環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

社会的な合意形成① 合意形成への2つのアプローチ

2007-02-28 12:12:59 | 社会/合意形成/アクター


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昨日もお話しましたように、どの国も利害の対立あるいは利害の異なる国民の共存で成り立っています。それが正常な社会だと思います。利害の対立を越えた、国民すべての生存に共通する環境問題の改善のためには、国民(政治家、行政、企業、消費者など)の間に、まず「環境問題への共通認識」が構築され、つぎに整合性のとれた行動の前提となる合意形成がなされなければなりません。

1992年の地球サミット以降、行動の前提となる「民主的な合意形成」の必要性がようやく日本でも認識されるようになってきましたが、制度的な裏付けは未だ不十分で、今後の課題です。このような未成熟な段階では、“合意形成”までに議論は堂々巡りし、時間がかかるのが常です。その間に事態はさらに好ましくない方向に進展します。

そこで、私たちの将来をほとんどの国民にとって望ましい方向に変えていくために、どのような合意形成が望ましいのか考えてみましょう。まず、合意形成を二つに分けて考える必要があります。

(1)「治療的」合意形成

これは事態が悪化し、なんらかの対症療法を施さざるを得ない状況に追い込まれてから、 「治療的発想」で合意をめざすものです。形のうえでは合意形成とはいうものの、実態は「先送り」の結果にすぎません。問題の兆候が見えはじめてから合意形成の形となるまでに時間がかかり、その間に事態は悪化します。しかも、合意形成に達したときには待ったなしの状況に追い込まれているため、議論の余地はなく一つの方向にまとまりやすいのですが、間違っていると気がついたときには、方向転換の余地はほとんどないといってよいでしょう。


(2)「予防的」合意形成

これは科学的知見がかならずしも完全ではなくても、これまでに得られた「科学的知見」と私たちが生まれながらに持っている「知恵」や、これまでに獲得した「経験則」や「自然法則」などをよりどころに、「予防的な発想」で早めに論理的に合意をめざすものです。当然のことながら、合意形成には議論の余地がありますので複数の方向性が示され、選択の余地が生まれます。ですから、誤りに気づけば、予防的な発想」で早めに論理的に合意をめざすものです。予防的な発想」で早めに論理的に合意をめざすものです。

 大多数の国民に共通であるはずの環境問題の議論も、多くの場合、不毛の議論を繰り返し、不統一に終わるのは、私たちが、何が環境問題の基本的な問題(本質)で、何が周辺的な問題であるかを見極める能力に乏しいからです。

言い換えれば、これまでのブログで言及したように、「21世紀も人間は動物である」「環境問題の根本的な原因は経済活動にある」「経済成長はエネルギー・資源の消費を抑えて達成されなければならない」「日本経済が制約される地理的・社会的条件がある」といった、「環境問題について私たちが共通に持つべき共通の認識」が、日本ではまだ十分には共有されていないからです。
 
もし、こうした認識がゆきわたっていれば、私たちもスウェーデンの国民のように、当面の問題を簡潔に、しかも明確にとらえることができるのではないでしょうか。たとえいま、決断がむずかしい場合でも、本質が見えていれば、継続的研究や調査の方向性をはっきりさせることができるからです


次回に、具体的な例で、合意形成のための二つのアプローチを検証してみましょう。


 今、なぜ環境教育が必要なのか?

2007-02-27 20:49:30 | 環境問題総論/経済的手法


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どこの国も利害の対立あるいは利害の異なる国民の共存で成り立っています。利害の対立を越えた国民すべてに共通する環境問題の改善のためには、国民の間に「環境問題に対する共通の認識」がなければなりません。

現在のスウェーデンの環境政策は、「福祉国家」(人間にやさしい社会)から「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」(人間と環境にやさしい社会)に移行することを最終目的にしています。

そのためには、生態学的な観点はもちろんのことながら、幅広い視野に立った総合的な政策が必要になります。環境政策の目標を実現するためには、①法的対応、②調査、③計画、④教育が重要と考えられ、スウェーデンでは教育が環境政策を支える大きな柱の一つとして認識されています。スウェーデンの学校での環境教育は単に知識を増やすだけではなく、自分の意見を確立し、社会で行動できるよう期待されています。


ですから、日本の環境教育がめざすところは、“市民の啓蒙”というような消極的な考えではなく、社会の中に「環境問題への共通の認識」を構築することにより、利害の対立する国民や省庁間の壁を低くして、共通の目標に向かって整合性のある行動がとれる社会基盤を築くことを意図するものでなければなりません。

