環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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「持続可能な社会」をめざす国際社会と独自の「循環型社会」をめざす日本

2007-09-30 10:31:16 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト
 

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今日は国際社会がめざす「持続可能な社会」と日本がめざす「循環型社会」という言葉の概念(意味)の相違について少し考えてみます。

2000年以前は、日本の「循環型社会」の概念に対する議論は環境分野の専門家の間でも混乱していました。私の考えでは、1990年代前半に日本で議論されていた「循環型社会」の概念は、国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)が提唱した「持続可能な開発/社会」に沿ったあるいは類似した概念であったと思いますが、90年代後半の「循環型社会」の概念はしだいに日本独自の概念に変質してきました。

ですから、90年代前半までに私が書いた記事や講演では、「持続可能な社会」と「循環型社会」という2つの概念をほとんど同義語と考えていましたので、必要に応じて「持続可能な社会(循環型社会)」と表記していました。しかし、90年代後半に両者に相違があると感じるようになり、2000年5月の「循環型社会形成推進基本法」の成立以降、私は両者をはっきりと意識して、その相違を提示してきました。

環境省は1993年成立の「環境基本法」の第12条に基づいて毎年「環境白書」を刊行しています。2002年には、2000年成立の「循環型社会形成推進基本法」の第14条に基づいて、初めての「循環型社会白書」を刊行しました。つまり、2つの別の法律に基づいて別の白書が刊行されたのです。

次の図は平成14年(2002年)の「循環型社会白書」と同年の「環境白書」です。




環境白書の副題として「動き始めた持続可能な社会づくり」と書いてあることに注意してください。「循環型社会」と「持続可能な社会」という2つの、概念が異なる社会を構築しようとしているかのようです。

日本の行政サイドやマスメディアでは、2000年5月の「循環型社会形成推進基本法」の成立に合わせてそれを支える個別法(廃棄物処理法、資源有効利用促進法、容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、建設リサイクル法、食品リサイクル法、グリーン購入法)が整備されたので、「循環型社会の構築をめざす法的な枠組みが整った」と言われていますが、私は、この法律の成立によって日本の「循環型社会」の概念は完全に「廃棄物問題」に矮小化されてしまったと考えています。

しかし、この個別法を見てもわかるように、これらはすべて廃棄物処理とリサイクルに関する法律ばかりです。さらに、この循環型社会形成推進基本法の第2条の「循環型社会の定義」は、以下に示すように、極めて難解です。

X X X X X 
第2条 この法律において「循環型社会」とは、製品等が廃棄物等となることが抑制され、並びに製品等が循環資源となった場合においてはこれについて適正に循環的な利用が行われることが促進され、及び循環的な利用が行われない循環資源については適正な処分(廃棄物(廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和45年法律第137号)第2条第1項に規定する廃棄物をいう。以下同じ。)としての処分を いう。以下同じ。)が確保され、もって天然資源の消費を抑制し、環境への負荷ができる限り低減される社会をいう。

この法律において「循環資源」とは、廃棄物のうち、有用なものをいう。
この法律において「循環的な利用」とは、再使用、再生利用及び熱回収をいう。
X X X X X 
 
この定義を見る限り、この法律は「循環型社会」 の名を冠してはいますが、その実態は「廃棄物処理・処分基本法」と称すべきものでWCEDが提唱した「持続可能な社会の概念」とは大きく異なる日本独自の概念です。

第2条の定義は、「持続的な経済成長(現行経済の持続的拡大)」という2002年2月4日の施政方針演説で小泉政権が掲げた政治目標の下で、日本が21世紀に進むべき廃棄物政策の方向と手段に関する定義ではあっても、国際社会がめざす「21世紀社会のビジョンである持続可能な社会」の定義ではありません。そのことは循環型社会の形成にあたって、エネルギー体系の転換に一切触れていないことからも明らかです。

ところで、今年(平成19年版)の「環境白書」と「循環型社会白書」はどうなっているのでしょうか。次の図をご覧ください。両者は合体しました。その理由をご覧ください。図の右側に「刊行に当たって」から抜粋した記述にも2つの言葉が出てきます。

この2つの言葉の使用に、「環境省が混乱はない」というのであれば、循環型社会の形成とは日本の政治目標である「持続的な経済成長」の下で生じる廃棄物対策以外の何物でもないと理解するよりつじつまが合いません。敢えて2つの言葉を意味づければ、21世紀に国際社会がめざす「持続可能な社会」という大きな概念の中に日本の独自の「循環型社会」という小さな概念が入っていると理解することになります。

しかし、日本は「持続的な経済成長」のために、さまざまの政策や法整備を行っていますが、 まったくと言ってよいほど「持続可能な社会」を構築するための法体系が未整備であることを指摘しておかなければなりません。

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地球温暖化に対する日本の「政治の意識(認識)」と「行政の意識(認識)」

2007-09-29 12:29:12 | 温暖化/オゾン層


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昨日のブログ「今なお低い政治家の環境意識」で、去る9月24日の地球温暖化について話し合う国連のハイレベル会合に森喜朗元首相が首相特使として、そして、1992年の地球サミットでは当時の宮沢喜一首相に代わって、中村正三郎環境庁長官が代理出席したことを書きました。

今日の朝日新聞の朝刊は「変転 経済17 証言でたどる同時代史」と題する連載記事の中で「京都議定書」を大きく取り上げています。記事のリードの部分は、次のように、私には大変納得のいく記述です。

