環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

2009年5月のブログ掲載記事

2009-05-31 18:45:25 | 月別記事一覧
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック    持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
 






5月のブログ掲載記事

1.5月のブログ掲載記事(2009-05-31)

2.経済界の意見広告 第2弾 「考えてみませんか? 日本にふさわしい目標を。」(2009-05-21)

3.2020年時点で90年比4%増が大勢? いよいよ混迷の度を増してきた日本の温室効果ガスの中期目標(2009-05-15)

4.新型感染症「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」の発生から半月、ついに日本でも発生確認(2009-05-10)

5.販売期限まじかのコンビの弁当などの処分の是非(2009-05-06)

6.ハチドリのひとしずく、2年半前にタイムスリップしてみよう(2009-05-05)

7.あれから40年、2010年は混乱か? -その4 デニス・メドウズさんvs茅陽一さん(2009-05-01)



経済界の意見広告 第2弾 「考えてみませんか? 日本にふさわしい目標を。」

2009-05-21 17:27:34 | 温暖化/オゾン層
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック          持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
 





今日の全国紙の一面に、2020年を目標年次とする日本の「地球温暖化問題」の中期目標に対する経済界の意見広告が掲載されました。この意見広告は、今年3月17日の意見広告に次ぐ第2弾です。

この意見広告の主張の一つに「国際的公平性」「国民負担の妥当性」「実現可能性」が確保されるのはケース①(2005年度比▲4%)です、とあり、一見ごもっともな合理的な意見のように見えるのですが、ここには「基本的な誤解」あるいは「読者をミスリードさせるための意図」というか、「誤り」があると思います。

この意見広告が主張する「国際的公平性」というのは、温室効果ガス(その排出量の割合からCO2といってもよい)の排出量についての「現世代の公平性」を主張しているようですが、それも大切ではありますが、もっと大切である地球温暖化防止政策の主たる目標である「将来世代の公平性」を無視しているのは大問題だと思います。温室ガスは大気への蓄積性が高い物質だからです。同様に、「国民負担の妥当性」および「実現可能性」も、現世代の日本の都合に過ぎません。

経済界は今年3月17日の全国紙にも次のような意見広告を出しています。


関連記事

日本は世界トップレベルの低炭素社会? 経済界の判断基準が明らかにされた「意見広告」(2009-03-17) 


上の2つの意見広告を比較してみますと、「日本は世界トップレベルの低炭素社会です」というタイトルがついた図が共通して使われていることがわかります。この図の出典(IEA Emissions from fuel combusution 2008 Editon)に当たってみますと、新たに次のようなことがわかります。



上の図を見ますと、2006年の状況をこのような相対的な数値で表しますと、日本の前に、スイスとスウェーデン、ノルウェー、アイスランドの北欧諸国、日本の次にデンマークがあることがわかります。しかしk、私の環境論から見ますと、このような相対的な数値を用いて、あたかも日本が優れているかのような結論に導くのはおかしいといます。国別の「相対的な数値」よりも国別の「総量」の変化のほうが重要なのです。

以上2つの経済界の意見広告に合わせて、2007年度の日本のCO2排出量が過去最高になったことを再確認しておきましょう。

 
このような結果は自然現象で起こるのではなく、政治や行政、企業などの選択した結果であることをしっかり理解してほしいと思います。
 

関連記事

日本の産業界の環境自主行動計画、その結果は?(2009-01-07) 

企業の07年度の温室効果ガス(CO2換算)上位10社(2009-04-14)

07年度温室効果ガスの排出 鉄鋼/セメント業界が上位(2009-04-04)

2020年時点で90年比4%増が大勢?  いよいよ混迷の度を増してきた日本の温室効果ガスの中期目標

2009-05-15 20:37:40 | 温暖化/オゾン層
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック          持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
 




下の図をクリックしてください。



★いよいよ私の懸念が現実味を帯びてきた

4月3日のブログ「日本政府の中期目標検討委員会が受賞した『化石賞』」で、検討委員会が提示した「中期目標の6つの選択肢の分析結果」を紹介しました。そして、「6月までに決める予定の『政府の中期目標』はこれから2ヶ月ぐらいかけてこの委員会に招集された委員のもとで、この6つのうちのどれかに落ち着くということでしょうか。これではあまりにお粗末ではありませんか」と書きました。そして、参考までにスウェーデン政府が最近決定した2020年の温室効果ガス削減目標を紹介しました。スウェーデンの目標は、総エネルギーに占める再生可能エネルギーの割合を50%総エネルギーの削減を20%温室効果ガスの削減を90年比で40%となっています。 