私がいくつかの大学に呼ばれて特別講義で講演した後、学生から送られてきたレポートの多くは「先生の言うことはよくわかる。でも、自分たちが社会の中で力を持つにはあと10年以上かかる。今の社会に力を持つものが環境問題をしっかり考えて、将来が望ましい方向に進んでいてくれなければ困る。先生の話は社会を動かしている政治家や官僚、企業人など大人にも聞いてもらいたい………」と大変現実的です。

意識ある学生は社会を国民の総意によって民主的につくり替えるにはリードタイムが必要であることをよく理解しています。そうであれば、環境教育は学校だけの問題でなく、社会人に対しても、もっと積極的に行われなければなりません。私の考えでは、社会人に対する環境教育は社会の共通問題に対して合意形成を促進する重要な役割を担っていると思います。

あの時の決定が日本の「地球温暖化対策」を悪化させた

2007-02-26 22:34:20 | 温暖化/オゾン層
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日本の企業は環境問題という現実に直面し、しかも、なお、「従来型の経済の持続的拡大」のために、日本型経営の維持と再構築の間で苦悩しているのが現状です。大量生産・大量消費・大量廃棄に特徴づけられる「直線的な20世紀型の経済の持続的拡大」と「21世紀型の持続可能な社会」は方向性が正反対だからです。

私たちは口では「環境保全」だの「循環型社会」や「持続可能な社会」などと言いながら、目の前の生活防衛のために、国も、自治体も、企業も、環境へ多少の配慮をしつつも、言葉とは正反対の行動に向けた政策を策定し、予算をつけ、既存の組織の拡大に全力を傾けていると言っても過言ではないでしょう。

今回は日本の地球温暖化対策がなぜこうも実効性がないのかを考えてみましょう。私はそのルーツは縦割り行政による「16年前の考え方」にあると思います。つぎの3つの新聞記事をご覧下さい。

1990年10月12日の毎日新聞の記事は「国の地球温暖化防止に関する方針」を決める段階での関係省庁の考えを報じたものです。表題に

総排出量は規制外
通産省方針 経済活動を拘束

とはっきり書いてあります。


そして、記事の中には

②一人当たりCO2排出量などを対象とし、CO2総排出量に規制の網をかぶせない方向で関係省庁に働きかける

と書いてあります。

この時の縦割り行政の決定がその後の日本の地球温暖化対策の方向を誤らせ、その解決を困難に導いているのです。そして、その対立は今なお引き続いているように見えます。

2つ目は日本政府の「温暖化対策新大綱」の見直し作業について報じる2004年6月1日の朝日新聞の記事に添えられた大変分かり易い図です。

記事は「ガス削減議論足踏み」という大きな見出しを掲げて、「8審議会、調整がカギ」と書いています。8つの審議会の背景には、内閣府、国土交通省、環境省、経済産業省、農水省、総務省のそれぞれの思惑がからんでおり、「京都議定書」の否定論まで取り沙汰されているそうです。
 
8つの審議会の調整がむずかしいのは、行政の縦割構造の問題だけでなく、8つの審議会やそれらの審議会を構成している委員の間に、温暖化問題に対する基本的な共通認識が不十分なために足踏み状態が続いているのだと思います。

このような行政的な整合性の無さを見せつけられると、私には、つぎの記事は当時の環境庁長官の本音が示されているように思えます。

2050年までの主な制約条件

2007-02-25 21:59:48 | 市民連続講座:環境問題


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国連やそのほかの国際機関、日本政府などの公的機関が公表しているさまざまな統計資料をベースに総合的に考えると、2050年までに、つぎのような制約条件が浮かび上がってきます。

ここでは、経済活動の原点である生産活動に焦点を当てます。モノの生産には、つぎの図に示すように、労働力のほかに、生産工程に「原材料」、「エネルギー」、「水」などの資源の供給(インプット)が必要です。生産工程からはかならず、「製品」とともに、「廃棄物(固形廃棄物、排ガス、排水)」および「廃熱」が排出(アウトプット)されます。

  
この図で重要なのはたとえば、エネルギーが十分あっても、その他の条件が一つでも量的あるいは質的に有意に満たされなくなれば、生産活動ができなくなるということです。ですから、生産活動はインプットあるいはアウトプットの最も少ない条件に縛られることになります。