地球の温暖化防止をめざす京都議定書は10年前に採択された。気候変動枠組条約の第3回締約国会議(温暖化防止京都会議)。議長国の日本が温暖化に立ち向かう覚悟と戦略を持たずに右往左往するなか、欧米の主導で数値目標が決まった。そんな覚悟と戦略の欠落は「ポスト京都」を議論するいまも続いている。(編集委員・辻陽明)

記事そのものは、皆さんに読んでいただくとして、この記事には当時の温暖化防止京都会議の議長であられた元環境庁長官・大木浩さんの証言が添えられています。ここでも、環境問題に対する当時の政治家の意識をうかがい知ることができます。


もう一つ、日本の温室効果ガス排出量に関するわかりやすい図が添えられています。

「森林吸収などで5.4%分確保」とありますが、5.4%のうち森林吸収分が3.9%を占めています。

こちらは「政治の意識(認識)」というよりも、政策に携わっている「行政の意識(認識)」と言ってよいでしょう。

この数字を意識しながら、昨日のブログで掲げた欧州NGOの日本政府に対する批判記事を読めば、日本の姿勢が非難される理由を理解できるでしょうし、また、なぜ日本の温室効果ガスが削減できないかも明らかでしょう。次の図はスウェーデンが考える二酸化炭素削減シナリオの背景にある基本的な考え方です。ただし、スウェーデンはEU加盟国としてEU全体の温室ガス削減プログラムを支えているわけですから、スウェーデン国内のCO2削減のために「排出量取引」には期待しませんが、EU全体の温室効果削減のために協力するために「EUの排出量取引」に参加しています。


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今なお低い日本の政治家の「環境問題に対する意識」、 1992年の「地球サミット」は、その後は?

2007-09-28 23:41:33 | 温暖化/オゾン層


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9月25日のブログの最後のところで、「国連では、24日朝から約160カ国の代表が地球温暖化問題について話し合う国連のハイレベル会合が国連本部ではじまりました。今日の夕刊によれば、このハイレベル会合は24日夜(日本時間25日朝)閉幕したそうです」と書きました。

今日の朝日新聞が「社説」で、このハイレベル会合における日本の様子を解説しています。ウィキペディアによれば、「社説とは、一般には社としての立場・意見の表明。最近の時事・国際問題など、注目されるニュースの中から毎日1、2項目ずつ取り上げて、新聞社の論説員委員(地方新聞の一部は共同通信社、時事通信社などニュース配信の通信社の論説委員・編集委員)がその背景を解説するとともに、解説者の主張や考えを掲載するものである」とのことです。私もそのような意味でこの社説を読みました。皆さんも読んでみてください。


テーマは「脱温暖化」と明快です。そして、主張は「消極派」になっては困る、とこれまた明快です。

上の社説の青網をかけた部分「今回、森元首相が最も力点を置いたのは、省エネルギーなどの技術力が大切だということだ」については、私はその通りだと思いますが、私は常々「日本の省エネの認識」に疑問を感じており、このブログでも取り上げたことがあります。

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そして、赤網をかけた部分が「困る部分」だと思います。2番目の赤網をかけたところに、「積極派は欧州、消極派は米豪、カナダと日本である。そんな構図が定着してしまった」とありますが、このことは何も今に始まったことではないのです。



15年前の1992年の地球サミットでもそうでしたし、その後の一連の地球温暖化防止会議でも世界のNGOの間では日本は「消極派」という烙印を押されていました。

次の関連記事をご覧ください。






1992年の地球サミットでは、上の記事にあるように、当時の宮沢喜一首相は出席せず首相代理として当時の中村正三郎環境庁長官(国務大臣 地球環境問題担当)が出席しました。このことを平成5年版「環境白書」は、次のように書いています。

X X X X X 
地球サミットには、我が国から中村環境庁長官(当時)を政府代表とする代表団が参加した。宮沢総理大臣は出席できなかったものの、総理演説は公式記録として会場で配布され、その中で、我が国は1992年度からの5年間に環境分野の政府開発援助を9千億~1兆円を目途に大幅に拡充強化すること等、我が国が地球環境保全に重要な役割を担う決意であることを表明した。

また、6月5日には、中村環境庁長官が政府代表演説を行い、我が国の過去の経験からみて環境保全と経済発展の両立は可能であり、我が国としても地球温暖化対策を始めとして地球環境問題の解決に向け最大限の努力をすることを表明した。
X X X X X 

ここには、当時の宮沢首相が出席できなかったとは書いてありますが、その理由は書いてありません。当時は、国会で「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法、いわゆるPKO法、1992年6月に制定) が審議中のため、出席しなかったのです




さらに、日本の困った状況は続きます。




去る9月24日から始まった、約160カ国の代表が地球温暖化問題について話し合う国連のハイレベル会合はこのテーマに絞った会合としては過去最大規模で、70人以上の首脳が参加し、日本からは森喜朗元首相が福田康夫首相の特使として演説を行ったそうです。


このようことから、35年前の1972年の「第1回国連人間環境会議」(ストックホルム会議)に始まり、現在では21世紀最大の問題と認識されるに到った「環境問題」は、日本の政治にとっては今なお、優先順位が低いことがうかがえます。

このように、地球温暖化に象徴される21世紀最大の問題である「環境問題」に対して、日本のリーダーの関心が極めて薄いということは2005年6月14日付けの讀賣新聞の世論調査の結果が示すように日本の市民の「環境問題への関心」が薄いことによるのかもしれません。


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「持続可能な開発」の概念⑥ 「ブルントラント報告」から現在に引き継がれている「持続可能な開発」の概念

