環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

2010年1月のブログ掲載記事

2010-01-31 21:29:27 | 月別記事一覧
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1.2010年1月のブログ掲載記事(2010-01-31) 

2.21世紀のキーワード「持続可能な」が出てこない約1万3600字の「鳩山首相の施政方針演説」(2010年1月30日)

3.「ゼロ・ウェイストワークショップ 首都圏におけるごみゼロ大作戦」のご案内(2010-01-29)

4.持続可能な国づくりの会の理念とビジョン 「協力社会で8つの安心!」 が完成(2010-01-22)

5.期待される 「日本の鳩山政権の21世紀ビジョン」 はどのようなものか?(2010-01-21)

6.民主党政権誕生から4ヶ月、 「現状追認主義の国」 から抜け出すには?(2010-01-20)

7.古くて、新しい問題、「環境問題」をもう一度考える(2010-01-18)

8.この10年、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する一般市民の基本認識(2010-01-17)

9.この10年、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する企業の基本認識(2010-01-16)

10.この10年、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する行政の基本認識(2010-01-15)

11.この10年、ほとんどかわらなかった「環境問題」に対する大学生の基本認識(2010-01-14)

12.ついに、あの中谷さんも、竹中さんも「北欧の成長戦略に学べ」 と ???(2010-01-05)

13.10年前に考えた「このまま行けば、2010年は混乱!」、その年がやって来た (2010-01-01)





  

21世紀のキーワード 「持続可能な」 が、出てこない約1万3600字の 「鳩山首相の施政方針演説」

2010-01-30 16:41:29 | 政治/行政/地方分権
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 鳩山首相が1月29日、衆参両院で初めての「施政方針演説」を行いました。私はテレビでこの演説を聞き、今日、1月30日の毎日新聞朝刊に掲載された鳩山首相の施政方針演説の全文を熟読しました。


 ネット上には、この施政方針演説に対する賛否両論が様々なレベルで渦巻いていますが、私が一つだけ注目していたことを、今日は書いておきます。おそらくほとんどの方が意識していないでしょうから。

 私は最近、鳩山政権への期待を込めて、次のブログを書きました。

●民主党政権誕生から4ヶ月、「現状追認主義の国」から抜け出すには?(2010-01-20)

●期待される「日本の鳩山政権の21世紀ビジョン」はどのようなものか(2010-01-21)

●持続可能な国づくりの会の理念とビジョン「協力社会で8つの安心!」が完成(2010-01-22)


 この3つのブログに共通するのは21世紀のキーワード「持続可能性」(Sustainability)という言葉です。私は1月22日のブログで、私たちが考える「日本がめざすべき21世紀の社会の理念とビジョン」をアップしておりましたので、1月29日に行われた鳩山首相の施政方針演説に大いに期待していました。

 「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです。」という「はじめに」で始まり、「いのちを守りたい」で始まる「むすび」で終わる約1万3600字の施政方針演説に21世紀のキーワード「持続可能な」(Sustainable)という言葉 が一言も出てきませんでした。

 自民党政権時代の施政方針演説づくりは各省からあがってきた短冊形の原稿をつなぎ合わせてつくる「ホチキス」と呼ばれる手法でつくるのが恒例だったと朝日新聞は解説していますが、今回、各省庁の関与を排してつくられた演説草稿をベースとして、26日の閣議で各閣僚に担当分野に関する部分だけ書かれた紙が渡され、平野官房長官が「修正点があれば回答を」と指示したと朝日新聞に報じられていますが、そうであれば、首相も、官房長官も、各閣僚も「持続可能な」という21世紀のキーワードに気づかなかったか、もともと、この政権の閣僚を務めている政治家の誰もにその認識がなかったのかもしれません。私が見落としたのであればよいのですが。

 このことをあえて政党レベルにあてはめてみますと、民主党、連立内閣である社民党(福島瑞穂大臣)および国民新党(亀井静香大臣)、ついでに言うならば、自民党の場合には小泉政権の下で2005年11月22日に採択した「新綱領」の中にただ一言「持続可能な社会保障制度の確立を」というのがあるだけです。「持続可能な」という言葉は、2010年1月24日に採択された自民党の「平成22年(2010年)党綱領」にも登場しません。その他の政党のリーダーの認識はどうなのでしょうか?