2050年の世界をイメージするマクロ指標

2007-02-24 06:27:41 | 市民連続講座:環境問題


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不可能であるなら、早めに方向転換することが、将来を明るくすることになるでしょう。そこで、21世紀の明るい社会像を描くために、21世紀前半まで現行経済の持続的拡大が可能かどうかを、大雑把ではありますが、地球規模で検証してみましょう。
 
2050年の世界は、私たちや私たちの子どもや孫が生きるはずの現実の世界です。国内外の研究機関は2050年の「世界の人口」、「世界の経済規模」、「世界のエネルギー消費」などのマクロ指標を、それぞれの立場で独自に発表しています。
 
2050年の世界を大雑把にイメージするために、ここでは電力中央研究所が1992年8月につくったパンフレットの数値を参考にします。

今から15年近く前の数値をあえてここに掲げた意味をご理解下さい。

日本の電力会社は電力事業法という法律で「電力の供給義務」を負わされていますから、電力10社の共同研究所である電力中央研究所はこの種のデータには最も敏感なはずです。おそらく、15年前の国内外の公的機関および独自の情報ネットワークを駆使して収集したデータをこのパンフレットに掲載したのだと思います。

2002年8月21日に世界銀行が公表した「世界開発報告 2003」によりますと、今後50年間で世界の人口は90億人だそうですが、GDPは140兆ドルだそうです。経済規模の拡大の大きさとスピードに驚かされます。

電力中央研究所の1992年のデータと比べると人口が100億から90億に減少していますが、GDPは77億から倍近い140億と予想されています。これにともなって、エネルギーの消費量やCO2の排出量や廃棄物の排出量も増えるであろうことは容易に想像でできます。

私たちはこれまで、いつも右肩上がりの経済活動を求めてきました。ですから、経済活動への投資はつねに量的な拡大をめざすものでした。

生産部門では、生産工程を大幅に変更しないで生産量を拡大しようとすれば、原料、エネルギー、水などの供給量(インプット)は増え、製品とともに発生する廃棄物や廃熱などの排出量(アウトプット)は、原則的には増えるはずです。
 
もちろん、技術開発によって、廃棄物や廃熱などの排出量の増える割合を減らすことは可能ですが、そこには、おのずから技術的限界があります。


「現行の経済成長」は50年後も可能か?

2007-02-23 18:26:13 | 市民連続講座:環境問題


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ではここで、昨日の「経済がいつまで成長できるのか」という問いを、私なりに考察してみましょう。「21世紀の経済成長は資源・エネルギーの消費を抑えて達成されなければならない」、「資源・エネルギーの消費を抑えることによって環境負荷をできるだけ減らし、環境を保全するだけでなく、可能なら回復しなければならない」というのが私の立場ですが、たとえそのような立場をとらないとしても、資源の枯渇(これは、従来から懸念されていることです。最近では「もったいない学会」を主宰する東京大学名誉教授・石井吉徳さんが提唱する仮説「ピーク・オイル論」があります)によって、将来、経済活動は制約を受けざるを得ないでしょう。

私たちが現在の知識を基礎に将来を語るとき、21世紀の折り返し点である2050年を一つの区切りとして考えることができます。大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される現在の市場経済システムのもとで、「さらなる経済の持続的拡大」は2050年まで可能でしょうか。
 
この可能性を議論することは、世界第2位の経済大国であり、資源の超輸入大国である日本にとって21世紀の最重要論点であると私は考えます。しかし、「いま、日本人に突きつけられている問題は何か」を論じる書物でも、このような問題はあまりとりあげられません。

たとえば、文藝春秋が毎年発行している『日本の論点』は、800ページを超えるボリュームで、多くの識者がさまざまな論点についての所信を展開していますが、「経済成長はいつまで持続できるのか」という私が21世紀前半に最も重要だと思う「論点」には、お目にかかったことがないのは不思議です。

これまでの市場経済システムを維持・拡大する方向をめざすのであれば、それを支えてきた現在のエネルギー体系を、経済成長に合わせて維持・拡大していくことは、それなりに合理的な考えであると思います。
 
しかし、資源の制約、エネルギーの制約、環境の制約などから、現在の市場経済システムの持続的拡大はおそらく不可能なわけですから、「エネルギー体系の転換」「産業構造の転換」「社会制度の転換」などさまざまな転換が必須だと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。