さて、5月14日の産経新聞が日本の中期目標6案をわかりやすく解説した記事を掲載しています。 


4月20日から東京、大阪、名古屋など全国5カ所で計6回開いた国民との意見交換会が5月13日に終了し、内閣官房によると、2020年の時点で「1990年比4%増」が大勢(7割)を占め、 「25%減」が2割で、2番目に多かったとのことです。そして、政府はネットでも意見を求めており、麻生太郎首相が、国民の声も参考にして最終決断をするとのことです。いよいよ、私が「これではあまりにお粗末ではないか」と書いた懸念が現実味を帯びてきました。

1997年の京都議定書で「90年比で6%減」を国際的に公約した日本が、2020年の中間目標を決める過程で「90年比4%増」が大勢を占めたとは!


さて、政府の中期目標検討委員会が示した6つの案に対して、日本経団連、日本鉄鋼連盟、日本セメント協会、電気事業連合会、石油連盟が次のようなコメントを出しています。いずれも、第1案を支持しています。




そして、このような産業界の意見に対して、環境相は次のようにコメントしています。


関連記事
日本はほんとうに「省エネ」国家なのか? 評価基準の見直しを!(2007-03-17)

「省エネルギー」の考え方(2007-11-27)

日本は世界トップレベルの低炭素社会? 産業界の判断基準が明らかにされた「意見広告」(2009-03-17)

斉藤環境大臣が今回の「業界の意見広告」を批判、過去には密約や怪しげな根回し(2009-03-19)

07年度の温室効果ガスの排出 鉄鋼/セメント業界が上位(2009-04-04)

企業の07年度の温室効果ガスの排出量(CO2換算) 上位10社(2009-04-14)


★日本とスウェーデンの温室効果ガスの排出量の推移

ここで、日本の温室効果ガスの排出量の推移とGDPと二酸化炭素の排出量の推移を見ておきましょう。参考までに、スウェーデンの実績をあわせて掲載します。



★日本とスウェーデンのGDPと二酸化炭素の排出量の推移

日本の実績では、1986年以降、GDPと二酸化炭素(CO2)の排出量が見事なまでに重なっていますが、一方スウェーデンでは、1996年以降、GDPと二酸化炭素の排出量が見事なまでに乖離(デカップリング)しています。


   
 

新型感染症 「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」の発生から半月、ついに日本でも発生確認

2009-05-10 13:38:40 | Weblog
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック          持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
 




下の図をクリックしてください。


半月前の4月24日に、WHO(世界保健機関)が豚インフルエンザ(後に日本の報道では、「新型インフルエンザ」と呼ばれるようになった)の発生を公表し、4月25日の朝日新聞夕刊がこのニュースを初めて報道しました。


それ以降、日本のマスメディアは連日、このニュースをこぞってトップニュースとして報道し続けています。そこで、私の環境論でも、環境負荷の新しい項目として、「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」を新型感染症に追加することにしました。次の図をご覧ください。

●WHOの初動の経緯 

●新型インフルエンザ 国内初確認 2009年5月9日

●WHOの警戒フェーズと2009年5月9日現在の感染者数確認件数

●2009年5月20日現在の世界の感染者数(2009-05-21日追加)

このたび追加した「豚インフルエンザ/新型インフルエンザ」は、他の新型感染症と同様に、発生そのものは人間の意思でコントロールできませんが、ある程度の発生予測はできますので事前事後の対応しだいで、環境への負荷や人体への負荷、つまり被害の程度をかなり軽減できるはずです。

被害の程度を左右するのは、国や自治体の社会的対応能力です。日本の企業人、エコノミスト、政策担当者の多くはこれまで日本の経済パフォーマンスを語るとき、「効率の良さ」を挙げてきましたが、これには次のような2つの大前提があることを忘れてはなりません。

