えば、同じ先進工業国でありながら、“雲泥の差”といっても過言ではないでしょう。この機会に相違の具体的な例を紹介しましょう。

 小泉元首相は講演で、「原発をゼロにしろという一番の理由は処分場がないということだ」と述べておられます。日本では、今でこそ放射性廃棄物の処分の重要性が語られていますが、私の理解では日本の反原発運動は主として「原発の安全性」への市民の疑問から出発していました。一方、スウェーデンの初期の反原発運動の発端は「原発の安全性」ではなく、たとえ安全に原発が稼働していても必ず発生する「放射性廃棄物」の処分に対する懸念からでした。

このブログ内の関連記事
原発を考える④ 過去の「原発に関する世論調査」(2007-04-13)


 スウェーデンの反原発運動は1960年代にすでに始まっていました。ノーベル賞受賞物理学者ハネス・アルフベン博士と中央党の国会議員ビルギッタ・ハンブレウス女史が初期の反原発運動の中心でした。

スウェーデンの商業用原子炉の1号機(オスカーシャム原発1号機)が運転を開始した1972年(昭和47年)秋の国会で、反原発運動の中心的存在であった中央党のビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただした時、答弁に立った当時の産業大臣は「今のところ、国際的に認められた放射性廃棄物の最終処分方法はない」と答えました。 同議員は「それならば」と原子炉新設の停止を求める提案を国会に提出しました。この提案は国会で否決されましたが、そのとき以来、原発は常にスウェーデンの政治の重要な議題の一つになったのです。

このブログ内の関連記事
スウェーデンの「脱原発政策の歩み」⑭ スウェーデンの反原発運動の発端は放射性廃棄物問題(2007-11-12)


 スウェーデンの商業用原子炉1号機が運転を開始した1972年に、原子力発電事業者は共同出資してスウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB)を設立しました。SKBは、1977年の「安全に関する条件法」(Safety Stipulation Act)に従って、放射性廃棄物関連の処分施設の建設を開始しました。

 1985年には、高レベル放射性廃棄物の中間貯蔵施設(CLAB)がオスカーシャム原子力発電所の敷地内で稼働を始め、1988年春には低・中レベル放射性廃棄物の最終処分施設(SFR)がフォーシュマルク原子力発電所に隣接する海底で稼働を始めました。

 高レベル放射性廃棄物(主として使用済み核燃料)は約30~40年間、上記の中間貯蔵施設(CLAB)に貯蔵し、放射線のレベルが下がった後、新設する最終処分場(SFL)に移されることになっています。SKBは2009年6月にエストハンマル自治体のフォーシュマルクに高レベル放射性廃棄物の最終処分場(SFL)の建設予定地を選定し、2011年3月16日に政府に処分場の立地・建設許可申請を行いました。申請の認可はまだおりていませんが、2020年頃、稼働できるように最終処分場が建設される予定です。

このブログ内の関連記事
日本の20年先を行くスウェーデンの「高レベル放射性廃棄物の処分」の進捗状況(2010-11-21)

日本の原発も高齢化、そして、「トイレなきマンション問題」も改善されず(2009-09-04)


 小泉元首相が、今年8月に三菱重工、東芝、日立、清水建設といった原発に関わる企業の幹部と一緒に訪問したというフィンランドの高レベル放射性廃棄物の地下特性調査施設「オンカロ」(高レベル放射性廃棄物の最終処分に必要なデータを集めて処分技術を確立する目的で建設された施設で、最終処分場に先駆けてつくったこの施設は将来、最終処分場として何らかの致命的な地質学的問題がなければ、最終処分場の一部分として有効活用しよういう計画になっている)は、スウェーデンのSKBの「KBS-3」という処分概念 をベースにして、フィンランド独自の研究開発の成果をプラスする形で設計されています。

 このような一連の流れの中で注目すべきことは、スウェーデンでは原発に関わる科学者や技術者などの専門家が原発の抱えるさまざまな問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです。

 このように見てくると、日本とスウェーデンでは「原子力問題に関する基本認識」が専門家のレベルでも、政治家のレベルでも大きく異なることがご理解いただけるでしょう。

●スウェーデンの商業用原子炉1号機(オスカーシャム原発1号機)が運転を開始したのは1972年(昭和47年)でした。
●反原発運動の中心的存在であった中央党のビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただしたのも1972年でした。
●スウェーデンの原子力発電事業者が共同出資して、スウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB)を設立したのも1972年でした。


 そして、スウェーデン政府が、世界に先駆けて「第1回国連人間環境会議」を首都ストックホルムで開催したのも、1972年でした。この会議の開催中にある小グループの会合で、当時のパルメ首相は「科学者と政治家」の役割について次のように述べています。

 科学者の役割は事態があまり深刻にならないうちに事実を指摘することにある。
 科学者はわかりやすい形で政治家に問題を提起してほしい。

 政治家の役割はそうした科学的な判断に基づいて政策を実行することにある。
 そのもっとも具体的な表現は政府の予算だ。政策の意図が政府の予算編成に反映されることが必要だ。


このブログ内の関連記事
第1回国連人間環境会議(2007-03-28)


 私は当時のパルメ首相のこの言葉にスウェーデンの考え方(予防志向の考え方)が見事に凝縮されていると思います。この言葉はスウェーデンの原発問題にも適用されています。一方、小泉元首相の「脱原発論」には日本の原発問題に対する考え方(治療志向の考え方)とそれに基づく具体的な行動がこれまた見事に凝縮されていると思います。

このブログ内の関連記事
社会的な合意形成① 合意形成への2つのアプローチ(2007-02-28)

社会的な合意形成② 「治療的アプローチ」と「予防的アプローチ」(2007-03-01)

社会的な合意形成 ⑤ 環境問題解決の鍵:科学と政治(2007-03-04) 

社会的な合意形成 ⑥ 科学者と政治家の役割(2007-03-05)
 


 翌年1973年(昭和48年)には第1次オイルショックが起こりました。今にして思えば、40年前の「オイルショックの時の政治的決断」とその決断による具体的な対応が2013年の現状を創り出しているのです。その意味で、「政治が決断すれば,原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えは正しいと思います。

このブログ内の関連記事
再び、「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則の有効性(2007-07-30)





最新の画像もっと見る

コメントを投稿