私はつくづく思う。
ISOのせいではなかろうかと。
ISOはあくまで「手順書」を作って、監査官は手順書通りにやっているかを確認するだけ。
手順書の前の最適化された(本来されていた)「フロー」ってのがメチャクチャになってる。
「フローに作業の根拠がある」わけで、「作業ありき作業手順ありき」では、
「この作業は何のためにやるのでしょう?」「この作業をする根拠は?」と振られても分からない人ばかりになってしまっている。
これも「古参で現場知り尽くしてるフロー(>手順)が叩き込まれてる人」の方が「フローを気にしたことない手順書ありき圧」に圧倒されて、逆に「正しくやってない!ルールや手順を守れよ!」くらいに追い込まれてる印象になっているのが、今のありとあらゆるところの風景。
これは製造現場に限らずの話でもある。
私が最初の会社(昭和62年頃)で「世はISO導入しないといけないことになった」って流れになり、私のやってる部署の作業手順書を「ひとまずまとめてくれ」という話になった。
すでに派遣社員大量導入(社員側は派遣に即仕事を形にしてもらうべく出来るだけ作業内容の定型化を考えるよう求められた)、部署拡大(国内、海外)の最中もあって、
「手順書がなくてはどうにもならない状況(それまではその前の段階から徐々に慣れていき、手順書なんか不用だった)」
もあり、このあたりをまとめてリードを取らなければならないチームに所属していた私はメンバーの人らと毎日格闘していた。
私「これ通りにやればミスなく完璧に出来るわけじゃないですよ?仕事ってそうじゃないですか。」
上司「そんなことはわかってる」
私「でもこういうのを導入すればいずれ「手順書通りにやっていれば完璧!」みたいに皆んなの意識がズレて行って本末転倒になりますよ。」
上司「そうだよなぁ。でもこれからはISO取らないと会社が存続できないからさぁ。」
私「数十年後に現場がおかしなことにならないことを祈りますよ。笑
監査員だって手順だけみて何の観察だ!?って話ですよ。」
こんな風な雑談になった風景すら記憶に残っている。
身内が某自動車会社の開発に長く勤めているが、
「改ざん、改ざんって自動車会社側を悪く言うけど、国の制度にも悪いとこあんだぜ。致し方なくああいう結果を導いてしまってる部分があるんだって。悪意あってやる奴らは知らねーよ。」
と言っている。