①平穏時あるいは予想される範囲の近未来しか想定していないこと。あらかじめ準備していたことを遂行する時には、日本の官僚機構、企業、学校などの既存の組織はきわめて有効に働くが、事前に想定された範囲を超える出来事(大事故や大きな自然災害など)が起こるとシステムが機能しなくなる。
 
②健康な成人を想定していること。社会を構成するのは老若男女である。それぞれに健康なものもいれば、そうでないものもいる。日本の制度は健康な成人に焦点を当てた「強者の論理」に基づくものである。

①および②の前提に立てば、生産、物流コストをぎりぎりまで切り詰め、「効率化」を図ることが可能となりますが、安定した社会やインフラ・ストラクチャーの整備、自由な企業活動を保障するとともに、国民の健康、生活、財産の安全を確保するには、さらにコストがかかるはずです。日本は効率重視のために、この種の社会全体のコストを削ってきたように思います。

今回の新型インフルエンザの発生は、これからさらに拡大を続けていくと思われますので、今後、①と②の前提の上に成り立っている日本の医療制度やその関連分野でさまざまな問題点がはっきりと目に見えるようになってくるでしょう。

関連記事
私の環境論9 環境への人為的負荷(2007-01-19)

新しい感染症:鳥インフルエンザ(2008-02-27)




販売期限まじかのコンビニの弁当などの処分の是非

2009-05-06 13:12:24 | 農業/林業/漁業/食品
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック          持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
 







今日の朝日新聞が販売期限まじかのコンビニ弁当や総菜の値引き処分の問題点を一面トップで報じています。

ここに報じられている問題は、現在のコンビニ業界の経営システムから生じているのものですが、単なる経営システムの問題に止まらず、環境問題にまで発展していることに気がつかなければなりません。その意味で、石破農水相や野田消費者行政推進担当相の発言も妥当性があると思います。

これらの問題を理解し、解決策を考えるには、既存の法体系のもとで目の前の現象面への対応をするのではなく、下の図に示したようなシステマッティクな理解とアプローチが必要だと思います。




ハチドリのひとしずく  2年半前にタイムスリップしてみよう

2009-05-05 09:45:54 | Weblog
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック          持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
 







今日はこどもの日。テレビや新聞は、高速道路の通行料金1000円という麻生内閣の新政策に起因すると見られる「ゴールデン・ウィークの大渋滞」と「メキシコ発の新インフルエンザ」に関わるニュースで持ちきりです。今日のテーマは「ハチドリのひとしずく」という絵本です。

私の環境問題に対する考え方を、世に問うてみたいと思いこのブログを開設したのが2007年1月1日ですから、そろそろ2年半になります。昨日、過去の大学講義の資料を整理していましたら、おもしろい資料に出会いました。そこで、今日はこのブログの開設1ヶ月前、具体的には2006年11月にタイムスリップします。
私が環境論を講じている大学で、2006年11月27日に次のような宿題を出しました。1週間後の12月4日に60余人が宿題を提出しました。ここでは、提出者のおよそ1割に相当する7人の回答を紹介します。ここに紹介した宿題提出者の回答は全提出者の回答を代表するものと考えてよいと思います。宿題の回答用紙はA4サイズで、表に(1)、裏に(2)の回答が書いてあります。

----------
宿題(2006-11-27)

(1)次の2つの記事(「ハチドリのひとしずく」)を読み、感想を書きなさい。
(2)今日の講義で前半の講義が終了し、次回から後半の講義が始まります。これまで7回の講義を受けて、「環境問題に対して考えたこと」を自由に書きなさい。
----------




提出者A(経営情報学部3年 男)

(1)二つの記事を読んで、小さなことでも全体のために何かしてみようという気持ちになりました。地球温暖化という問題は1人の人間にとってはあまりに大きすぎる問題であり、問題解決のために何をすればよいのかわかりづらく、自分1人が小さなことを行っても無駄であるだろうと思っていました。しかし、たとえ小さなことであってもそれが集まれば大きな物事にも対抗できる大きな力になるのだと感じました。「1人ができることをやろう」、このフレーズにとても共感し、まず身近なことからでも「何か」をしていこうと思いました。

