ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

なんで締め役ぅ~?

2007年12月28日 18時09分11秒 | 味わうねーさん
今年の納会は締めの挨拶頼まれちゃった。
うわ~誰かの結婚式のスピーチ以来だわ。20代以来か?

かしこまった挨拶は実に苦手なくせに、頼まれちゃうとひとまずやっちゃう、偽善主義な「ね」。
「誰かやる人~?」がたらい回しになっちゃうなら、あーハイハイ、やっちゃいましょう的な。

「わたしやだ!」「わたしもやだ!」「わたしも無理!」「僕知らな~い」「(視線そらす)」の無限ループ地獄に実は相当イラついたりする。(笑)
「も~みなさん?一度くらいやっといても、罰あたんねーよ?」みたいな。

恥ずかしいのか面倒臭いのか知らないけど、みんな同じだぞ?最初は。

多分、失敗をからかわれたりするのが嫌なんだと思うけど、それすらみんな同じだぞ?

だから揚げ足取りっぱなしとか、評論しっぱなしとか、批判しっぱなしのヤツがいなくなれば、こんなツマラナイことも無くなるのに。
あ、そこに変な正義感はあるかも。


ほんとに変な性格!


言っときますけど、「ね」は無頼なんですよ。(笑)
本来の無頼を貫きたいのよ、いいかげん。


腹の中ではそう思い続けてるのよ。
小学生6年くらいで、「40くらいになればそれを前面に出してもなんとかなるのかな~」とか想像してて、40を過ぎた今は、「まぁまぁかな?」って感じかな。
50に向けて確立させたいっす!

/(.^.)\あゆモバ

教養ってのも違ってきてるなぁ

2007年12月28日 01時06分39秒 | おもうねーさん
きょうよう【教養】
[意]学問や知識などによって培われた、広く豊かな考え方。

がくもん【学問】
[意]体系的にととのえられた知識の総称。

ちしき【知識・智識】
[意]ある物事について知り理解すること。知っている内容。

ゆたか【豊か】
[意]みちたりて、不足がないようす。のびのびしたようす。



いつからなのか、教養が本来の教養ではなくて、見栄のための教養になってきちゃったから、満ち足りた豊かさを感じられる教養人が、いなくなった気がするんですけど…。


多分ね、三輪さんはこう言うでしょうね。
「戦後出てきた似非インテリのせいで…」とか。(笑)

/(.^.)\あゆモバ

意としてることが伝わらない

2007年12月28日 00時55分41秒 | 吠えるねーさん
意としていることが伝わらないので、これ以上の説明は差し控えたいと思います。


と、誕生日会見での天皇陛下。

ほらほら、天皇までこうお嘆きだぞ。


いくら説明をいっぱいしたって伝わらない人には伝わらないくせに(ここ気がついてるかな~みんな?)、今の世の中は「説明義務」とかいうやつがはびこってる。
伝わらなかろうが「説明」という行為があれば相手が理解しようがしまいが「とにかく説明をした」と強気に出られる仕組みなだけ。

誰がこんな義務をはびこらせたんだぁ?


先日顔を合わせた実弟は実にしらけてこう言った。


「まぁいいんじゃな~い。そのおかげで稼げてる人もいるみたいだしね。(やれやれ)」


姉「ね」。

「それで稼ぐっていうのが実に馬鹿げてないか?」


姉の(馬鹿みたいな)熱さを、サッと何も無かったのごとくに避ける癖は見事に磨きがかかっている実弟だ。

その度に姉である「ね」は変な子供っぽさを思い知らされ、いたたまれなくなるのだった…。

/(.^.)\あゆモバ

桑田けーすけに酔い痴れて…

2007年12月27日 22時50分23秒 | 味わうねーさん
酔い痴れ疲れした大群に揉みくちゃになりながら(帰宅中)、

コピー用紙の裏紙整理にサービス残業したねーさんは、


「うん、いいぞ、イケてるぞ~」と、


心底思うのでした。(笑)

/(.^.)\あゆモバ

無頼なわたくし

2007年12月27日 22時36分32秒 | まんまねーさん
ぶらい【無頼】
[意]正業につかず、無法な行いなどをして、性行が不良であること。

せいぎょう【正業】
[意]正当な職業。

むほう【無法】
[意]法が無視されていること。きまり・すじみちに従わず、乱暴なこと。

せいこう【性行】
[意]性質と、ふだんの行い。

せいしつ【性質】
[意]生まれつきの気質。本来備わっている特色。


改めて最悪やな~。
でも「愛すべき無頼漢」なんで~すっ!(笑)

小さい時から「まじめ」「人がいい」と言われ続けているわりに、こんなんです。

まぁ確かに一般的な教えとか常識を記憶していくことよりも、実体験してねーさんなりに変換した常識で全てを回してるようなところはあるでねぇ。

「まじめ」とか「人がいい」っていう他人からの評価は行動に「偽善」があるからなのかなぁ?

ぎぜん【偽善】
[意]本心をいつわって、うわべをよくみせかけること。

意味を並べると「嫌なヤツ~嘘つき~」とか言う人が今の世の中は特にいっぱいいそうだけど、「偽善」は社交の上で必要というか、昔からのマナーというか。
これがあるからつまらない言い争いも避けられるというか。

「偽善」が無くなってきてますよね?今とくに。偽善は悪くないんですよ。


本心丸出しにする時は、自分なりに苦労して落とし込んだ仕様が簡単に他人に否定されたりした時くらいで良くね?

「苦労して記憶した」じゃなくて「苦労して情報を仕入れた」じゃなくて「苦労して自分の仕様を見つけた」ってヤツです。

情報頼り教科書頼りの人は、この感覚わからないみたいなんですよね。

「教科書にのってることと違うよ。」みたいなことに、「修正してやりたい。私の記憶した情報が正確よ。そんなことも知らないんですか。」みたいな、小学生くらいの子供の「知識自慢大会」みたいな本心丸出しで戦われてもねぇ。

いいオトナになってきたら「苦労自慢大会」のほうがよっぽど楽しいし、そこに話題提供できないオトナのほうが「おかしいんじゃね?」とか思っちゃう。


情報たくさんもってたり、知識いっぱいのオトナは、そっと誘導できる器を磨こうよね。


馬鹿っぽい子(学習不得意)(←分かりやすく言ってます)のほうが、知恵は抱負ね。

がくしゅう【学習】
[意]まなびならうこと。学校で、勉強すること。

ちえ【知恵・智恵・智慧】
[意]道理がわかり、物事をじょうずに処理する心の働き。


心の動きがわからない人が多いんだ。
「傷つけられた」っていう自分防御なだけの自分の心の動きには超敏感なだけで、他人の心の動きは読めてないよね~。
他の人の心の動きが分かって、物事をじょうずに処理する心の働きが磨かれる。

「なんで傷つけることをするのか」とか、「なんでこの場においてこの人は平然としてるんだ」とか、そういう疑問を持つところから、他人の心の動きが分かってくるんだけどね。


「ね」の友達はみんなそこに敏感だぞ。

/(.^.)\あゆモバ