ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

やっぱりなんか変だ。

2008年11月29日 14時05分58秒 | 観察屋ねーさん
2年前から一緒に業務システム改築してるクライアント先の社長。


ちょっとやそっとの人じゃないぞぉ?
多分もしかして日本でも指折りの生き残りの化石かもしれない。
う~ん、どうしても(ね)が子供の頃から溜め込んでる人物観察データベースがそういう警告を出してくるんだわ。


マスコミを利用して商売するような人じゃないから、世間でわかりやすく有名人になるような人じゃないし、逆に「それが大キライだし、世間の奴らはわかっとらんわ、本来の利用の仕方を。」っていう潔いポリシーを感じるの。
で、永年事業展開されてる。
何て言うんだろう、真の資産家?みたいな。

だから欲で商売してなくて地元(といっても町内レベルの話じゃなく市とか県とか国レベル)奉仕みたいなことして、

「(金の奪い合いじゃなく)もちつもたれつで成り立ってるだろ、世の中は?忘れちゃったのかい?」

って感じなのよ、側で観察してると。
現にそんな話をクライアント先と携帯電話でしてるところも見たしなぁ。


ある日の出張で、うちの会社の♀社長様はこの社長様に、

「とにかく〇〇さん((ね)のこと)に「よろしくお願いします。」って頭下げればいいんだって。(全くあんたわかってないわね?この仕事はこの子に任せておきゃ間違いないのよ?任せるならまず頭くらい下げなさいよ?風味)」

と道端で凄んだんだ。ウハハハ。
凄んだっていうのも「分かってる同士の駆け引きみたいなおたわむれの種」なんだけどさ。


唐突だったから一緒に居合わせた(ね)は、「はぁ?はぃぃ?」と呆気にとられつつも腹の中から沸き上がる爆笑をこらえるのに必死。


もしかしたらもしかして、ちょっとやそっとじゃないこのお方は、ちょこんと可愛く頭を下げて、

「お願いします。」

なんて言う。


「も~なんなんだ?試されてるのか?(ね)が?」って笑えて笑えて仕方なかったんだけど、「笑うなんて失礼な。」とか言われても嫌だから、ニッコリ「ハイ。」なんて言っちゃって。


帰りの新幹線で「なんだか良く分からないけど、まぁ、この会社とあそこの会社は仲良し加減が建前じゃなく本音をぶつけてるし大丈夫みたいだな。」と、ホッとしたのを記憶してるんだ。


来年はどんな展開になるやら。

愚痴は欲から。怒りは感動から。

2008年11月29日 08時11分27秒 | 2種分ねーさん
欲で取捨選択した物や人の中に「いよう、いよう」とすると、怒りより愚痴りたくなりませんか?

で、その相手や物になにかと求めがちになって、責任転換したくなりませんか?

そもそも「好きだな」とかいう感情じゃなくて「金銭欲」とか「名誉欲」とか「物欲」とか「性欲」だけで選択した相手や物なのに。なんだかそれって相手に失礼だよね。

欲で求めて生きてる人は、なんだかいつも「間違い探し」みたいなことを延々と続けてる。

「相手を本当に好きなのか嫌いなのか分からない」ような、「許容する気があるのかそもそもそんな気はさらさら無いのか」みたいな、そんな関係でそこにず~~っと居続ける。


まぁでも、

そんな気はないと言うか、
考えたこともないとか、
どっちでもいいとか、
気にしたことすらないとか、

そういうこと言うんだもんね。
手抜きですよ、それ。


一度も振り返って考えたことはないんだろうね。
「振り返って考えさせられるような出来事も経験しないから仕方ない。」って言うんでしょうね。


自分が「好きだな。」という人や物を探しながら流れてるほうが、本当に身の丈に合うものに出会えるけどね。

欲にフラフラすんから、「好きだな。」という気持ちを掘り下げれば、「金があるから好きだな。」とか「ステータスに惚れるな。」とか「一緒にいると体裁がいいんだよな。」とか上っ面しか見えなくなって馬鹿をみる。


「好きだな。」って感動してる者同士が平和だよぉ。
欲が満たされる仲でつるんでると時に戦争(勝ち負けを決める言い争い)が勃発すんじゃん。

感動してる同士の戦争はないよ。
プライドの張り合いは時に「いかり」になるけど、相手に感動してるんだから傷つけないよ。
「がっかり感」がいたたまれない怒りになるわけだ。
だから斬り付けたいのと違う。