(2)この講義を受講する前はGDPや経済力を向上させて行くことができれば生活は豊かになっていくものだと思っていました。環境問題も少しずつ努力していけると考えていました。しかしながら、前半の講義を受けてみるとこの考えが覆されました。初めの頃は講義を聞いても、ニュースではあまり問題視されていないため危機的な状況にあることが信じがたく思っていましたが、今ではなぜ報道されないのか不思議に思います。今の日本は経済成長を第一の目標としていますが、これを直さない限り、いつかは日本は環境問題を抑えきれなくなると思うようになりました。

提出者B(経営情報学部3年 女)

(1)ハチドリのクリキンディの「私は、私にできることをしているだけ」という言葉が、すごく心に響いてきました。きっと誰もが、ハチドリ以外の森の生き物たちのように逃げていると思います。ハチドリのような人はすごくまれで、ほとんどいないと思います。しかし、そのようなことをしていることに気づくことがとても大切なのではないかと感じました。そうすることで、ハチドリのような人が増えていくと思います。ハチドリのように自分にできることを1人でやるのではなく、周りにいる人達に広め、巻き込んでいくことで、とても大きな力になっていくと思います。
 環境問題はとても大きな問題で、1人ではとても太刀打ちできません。しかし、だからといって1人もこのことから目をそむけ知らないふりをしていては現状は悪くなっていく一方です。1人の力は小さいけれど、やれることから少しづつやる、あきらめないことが大切だということがこの本から気づかされます。ただ、環境を大切にしようなどと言われても何をしたらよいのかわかりませんが、この本では、自分でも何かできることがあるかも知れないと人に気づかせてくれます。どんどん広がっていけば良いなあと思いました。そして、私も自分のできることを考えてみようというとても良い機会になりました。

(2)今まで経済が成長していくことは、とても良いことだと思っていました。そして、経済成長と環境問題は別々に考えたことはありましたが、一緒に考えたことはありませんでした。一つビルを建てるといっても建設費だけでなく、その先の維持費がかかり、維持費がまかなえず倒産し、そのビルを壊す・・・・・まさに環境を壊しているということもよくわかりました。そして、その維持には大量のエネルギーが必要となり、安易に次々にビルなどを建てるという問題の重大さがわかりました。目先のことだけで便利だからという理由での経済成長はとてもおそろしいことだなぁと思いました。また、太陽光発電や風力発電など、自然エネルギーを使った発電はとても環境に良いものだと思っていました。しかし、自然のエネルギーは例えば、太陽光発電であれば太陽が出ていない日は発電できないなど確実にエネルギーを得ることができないため、その事態に備えて原子力発電で発電している事実を知り、環境に優しいエネルギーの難しさを知りました。一見、環境にやさしいと思っても、もとをたどると環境問題につながってしまうことに驚き、同時に絶望さえ感じてしまいました。
 この授業を受けて、今までの何倍もの環境問題の深刻さを感じました。先進国はもっと環境問題の根底を知り、もっと真剣に向き合って行かなければならないと思
います。そして、私ももっと環境問題について知りたいと思い、もっと知らなければならないと思いました。

提出者C(経営情報学部 3年 男)

(1)この「ハチドリのひとしずく」というストーリーを読んで素直に感動した。この短いストーリーの中には私としては環境問題だけではなく、もっといろいろな深いことを読み取ることができるように思う。このハチドリのクリキンディの精神というものは環境問題を解決していく上で非常に重要なことであり、無くてはならない精神、考えであると感じました。私もついつい、自分が努力をしたところで環境なんて何も改善されないと考えてしまっていたが、今回この「ハチドリのひとしずく」とうものを読んで、考え方を改めるべきだということを思い知らされました。環境問題を少しでも解決していく上で、1人1人ができるとこを精一杯行い、1人1人が環境について常に考えて生活していくことが大切になってくるのであろうと感じた。