 マスメディアにも、そのような基本的な視点や認識が欠けているように思います。

 ちなみに、2009年10月26日に行われた鳩山首相の「所信表明演説」にも「持続的成長」という言葉が1カ所出てくるだけですから、もともと認識がないのかもしれません。 


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「所信表明演説」と「施政方針演説」(2007-10-03)  



「ゼロ・ウエィストワークショップ  首都圏におけるごみゼロ大作戦」のご案内

2010-01-29 16:24:26 | 廃棄物
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今日は、3月13日(土)に開催されるNPO法人 町田発・ゼロ・ウエィストの会主催の催しのご案内です。私もパネリストとして参加します。お問い合わせは、直接、主宰者にお願いします。





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持続可能な国づくりの会の理念とビジョン 「協力社会で8つの安心!」 が完成

2010-01-22 21:52:57 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト
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21世紀前半にどのような社会ができあがっていれば、私たちや私たちに続く世代が安心して生活できるのでしょうか。政権交代から4ヶ月、民主党の鳩山新政権は「コンクリートから人へ」という共通の認識のもとに、自民党が推し進めてきた路線を変更しようと試みています。 

私はこの路線変更に期待をかけていますが、どのような社会が日本の将来にとって望ましい社会なのかなかなか見えてきません。政治家も、政府の政策担当者も識者も、学者も今のところ、私の知る限りでは、そのような日本の望ましい姿を提示できないでいるようです。

そんな中、私もかかわっている「持続可能な国づくりの会」が発足4年目に、「理念とビジョン」をまとめた冊子を完成しました。今日はこの冊子の紹介です。






「持続可能な国づくりの会―理念とビジョン」の全文は 、ここをクリック


冊子 『持続可能な国づくりの会―理念とビジョン』
(A5判40頁、2010年1月9日発行、頒価500円) 

冊子をご希望の方は事務局あてにご連絡ください。事務局(jimukyoku@jizokukanou.onmicrosoft.com)から入手可能です。


持続可能な国づくりの会のご案内
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民主主義の国では、本来ならば、各政党がそれぞれの党の理念や基本方針を「党綱領」で明らかにした上で、総選挙で国民の支持を取り付け、望ましい社会を構築する努力を続けるのが筋ですが、4ヶ月前に初めて政権についた民主党には「党綱領」がないと言われています。それでは、戦後64年にわたる日本社会を事実上築いてきた自民党の「党綱領」とは何だったのでしょうか。この際に勉強しておきましょう。答えは、極めてシンプルです。
にわかには信じがたいのですが、「福祉国家を作ること」でした。

 
昭和三十年十一月十五日
一、  わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。

一、  わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。

一、  わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。


1955年(昭和30年)11月15日に制定された、この「旧綱領」2005年(平成17年)11月22日に、小泉純一郎元自民党総裁によって改訂された「新綱領」ができるまで、50年間日本の社会の支えとなってきたのです。
そして、2010年1月24日の第77回自民党大会では「平成22年(2010年)綱領」が採択されました(1月31日追記)。



皮肉を込めて言えば、「民生の安定と福祉国家の完成を期する」という壮大の目標を掲げて出発した自民党政権は50年の歳月を費やした結果日本は米国と共に、“非福祉国家”となり、貧困率も先進工業国で最大の現在となってしまったのです。そして、国と地方の財政赤字も800兆円を超え、これも先進工業国の中で問題視されています。

この間、唯一ブレることなく追求したきたのが「経済の持続的拡大」であり、「改革なくして、成長なし」と主張し続けた小泉政権の表現を借りれば「持続的な経済成長」 でした。しかも、小泉政権を引き継いだ、安倍政権、福田政権、そして麻生前政権も「経済成長」一点張りでした。この「持続的な経済成長」も先ゆきが怪しくなってきました。「政治は結果責任だ」という言葉を好む政治家はこの言葉をどう解釈しているのでしょうか。

4ヶ月前に発足した鳩山政権は、「コンクリートから人へ」を共通認識として、これまでの自民党政権とは異なる路線をめざそうとしていますが、どのような社会が日本の将来にとって望ましいのか今のところはっきりしません。私たちの会が描き出した「理念やビジョン」が日本の将来を本気で考えたい方々の議論の出発点となることを望んでいます。
 

関連記事
自由民主党の「旧綱領」には、公共の福祉を規範とし、福祉国家の完成を期する」と書いてあった。(2009-01-06)

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ついにあの中谷さんも、あの竹中さんも「北欧の経済成長に学べ」と、???(2010-01-05)



期待される 「日本の鳩山政権の21世紀ビジョン」 はどのようなものか?