時代に取り残される経済学

2007-02-22 20:05:28 | 市民連続講座:環境問題


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さらに、経済学者やエコノミストは、「経済がいつまで成長できるのか」という時間的限界、量的限界も認識していないように、私には思えます。また、私たちを支配している自然法則からあたかも自由であるかのように経済活動や経済成長を論ずること自体、経済学が現実離れしていることにほかなりません。
 

このことは、いまなお、経済学の考え方の基本的枠組みが、生産の基本的要素として 「資本」 、「労働」 「土地」あるいは「技術」を掲げていることからも明らかです。 


小泉首相のアドバイザー(2003年1月当時、内閣府特命顧問)をつとめた慶應義塾大学経済学部教授の島田晴雄さんと小泉・連立内閣の経済財政・金融大臣(2005年10月31日発足の第三次小泉・連立改造内閣で総務大臣・郵政民営化担当大臣に就任)をつとめた竹中平蔵さんの一般向け近著に、その具体例を見てみましょう。
 
島田さんの「日本経済――勝利の方程式」(講談社+α新書、2003年)には、「経済学の教科書は、経済の本源的な要素として、資本、労働、土地、技術をあげているが、この4つのいずれについても、日本は世界にないもっとも優れたものを持っている」(19ページ)と書かれています。
 


また、竹中さんは「あしたの経済学――改革は必ず日本を再生させる」(幻冬舎、2003年)で、「労働と資本と技術、この3つの要素を質量ともに高めること、これが経済を長期的に発展させる唯一の方法です」(103ぺージ)と言い切っています。
 
さらに、日本21世紀ビジョン」(2005年4月19日公表)の作成に専門調査会会長としてたずさわわった、香西泰さん(内閣府経済社会総合研究所長)も、雑誌「論争 東洋経済」(1999年11月号)に掲載された「日本経済成長の条件」と題する論文の冒頭で、「経済成長は、普通、投入される生産要素、つまり労働力と資本、さらには技術進歩(あるいは生産性)によって決まるとするのが経済学の大まかな枠組みになる」と書いておられます。

これらの説明は、伝統的な経済学の枠組みの範囲では間違いではないのでしょうが、これら3つないしは4つの要因が確保されれば、生産活動が続けられるというのでしょうか。
 
資本、労働、土地、技術という経済学のいう生産要素が十分に整っているにもかかわらず、夏の渇水期に水不足により工場が操業停止に追い込まれることがあるのはなぜでしょうか。
 
2001年1月17日にカリフォルニア州を直撃した広域停電で、この地域の産業界が混乱したのはなぜでしょうか。

この事実は、現代では(過去でもそうでしたが)、生産要素として「資源やエネルギー、それらの利用の結果生ずる環境問題」や「情報」のほうが、短期的にも長期的にも「資本、労働、土地あるいは技術」よりも本質な生産要因であることを示しているのではないでしょうか
 
私は経済学の門外漢ですから、一歩譲れば、どちらの要因が本質的であるかということよりも、経済学者やエコノミストの議論の枠組みのなかに、経済活動を実際に支えている「資源(原材料、水)」「エネルギー」「環境問題」のような本質的な要因が十分に想定されていないことが問題だと思うのです。



「価格破壊 あるいは 安売り現象」と環境問題

2007-02-21 08:24:16 | 市民連続講座:環境問題


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昨日は、「個人消費を増やすと環境負荷も増える」という話をしましたが、もう一つ、「価格破壊」あるいは「デフレ経済下の安売り現象」といった経済行為と環境問題の関係を考えてみましょう。

たとえば、業界での競争に生き残るために血のにじむような企業努力によって、一杯500円の牛丼を半額の250円にすることに成功したとしましょう。半額となった牛丼一杯をつくるための原材料、水、エネルギー、廃棄物などは、値下げ前に比べて量的に半減したでしょうか。
 
企業が価格半減によって値下げ前と同等の利益を確保しようとすれば、間違いなく販売数を2倍に増加させることになりますから、企業が使用する原材料、水、エネルギー、廃棄物量も2倍近くに増え、その結果、環境負荷は値下げ以前の状態よりも高まることとなるでしょう。

このように、モノやサービスの市場価格は、それらがもたらす「環境負荷の大きさ」をかならずしも反映していません。ですから、企業が生き残りをかけて販売量の拡大強化を図るために、激しい価格競争を行なってシェア争いをし、それが日常化すると、環境負荷は増大することになります。不況であるにもかかわらず、廃棄物の排出量があまり減少しないというのは、そのあらわれだと思います。