(2)環境問題というものについて私は今まで、現象面のみをすぐに見てしまっていたが、そうではなく、経済活動との関係が大きいということを今回学んだ。数十年先の環境問題を今日の決断が原則的に決めてしまうということも学んだと同時に印象に残るものであった。屋上緑化の話はとても面白く感じたし、確かに本末転倒な話であると感じた。そして、日本には関西国際空港をはじめとしてとてつもなくムダで環境を破壊するような建物があるんだと感じました。資源・エネルギー・環境問題が経済活動の本質であるということを強く再認識させられた。
 今のような考えのまま、経済活動と環境問題を、先生のように結びつけて考えずにいたのなら、この社会は持続不可能な社会なのではないかと私は感じさせられた。先生がおっしゃっている「戦後の経済復興という当時は正しかったビジョンが目標を達したあとも経済の持続的拡大として現在に至っている」ということはもっともだと感じたし、これは大きな問題であると同時に、一刻も早く気づくべきことであると感じた。

提出者D(経営情報学部 3年 男)

(1)記事を読んでまず最初に気になったのは、「結局、火は消えたのだろか?」ということだった。どうしても気になって先生に直接尋ねたところ、「消えない」とのことだった。森の火事に、たった一匹のハチドリが立ち向かっているのだから消えなくて当然である。おそらく、この物語を読んだ多くの人はハチドリという小さな存在の努力に感動するのだと思う。しかし、私はひねくれ者なので、どうしても素直に感動することができない。「私は私にできることをしているだけ」というハチドリの言葉も単なる自己満足に思えてしまう。
 私がこのように感じてしまう理由は簡単である。結局ハチドリの努力は実を結ばず、火は消えないのだ。ハチドリの努力はすばらしいものであるし、感動的かもし
ない。しかし、ハチドリが立ち向かうには森の火事は大きすぎる問題である。これは人間の活動にも当てはまる。いくらNGOが独自に環境運動をしても、根本的な
解決にはならないし、一部の人間が努力しても他のものも努力するわけではない。そもそも「できることから」の「から」という言葉が気に入らない。「から」とい
うとまだまだ先を見据えているような印象を受けるが、現実はそうでもないように感じる。結論として、環境問題(火事)に立ち向かうには個人(ハチドリ)の力は小さすぎるということである。だからこそ国、政府が真剣に取り組まなくてはならない。

(2)今までは「環境問題」というと、自分とは関係ないことのように感じていた。いくらニュースや新聞で環境問題について騒いでいても、私には直接の被害はなかったからである。しかし、講義の中で私の考えは変わった。たしかに現時点では目に見えるような大きな問題はあまりないかもしれない。しかし、10年後、20年後には誰の目にも明らかな問題が起こって来るであろう。だからこそ、今の時点から対策を立てなくてはならない。私1人が努力をしても問題は解決しないが、政府の態度には不安を覚える。なんだかもどかしくて焦りを感じる。何故、国の対応はこんなにも遅いのだろう? 環境問題について考えれば考えるほど、国への不満が大きくなっていく。
   
提出者E(国際関係学部 3年 男)

(1)まず、この本に書かれていることはこの講義の趣旨とは異なるものであると思う。実際に読んでいないが、おそらくこの本の伝えるメッセージは、「1人1人が自分にできることをすることが大事」、また「自ら行動することが大事」ということではないか。そうだとすれば、現在の考え、制度、社会を根本的に変えなければいけないとする考えとは異なる。しかし、1人1人が自分の生きる日本、あるいは地球という場所について考えなければならないのは確かである。地球全体を考える環境問題 に対してあまり興味がない、日々の生活に忙しい現代人にとって自分に直接関係ないことは重要ではないのかもしれない。
 そんな人々にもどう当事者意識を持たせるかということも考えなければならない。その役割は新聞、テレビ、インターネットなどのメディアではないか。ハチドリの物語では森が燃えるという状況が描かれている。私たちの住む地球をそんな状況にさせたいと思う人はまずいないだろう。人間の生きる条件の最も基本的な地球環境についてもっと議論すべきだと思う。

(2)私も小学生の頃だったか、はっきり覚えていないが、環境問題について作文を書いた覚えがある。そこで、最後に書いたのが、自分にできることをしようという感じのことだった。小学生の考えることなら問題はないのかもしれない。しかし、今はそう考えるだけでは不十分である。考え、行動しなければならない。また、それが合理的で効果的でなければならないと思う。ただ、「持続可能な社会」を目指すとすれば、現在の社会を大きく変えていかなければならない。もし、その方向を目指していくとすれば、歴史上でもかなり重要な出来事で、その作業は困難をきわめるであろう。例えば、スーパーのレジ袋削減運動というのはどれだけ効果があるのかわからない。しかし、それに参加するとそれで満足してしまうという危険性もあると思う。何をすることが環境によいことなのか、悪いことなのかわからないので、これからスウェーデンの事例を見て考えてみたい。

