ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

あの方の失敗

2008年09月30日 21時14分16秒 | 観察屋ねーさん
平気で「愉快犯」をやっちゃうからマズイ。
やらなきゃ、すごーいお方だったのにさ。


「愉快犯」やりたくなる心の根っこには全てにおいて「軽蔑視線」があるのだろうと思う。


「ムカつくわ」「なろ~」とか言う(怒)なんじゃなくて、「軽蔑~馬鹿みたい。ならばシメシメ。」っていう下心が根付いてるから。


軽蔑までいけば、普通は関わらないようにするんだけどなぁ。

サポートされたい側の前提

2008年09月30日 20時41分22秒 | 吠えるねーさん
何かを質問します。
分からなくて質問します。

分からない側は回答する側にとっては想像もつかない前提でお話をしているケースは多々あります。


そうすると回答する側が、聞きたい側の前提を「自分にとっての当たり前の前提に強引にすり替えてから説明して完了」のケースにすり替えて、聞いた側は「ポカーン?」となってしまうケースがあります。

会話を進めるうちに、言葉のやり取りをしてるうちに、前提が回答してる側の都合にすり替わっているのです。


「前提が違う」と主張します。
すると「そんな前提は勉強不足で正しい言葉を使わないほうが馬鹿だ、相手にしてられない。」と、こんな態度を突き付けられます。


畑違いの知識を、完璧に勉強する時間なんてありませんし、何が正しい言葉なのか、なんて分かりません。


だからサポートを受けたい訳です。

聞かれた側は、聞いてきている側の説明がおぼつかなくても、前提が自分の前提ではよく把握が出来なくても、それを「つまり、こういうことですか?」と、目線を合わせた言葉に変換していく能力があるかどうか試されているわけです。


まぁ、後は、その人の関わり方のスタンスの問題になります。


自分の前提に強引にすり替えて終わらせたいのであれば、あまり人のサポートはしないほうがいいかと思います。


自分でやりたいことを他人を頼らず自分だけでやってくれればいい話です。

人に振っちゃダメです。
だって、相手の言ってる前提は聞きたくなくて、一方的に遮った上で、自分の前提に置き換えて知識を披露したいだけなんですよね。
それじゃぁ交われません。


言葉が正しいかとか勉強不足を指摘することよりも、自分の前提が相手の前提と同じラインに立っているか気にしないと、単に会話の勝ち負け勝負になるだけで本当に疲れます。

な~んにも楽しくないのです。ホホホ。

人に任すことが仕事らしい。

2008年09月29日 08時55分39秒 | 味わうねーさん
もぅ俺の立場は自分でなんでもやってちゃダメなんだって分かったの。
だからまずは人に任せることを考えようと思う。
まぁ確かに今って何から何まで指図しないとやらね~奴が多いんだよなぁ。
自分でやり方考えるとか、状況見て自分の出来ることを探して自主的にやるとか、ま~るでないんだよ。
だけど手順を教えりゃやるんだわ。
手順覚えりゃ誰だって出来てよぅ、そこから早く抜け出して欲しいけど、そういう世の中だから仕方ないよな。
それ前提で考えるわ。



は~、やっとその域に腹が括れたか、弟よ。
そこからが本当の自分力が試されるんだぜ~。

自分の理解度が浅いと単なる責任転嫁になるだけでさ、出来る部下に見限られちゃうからねぇ。

分かっていて、あえて手抜きして考えさせるをやると、立ち回りの要領のいい子はちゃっかり逃げ出すんだよね。(笑)
そこにのっかってくる奴は案外見込みがある可能性が。
いや、こういう子も分かっていてのっかってるから、案外。
面白いんだよね、一緒に何かしててさ。


人に任せて初めて自分の理解度とか責任をどんだけ背負ってるかが分かったりするもんなんだわ。
分かっていたつもりが、人に分からせる側になって、「あれ?」ってね。

伝わらないもどかしさを掘り下げていった時に、自分の理解力が低かったことを謙虚に受け入れなきゃいけない時があったり、あるいは「なんだ、まるでやる気がないだけ、こいつは。さてさてどうしようかな。」っていう、無駄に一生懸命になった自分にちょっぴりガッカリしたり、そういうのが手に取るように分かるようになっちゃう。


そういう繰り返しで器は磨かれていくんだけどさ。


特に大企業さんの中で、部下に任し、上司に掛け合うって、大変なんだよねぇ。

「他人なんかしらねぇ、俺は俺だけ出世できりゃいいし。」でやっちゃえば墓穴掘るのは明らか。
ホントにそう思う、長年の仕事人生や親の周辺やら、いろいろ観察してきて。


自分一人で商売してるのとまた違うからね。
組織のコーディネートって大変なのよ。


甘すぎりゃ舐められるわ、厳しすぎりゃ引かれるわ、ヌル過ぎりゃまとまらないわ、まぁその案配は自分で体験して調節しながら探すしかないのだ。

いやホントに教科書はないからね。
いい師匠や友を持つに限ります。

感情とフィーリング

2008年09月27日 15時31分55秒 | 2種分ねーさん
フィーリング【feeling】
なんとなく受ける感じ。また、感覚。

かん‐じょう【感情】
物事に感じて起こる気持ち。
外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。
快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。


世間ではひっくるめて、

「あの人は感情に左右されがちだよね。」

と言う。

だけど、フィーリングに左右されている人も一色単にしてる。
フィーリングに左右されている人は、決して感情に左右されていない。

フィーリングというのは、
その人自身が日頃の物事に自分自身で関わって行動したり、
そういう中で観察したりすることで、
身をもって感じているその人なりの感じであって、
これはこれで無いよりあったほうがナンボかマシなのである。