 
経済学は、こうして生じる環境負荷の増大をどのように解釈し、適正に対応するのでしょうか。経済学者やエコノミストはこのような事態をどのように考え、その考えをどのような政策に反映すれば、環境負荷の増大を抑制することができるのでしょうか。


環境問題 企業の「環境への配慮」とは

2007-02-20 07:08:35 | 市民連続講座:環境問題


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★日本企業の認識と対応

20世紀後半の高度経済成長期に、日本の企業、とくに製造メーカーが、「品質」、「コスト」および「納期」の3点を最も重視してきた結果、日本の製品は国際的にも有利な立場を確保し、日本経済の発展に大きく寄与したのですが、その反面、外部からさまざまな圧力を受けるたびに日本企業が示した反応は、
①技術的に対応がむずかしい、
②因果関係が科学的に証明されていない、
③対応にコストがかかりすぎる、
の3点でした。この結果は、総じて環境問題への企業の対応を遅らせることになりました。 

個人消費は、現象的に見れば、環境負荷の発生源です。しかし、1月24日のブログ「環境問題は経済の目的外の結果の蓄積」でお話したように環境問題は、より根本的には、企業が行なう経済活動の「目的外の結果」としてつくりだされ、蓄積されたものです。

ですから、企業の環境への配慮とは「環境配慮型と称する製品」を市場に大量に供給することではなく、「社会の資源・エネルギーの成長を抑制すること」です。

しかし、最近はやりの日本企業の環境報告書の多くは、「効率」や「原単位の削減」を主としているようです。このことは、日本の政策担当者、エコノミスト、技術評論家や企業人が「日本は世界に冠たる省エネ国家だ」と豪語するにもかかわらず、実体はその言葉とは裏腹に、最終エネルギー消費は増え、CO2の発生量が増え続ける理由ではないでしょうか。


★スウェーデン企業の認識と対応

スウェーデンでは、企業も環境対策に積極的です。政府、自治体、企業、市民に、「環境に対するコンセンサス」が定着しているからです。そのうえ、「緑の福祉国家を実現すること」が、政治の目標となっているので、他国の企業よりも環境分野の活動に自信を持っており、環境分野の投資に積極的なのです。
 
また、スウェーデン企業は「緑の福祉国家」を早くつくれば、グローバルな市場にその新しい概念や技術を輸出することができ、世界の市場競争で優位な立場に立てるとも考えています。

東京大学生産技術研究所・教授の山本良一さんが、1999年に書かれた「環境経営 キーテキスト エコデザイン ベストプラクティス 100」(ダイヤモンド社)で、スウェーデンのエネルギー企業ABB社の副社長の講演の様子をつぎのように紹介しています。

1月26日のブログでお話したスウェーデンのボルボ社や今回紹介したABB社の考え方と日本企業の考え方を比べてみると、環境問題に対する両国の企業の認識と対応に大きな相違があることがおわかりいただけるでしょう。


景気動向指数と長時間労働

2007-02-19 16:10:35 | 経済


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★景気動向指数

内閣府は毎月初旬に「景気動向指数」を発表します。今月は2月6日に発表されました。2月7日の朝日新聞によりますと、「鉱工業生産指数」と「大口電力使用量」は過去最高を記録、景気回復が順調に続いたことを裏付けたそうです。

この図と類似の図を1月23日のブログ「環境と経済は切り離せない」で取り上げ、「環境への配慮がまったくない」と指摘しました。そして、その図が21世紀の経済活動を判断するのにふさわしくないので、新たな指標を創設する必要があることを明らかにしました。

さて、上図をご覧下さい。あり得ないことですが、もし、皆さんひとり1人の努力が実って電力が見事に節電され、その上さらに、大口電力の使用量が減少するような事態が生じたとしたら、上図の○は●となり、「景気動向指数」ではマイナスと評価されることになるでしょう。

上図を追認するように、電力10社全社が増収となっています。景気回復の影響で各地の産業用需要が伸び、家庭用もオール電化の普及などで堅調だったのがその理由だそうです。

★長時間労働

また、2月8日の朝日新聞には「会社員の10人に1人が夜10時過ぎまで残業している。
先進国の中で飛び抜けて長い」という興味深い記事があります。「日本の労働基準法は労働者を保護するため1日8時間、週40時間を超えて労働させてはならないと定めている。つまり、残業は原則は禁止なのだ。違反には懲役もある」と書いてあります。