2010-01-21 12:32:09 | 政治/行政/地方分権
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私の基本認識では、日本は「現実主義の国」ではなく、「現状追認主義の国」だと思います。現状認識が十分でないと、21世紀のビジョンをつくるに当たっても、また、それを検討、あるいは、批判/反論する場合にも十分な議論ができず、方向を誤る危険もあります。

私は新政権の「21世紀の新しいビジョン」に期待しつつ、2000年から2010年までの10年間に私が理解している現状認識を明らかにしておきます。スウェーデンという実在する国の「考えと行動」と日本の状況を比較することによって議論がしやすくなると思います。

今日は次の3つの図を提供します。それぞれの方の置かれた立場、判断基準の相違によって、考え方に相違があるのは当然ことです。これらの図に示された情報はあくまで私個人の認識であり、見解であることをご理解下さい。

最初の図は、5年前の2005年に作成したものですが、5年後の今もまったく変わりません。

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次の図も2005年に作成したものですが、この認識も修正する必要はないでしょう。小泉政権に続く、安倍政権、福田政権、そして麻生政権もニュアンスに違いはあるものの、とにかく、GDPの成長をめざしているからです。


関連記事
GDP 20年後にはトップ10「福田版」構造改革 来春策定へ(朝日新聞 2008年8月26日)






スウェーデンと日本の「持続可能な」という言葉の使い方の相違に注目して下さい。

最後の図で、スウェーデンと日本の21世紀前半のめざす目標(エコロジカルに持続可能な社会の構築vs持続的な経済成長)が決定的に異なっていることがおわかりいただけるでしょう。ポイントは「Sustainable Development」(持続可能な開発)というキーワードです。

スウェーデンが考える「持続可能な開発」とは「社会の開発」であって、日本が考える「経済の開発、発展、あるいは、成長」ではありません。このことは、1996年のスウェーデンの首相の施政方針演説の中の次の表現で明らかです。

Sustainable development in the broad sense is defined as community development that “meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs”. 

ここでは、「広義の持続可能な開発とは、将来世代が彼らの必要を満たす能力を損なうことなく、現世代の必要を満たす社会の開発」と定義されています。繰り返しますが、重要なことは「社会の開発」であって、日本が理解した「経済の開発、経済の発展や経済の成長」ではないことです。資源・エネルギーへの配慮を欠いた経済成長は「社会」や「環境」を破壊する可能性が高いからです。

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さらに、2005年以降になりますと、2006年頃から日本では「低炭素社会」という妙な概念が登場し、ここ数年の間に見事なまでに日本社会に定着してしましました。この変化のきっかけをつくったのは福田首相だと思います。21世紀に日本がめざす社会は「低炭素社会」ではなくて「低エネルギー社会」、さらに言えば「エコロジカルに持続可能な社会」のはずです。誤った概念の普及は日本の社会を誤った方向に導くことになるでしょう。低炭素社会の構築のために、「原子力ルネッサンスだ!」などという発想は誤った考えだと思います。

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民主党政権誕生から4ヶ月、 「現状追認主義の国」 から抜け出すには?

2010-01-20 21:34:23 | 政治/行政/地方分権
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このところ、10年前の2000年と10年後の2010年、つまり、この10年間で「環境問題に対する基本的な認識」が国民の各セクター(学生、政策担当者、企業、一般市民)であまり変わっていないのではないかという私の個人的な印象を書いてきました。

民主党政権発足から4ヶ月が経ち、民主党政権による初めての通常国会が一昨日(18日)開会しました。昨日は衆議院で代表質問が、今日は参議院で代表質問が行われました。6月16日の会期末まで建設的な議論が展開されるのを大いに期待しますが、私は日本が向かうべき中長期の方向性に関する議論に関心があります。会期中にどの程度の議論がなされるのでしょうか。

私が特に「持続可能性(Sustainability」という概念を強く意識したのは、「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱!」という図を作成した2000年頃でした。当時の状況を私の観察と私の環境論で判断した結果、次の図のような結論に達しました。



その頃に読んだ、竹中さんの一般向けの書籍「経世済民 経済戦略会議の180日」(ダイヤモンド社 1999年3月)、「ソフト・パワー経済」(PHP研究所 1999年12月)や「強い日本の創り方」(PHP研究所 2001年 4月)に私は強いショックを受けました。経済学者(エコノミスト)の21世紀論には、「エネルギー・環境問題」の視点がほとんど欠落しているのではないかと。であるなら、経済と環境問題の関係などは理解しがたいのではないか、環境問題の本質は理解できないのではないか、ましてや、「持続可能性」の概念などは・・・・・
2つの図を示します。



竹中さんの21世紀論は、エネルギー・環境問題に対する基本認識が極めて不十分という点で、問題は大きいと思いますが、次の2つは中谷さんと竹中さんの共著「ITパワー」(PHP研究所 2000年3月)に示された日本社会の問題点で、私もその通りだと思います。




そして、これらの状況を意識しながら、私の環境論に沿って書いた本が「安心と安全の国づくりとは、何か スウェーデンに学ぶ持続可能な社会」(朝日選書792 2006年2月)でした。この時以来、私の「持続可能性」(Sustainability)に関する関心はますます高まっています。

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日本経済新聞 「経済教室」 スウェーデンモデルの核心を学べ 安心確保 活力と両立(2009-09-19)

