ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

想い出づくり。

2024年01月27日 19時12分00秒 | いらっしゃいませ~
TBS FREEで昨日放送されたクドカンの「不適切にもほどがある」を見た流れで、懐かしドラマの「想い出づくり。」も配信されていて、ついつい見入ってしまった。

これが放映されてた1981年頃は中3だった。
ドラマは知っていたけど観たことはなく。

山田太一作品。

いやぁやっぱり配信されてる4話を一気見してしまう、惹きつけられる内容で。

なんていうか、ほんと気持ちがホッとする。

昔(昭和)懐古ではないんだよね。
このようなドラマ制作側が現実をブレることなく理想や妙な誘導なくリアルに洞察しているあたり。
妙な茶化し気味の誇張がないあたりかな。

柴田恭兵さん、スタイルが良くて〜。
改めて「カッコよき〜」と見入りました。
役柄は一見どうしようもない奴だけど、正直で熱い。
駒込に住んでるあたり渋い。笑笑笑
旅行代理店サギ(柴田恭兵はこの会社でセールスバイトみたいのをしている)みたいなのに引っ掛かる結婚前の女性3人に言い放つ言葉が、いいわ。

追記
森昌子の見合い相手の俳優さん、懐かし〜
いた、いた!って思い出した。
顔がトータス松本に似ている。

やりかけ仕事ではなく、やりかけ作業をドバーッと際限なく広げていくやつ。

2024年01月26日 19時53分00秒 | いらっしゃいませ~
やりかけ仕事ではなく、やりかけ作業をドバーッと際限なく広げていくやつ。

こういう人と一緒に仕事をして唖然呆然となることはないだろうか?

以前仕事した某NTTの某会社にいた女性もこの傾向が顕著で、

スケジュール管理とか段取りとか、一体どうなってるんだ?
関連会社やら関連部署の皆んなが不思議がってるぞ??

上司ももう手も口も出せない状態かぁ。
触れない状態だもんねー。

だけど管理職なんだぁ、この方。

って方が仕切っていて。

まぁ正直トラブルは多発してた。

今の仕事場も男性管理職が本当に良く似たタイプで、関係者をドギマギさせている。

どちらの仕事場でも要の管理職の方から、コッソリと、

「今どうなってるか分かります?」
「なんならぶんどってくれていいですよ。」(私もなんなら取り上げてやりたいくらいだが、それすらやれないくらい複雑化させている。目が点。)

と、私は聞かれる始末。

お二人の共通項は世代(40代中盤)。
それなり高学歴。(学んだ学は違うが。)

私が密かに確かめたいのは「公文式通ったでしょ?」ってあたり。
いや、以前、長年一緒に仕事したこの世代の後輩君がいて、「◯◯さんスルドイですね、確かに公文式は妙なんですよ」「俺は通ってないです(アレは嫌だから風)」って言ってたんだよね。
彼は仕事できたよなぁ。地頭が良かった。
元気かなぁ。

手放しと手離れ

2024年01月25日 11時39分00秒 | いらっしゃいませ~
手放し
手をかけないで放っておくこと
批判や制限、条件を加えないこと
遠慮しないで大っぴらに感情を表すこと

手離れ
物事が出来上がって手を加える必要がなくなること


「手放し」の前に「手離れ」してないと、単にやることをただ増やすだけという、、、笑

「手離れ」は時間がかかることで、忍耐が必要な時間はどうしたって必要で。

いっぱい物事やら感情やら思考を抱えていて「手放ししたはずなのに、あれ?おかしいぞ。」というパターン、ありがち。笑
「手放せば別の新しいことが入る余裕ができる」とかよく言いますが(聞きますが)、「手離れ」できてないと墓穴掘りますね。笑

「手放し(関わらない)」してれば、余計なことに巻き込まれなくて済むってのもアカンですね。
そのことから「手離れ」できてないと、ずーっと経験してることが出来上がるタイミングを知ることなく、毎度おんなじことをグルグルやってるだけ。

今日突かれたお言葉・その◯

2024年01月25日 11時23分00秒 | いらっしゃいませ~
手放しをしていくというより、手離れしていくでしょう

とあるタロットリーディング、2月の山羊座の動画より


「手離れ」の時期を待ってましたわよ。
そんな感覚は感じている、確かに。

自分から「手放し」しようとしても「手離れ」になるわけではないからなぁ。真理。

「手放し」しようともがけばかえって戻ってくるというか、(気づけば)関連してる別の何かを「引き寄せ」ちゃう気もする。

しかも別の何かを「引き寄せ」ると、あたかも抱えていた何かは「手放し」した気にもなるという、、、(確かにそうかもしれんが。)

流行りの「引き寄せの法則」って頑張っちゃってる人はこの辺りの気づきは大丈夫かしら。苦笑

「手離れ」はそういう時が巡ってこないと無理。時の経過しかない感じ。

30年くらいなんやかんや離れていかないこと(自分が意図してない何かしらのこと、しかも自分自身ってより関わる周りの状況に対応せざるを得ないこと)が続いていた感だものなぁ。



製造現場の不祥事

2024年01月24日 20時55分00秒 | いらっしゃいませ~
私はつくづく思う。
ISOのせいではなかろうかと。

ISOはあくまで「手順書」を作って、監査官は手順書通りにやっているかを確認するだけ。

手順書の前の最適化された(本来されていた)「フロー」ってのがメチャクチャになってる。
「フローに作業の根拠がある」わけで、「作業ありき作業手順ありき」では、

「この作業は何のためにやるのでしょう?」「この作業をする根拠は?」と振られても分からない人ばかりになってしまっている。

これも「古参で現場知り尽くしてるフロー(>手順)が叩き込まれてる人」の方が「フローを気にしたことない手順書ありき圧」に圧倒されて、逆に「正しくやってない!ルールや手順を守れよ!」くらいに追い込まれてる印象になっているのが、今のありとあらゆるところの風景。

これは製造現場に限らずの話でもある。

私が最初の会社(昭和62年頃)で「世はISO導入しないといけないことになった」って流れになり、私のやってる部署の作業手順書を「ひとまずまとめてくれ」という話になった。

すでに派遣社員大量導入(社員側は派遣に即仕事を形にしてもらうべく出来るだけ作業内容の定型化を考えるよう求められた)、部署拡大(国内、海外)の最中もあって、

「手順書がなくてはどうにもならない状況(それまではその前の段階から徐々に慣れていき、手順書なんか不用だった)」

もあり、このあたりをまとめてリードを取らなければならないチームに所属していた私はメンバーの人らと毎日格闘していた。

私「これ通りにやればミスなく完璧に出来るわけじゃないですよ?仕事ってそうじゃないですか。」

上司「そんなことはわかってる」

私「でもこういうのを導入すればいずれ「手順書通りにやっていれば完璧!」みたいに皆んなの意識がズレて行って本末転倒になりますよ。」

上司「そうだよなぁ。でもこれからはISO取らないと会社が存続できないからさぁ。」

私「数十年後に現場がおかしなことにならないことを祈りますよ。笑
監査員だって手順だけみて何の観察だ!?って話ですよ。」

こんな風な雑談になった風景すら記憶に残っている。

身内が某自動車会社の開発に長く勤めているが、

「改ざん、改ざんって自動車会社側を悪く言うけど、国の制度にも悪いとこあんだぜ。致し方なくああいう結果を導いてしまってる部分があるんだって。悪意あってやる奴らは知らねーよ。」

と言っている。