2007-09-28 08:32:02 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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9月25日のブログで、次のように書きました。

「持続可能な開発/持続可能な社会」という概念は1992年6月にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた地球サミット(国連の環境と開発に関する会議、UNCED)で合意され、先進国も途上国も、持続可能な社会に向かって進んで行きましょうというコンセンサスがとられたのです。

2002年8月末から9月初めにかけて、南アフリカのヨハネスブルグで開かれた「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)は、92年から持続可能な社会に向けて国際社会がどれだけ進んだかを確認し合う意味で開催されたものでした。


そして、9月27日のブログでは、次のように書きました。

「1992年のリオの地球サミット」から10年後の2002年に、南アフリカのヨハネスブルクで開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD。環境・開発サミット)」で、日本は「持続可能な開発のための教育(ESD)」を提案しました。この提案は採択され、2005年から2014年までの10年間、国連が中心となって推進されることになっています。


つまり、国際社会では1987年のブルントラント報告で提唱された「持続可能な開発」(Sustainable Development)という概念、は92年の「地球サミット(国連環境開発会議)」で合意され、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議」を経て現在に至っており、日本が5年前の2002年に提案し、2005年から開始された「持続可能な開発のための教育(ESD)」へ引き継がれているのです。

次の図はこの流れをまとめたものです。


ですから、92年の地球サミットで発表された「環境と開発に関するリオ宣言」を、今日この時点で、再確認しておくことは大変意義のあることだと思います。この宣言は前文と27の原則から成っています。原則1~4は次のとおりです。

第1原則
人類は、持続可能な開発の中心にある。人類は自然と調和しつつ、健康で生産的な生活を送る資格を有する。

第2原則
各国は、国連憲章及び国際法の原則に則り、自国の環境及び開発政策に従って、自国の資源を開発する主権的権利及びその管轄又は支配下における活動が他の国、又は自国の管轄権の限界を超えた地域の環境に損害を与えないようにする責任を有する。

第3原則
開発の権利は、現在及び将来の世代の開発及び環境上の必要性を公平に充たすことができるよう行使されなければならない。

第4原則
持続可能な開発を達成するため、環境保護は開発過程の不可分の部分とならなければならず、それから分離しては考えられないものである。

さらに、リオ宣言にご関心のある方は、次にアクセスしてみてください。

環境と開発に関するリオ宣言


そして、現在の日本の考え(皆さん自身の考え、マスメディアを通じて私たちが知る企業の考え、行政の考え、政治家の考えなど)、さらには国際的な動きを考えてみてください。日本は、そして国際社会は望ましいと思われる方向に向かって歩んでいるのかどうか・・・・・

これから来年6月の洞爺湖サミットに向けて「環境問題に関する国際会議」がいくつかあります。それらの国際会議に共通する考え方は「持続可能な開発」という概念であることを・・・・ 



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「持続可能な開発」の概念⑤ 日本が国連に提案した「持続可能な開発のための教育(ESD)」の行く末は?

2007-09-27 15:04:58 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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ブルントラント報告は、次のようにも述べています。
 

ブルントラント報告のこの記述は、まさに私の環境論と重なる部分です。この記述からも、21世紀の社会は日本がめざす「持続的な経済成長(現行経済の持続的拡大)」の方向ではなくスウェーデンがめざす「生態学的に持続可能な社会」の方向であると理解するのが妥当でしょう。

次の図は20世紀の「持続不可能な社会」から21世紀にめざすべき「持続可能な社会」への移行を示すEUの考え方を示したものです。類似の図が平成13年版「環境白書」の13ページに掲載されています。


この図は、私の環境論では次のように表現されます。

環境問題の解決とは、金額で表示される「経済成長(GDPの成長)」を止めるのではなく、「技術開発」と「社会制度」の変革によって資源・エネルギーの成長(消費量の拡大)を抑え、20世紀の大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される「持続不可能な社会」を、21世紀の新しい社会である「持続可能な社会」に変えることを意味する。20世紀型の経済成長は「資源・エネルギーの成長」と同義であった。21世紀型の経済成長は資源・エネルギーの成長を抑えて達成しなければならない。

1992年のリオの地球サミットから10年後の2002年に、南アフリカのヨハネスブルクで開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD。環境・開発サミット)」で、日本「持続可能な開発のための教育(ESD)」を提案しました。この提案は採択され、2005年から2014年までの10年間、国連が中心となって推進されることになっています。

持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料の確保、民主主義、人権、平和、文化的多様性などを含む広範囲な問題を含む概念です。はたして日本は、この概念を十分理解して自ら提案した「持続可能な開発のための教育」の成果を上げることができるでしょうか。大いに疑問があります。

それはすでにご紹介しましたように、次のような前例がある上に、すでにこのブログでなんども取り上げた日本の21世紀前半のビジョンが「持続的な経済成長」だからです。





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「持続可能な開発」の概念④ ブルントラント報告の要点

2007-09-26 22:24:26 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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2001年6月17日(日)に、中部の環境を考える会主催の第20回総会記念シンポジウムが生協文化会館で行われました。私は第1部の記念講演で「循環型社会へのパラダイムシフト――北欧スウェーデンの実践に学ぶ」と題して当時の最新の状況をお話ししました。第2部は4人のパネリストのひとりとして「循環型社会形成に向けた市民・企業・行政の責任」の議論に参加しました。