政治が決めるこれからの50年 日本とスウェーデンの「将来像」と「展望」(2009-09-20)

ついに、あの中谷さんも、竹中さんも「北欧の成長戦略に学べ」と ???(2010-01-05)

古くて、新しい問題、「環境問題」をもう一度考える

2010-01-18 23:33:05 | 環境問題総論/経済的手法
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今日は1995年1月17日に発生した「阪神/淡路大震災」から15年、鳩山首相が参加して「阪神・淡路大震災15周年追悼式」が行われました。また、5日前の1月12日にはハイチで大地震が発生しました。

今日のテーマは「環境問題とは何か」です。この古くて、新しい大問題を「2010年の混乱の始まりの年」におさらいしておきましょう。「日本は常に環境問題を矮小化し、経済と環境は別物と考えている」と思うからです。

私の著書『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書792 朝日新聞社 2006年2月)で、私は次のように書きました。

xxxxx
さて、2005年、日本は戦後60年を迎えました。この節目の年にちょっと立ち止まって日本を、そして世界を考えてみてください。

日本のあちこちで地震、台風、火山の噴火など自然災害が相次いで発生しています。国際社会に目を転ずると、2004年12月26日のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や2005年8月29日に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」など、自然災害の報道が多くなっています。戦争やテロ活動はやむきざしがなく、貧困の原因の一つとも指摘されている経済のグローバル化は、さらに急速に進展しています。
 
しかし将来、自然災害の発生をとめることが技術的に可能になったとしても、また、戦争やテロ活動がなくなり世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している環境問題に終わりはありません。私たちの「経済のあり方」「社会のあり方」が、環境問題の直接の原因だからです。
 
あらためていうまでもありませんが、工業化社会では資源やエネルギーが大量に使用されます。その結果、必然的に生ずるのが、水質汚染、大気汚染、廃棄物などの「環境への人為的負荷」です。そして、その環境への人為的負荷が蓄積し、「環境の許容限度」と「人間の許容限度」に近づくと「環境問題」として表面化し、広く社会に認識されることになります。
 
つまり、環境問題が示唆する本質的な問題は、「それほど遠くない将来、私たちが日常の経済活動から生ずる環境負荷の蓄積に耐えられるかどうか」ということ、つまり「私たち人類の存続危機」にかかわることなのです。

それだけではありません。20世紀の後半になって顕在化してきた地球規模での環境の悪化は、拡大しつづける市場経済社会の行く手を阻むことになります。なぜなら、環境をこれ以上悪化させないために、また、できれば環境を改善するために、エネルギーや資源をできるだけ使わない経済のあり方が求められるようになるからです。

「化石燃料の使用により大気中のCO2濃度が増えると、地球が温暖化する」という仮説を最初に唱えたのは、スウェーデンの科学者スバンテ・アレニウスで、1896年のことでした。この114年間に「世界の経済状況」と「私たちの生存基盤である地球の環境状況」は大きく変わりました。114年前にスウェーデンの科学者が唱えた仮説がいま、現実の問題となって、私たちに「経済活動の転換」の必要を強く迫っています。

環境問題の根本には人間の経済活動が原因として横たわっているわけですから、この問題を解決するための具体的な行動は、経済的に見れば「経済規模の拡大から適正化」への大転換であり、社会的に見れば20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量をできるだけ抑えた社会)」への大転換を意味します。

先進工業国がさらなる経済規模の拡大を追求し、途上国がそれに追従するという20世紀型の経済活動の延長では、経済規模は全体としてさらに拡大し、地球規模で環境が悪化するにとどまらず、これからの50年間に人類の生存基盤さえ危うくすることになるでしょう。私たちがいままさに、「人類史上初めての大転換期」に立たされていることを示しています。
xxxxx

以上の記述を可視化したのが、次の図です。


関連記事
日本の「温暖化懐疑論」という現象(2)(2008-09-25)


もう一度繰り返しましょう。
日本のあちこちで地震、台風、火山の噴火など自然災害が相次いで発生しています。国際社会に目を転ずると、2004年12月26日のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や2005年8月29日に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」など、自然災害の報道が多くなっています。戦争やテロ活動はやむきざしがなく、貧困の原因の一つとも指摘されている経済のグローバル化は、さらに急速に進展しています。

しかし将来、自然災害の発生をとめることが技術的に可能になったとしても、また、戦争やテロ活動がなくなり世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している環境問題に終わりはありません。次の図で、「自然災害」と「戦争やテロ活動」を取り除いてみて下さい。私たちの正常な「経済のあり方」「社会のあり方」が、環境問題の直接の原因だからです。 




これらの図に加えて、もう一度、前回のブログに掲げた「問題群としての地球環境問題」をご覧下さい。

  


