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27日(日)、地域の公民館にて「松江城の歴史」を学ぶ講座が開催。
講師は、NPO法人松江ツーリズム研究会副理事長 安部登(あべのぼる)氏。
堀尾吉晴・忠氏父子による、1611年の松江城完成までの経緯(いきさつ)。
さらに幕末までの堀尾氏三代、京極氏一代、松平氏十代の徳川幕藩時代、その間の松江城の歴史などのあらましは分かっていた。
新たな知見を求めて講演会に参加。
幕末に388城あった全国の城は、明治新政府の廃城令により、明治6年には58城になったらしい。
松江城天守は、豪農家の勝部本右衛門と旧藩士の高城権八らの奔走で現在まで保存することができたとのこと。
先人の功績に感謝しなければならない。
その時の払い下げの価格は180円、現在の貨幣価値では5百数十万円とか。
そのため、全国に58城(明治6年)あったものが、今では12城のみが現存。
先般、正式に国宝となった松江城天守の価値について。
・現存する唯一の正統天守であること。
・構造が4重(実質5重)の天守。
・古さで第5位。
・高さで第3位。
・平面規模で第2位。
とのこと。
このことは、外でちょっと自慢ができる。
ちなみに正統天守とは、安土城 ⇒ 大坂城 ⇒ 岡山城 ⇒ 萩城 ⇒ 松江城の流れにあることらしい。
安土城は本能寺の変後焼失、大坂城は大坂の陣で焼失、岡山城は空襲で焼失、萩城は維新後取り壊し、松江城は築城時の姿を留めている。
もっとも、姫路城も正統天守とのことであるから、「現存する唯一の正統天守」では姫路城と並列とのこと。
その正統天守とは、天守閣から360度見渡せる望楼型。
さらに5重、あるいはそれ以上。
1615年の大坂の陣以降、戦が遠のいたことで望楼型の天守から層塔型の3方に壁のある天守に替わっているとのこと。
そうなると、正統天守ではなくなるとのこと。
松江城は4重とされているが、実質的には5重になっている。
また、天守の地下に井戸が備え付けられていることも珍しいらしい。
なお、城内には分かっているだけで21ヶ所の井戸があるとか。
築城時の1611年は豊臣家が存立しており、いつ戦が勃発するか分からない緊迫した時代。
そのため、実践的な城づくりになっていると解説された。
今回の国宝の決め手になったのは、松江城完成を示す「慶長16年在銘松江城天守祈祷札」2枚の発見であったとのこと。
また、築城する際の地鎮のための「松江城天守鎮物」3点(槍・祈祷札・玉石)。
さらに、2階までが完成した際の「松江城天守鎮宅祈祷札」4枚。
これら9点が、附指定物として国宝になったとのこと。
こうしてみると、松江のシンボル「国宝松江城」が、これほどまでに歴史的な価値があったことを改めて認識させられた。
まさに住んでいる地域の人たちが、後世まで伝えていかなければならない“国の宝”であろう。
今、大手門などの復元も考えられているらしい。
さらに城下町松江の面影を残すような街並みづくりも重要であるとして、講演を締めくくられた。
久しぶりにこのような講演会に出席し、新たな知見を深めることもできた。
戦国武将・真田昌幸ファンの当方であるが、郷土のシンボル松江城の歴史にも大いに共感を覚えることができた。
満足、まんぞくの1日である。(夫)
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