シンポジウムの終了後、元環境庁の幹部職員で、国連環境計画(UNEP)、ブルントラント委員会事務局などを経て、名古屋大学教授に転じた加藤久和さんにお目にかかったとき、「ブルントラント委員会をつくったのは形のうえではたしかに日本だがじつは当時、スウェーデンが国際社会で主張していた考え方に日本が乗っただけのことだった」ということを伺いました。

このことや、9月22日のブログ「持続可能な開発という概念① この言葉との初めての出会い」で紹介したブラムネルさんの講演からもわかるように、「持続可能な開発」という概念はスウェーデン発のものだったのです。

ブルントラント報告「Our CommonFuture」の翻訳本「地球の未来を守るために」(環境と開発に関する世界委員会 ベネッセ、1987年)は、持続可能な開発について次のように述べています(「Sustainable Development」は翻訳本では「持続的な開発」という訳語がもちいられていますが、このブログでは「持続可能な開発」に統一してあります)。

ブルントラント委員会の報告のこの記述は「持続可能な開発」という新しい概念を議論するときによく引用されますが、かなり抽象的なので、この概念のコンセプトづくりに参加してこなかった日本が、この概念を思い描くのはむずかしいでしょう。
 
この報告には「持続可能な開発」を実行するうえで「先進工業国におけるエネルギー成長を低下させること」が挙げられています。エネルギーの量的・質的制約は将来の技術開発の可能な方向を規定するので、重要なポイントなのですが、日本ではあまり知られていません。 

日本の経済成長がつねにエネルギー成長(エネルギーの消費量が増えること)をともなってきたという事実から、無視されたのかもしれません。

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「持続可能な開発」の概念③ 日本でも翻訳された「ブルントラント報告」

2007-09-25 21:51:26 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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この1987年に発表されたブルントラント報告「Our Common Future」は「持続可能な開発/持続可能な社会」の概念を国際的に広める先駆けとなりました。この報告は日本でも翻訳されて出版されています。

そして、「持続可能な開発/持続可能な社会」という概念は1992年6月にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた地球サミット(国連の環境と開発に関する会議、UNCED)で合意され、先進国も途上国も、持続可能な社会に向かって進んで行きましょうというコンセンサスがとられたのです。

2002年8月末から9月初めにかけて、南アフリカのヨハネスブルグで開かれた「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)は、92年から持続可能な社会に向けて国際社会がどれだけ進んだかを確認し合う意味で開催されたものでした。

あれからさらに、5年が経ちました。国連では、24日朝から約160カ国の代表が地球温暖化問題について話し合う国連のハイレベル会合が国連本部ではじまりました。今日の夕刊によれば、このハイレベル会合は24日夜(日本時間25日朝)閉幕したそうです。



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「持続可能な開発」の概念② 日本の意外なかかわり方

2007-09-24 10:22:40 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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1992年の地球サミットで合意された「持続可能な開発(Sustainable Development)」という考え方には、じつは日本が意外なかかわり方をしていました。 

1972年にスウェーデンの首都ストックホルムで開かれた「第一回国連人間環境会議」の10周年にあたる82年、国連環境計画(UNEP)管理理事会の特別会合で、当時の日本政府代表は、国連に「環境特別委員会の設置」を提案しました。

日本が提案して設置された国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」(通称ブルントラント委員会:ノルウェー首相だったグロ・ハーレム・ブルントラントさんが委員長だったのでこう呼ばれる)の任務は、

①21世紀の地球環境の理想像を模索すること
②それを実現するための戦略を策定すること


で、いままさに必要とされる今日的なものでした。

この委員会の発足を可能にした当初の財政援助は、カナダ、デンマーク、フィンランド、日本、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイスの各政府からの拠出でした。後に、カメルーン、チリ、西ドイツ、ハンガリー、オーマン、ポルトガル、サウジアラビアの各政府とフォード財団、マッカーサー財団、NORAD、SIDA(スウェーデン海外開発支援庁)などからも多くの寄付が寄せられました。その中でも日本は最大の資金拠出国で175万ドルを拠出し、その額は全拠出額の3分の1を占めたほどでした。

いま改めて、当初の拠出国をながめてみると、北欧4カ国(デンマーク、フィンランド、ノルウェーおよびスウェーデン)の名はありますが、米国の名はありません。これは、当時から現在までのおおよその「環境問題に対する基本認識の相違」にもとづくとみてもよいのではないでしょうか。

この委員会はノルウェーのブルントラント女史を委員長に22人の有識者によって構成され、1984年から87年までの3年間精力的な活動を行い、87年4月にその報告書「われら共有の未来(Our Common Future)」 (通称、ブルントラント報告)を国連総会に提出しました。

この報告書の中で初めて、「持続可能な開発(Sustainable Development)」が次のように定義されました。

持続可能な開発とは、将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発

この概念を実行に移すキーポイントの一つが「先進工業国におけるエネルギー成長を低下させること」であることは意外に知られていません。また、報告書は次のように述べています。

すべての国の経済・社会開発の目標は、持続可能性を考慮に入れて定めなければならない。その解釈はさまざまであろう。しかし、いくつかの共通認識に立ち、しかも、持続可能な開発の基本的概念とそれを達成するための広範な枠組みについて合意した上で出発しなければならない。

ところが、私がたいへん不思議に思うのは、報告書が公表されたあとの日本の行動です。国連に、「持続可能な開発」という21世紀に望まれる新しい考え方をつくりだすきっかけとなった委員会の設置を提案し、その委員会の活動を支える資金の3分の1を提供したにもかかわらず、得られた成果をまったく活用していないというのはどういうことなのでしょうか。 