この10年、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する一般市民の基本認識

2010-01-17 18:04:56 | 環境問題総論/経済的手法
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さて、今日はこの10年間の「環境問題」に対する一般市民の基本認識がどうだったかです。これはあくまで、私の個人的な観察であり、印象ですから、異論のなる方もかなりいらっしゃるかもしれません。

「私たち一人一人の力はささやかであるが、そのささやかな力でも無数に集まれば、社会を動かすことができる。いままでの社会の変革はすべて、ささやかな一歩の上に築かれたものであり、『そのささやかな思い』と『行動の集積の結果』がやがて、大きなうねりとなって社会に変化が起こる」

こうした啓発活動のメッセージには、「異議なし」といいたいところです。しかし、こと日本の環境問題に関しては、あえて異議を唱えなければなりません。このような発想からは、「環境問題の規模の大きさについての認識」と「時間の観念」が抜け落ちているからです。
 
各人が「ことの重要性」に気づき、「できるところから始める」という考えは、日本ではきわめて常識的で合理的で一般受けする穏便な考えですので、とくに市民団体から好まれます。日本の社会の仕組みはきわめて強固で、しかも、目の前には困った状態が迫ってきているので、とりあえず「できるところから始める」とか、「走りながら考える」とかいった発想になりがちですが、この発想だと、むずかしいことを先送りすることになりかねません。

では、どうしたらよいのでしょうか。環境問題に対して、個人にできることはないのでしょうか。私は、個人にできることはたくさんあると思いますが、「対処すべき環境問題の規模の大きさ」と「残された時間の短さ」を考えると、この種の発想は問題の解決をいっそう難しくすると思います。

「現行経済の持続的拡大」という国民の暗黙の了解で進められている日本の産業経済システムのもとで、個人のレベルでできることは、「一歩前進」あるいは「しないよりもまし」と表現されるように、いくらかは「現状の改善」には貢献するかもしれませんが、「21世紀の日本の方向転換」には貢献できないでしょう。いま、私たちに求められているのは方向転換のための政治的な第1歩であり、1歩前進だからです。

 1992年6月の「国連環境開発会議(=地球サミット)」や97年の「地球温暖化防止京都会議」、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議(=環境・開発サミット)」で、世界各国の首脳や代表が集まって議論したのは、もはや環境問題の解決が国民一人一人の心がけではどうにもならないところまで来ているからではないのでしょうか。

この10年、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する企業の基本認識

2010-01-16 15:58:47 | 環境問題総論/経済的手法
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一昨日のブログで、「環境問題」に対する大学生の基本認識がほとんど変わらなかった、というこれまでの10年間の私の観察結果をお知らせしました。また、昨日のブログでは、日本の行政担当者(国、地方自治体)の「環境問題に対する基本認識」について私の観察結果を書きました。

では、この10年間の「環境問題」に対する企業の基本認識はどうだったでしょうか。私の講演会で、企業の部課長クラスの参加者から必ず出てくるコメントや反応があります。それは「おまえのいうことは、個人として、あるいは一技術者としてはよくわかるが、企業としてはできない」というものです。でも、これほど矛盾した反応があるでしょうか。

「企業の技術者としては、個人的にことの重大さはわかっていても、目の前の生活防衛のために、自分の属している組織の拡大のために全力を尽くす」、つまり、「前方が断崖絶壁であることが一技術者として理性的にわかっていても、乗り合わせたバスのなかで声を上げられない」という状況が、自分や自分の家族の将来、自分の属する企業や組織の将来活動を危うくすることだ、ということがなぜわからないのでしょうか。
 
次の図をご覧下さい。


このような議論が起こるのは、「個人」と「組織」との間に根本的な違いがあるからです。個人は人間ですが、個々の人間からなる組織(企業はその代表的なもの)は、人間ではないということです。個人は自分の「目的とする行為」がどの程度達成できるかということと、その行為が周囲にどのような影響(目的外の結果)を及ぼすかを、程度の差こそあれ、必ず考慮し、配慮します。ところが、組織は特定の目的を達成するためにつくられたものですから、「目的とする結果」にのみ関心を示し 「目的外の結果」を考慮しません。
 
個人的行為の場合は、動機と目的が直接結びついていますが、組織的行為の場合は組織の目的と個人的動機は、多くの場合、同じではありません。組織的行為は独立した個人によって支えられていますが、行為の主体は個人ではないからです。組織の本質は「維持・継続」です。ですから、組織にとっては、「組織の維持・継続」にプラスかマイナスかが、決定的に重要な判断基準となるのです。
 