この記事には興味深い図が添えられていますが、「残業時間と労働者の分布」と「週50時間以上労働している就業者の比率」の2つの図を紹介します。



もしかすると皆さんは、これらの情報は労働分野の問題であって、環境問題とは関係ないと思われるかも知れません。しかし、私の環境論では、1月21日のブログ「人間の生存条件の劣化」で示したように、経済活動を媒体として労働分野の問題と環境問題は密接に関連しているのです。その証拠に一番上の図には「所定外労働時間指数」(製造業)という項目があるではありませんか。

大変興味深いのは、労働時間について、日本とスウェーデンが対極に位置していることです。

このように、景気回復のために「大口電力使用量」が増えること、「時間外労働」が増えることなどはいずれも20世紀の発想による「経済成長」の域を出ていません。はたして、このような時代遅れの経済指標によって「21世紀の日本の経済」を判断することが望ましいのでしょうか。

「社会の変化」と「知識の拡大」に対応して判断基準が変わっていかなければ、本来、見える筈のものも見えず、わかる筈のものもわからなくなってしまいます。


企業の目的は「利潤追求」、ほんとうだろうか?

2007-02-19 10:57:06 | 市民連続講座:環境問題


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今日の市場経済社会では、商品やサービスを組織的・計画的に運営し、販売しているのは企業です。企業は徹底的な市場調査を行ない、消費者の形にあらわれていない欲望まで見つけ出し、それを商品化しています。ですから、先進工業国では、企業が環境問題に最も大きな役割を演じていることは明らかです。

消費者は市場にあふれる商品やサービス群のなかから、個人の必要や要求に基づき、商品やサービスを選択し、購入しているにすぎません。大量消費・大量廃棄を推し進めているのは、大量生産をしている企業であることも明らかです。

日本最大の広告会社・電通のPRセンターがつくった「戦略十訓」はよく知られているところです。この戦略に象徴される「大量消費・大量廃棄」のすすめは、きれいで購買意欲をそそる美しいキャッチ・コピーに形を変えて消費活動を助長し、ついに日本を米国に次ぐ「世界第二の経済大国」にまで押し上げたのです。


経済拡大に成功した当時の日本の企業経営者の多くは、「われわれはもはや世界に学ぶものはない」などと豪語していました。

一般に、企業の目的は「利潤追求」だといわれていますが、ほんとうでしょうか。利潤追求は市場で企業がどれだけ顧客を創造したかの尺度にすぎません。そうでなければ、なぜ、赤字企業は赤字経営のままでも存続し続けようとするのでしょうか。


企業の本来の目的は、「顧客の創造」だと思います。顧客を創造する目的で企業が行なうことは「マーケティング(市場開拓)」「イノベーション(技術革新)」です。企業はマーケティングとイノベーションによって「自己の持続・存続・発展」を求め、利潤を上げ、納税し、雇用創出などの形で社会に貢献しているのです。
 






世界のGDP、日本のGDP

2007-02-18 18:59:27 | 経済


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★GDPとは

GDP(Gross Domestic Product、国内総生産)とは、ある国で、一定期間(通常は3ヶ月ごと)に新たに生み出されたモノやサービスの付加価値の総額(金額で表示)と定義され、「国の経済規模」を示す重要な統計です。1993年からGNP(Gross National Product、国民総生産)に代わって、GDPがもちいられるようになりました。GDPの年間の伸び率を「経済成長率(%)」いいます。

日本のGDPには外国の企業が日本でつくりだしたモノやサービスは含まれますが、たとえば、日本の家電メーカーや自動車メーカーが外国の工場でつくった電気製品や自動車は含まれません。

「名目GDP」とは、付加価値の金額を単純に合計したもので、名目GDPから物価変動の影響を除いたものを「実質GDP」と呼びます。

★「05年のGDP」の国際比較

2007年1月13日の毎日新聞は12日に、内閣府が公表した「05年のGDP」の国際比較をつぎのように伝えています。



1人当たりの名目GDPのトップは96年以来1位を維持しているルクセンブルグで、EUの大国ドイツ、フランスの名前はありません。

ルクセンブルグは、2001年の国際自然保護連合(IUCN)の「国家の持続可能性ランキング」では、37位となっていました。このランキングの1位はスウェーデンです。国際自然保護連合の調査結果は大変厳しいものです。調査した180カ国中、37カ国(ルクセンブルグ)までが「人間社会の健全性(HWI)」(Human Wellbeing Index)と「エコシステムの健全性(EWI)」(Ecosystem Wellbeing Index)のバランスを辛うじて保っている状態にあるというものです。

