環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

環境問題に対する日本の議論の推移

2007-08-05 21:42:23 | 環境問題総論/経済的手法


私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック

持続可能な緑と福祉の国をつくる会(仮称)のブログは、ここをクリック


20世紀の経済学は、19世紀から引きずって来た「貧困」、「不平等」、「不況」などが解決できれば、社会はうまくいく筈だと考え、努力して来ました。貧困に対しては経済成長、不平等に対しては社会保障の充実などによる所得の再配分、不況に対しては財政・金融政策を行ってきました。ところが、20世紀の終りに至って、私たちは地球規模の環境問題に直面し、これまでの経済学の考え方を改め、別の道を歩まざるを得なくなったことに気づいたのです。

★環境問題に関する日本の議論
 
環境問題に関する、これまでの日本の議論は、図に示すように、公害対策基本法(1967年)に基づく“典型7公害”、自然保全法(1972年)に基づく“自然保護”に加えて、1988年頃からの“いわゆる地球環境問題”が中心で、いずれも“現象面の議論”が多く20世紀を特徴づける大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される「既存の産業経済システム」と「環境問題」のかかわりを正面から見据えた本質的な議論が極めて不十分でした。


産業経済システムとの関わりを不問にした環境問題の議論はありえないというのが私の主張です。

「地球温暖化」、「オゾン層の破壊」、「酸性雨」、「海洋汚染」、「有害廃棄物の越境移動」、「熱帯林の減少」、「野生生物の減少」および「砂漠化」の“いわゆる地球環境問題”と称される自然現象的事象は、いずれもこれまでの産業経済システムの拡大から生じた人為的な問題です。

1988年以降、日本では「地球にやさしい」、「共生」などの心地よい響きを持ったキャッチ・フレーズと共に、「地球環境」および「地球環境問題」という“日本的概念”が社会に定着し、みごとなまでに環境問題に対する危機感を薄めてしまった感があります。政府も自治体も従来の「公害」という概念に代わって、この新しく登場させた“日本的概念”の普及に精力的な啓発活動を続けてきました。ジャーナリズムも、経済界も、企業も、学者も、そして多くの市民運動家までもが、この流れに呑みこまれてしまっています。

★過去10年間の主な議論 

この10年間に各地で行われた環境セミナーやシンポジウムには、従来からの自然保護の流れとは別に、二つの大きな流れがあります。
 
一つは環境問題の真の原因である「人間活動の拡大」、具体的に言えば、日本が世界に誇る「大量生産・大量消費・大量廃棄の産業経済システム」を不問にしたまま、環境問題の専門家や学者、環境問題に関心を示す識者、市民運動家が、いわゆる地球環境問題の現象面の解説とその対策、世界の動向などを解説するもの でした。

もう一つは、環境問題解決の新たな概念として登場した「持続可能な開発」、「アジェンダ21」、「NGO/NPO」、「LCA」、「グリーンGNP」、「環境税」、「環境監査/環境管理」、「EMAS」、「ISOシリーズ」などの“輸入概念”の勉強です。特に、「環境監査/環境管理」や「EMAS」、「ISOシリーズ」の勉強の動機づけには、環境問題の解決に資するというよりも、国際化した日本企業が欧米の市場から締め出されないようにという“日本的企業論理”に基づく意味合いが濃く感じられます。
 
このようなテーマ別の学習の繰り返しは、環境問題の本質を曖昧にし、本来見える筈のものも見えなくしてしまう危険性をはらんでいると言えるでしょう。



それぞれのマークをクリックすると、リアルタイムのランキングが表示されます。お楽しみください。

      

最新の画像もっと見る

コメントを投稿