したがって、「目的外の結果」は、ひたすら組織の維持・存続にとってプラスかマイナスかで評価されることにならざるを得ないのです。組織にとってプラスであれば積極的に、マイナスであれば可能なかぎり無視し、視野の外に置き、対応を余儀なくされたときに初めて対応することになります。このことは、 「組織」をその代表である「企業」や「行政」と置き換えて考えてみるとわかりやすくなるでしょう。環境問題は人間活動の代表的な「目的外の結果」だというのが、私の環境論の最も強いメッセージです。次の図は1996年に作成したものですが、上の図の「コスト」と関連するところです。当時の日本の企業人の本音がよく出ていると思います。




最近の「気候変動問題」に対する日本企業の基本認識は、次の3つの関連記事を見ますと、昨日の行政担当者の基本認識と似たような状況ではないでしょうか。この10年、日本企業、特に製造メーカーの意識はほとんど変わってないように思います。

関連記事
日本は世界トップレベルの低炭素社会? 経済界の判断基準が明らかにされた「意見広告」(2009-03-17)

経済界の意見広告 第2弾 「考えてみませんか、日本にふさわしい目標を。」(2009-05-21)


しかし、10年前と明らかに異なるのは、日本企業の一部や経済界の一部とはいえ、国際的な大きな流れを十分正しく理解し、積極的に課題に対応して行動する頼もしい動きが見られるようになってきたことです。   

この10年、ほとんど変わらなかった「環境問題」に対する行政の基本認識

2010-01-15 13:56:28 | 環境問題総論/経済的手法
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1月14日のブログで、「環境問題」に対する大学生の基本認識がほとんど変わらなかった、というこれまでの10年間の私の観察結果をお知らせしました。

それでは、この10年間の日本の行政担当者(国、地方自治体)の「環境問題に対する基本認識」はどうだったのでしょうか。1月14日のブログで掲げた「問題群としての地球環境問題」(平成13年版 環境白書 p11)という図を参照しながら、次の図をご覧下さい。 


この図は、10年前の2000年3月23日に、当時の都庁の有志で組織された「エコロジー研究会(エコ研)の第100回の例会での私の講演のあとに行われた質疑応答で、当時の都庁の産業政策部長が述べたものです。当時の都庁の産業政策部長は「もちろん政府や自治体は全然違うことをやっていますから・・・・・」というところに、ことの本質があると思います。

この発言は、行政にも「わかってはいるけれども、行動は別という根本的な大問題があること」を示唆する貴重な発言です。10年経った現在、この10年間の国や自治体の環境行政を分析すれば、今なおこの方の発言は的を射ていると私は思います。

私の主張を現在の日本で実行することが、難しいのはよくわかります。でも、これほど矛盾した反応があるでしょうか。世界の最先端を行く北欧の国々はすでに、1990年代後半頃から21世紀前半に向けた新しい社会システムの模索が始まっています。私はこのブログで、北欧諸国の中で最大の工業国であるスウェーデンの「考え方」と「具体的の行動計画」を私なりに理解した範囲でお知らせしてきたつもりです。たとえば、このブログにも何回か登場させた次の図もその一つです。

日本の明るい将来のために、ぜひ、皆さんにも「環境問題」の基本認識を高めてほしいと願っています。               


この10年、ほとんどかわらなかった「環境問題」に対する大学生の基本認識

2010-01-14 11:25:34 | 環境問題総論/経済的手法
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今年の元旦のブログで、2000年に作成した「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱!」という図を掲げました。最近の世界の動きをウオッチしていますと、この図の表題を「このまま行けば、2010年は混乱2030年は大混乱!」と修正したほうが、もっとリアリティが感じられるような気がしてきました。つまり、事態は急速に悪化しているように感じられるのです。 

 1月12日は、私が環境論を講じているある大学の2009年後期の試験日でした。回収された答案には、私の13回の講義を受けた受講者224人の「気づき」や「感想」がふんだんに盛り込まれています。答案の内容がどのようなものだったかは別の機会に譲るとして、今日は私の講義を受ける前の「環境問題に対する大学生の基本認識」ついて触れておきましょう。

 環境問題にある程度の関心を持っておられる方々に「環境問題とは何か」と問えば、おそらく、90%以上の方々から「地球温暖化」、「オゾン層の破壊」、「酸性雨」、「大気汚染」、「水質汚濁」、「騒音・振動」、「海洋汚染」、「有害廃棄物の越境移動」、「熱帯林の減少」、「野生生物種の減少」、「砂漠化」、「ごみ・廃棄物問題」などの答えが返ってくるでしょう。

 私はこれまで複数の大学で「環境論」を講じて来ましたが、2000年から毎年講義の初日に、「環境問題という言葉を聞いたときに思い浮かぶことを3つ書きなさい」という質問をしてきました。2009年後期のある大学の受講生は初日の174人から最終的には224人が私の講義を履修することになりました。