委員会の報告が、 「経済の持続的拡大」という日本の政治目標にそぐわなかったからでしょうか。



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代替フロンの一つHCFCの規制 途上国で10年前倒し 

2007-09-23 19:28:12 | 温暖化/オゾン層


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今年2007年は、1987年9月にオゾン層保護のためのモントリオール議定書が採択されて20年を迎えます。カナダのモントリオールでは9月17日から21日かけて締約国会議が開かれました。

9月18日付けの毎日新聞がよくまとまった関連記事を書いています。この記事の中にこの問題の全体像を理解するのに役立つ2つの表が掲載されていました。

 


昨日の朝日新聞の夕刊が、「モントリオール議定書」の締約国会議で21日、代替フロンの一つ「HCFC」 (ハイドロクロロフルオロカーボン)の規制の前倒しなどで合意したと報じています。



途上国はこれまで2040年までに全廃することになっていましたが、10年早め、09~10年の平均を基準として13年に生産・消費量を凍結、30年までに全廃することになり、先進国2020年までの全廃に向けて削減度合いを強めることで妥協が成立したそうです。

この分野でも、日本とスウェーデンの対応にはかなりの時間的落差があります。下の関連記事の2つ目に両国の冷蔵庫への対応事例が書かれています。上の図が示す「オゾン層保護対策の流れ」に沿って対応事例を見れば、その状況がご理解できるはずです。

関連記事

緑の福祉国家18 オゾン層保護への対応①(2/5)

緑の福祉国家19 オゾン層保護への対応②(2/6)

オゾン層保護に向けて(2/7 )



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「持続可能な開発」の概念①  この言葉との初めての出会い

2007-09-22 18:44:03 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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9月18日のブログ「環境経済・政策学会 2007年大会」 の最後に、次のように書きました。

今年2007年は、国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)が1987年4月に「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(Our Common Future 通称「ブルントランと報告」)を公表してから20年になります。

この概念は1992年のリオの地球サミット(国連の環境と開発に関する会議、UNCED)で合意されましたが、現実の世界の動きはこの概念とは異なって進展しているように思います。

今年の大会では、これまでの20年間の成果を踏まえて、この「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念を学会あげて総括してみたらよかったと思うのですが、いかがでしょうか。

そこで、今日から数回にわたって「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念を検証することにしましょう。

「持続可能な開発」という言葉を初めて目にする方もあるかもしれません。英語ではSustainable Development(SD)というのですが、1980年に国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)などがとりまとめた報告書「世界保全戦略」に初めて使われ、以来広く使われています。

おおよその意味は、「現在ある環境を保全するだけではなく人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する能動的な開発」「人間社会と、これまで人間の経済活動によって破壊されつづけてきた自然循環の断続を修復する方向の開発」ということです。

私が「Sustainable Development(持続可能な開発)」という言葉に最初に出会ったのは、1983年6月8日東京で開催された日本学術会議主催の国際シンポジウム「地球環境の保全と先進国の役割――開発途上国への国際協力」のときでした。
 
当時、スウェーデン外務省環境・開発上級顧問であったぺール・ブラムネルさんはこのシンポジウムで「スウェーデンの環境国際協力」と題する基調講演を行ないましたが、そのなかでSustainable Developmentという言葉をさり気なく使っていました。

そして、 「先進工業国における持続可能な開発」「発展途上国における持続可能な開発についてつぎのような見解を述べました。

X X X X X 
先進工業国では今後、人工的な都市社会に住む人々の数はますます増えてくる。人工的な都市社会に居住し、技術に頼れば頼るほど、私たちは自然からのメッセージを伝え聞く能力を失う傾向を加速するであろう。

人間活動はこれまで「自然循環」を破壊しつづけてきたので、ただ現在ある環境を保全するだけでは不十分で、21世紀に人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する必要がある。

「持続可能な開発」とは受け身のものではなくて、むしろ人間がその生活にふさわしい環境をつくりだしていくために、「人間社会」と「自然循環」の断続を修復する方向の開発でなければならない。
 
発展途上国では「環境」と「開発」の間に、本来、対立はないはずである。とくに長期的な意味での対立はあってはならない。「環境の劣化」は多くの発展途上国にとって開発に対する直接の脅威とすらなり得るものである。
 
積極的な環境保全は発展のための不可欠な必要条件であり、開発の前提条件でもある。発展途上国における環境の劣化は、先進工業国の大半が経験したのとは異なった形態をとっている。

環境の劣化は、しばしば、基本的な人間のニーズである食料、水、燃料などに対して直接的な影響を及ぼす。それは発展途上国が生態学的な側面、経済・社会そのほかの条件で先進工業国とは違った形態をとっているからである。
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オール電化マンションは省エネか? 環境にやさしいか?