提出者F(経営情報学部 3年 男)

(1)ハチドリのひとしずくという絵本のことは知っていて、僕もこの話を聞いた時は、考えさせられる話だと思いました。この話は今の日本の環境対策の方向性とまったく同じだと思いました。日本という国家レベルでとか大きな組織として環境対策を行うのではなく、個人が自分にできる範囲で行うという点が同じだと思いました。 
 この絵本を広める活動はレジ袋をもらわないとかアイドリングストップといった小さな環境への配慮を増やしていくのに効果があると思います。あと、この記事を読んで、二酸化炭素1.00グラムを削減することを「1ポトリ」という単位で表すことを初めて知りました。しかし、経済成長によって生ずる環境問題の深刻さを伝える記事を少しでも載せ、個人の取り組みだけでなく、国家として本当に環境問題に対する動きをしなければならないという危機感が必要だと感じました。やらないよりは少しは良いので、自分にできることはやろうという活動はもっと広がって行ったほうが良いと思いました。

(2)前半の講義を受けて、環境問題は人類共通の重大事で、最大の課題であることを知りました。僕たちは今まで、環境問題の現象面にばかり目がいっていて、その原因となっている経済活動との関連のことはよくわかっていなかったということを思い知りました。今の日本人が生活を維持するために必要なエネルギーの問題も考えさせられました。解決策が今の段階ではないのではないかと思いました。原子力発電所を増やせばいいという考えもありますが、安全性を考えると良いとは思いません。現在でも行っている自然エネルギーの活用の効率性をあげ、増やしていくしかないと思います。「今日の決断が明日の環境を決める」ということの意味をエネルギー問題と都市の関連を通して知ることができました。
 僕のイメージでは、経済が発達すればするほど、環境は悪化していくと以前から考えていました。現在、最大の経済大国であるアメリカと日本は環境に配慮する責
任が非常に大きいにもかかわらず、具体的な取り組みが少なすぎると思います。そして、国民の意識がとても低いことに危機感を覚えました。日本は今も経済成長を最大の目標に掲げていることは間違いであると思いました。

提出者G(経営情報学部 3年 男)

(1)自分もこの講義を受ける前までは、このような行動で環境保護や温暖化阻止に非常に大きな意味は効果があると思って手放しで賞賛していただろうと思う。しかし、環境問題と人間の経済活動のつながり、つまり環境問題の本質は大量生産・大量消費という人類全体の社会構造にあるということを学んだ今ではその効果に疑問が出てくる。たしかに、物語の内容は心を打つし、1人1人が環境問題について関心を持ち、行動していくことはよいことだと思う。何もしないよりもはるかにましだとも思う。
 しかし、この記事は環境問題の表面ばかり見ていて、上に述べたような本質を見る視点が欠けているので環境問題に対する根本的な解決にはならないと思った。

(2)環境問題に対して見方が大きく変わった。環境問題と人間の経済活動の関わりについては今までよく知らずに、環境問題の表面的な部分しか見ていない自分に気づいた。また、今までスウェーデンについては北欧の一国という程度の知識しかなかったが、環境や福祉についてここまで先進的な考えを持ち、また、それを実行していることを知って驚いた。また、7回の講義を受けて、これからは社会の方向性を変えていく、つまりライフスタイルをも変えていく必要があるのではないかと思った。

以 上

 2006年12月5日
  

私が興味深く感じたのは、宿題(1)と(2)の回答の間にあまりに大きな落差があることです。皆さんはいかがでしたか。2006年の後期に私の講義を履修し、上のような考えを残した学生は去年あたり卒業したでしょうし、ネット上に熱い思いを綴った人たちも、2年半経った今、日本の現状をどのように感じておられるのでしょうか。

ちなみに、滋賀県のHPには、滋賀県知事の嘉田さんが「知事談話」として庁内放送したと書かれています。

庁内放送 知事談話(更新日 2008-06-06)