 次の図は、授業の初日(2009年9月22日)に大学生174人(1~4年生)から得た回答をまとめたものです。



 私はこの結果に、今更ながら驚きを禁じ得ませんでした。私の期待に反して、1人として「経済活動」との関連を示唆する言葉を挙げた学生が今年もいなかったのです。つまり、このことは2000年の頃の大学生の認識と10年後の学生の認識がほとんど変わっていないことを示しています。この現象は2000年の最初の試みからほぼ10年経った現在でも、学部、学年、性別、学生数などにかかわりなく、同じ傾向が見られます。おそらく社会人の方々の認識もここに示された大学生の認識とほとんど同じなのではないでしょうか。皆さんのお考えはいかがでしたか。


ここに示された「環境問題」に対する認識は誤りではありませんが、それらは「環境問題の現象面」であって、もっと本質的な「環境問題」と「経済」のかかわりを示唆する言葉がまったくないのは極めて問題だと思います。つまり、日本では「経済」と「環境」は別物という、まことにリアリティのない認識が蔓延しているのではないでしょうか?

講義の初日にこのような回答をしていた学生は十数回の講義が終わると、どのような認識を持つことになるのでしょうか。その答えは一昨日回収した224人の受講生の答案の中にしっかりと書き込まれているはずです。
 

ご参考までに、2002年当時の「環境問題」に対する大学生の基本認識を一例として掲げておきましょう。



学生のほとんどが環境問題の本質的な原因・結果に着目せず個々の環境問題の現象面に注目しているため、基本認識が拡散しています。この拡散する基本認識を収束する方向に意識転換する助けとなるのが次の図です。このブログにも何回か登場させました。
     
 

ついに、あの中谷さんも、竹中さんも「北欧の成長戦略に学べ」 と ???

2010-01-05 23:48:11 | 経済
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昨年の12月30日に、鳩山首相は「環境や健康を軸に需要を生み出す成長戦略の基本方針」発表しました。鳩山首相は「経済のために人間が動かされるのではなく、人間のための経済でなければならない。供給サイドに偏っていた考えを改め、需要をしっかり創出していく」と強調。供給側(企業など)ではなく、需要側(消費者など)をより重要視する政策に転換することを明確にした、と12月31日の朝日新聞朝刊は伝えています。

今朝(1月5日)の朝日新聞の社説は「パイの分配には熱心だが、増やすための成長戦略がない-経済界や野党からそう批判されきた鳩山政権は『新成長戦略』の基本方針を打ち出したが、それが答えになるかどうか。実現へ、大胆に肉付けする力量が問われようとしている。」と書いています。

今日取り上げたいのは「成長戦略」というキーワードです。日本の「成長戦略」のために、あの中谷巌さんも、そして、あの竹中平蔵さんも最近のご著書で「北欧の成長戦略に学べ」と書いております。これはかなり大きな変化ではないでしょうか。


関連記事
私の疑問に初めて正面から答えた経済学者、中谷巌さんの最新著 『資本主義はなぜ自壊したのか』 (2009-03-22)


まず、次の図をご覧下さい。これは中谷さんが上記の「資本主義はなぜ自壊したのか」で述べておられる主張です。




そして、以下は竹中さんのお考えと主張です。

『AERA Business』(アエラ臨時増刊 No.42 2009年9月20日)は「滝川クリステルと読み解く民主党政権とニッポン経済」という特集記事を組んでいます。「竹中平蔵ゼミ 2 政権交代」(p13~15)の記事は次のような対話で始まります。



以下省略。


そして、竹中さんは2009年11月11日発行の著書「政権交代バブル 重税国家への道」(PHP研究所)のp112~114で、次のように書いておられます。



竹中さんのこの分析には少々異論がありますが、最後の4行(次の部分)が大変興味深いところです。

スウェーデンの経済成長政策がある意味でアメリカと似ていることがわかってもらえたと思います。模範的な社会民主主義国と日本ではイメージされている国家の実際を、よく理解すべきだと思います。そして、成長力が先進国の中で最も弱い日本は、両国の成長戦略によくよく学ぶべきだと私は考えています。

私が「民主党のマニフェストにマクロ経済の概念がない」とおっしゃる竹中さんをはじめ、日本のエコノミストの方々にぜひ学んでほしいことは「成長戦略」だけでなく、スウェーデンの(北欧の)成長戦略の背後にある「CO2」と「経済成長(GDP)」のデカップリング(相関性の分離)の考え方とその実績です。下の図は京都議定書の基準年である「1990年」から2007年までのスウェーデンと日本の「CO2」と「GDP」の推移を示したものですが、97年頃を境に、スウェーデンでは見事なまでに、「CO2」と「GDP」の排出量がデカップリングしています。これまで、何回となく書いてきましたように、「経済」と「環境」はコインの裏表の関係にあるからです。