2007-09-21 13:10:48 | 原発/エネルギー/資源
 

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私のブログで、 「オール電化」をとりあげるのは今回が初めてです。はたして、この技術が環境にやさしいのかどうか、これからの社会に望ましい技術なのか。ためしに、今、ヤフーの検索エンジンに「オール電化」と入れて検索しますと、検索結果は5,860,000件、「IHクッキング」と入れて検索しますと2,670,000件と出てきます。

東京電力をはじめとする すべての電力会社がオール電化マンションを勧め、IHクッキングを勧めています。そこに家電メーカー、家電量販店、関連設備会社などのPRがネット上にあふれています。

まず、次の2つの記事をじっくり読んでみてください。



そして、次の3つの記事をご覧ください。









さらにもう一つ、こんな記事もあります。


これらの記事を手がかりに、そして必要ならさらにインターネットから独自の情報を得て、皆さんは「オール電化という技術が省エネ効果があるか、環境にやさしいのかどうか」「これからの社会に望ましい技術なのか」をご自分で検証してみることをお勧めします。



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あべこべの国  日本とスウェーデン

2007-09-20 10:37:53 | 社会/合意形成/アクター
 

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過ぎ去った20世紀も、これから歩む21世紀も日本とスウェーデンは、現在までは多くの分野で「あべこべの国」の様相を呈しているように思います。それは社会に対する「価値観の相違」と将来に対する「判断基準の相違」と言ってもよいのかもしれません。

「環境問題スペシャリスト」を肩書(日本で唯一人?)として使用している私がなぜ、このブログで経済や財政、社会の仕組みを取り上げるのかと問われれば、私の環境論では「環境問題は、私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に目的外の結果が蓄積し続けているもの」 、平たく言えば、「昔から環境と経済は切ってもきれない関係にある(識者は90年代中頃から「環境と経済の統合」など言い始めましたが)と考えているからです。

関連記事

日本で唯一の肩書? 

私の環境論13 「環境」と「経済」は切り離せない(1/23) 

私の環境論14 環境問題は経済の「目的外の結果の蓄積」(1/24)

私の環境論19 環境問題の「原因」も「解決」も経済のあり方、社会のあり方の問題だ! (2/2)


最近、神野直彦さん(東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授 専攻は財政学)の最新著「財政のしくみがわかる本」(岩波ジュニア新書566 2007年6月発行)を読みました。神野さんに初めてお目にかかったのは2001年か2002年頃でした。その時、神野さんが「スウェーデンは学問が政策に生かされている国なのですね」という趣旨のことをおっしゃっていたことを印象強く覚えています。



この本の中で、国際比較のために使われている図に日本とスウェーデンの「あべこべの国」の様子がはっきりわかる図表が3枚ありましたので、紹介します。それぞれの国の「社会」を国際比較するための図では、多くの場合がそうであるように、日本と米国の対極にスウェーデンがあり、その間にドイツ、イギリス、フランスなどのEU主要国があるという図式がここにも表れています。


1枚目のこの図は、「3 税はどんなしくみになっているのだろう」という章に登場する図で、私たちに馴染みのある「国民負担率の内訳の国別比較」です。


神野さんの説明: 

まず、アメリカは個人所得課税つまり所得税のウエイトが高いけれども、社会保障負担は低く、付加価値税もないため消費課税は低くなっています。スウェーデンは所得税も付加価値税も社会保障負担も、いずれも高くなっています。これは、それぞれの社会観をあらわしています。
日本の租税負担からわかることは、国民の最低生活を保障していく責任を政府がひきうけていないということです。というのも、個人所得課税のウエイトがいちじるしく低いからです。とはいうものの、国民がおたがいに助けあって生きていこうという考え方も弱いと言っていいと思います。

ドイツとフランスを見ても、個人所得課税の負担は日本よりも大幅に高いのです。つまり、豊かな人々もそれだけ高い負担をしているからこそ、貧しい人々に消費課税の負担のを求めることができるのです。スウェーデンにいたっては、個人所得課税のウエイトが高く、政府が国民に最低生活どころか標準生活を保障しているといえます。もちろん、それだからこそ、貧しい人々にも消費課税の高い負担を求めることが可能なのです。


2枚目のこの表は、「5 借金は財政どんな意味をもつか」という章にある表で「財政収支と債務残高の国別比較」です。 


神野さんの説明:

たしかに日本の財政赤字はGDP比で6.1%と高くなっています。しかし、純利払費は1.5%と低いのです。もう一つ重要なことは、日本政府はひじょうに多額の借金をしていますが、その一方で多額の資産(財産)を持っていることです。そこから収入が大幅に上がってくるのです。表5・1を見れば、総債務残高も高いのですが、資産も多いことがわかります。総債務残高から資産をさしひいた純債務残高は、78%とかなり低くなっていますね。

第二次大戦後、先進諸国は、黄金の30年といわれるような高度成長をなしとげました。その高度成長の果実を、スウェーデンなどは福祉施設に使いました。日本はすべて対外債権、お金の貸し付けとして残しているのです。毎年、国際収支は黒字になっています。その日本の黒字はすべて、外国からお金をとれる権利としてもっているのです。

したがって、将来の世代には、使い道がないといってもいいほどのお金が、インドネシアやアメリカなどから入ってくることになります。私たちは将来の世代に負担を残すどころか、大きな財産を残しているということです。

ただし、世界の歴史の中で、大きな軍事力ももたずに、ここまで借金を外国に認めた国はないのです。アメリカやインドネシアが「借金を返さない」と言ったら、どうやってとってくるのかということは、誰も心配していません。しかし、そのほうが本来は重要な話のはずです。


そして、3枚目のこの図は、「8 財政の未来像をえがく」という最終章にある図で、「政策分野別社会支出(対国民所得比)の国際比較」と名付けられています。この章は、将来の財政の方向性を考えるための章です。


神野さんの説明:

図8・1を見てください。日本はスウェーデンやドイツ、フランスなどのヨーロッパの国々とくらべて、年金は医療保険は半分以上の数値になっています。しかし、児童手当と高齢者福祉サービスの数値は極度に低くなっています。つまり、育児サービスと高齢者福祉サービスが大きく遅れていることが、はっきりとわかりますね。もちろん、愛情は別です。政府が責任をもつのはサービスで、愛情は家族の責任であり、コミュニティの責任です。