いかりの頂点を通り過ぎると、何だか今度は感動が変な愛情にも似た感情に変わっていく妙を感じる昨今。

フランク永井とフランキー堺

2008年11月29日 07時43分26秒 | 2種分ねーさん
フランク永井にかけて、
ブランク長井。


こういうくだらなさがいいよ。



ちなみな(ね)は一歳頃に新幹線の中で、どこだかの品のいいたたずまいのお医者さんから、

「この子は芸能人の誰かに似てるねぇ。」

と話し掛けられ、

母親は「(まぁどなたでしょう。)」と内心ワクワクしてたら、

「誰だっけ、ほら、あぁ思い出した、フランキー堺だ。」

って言われてがーっかりしたってさ。



ハハハハハ。



フランク永井とフランキー堺がどっちがどっちだか混乱することありますよね。
フランク永井と口にしながらフランキー堺が頭に浮かんだり。


ハハハハハ。

やってもやっても。

2008年11月28日 20時21分36秒 | 考えるねーさん
最後が見えないぃぃ…


と、仕事中にポソと漏らした隣人。


(ね)はすくなからずここ16年くらいずっとそんな気分である。(笑)

ルーチン化された力仕事をこなすレイヤーは25歳当時に半強制的に卒業させられてからというもの、そこからず~っと会社の改革劇やら変革劇やらのプロジェクトみたいなのに携わってるから、世の中の移り変わりも合間ってホントに終わりがない訳だ。


この場所に立っていると、「作業ルーチンや行動パターンを組み立てられる仕事はなんてやりやすいんだ!」と痛感。
「具体的指示や手段を提示してくれる人がいる仕事はなんてやりやすいんだ!」と痛感。

そういうことだけしてると、「いやけしてルーチン化されてる訳じゃないですよ。」と口にするんだけど((ね)もそうだったし。)、世の中はルーチン化されているぞ、案外。


ここ10年は(成り行きで)なぜかよそ様の業務システム構築に携わってるからホントに終わりがない。
納めて手が放れたら解放される仕事じゃないのよねぇ。


納めてからのほうがさらに大変っていう妙。
もはや笑えるくらいな心境なんですが。(笑)


これはコンピュータ環境の目まぐるしい変化、コンピュータを使う人種の変化、コンピュータの使われ方の変化、企業内の仕事の在り方の変化、いろんな要因が合間ってますわ。


難病患者相手しているみたいなんですよ。
(ね)の旦那様も難病(慢性脱髄性根神経炎ってやつ。今年の24時間テレビでドラマになってました。)を抱えていたからわかるんですが。
何がそもそもの原因なのかが全く突き止めきれないみたいなね。
そんな不安を抱えたまま、いつ終わるかも分からないまま生きて生活していかないといけない訳。


どこで切り分けて検証していけばいいかの境目がヒッジョーに分かりづらくなってる。

突き止めやすくする意味もあってルールで縛れば、仕事する人間自身が自分で考えなくなるし、応用しなくなるし、企業の自己回復力が下がっていくみたいな。
だからますますルールの上塗りでルールを守ることが仕事になってく妙。
病んでるわぁ。


極度のシステム依存は、矛盾を引き起こすんですよぉ。
仕事しなくなるからぁ。



とまぁ、また本題とズレたな。(笑)

無器用さを隠す器用さ・2種

2008年11月28日 13時01分24秒 | 2種分ねーさん
性格の無器用さを器用に見せかける立ち振る舞いと、
手先の無器用さを補う知恵を働かせる器用さとあるかと思う。

どちらも人それぞれで個性のうちと言っちゃえばそれまでなんだけど、

性格の無器用さを器用に見せかける立ち振る舞いは、
やーーーっぱり愛らしくないし美しくないなぁ、、、

と、最近この境目がハッキリ見えるようになってしまった。

性格の無器用さを器用に見せかけちゃうのは、
とどのつまり素直さが足りないんじゃないかなぁ・・・。
そんな風に思う。


世の中は性格の無器用さを器用に見せかける言葉と情報とルールがあふれかえってる。

それを上手く利用することばかりに頭を使って聞き分けばかり良くなってる人間達。違うんだよなぁ。違うだろう?


無器用さを隠さずそのまま踊ろうよ、みんな。
そのほうが「愛」がなんなのか分かるよ。