 関連記事
スウェーデンは今、GDPの成長と温室効果ガス(GHG)の排出量の「デカップリング」がさらに明確に(2008-03-16)
     
2008年の温室効果ガス排出量:スウェーデンは90年比11%減、日本は90年比7.4%増(CO2)+ α(2009-12-19) 



10年前に考えた「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱?」、 その年がやって来た 

2010-01-01 14:26:54 | 政治/行政/地方分権
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皆さん、明けましておめでとうございます。
心機一転のために、テンプレートを変えてみました。

私が10年前の2000年に考えた「このまま行けば、2010年は混乱、2050年は大混乱?」、その最初の年「2010年」がやってきました。そこで今日は、このブログにも何回か登場させた次の図から始めましょう。



私はこの図を2000年に作成したのですが、現在すでに国内外で経済、政治、社会、軍事、環境問題など難しい問題が山積しており、混乱の予兆が見え始めて来たように見えます。米国では昨年1月にオバマ大統領が登場し、政権が交代しました。日本でも8月30日に総選挙が行われ、民主党が大勝し、政権交代が行われました。また12月にはデンマークのコペンハーゲンで「国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15」が開催され、結果は必ずしも満足のいくものではありませんでした。

この図は「将来を決めるのは誰か」を考えるとき重要な図です。2000年に生まれた赤ん坊は生きているかぎり、2050年には50歳になります。同じように、20歳の大学生は70歳に、50歳の人は100歳になります。このように考えれば、「明日の社会の方向を決めるのは今を生きる私たちだけだ」という至極当然のことが理解できるでしょう。

とくに日本ではいまなお、60歳以上の人たちが、社会のさまざまな問題に対して政治的、行政的、企業的な将来の決定を行なっている現状を思い起こす必要があります。その意味で、「日本の団塊の世代」は未来に対して大変な責任を負っていることになります。   

政治の分野では、先の長くない政治家が、およそ60年前につくられた古い法的枠組みのなかで「20世紀型の経済の拡大志向の考え」をほとんど変えることなく、20世紀の手法であった「フォアキャスト的手法」 で21世紀前半社会の方向づけをしているのが現状です。そして、これまでの日本の制度では、政策をリードしてきた官僚は数年で別の部署に異動し、政策決定の責任を追及されないのです。

このような状況は、民主党政権が登場したことで改革される期待が高まってはいますが、具体的な成果が目に見えるようになるまでにはさらなる時間が必要とされます。
 
関連記事
あれから40年、2010年は混乱か?-その1(2009-04-09)

あれから40年、2010年は混乱か?-その2(2009-04-10)

あれから40年、2010年は混乱か?-その3(2009-04-11)

あれから40年、2010年は混乱か?-その4 デニス・メドウスさん vs 茅陽一さん(2009-05-01)


今日、1月1日の朝日新聞は「社会は動く 世界と 日本前へ」という連載をスタートさせるそうですが、今日の記事の中に、日本の人口構成を示す図があります。この図は私の図を補うのに役立ちますので(特に、団塊の世代と団塊ジュニアの人口)、利用させていただきましょう。



また、今日の朝日新聞には「どうなる? 鳩山政権 2010年大予想」という記事もあります。

 ●どうなる? 鳩山政権 2010年大予想
   献金疑惑 国会大荒れ
   米に“辺野古はNO”
   内閣にトロイカ結集
   消費税・自衛隊で賭
   怒る社民 連立離脱か
   持論の改憲へ第一歩


21世紀に国際社会がめざすべき社会はここ数年、日本のマスメディアに頻繁に登場するようになってきた「低炭素社会」ではなく、「低エネルギー社会」であり、さらに言えば国内外共に「(エコロジカルに)持続可能な社会」であるはずです。その構築には日本が慣れ親しんでいる伝統的な「フォアキャスト的手法」ではなく、「バックキャスト的手法」が有効だと考えられます。

関連記事
低炭素社会は日本の政治主導による「持続可能な社会」の矮小化か?(2009-01-12)

混迷する日本⑥福田首相の変心? 「持続可能な社会」から「低炭素社会」へ転換(2009-01-20)

「混迷する日本」を「明るい日本」にするために(2009-01-13)
 

世界経済は、資源の制約とエネルギーの制約、そして環境の制約から、否応なしに「規模の拡大」から「規模の適正化」へ段階的に転換していかなければならないのだと思いますが、皆さんはどうお考えですか。
  
関連記事
「現行の経済成長」は50年後も可能か(2007-02-23)
 

朝日新聞の2010年大予想がどの程度的中するか、私が想定した2010年混乱(もちろんここでは混乱の始まりですが)がどの程度になるのか、2011年に向けて新しい、厳しい年が始まりました。2008年の今年の漢字は「変」、2009年は「新」ですので、必然的に2010年は「乱」ではないでしょうか。