それは、自分ではやらない直接関わらない他人には分からない部分だから、
そこを「分かりません」的に執拗に突つく人を相手にすると感情を荒げるケースもある。
でもこれは決して感情には左右されていないのである。

感情というのは、
自分のフィーリングが「ぬるい人」とか「誤摩化す人」とか「虚勢を張る人」が、
そこを指摘されたり、そこを喜ばされたりすると、
バカみたいに荒げたり、単純に喜んだり、執拗に落ち込んだりするから非常に分かりやすいのだ。


感情に左右されてしまう人っていうのは、
経験値を上げたり、物事とか考えを掘り下げたりすることに手抜きして、
「のほほ~ん。
それが面倒くさいも~ん。
誰かにぶら下がってごろにゃ~んって甘えてたいも~ん。」
と、なんとなく世の中に乗っかってる人に多くないだろうかね。
でも、言い訳の言葉と情報は詰め込むんだよね、バレないように。

だから、感情に左右されているのか、フィーリングに左右されているのか、って
観察ポイントなのよね。

感情に左右されていると、まぁ、ホント、大人になっても大人げないよなぁ。

フィーリングに左右されている大人は、
なんかこう、いつも「もっとどうにかならないかな。」みたいな行動があって、
オチャメだったりするよ。




もうオレ何でもやるよ、言って。

2008年09月27日 01時17分55秒 | 伝われねーさん
今日は3回言いました。


でも永ちゃんのソレとはニュアンスが少々違うかもしれないんですが。

(ね)は「下働きだろうが何でもやるよ、言って。」っていう感じです。

でも、男女関係無くみ~~んなが同じ状況で忙しく仕事しているのに、
「(自分でちょっと探せばいい、誰でも探せる場所にある日用品的なものを)○○取って来て。」とか、
「○○どこにあるかなぁ。」的なのはやりたくないです。

ほんとにさぁ、お前がやれよぅ。
みんな自分でやってるわい。わはははは。
何だろうかねぇ、人試しでもしてる気かね。わはははは。


(ね)の周りって前の旦那とか弟とか知人の男性陣も、女にへんに頼る人がいないんだよなぁ。

前の旦那(11歳年上 & B型 & 兄姉有り)は臨機応変に、
「やれる人がやる。
時間があるほうがやる。
いちいち聞かなくてもいい状態のものは自分でやっちゃう。
自分でしたほうが早いことは自分がしちゃう。」人だったし。
だから料理することもご飯炊きも好きだったものね。

それが自分も楽なようでね。頼るより、気を使われるより。
自分のペース配分を他人に矯正しないっていうかね。
他人のペース配分が自分のペース配分と違っていても全然気にしないっていうかね。
allオッケーみたいなね。
そういうのをいちいち突つくタイプの人間は超苦手の様子だったね。
だから旦那の周りも寛容な人が多くてね。
だから(ね)の女の友人も男性にも全然嫌われないのね。
「居心地良すぎ。」みたいなね。
「ムッ」とかしちゃう子は「いちいち突つくタイプ」だったかも。
「ムッ」とされても上手に交わすしね。
あの方、出来た人でしたわ。


弟(2歳年下 & A型 & 姉有り)も、
「誰もが忙しければ(時間がある人の代わりはやらないんだな。)自分でやれることはやっちゃいますんで、
ハイハイ、ヤレヤレ、やりますよ。」だし。
仕事してる奥さん(看護士)が「どうにもこうにも時間が・・・」って時には、
料理から洗濯から掃除からやっちゃって、何でも出来るようになっちゃってね。
母なんて、
「ま~ぁ、家じゃなんにもしなかったくせにね。
それになに、洗濯物のたたみ方、見た?
キチ~~~~っとたたんでいるのよ。私以上に奇麗よ。」

知人ら男性陣(年代色々、兄弟構成色々)も、
「あぁ、女性陣は手を出さなくていいです。ボクらでやりますんで。
(本来女性が気遣いするようなことをあえてやってくれるみたいな。それも女性以上にきっちり仕上げるみたな。)」
だし。


まぁ、父(昭和12年生まれ & A型 & 兄姉有り)は、タバコ吸うのに灰皿を自分では用意しない人でしたねぇ。
そしておまけに「取ってきて。」とか「あるかな。」とも言わない。
「「あ~、灰が落ちそうだなぁ。」的を醸し出して、誰かが必然的に取りに行かされる。」みたいな。

取りに行かされると、「ニヤっ」として「サンキュー」とか言うのな。
娘が取りに行ったときだけな。ふははは。

あれ上手だよなぁ。
取りに行かなかったら取りに行かなかったで、テーブルの上のお皿とかに平気で灰を落とすんだよね。
「洗えば大丈夫。」って。

母が「あらぁ、もぉぉぉぉ。」って怒る、みたいな。
「ほら、取ってきて。」ってこっちが怒られる、みたいな。
父は「こら、お母さんに取りに行かせて。お前が取ってこい。」って娘に言わないんだよなぁ。
なんだったんだ、あれ。(笑)

命令しだしちゃうと、
「「命令すればやる。」「うるさいからやる。」になるのが情緒が無くて、自主性が無くて嫌。」とか、
そんな感じだったのかなぁ。

「感じ取れぇ~~~」みたいなね。


という訳で、「もうオレ何でもやるよ、言って。」を復唱してるんです、ここ最近。