パフォーマンスでも本質的議論の方向に導けるパフォーマンス行為ならまだいいんだけど、自分の(皆の)個人的欲望を達成する方向に導くパフォーマンスならいらない。
でも後者に乗っかりやすいのが大衆・・・ときたもんだ。
そこに金儲けロジックをかますのが「○売る(×売れる)」という商法かもしれん。
自分の個人的欲望(絶望とか?)を代わりに表現してくれるパフォーマーを応援しながら、自分の領分に目を限って生きていくのが正常値なんじゃないのかね?
自分の欲望達成の為の応援とも違うのよ、こっちは。
なんていうか「自分が自分であるための○裏付け(×飾り、△癒やし)」みたいな。
そのパフォーマーこそ真のミュージシャンだったり、俳優だったり、芸術家だったり、技術者だったり、、、、するんじゃないのかね。
でも後者に乗っかりやすいのが大衆・・・ときたもんだ。
そこに金儲けロジックをかますのが「○売る(×売れる)」という商法かもしれん。
自分の個人的欲望(絶望とか?)を代わりに表現してくれるパフォーマーを応援しながら、自分の領分に目を限って生きていくのが正常値なんじゃないのかね?
自分の欲望達成の為の応援とも違うのよ、こっちは。
なんていうか「自分が自分であるための○裏付け(×飾り、△癒やし)」みたいな。
そのパフォーマーこそ真のミュージシャンだったり、俳優だったり、芸術家だったり、技術者だったり、、、、するんじゃないのかね。