ハチドリのように生きたい

明日への道しるべ@ジャネット館


あれから40年 2010年は混乱か?-その4   デニス・メドウズさん vs 茅陽一さん 

2009-05-01 21:26:31 | 環境問題総論/経済的手法
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック          持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック

アーカイブ(公開論文集)
  





下の図をクリックしてください。
 


昨日(4月30日)の朝日新聞の夕刊に、来日中のデニス・メドウズさんへのインタビュー記事が掲載されました。




記事のポイントは3つあります。

①今後100年間で人類が最も困難になるのは2030年ごろだと思っている。今後はエネルギーの不足、水の問題、食糧問題など「負の圧力」がさらに大きくなるからだ。(私は「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱?」と考えていました。)

②金融危機に始まった今回の危機は「短期的」と思われがちですが、実は今後30年続く危機が始まったばかりだと思う。

「持続可能性(サステナビリティ)」とは、原子力や炭素吸着といった技術の進歩がもたらすわけではなく、人間の意識・態度の問題である。だから難しい。

この中で、今日は特に③の持続可能性とは原子力や炭素吸着といった技術の進歩がもたらすわけではない」というメドウズさんの発言に注目したいと思います。日本は「原子力」と「炭素吸着」の技術開発に熱心です。2005年頃から「低炭素社会」に向けて「原子力」と「CCS(Carbon dioxide Capture and Storage)」技術の推進が顕著となってきました。一方、スウェーデンは持続可能性の観点から「原子力」や「炭素吸着」の技術開発にはそれほど熱心ではありません。原子力を段階的に時間をかけて廃止し、化石燃料からも脱却する方針です。

関連記事
またしても、ミスリードしかねない「スウェーデンの脱原発政策転換」という日本の報道(2009-03-21)

緑の福祉国家15 「気候変動」への対応④(2007-01-26)


故意か、単なる偶然か、わかりませんが、興味深いことに、メドウズさんへのインタビュー記事が掲載された前日の4月29日の朝日新聞には、次のような全面広告が掲載されました。

●最先端技術(CCS)で創る低炭素社会」

この広告記事によりますと、このCCSの実用化を目指し、日本の一流会社29社が結集して、2008年5月に「日本CCS調査株式会社」が設立されたそうです。日本政府は「低炭素社会づくり行動計画」において、2020年までにCCSの実用化を目指すと明記しているそうです。

そして、この広告記事の中に、この技術に対する茅陽一さんの期待を込めた次のようなコメントが出ています。

茅さんは、「CCSは化石燃料の利用とCO2のゼロエミッションを同時に達成するので、低炭素社会への移行期の温暖化対策としてまたとない重要な対策技術といえる」とおっしゃっていますが、ほんとうにそのようにお考えなのでしょうか。

96年の第11回原子力円卓会議(最終回)(この円卓会議の議事録の最後の茅さんの結びの発言をぜひご覧ください)で同席した頃までの茅さんのシステム論に基づくお考えに、私は大きな期待と関心を寄せていたのですが、その後、お話を聞く機会を逸しており、久しぶりに今回の記事で最近のお考えを拝見したというわけです。このCCSという技術体系は、私には途方もない莫大なコスト(実用化するまでに、そして、その後の維持費)がかかる技術のように思えます。しかも、この技術が実用化できるかどうかは2020年までかかるとのことです。だとすれば、それまでの化石燃料の消費をどうするかという計画も同時に示されなければならないと思います。予定通り実用化に成功しても。実用化に失敗する可能性もあるからです。

今回のCCS技術に関する茅さんのコメントは、メドウズさんのお考えとは正反対といってよいでしょう。皮肉なことに茅さんは、メドウズさんの「成長の限界の3部作」の2番目「限界を超えて」の監訳者なのです。




私は、「生きる選択 限界を超えて」に寄せられた茅さんの「監訳者のあとがき」にいたく感動した記憶があります。改めて、17年ぶりにこの本を取り出し、当時の感動を再確認しました。あの感動をぜひ皆さんと分かち合いたいと思い、ここに、紹介します。

●監訳者あとがき p371~372

●監訳者あとがき p373~374

●監訳者あとがき p375~376


関連記事
あれから40年 2010年は混乱か?-その1