★日本の「06年のGDP」

2007年2月16日の朝日新聞は「内閣府が15日発表した国内総生産(GDP)は、年率換算4.8%増と高い伸びを示し、市場も株高、円高に動いた。ただ、エコノミストの間では、急回復を支えた個人消費の伸びを一時的とする見方が強い。高成長は景気の本格回復を反映したモノなのか、単なる週間風速なのか」と報じ、つぎの表を掲げています。

この記事には、秋草直之(富士通会長)、新浪剛史(ローソン社長)、石塚邦雄(三越社長)、木内登英(野村證券シニアエコノミスト)、前川明(UBS証券)、山本康雄(みずほ総合研究所シニアエコノミスト)、山口信夫(日本商工会議所会頭)、上田準二(ファミリーマート社長)および牧野準一(大和総研シニアエコノミスト)の諸氏が、企業人あるいはエコノミストとしてそれぞれの立場でコメントを述べています。

これらの方々が「資源・エネルギー・環境問題」にまったく触れていないのは、これまでのいきさつから考えて当然と言えば当然ですが、この考え方は20世紀の発想の域を出ない考え方で、21世紀前半社会を展望するには不適切ではないでしょうか。21世紀社会の方向性を誤るのではないかと懸念されます。

GDPという指標が高いことが本当にその国の国民の豊かさを反映しているかどうかははなはだ疑問です。たとえば、日本の沿岸で世界最大級の石油タンカーが事故を起こし、沿岸に人類史上最大の海難被害を出したとします。この事故のクリーンアップ作戦で大量の作業員と大量の資材が投入されますが、このような事故とその対策に要した莫大な費用はGDPの増大に寄与すると言われています。

ここに「グリーンGDPあるいは環境GDP」という考えが出てくるのです。昨今、日本では、過労死をはじめいろいろな社会が次々と発生しています。このような現象が現実の問題となってきますと、少しぐらいGDPが下がっても「過労死がない社会」、「安心と安全な社会」、「持続可能な社会」のほうがよいという価値観が生まれてくるのは当然だと思います。
 

個人消費を増やすと、環境負荷も増える

2007-02-18 16:06:11 | 市民連続講座:環境問題


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2007年1月13日の毎日新聞は、「内閣府が12日、05年の国内総生産(GDP)の国際比較を公表した。日本の名目GDPは501兆4026億円で、米国に次ぐ2位を維持した。世界全体のGDPに占める比率は10.3%であった」と報じています。そして、2月16日の朝日新聞は内閣府が2月15日に発表した 「2006年の日本のGDP」 を報じています。

ここまで膨張した日本のGDPをさらに拡大するには、その構成要素である政府の支出(公共事業)、企業の設備投資、貿易、民間住宅投資、そしてなんといってもGDPのおよそ60%を占めると言われている「個人消費」を拡大する必要があります。

政府の支出、企業の設備投資、貿易、民間住宅投資は限界にぶつかっているので、「景気回復には個人消費の拡大」しかない、というのがエコノミストや評論家の多くの一致した主張となっているようです。したがって、「個人消費の拡大」のためのさまざまな提案がなされています。
 
たとえば、「景気回復のために国民の消費行動を活発化するには、本州四国連絡橋や東京湾アクアラインの交通料金を無料にしろ、そうすれば、消費活動は活発になる」という類の提案をする著名な政治家や評論家がいます。

この種の提案は、「個人消費を拡大する」という点では有効かもしれませんが、それに必然的にともなう「資源・エネルギー・環境問題」はまったく考慮されていませんので、環境負荷を増やすことは間違いないでしょう。これまでに何度も述べてきたように、環境問題が現代の大量生産・大量消費・大量廃棄の生活によって引き起こされていることは明らかだからです。

もう一度、1月19日のブログを参照してください。 市民の消費活動も環境負荷の大きな要因です。

一昨日、「経済の拡大」をコインの表に例え、経済の拡大と表裏一体の関係にある「環境負荷」をコインの裏に例えて説明しましたが、ここで注意しなければならないのはコインの表であるGDPは「金のフロー(流れ)」であるのに対し、コインの裏である環境負荷は「モノのストック(蓄積)」であることです。