最終章の一番最後の「財政を民主主義の手にゆだねる」と題した項は、この本に示された神野さんのお考えの「まとめ」と考えられる部分です。大切なことなので全文を引用させていただきます。

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私たちが財政の未来を考えていく上でもっとも重要なことは、財政を民主主義の手にゆだねるということなのです。民主主義の手にゆだねるということは、国民が意思決定に参加できる公共の空間を、できるだけ多く、分断してつくっておくということです。

どういう社会を形成するか、どういう生活を形成するかという決定権限を、国民に多くゆだねることが民主主義です。

私は、民主主義は二つの原則から成り立っていると考えています。一つは未来は誰にもわからないという原則。もう一つは、人間には誰でもかけがえのない能力があるという原則。この二つが民主主義の原則だと思います。

この二つの原則から出てくる結論は、私たちの社会の未来をどうするのかという選択は、すべての社会の構成員がかけがえのない能力を発揮しておこなうべきだということです。共同意思決定に未来の選択をゆだねたほうがまちがいがない、まちがいが少ないという確信が民主主義だ、と私は思っています。

財政は、民主主義にもとづいて営まれる経済であり、市場社会は市場経済と財政という二つの経済によって構成されている、とお話ししました。私たちは日本の社会を活性化しようとすれば、この二つの経済を活性化することが必要です。
市場経済の活性化のみを求めても、けっして市場社会は活性化しません。市場経済を活性化するには、民主主義の活性化が必要であり、市場経済と民主主義がおたがいに手をとりあっていかないと、市場社会はけっして活力を生み出しません。

市場経済は効率を要求し、格差を容認します。一方、民主主義は公平を追求し、格差の是正を要求します。私たち財政学者は、効率と公正をいかに融合させるのかということに心を砕いてきました。市場社会の政策には、効率と同時に、公平・公正という価値基準が重要であるということをわすれてはならないというのが、私たちの財政学の過去からの教えなのです。

そして私たちの未来を決めていくのは、結局のところ、この本を読んでいるあなたを含めた私たち一人一人だということを忘れてはならないのです。
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①私のコメント
神野さんは「政策分野別社会支出(対国民所得比)の国際規格」の図で、「つまり、(日本は)育児サービスと高齢者福祉サービスが大きく遅れていることが、はっきりとわかりますね」とおっしゃておられます。 そして、年金問題は大混乱です。

関連記事

2つの大問題「環境問題」と「少子・高齢化問題」(6/26) 


私のコメント②
そして、神野さんの結論は「市場経済と民主主義がおたがいに手をとりあっていかないと、市場社会はけっして活力を生みだしません」とおっしゃておられます。以前のブログで、私は「民主主義の成熟度ランキング」を紹介したことがあります。覚えていらっしゃいますか。スウェーデンが1位、ドイツ13位、米国17位、日本21位、英国23位、フランス24位でしたね。神野さんのおっしゃる条件「市場経済と民主主義、あるいは効率と公正の融合」にもっともかなうのはスウェーデンでしょう。

関連記事 

EIUの民主主義指標 成熟度が高い民主主義の国の1位はスウェーデン(8/18) 

格差が広がる日本、「効率性」と「公平性」を達している北欧(3/22) 

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議論よりも行動?

2007-09-19 20:06:42 | 社会/合意形成/アクター
 

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最近、「環境問題はもはや議論している場合ではない。具体的な行動計画を策定し、それを実行に移す段階にある」と主張する識者が日本にも出てきました。国際的に高い次元からこのように述べるのであれば、まさにその通りだと思います。

1992年5月に国連環境計画(UNEP)が公表した「世界環境報告 1972-92」をはじめとして、

① 「世界環境概況 2000」 UNEP 1999年
② 「IPPCの第3次評価報告書」 IPCC 2001年
③ 「2020年までの環境見通し」 OECD 2001
④ 「地球環境白書」 UNEP 2002
⑤ 「生きている惑星の報告」WWF 2002年
⑥ 「IPCCの第4次評価報告書」 IPCC 2007年2月2日

が指摘していますように、確かに事態はそこまで進んでいるからです。

ただ、注意する必要があるのはこの主張は環境問題で国際社会をリードして来た国々が環境問題の「重要性」と「緊急性」に気づいて、「議論している場合ではない。国民の間で早急に環境問題に対する合意を取りつけ、すべての国民の協力の下に早く行動に移さなければ環境問題の解決は時間的に間に合わないかもしれない」という危機感から出たものであることです。

しかし、この種のメッセージが日本の識者から日本の国民に向かって不用意に発せられる場合には、そのようなことを言う識者の「日本の環境問題に対する現状認識」に首をかしげざるをえません。

日本のように、これまでの公害対策基本法を頂点とする環境法体系を25年間運用してきた結果、「公害への共通認識」はできたものの、“環境問題への共通認識”が未だ国民の間に確立していない日本で、社会を構成している各主体が“それぞれに環境に配慮して”自主的かつ積極的に行動を起こせば、間違いなく「環境への人為的負荷」をさらに高める結果となるでしょう。1993年11月に制定された「環境基本法」のアプローチはまさにこの危険性をはらんでいると言えるでしょう。

行動を起こす前に、十分議論し、“包括的で、整合性のある、柔軟な、しかも継続性のある”しっかりとした政策を打ち出し、社会を構成する各主体(国、地方自治体、事業者および国民)が一致協力して共通の目標に向かって行動をとることが必要です。