 経済、エネルギー、環境の関係

2007-02-17 07:45:21 | 経済


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同時進行しているブログ「市民連続講座:環境問題」で、昨日、「経済成長(GDP)と一次エネルギーの供給(消費も同様)の間には70年代のオイル・ショックの時期を除き、強い相関関係がある」という話をしました。

ここで、経済、エネルギー、環境の関係を理解するために、基礎データの最新状況を掲載しておきましょう。


(1)一次エネルギー供給の推移

資源エネルギー庁 2006年10月17日



(2)最終エネルギー消費の推移

資源エネルギー庁 2006年10月17日



(3)発電電力量の推移




(4)CO2排出量の推移






(5)産業廃棄物排出量の推移





(6)一般廃棄物排出量の推移


「成長一辺倒」の戦後60年 ② そして、これからも?

2007-02-16 07:26:33 | 市民連続講座:環境問題


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「戦後の経済復興」という当時は正しかったビジョンが、目標を達したあとも、「経済の持続的拡大(小泉政権からは「持続的な経済成長」と名を変えて)」として現在に至っているのです。このことは、つぎの図に示した戦後60年間の経済(財政)白書の副題を見れば一目瞭然です。



2001年4月発足の小泉・連立内閣のもとで刊行された経済財政白書の副題は、なんと2001年「改革なくして成長なし」、2002年「改革なくして成長なしⅡ」、2003年「改革なくして成長なしⅢ」、2004年「改革なくして成長なしⅣ」そして、2005年「改革なくして成長なしⅤ」と徹底しています。さらに、2006年は「成長条件が復元し、新たな成長を目指す日本経済」です。

戦後経済の窮状を訴えた第1回経済白書(昭和22年、1947年)は「国も赤字、企業も赤字、家計も赤字」と形容したそうですが、この状況は、60年後の2005年、さらには2006年の経済状況と現象的にはあまり変わりません。

大きく違うのは、 「経済規模の拡大(コインの表)」とその表裏一体の関係にある「環境負荷(コインの裏)」が増えたことでしょう。もちろん、この間の生活レベルは経済成長に伴って確実に改善されましたが、改善のピークはすでに越え、現在では負の部分が見え隠れしはじめてきたのではないでしょうか。

第1回経済白書が公表された1947年当時の名目GNPは1兆3090億円で、2000年以降、ここ数年の名目GDPは500兆円強ですから、経済規模は大雑把にいって400倍弱にも膨れ上がっている計算になります。

ちなみに、国の経済規模を示す指標として、かつてはGNPが使われました。しかし、近年の経済の国際化にともなって海外での日本人や日本企業の経済活動が無視できないほど規模が大きくなってきましたので、現在では「国内」に限定したGDPが使われています。
 
この経済成長を支える一次エネルギーの供給量は、この間およそ16~20倍、1人当たりのエネルギー消費量はおよそ10倍以上、環境負荷(CO2排出量で見れば)はおよそ18~20倍程度となっています。つぎの2つの図から、日本の経済成長(DNPあるいはGDPの成長)と一次エネルギーの消費が70年代の「石油ショック」のときを除けば、「強い相関関係」を示していることがおわかりいただけるでしょう。




思い出していただきたいのですが、私の環境論では「経済成長を止めよ」と主張しているのではないのです。2月1日のブログ「環境問題の解決とは」でお話しましたように、21世紀の経済成長は「資源・エネルギーの成長を抑えて達成しなければならない」のです。20世紀の経済成長は「資源エネルギーの成長」を意味していたからです



さらに言えば、ここ数年、社会の注目を引くようになったエネルギー分野の仮説「ピーク・オイル論」の観点からも「資源・エネルギーの成長を抑えた経済成長」は好ましいはずです。スウェーデンのエネルギー体系転換政策はまさに、脱石油政策です。

小泉政権が成し遂げた「改革なくして成長なし」の経済成長は「20世紀型の経済成長」です。そのことは2001年以降の一次エネルギーの供給量が過去最高を更新していること、その反映であるCO2の排出量も過去最高を更新していることからも明らかでしょう。

一方、スウェーデンの「経済成長」は2月10日のブログに書きましたように、エネルギー体系を転換しつつ、その反映であるCO2を削減しながらの経済成長、つまり、「21世紀型の経済成長」であるといってもよいでしょう。