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環境経済・政策学会 2007年大会

2007-09-18 15:20:15 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト
 

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数日前に、環境経済・政策学会の大会事務局から10月7日、8日に滋賀大学彦根キャンパス(経済学部)で開催される「2007年大会」のプログラムが送られてきました。

次の図は、今回のプログラムです。


プログラムの文字が小さくて読み難いようですが、幸いにも、環境経済・政策学会のHPに、プログラムと報告の演題とその要旨が掲載されておりますので、ご興味のある方はアクセスしてみてください。

環境経済・政策学会 2007年大会スケジュール

報告の演題とその要旨


この学会は1995年12月に設立され、96年9月28日、29日に初の大会「環境経済・政策学会 1996年大会」が中央大学駿河台記念館で開催され、2005年には10回となる2005年大会が早稲田大学で、そして、今回、12回目の「2007年大会」が滋賀大学彦根キャンパスで開催される運びとなったのです。

2000年以降、私が少々疑問に思うのは、この学会(他の学会もそうなのかもしれませんが)が設立10年以上経過しているにもかかわらず、現実の社会や政府や自治体の政策にほとんど影響を与えることなくただ学会として存在し、研究者の発表の場を提供しているにすぎないような印象を受けることです。地球規模で起きている現実の大問題を総合的にとらえることなく、個々の部分に研究者の目が向けられているように感じます。

私は設立以来の会員であり、96年の1回大会から2000年までは毎年報告を続けてきました。そして、一休みして、2005年10回大会で5年ぶりに報告をしました。

ご参考までに、私の報告のタイトルを掲げます。

1996年 持続可能な社会とその方向
       第1回大会の最初の演題が私のもので、討論者の小林光さん(環境庁)は現在、環境省の大臣官房長を務めておられます。

  97年 スウェーデンの環境政策の検証

  98年 地球温暖化対策:日本vsスウェーデン

  99年 持続可能な社会の構築:スウェーデンの挑戦

2000年 わが国のITへの期待と環境負荷増大への懸念

2005年 「福祉国家」から「緑の福祉国家」へ:スウェーデンの転換戦略


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IT革命と環境問題2 乏しい環境経済・政策学会の反応(4/3)
 


今年2007年は、国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)が1987年4月に「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(Our Common Future 通称「ブルントランと報告」)を公表してから20年になります。この概念は1992年のリオの地球サミット(国連の環境と開発に関する会議、UNCED)で合意されましたが現実の世界の動きはこの概念とは異なって進展しているように思います。

関連記事

緑の福祉国家3 スウェーデンが考える「持続可能な社会」(1/13)



改めて、この12年間の「環境経済・政策学会」のプログラムを眺めてみると、この概念を真剣に取り上げて議論したことはなく(ゼロとは言いませんが)、細かい議論に終始していた感があります。

今年の大会では、これまでの20年間の成果を踏まえて、この「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念を学会あげて総括してみたらよかったと思うのですが、いかがでしょうか。



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今日9月17日は「敬老の日」:さらに2つの過去最高を更新、   そして 自民党総裁選:福田vs麻生

2007-09-17 22:44:41 | 政治/行政/地方分権
 
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今日は敬老の日。この日が近くになって内閣府の世論調査や政府が発表した関連統計がまたまた過去最高を更新したそうです。まず、次の統計から行きましょう。

これは内閣府が発表した生活不安に関する「国民生活に関する世論調査」の結果です。過去最高であった前回をやや上回り、今回、1981年の調査開始以来過去最高となったそうです。


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「将来不安」こそ、政治の力で解消すべき最大のターゲット(6/23)


次は総務省からの統計結果です。65歳以上の高齢者の人口が2744万人で、総人口の21.5%に達したそうです。


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日本の少子・高齢社会②(6/26) 


このような社会情勢を背景に、政治の世界では安倍首相の辞任発表に伴い、自民党の総裁選挙を巡る動きが活発になってきました。今日の朝日新聞は最近行った世論調査の結果を発表しています。



次の首相に一番力を入れて取り組んでほしい政策は、経済成長や競争力を重視する改革路線政策を次の首相に受け継いでほしい政策は、という問いに対しての国民の回答も従来通りであることが示唆されています。


そこで、自民党総裁選挙を巡る福田康夫さんと麻生太郎さんの訴えが次のようにまとめられている。

福田さんの「希望と安心のくにづくり、若い人に希望を、お年寄りに安心を」に対して、麻生さんは「日本の底力、活力と安心への挑戦」だそうです。

お二人に共通なのは「経済成長」テレビで、福田さんが「持続可能な社会」とおっしゃったので、おや?と思いましたが、上の記事にもストック型(持続可能な)社会とありますし、環境立国政策の推進という文字も見えます。一方、麻生さんはこの記事でみる限り、環境問題はゼロ。


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政治が決める「これからの50年」(1/5)


当面の私の関心は、自民党総裁になられた方が国会の首相指名投票を経て首相となった後、国会での「所信表明演説」で何を主張するかです。いつものように、環境問題への基本認識、持続可能な社会に対する認識です。それは、私のブログの基本テーマが「環境」「経済」「福祉(問題)」、不安の根っこは同じだ!、「将来不安こそ」、政治の力で解消すべき最大の対象だ、だからですし、また、私の本のテーマが「スウェーデンに学ぶ持続可能な社会 安心と安全の国づくりとは何か」だからです。

ここまで日本の事態の進展がはっきりしてくれば、私の次の主張をご理解いただけるでしょう。



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