ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

自分は手を抜き、それを他人に振る。

2012年01月31日 14時33分14秒 | 観察屋ねーさん
○疲れる仕事だから~

○やりたくない仕事だから~

○この仕事は自分に何にもお得がないから~



こういうのを平然と誰かに試すように振って、腹の中で舌をペロっと出して人試しするような輩が時たまいる。

交換条件をつけて誰かとそういうのを取りかえっこするような交渉するようなケースもある。

決して、そうやっておいて、「ふむ」とあえて○負担(×負荷)を増やしておいて、どのようにその人がクリアしていくかを人試し(指導)をしてるのとは違う。

そこの境目がどこでわかるかって、「指図するか、しないか」だ。


「腹の中でペロっ」は、指図する。平気で。

オバチャマは「人に指図をしなさんな。自分から動きなさい。そうしなきゃ人なんか動かない。」と教えられてきた。
「指図なんてとても失礼で下品な行為だからやめなさい。」と教えられてきた。
両親からも言われた、祖父母からも言われた。

「指図」ってのは「(頭を下げて)お願いします」というのと質が違う。
勝手に下男や下女扱いして使いを命令している感じ。
「いつこちらはあなたの下男になりました?は??」って感じの。
「上長からの命令とも違う、対等の立場で、、、、は??」って感じの。

本当にそういう家で育ってて、そういう人間を使っていて、という環境や関係性ならば仕方もないが、そうではない日々の○公平(×平等)な場。

自尊心をゼロからマイナスくらいに無くせばやってのけるのも平気になっていってしまうようなお互いに何のプラスの身にもならないような愚策。


「ふむ」と人試しする場合は指図ではなく誘導する。何気に。
腹の中では実はハラハラしていたりもする。
だから終始大丈夫かどうかを観察している。
「この試験、あいつはどうやって乗り越える?」って観察している。


指図ってのは特に考える要素もなくてそのまま聞けばいいだけで分かりやすいから、あまりよく見えてない人には、指図出来る人=仕事が出来る人風にも映る。
いや、ぜんぜんそんなことないんですがね。(笑)

やっぱりできる人ほど(偉そうに)指図をしませんから。痛感。
だって指図してやれるのは当たり前の範疇であって、そんなところで人を使っててもなんら仕方がないってのもわかりきってるから。
それをやったら逆に自分が能なしなのを公言してるのと一緒なんで。


まぁ、どういう集団にも必ずいる。


多分、「どう切り返してくるか?」をチェックして、それを個人でひそかに愉しむ要素にしてたり(優越感に浸るとか、勝ち負けの「勝った」気分に浸るとか。)、人間把握(指図してのってくれる人か?)の為の情報収集の要素も含まれているのかもしれないが、こういうのはすぐ相手の怠慢さ(下品な位の高さ)が手に取るようにわかる。



こういう場面に遭遇して、

「イラッ」と侮辱された感情をあらわにするか、

「ムカッ」と侮辱された反動をあらわにするか、

「シラ~」と平然とそれすらやってのける(気にもしてないくらいな幅の広さ)か、

そういうのもチェック要素だったりするんですがね。



オバチャマの場合は、「シラ~」と(○「しゃーないわ、この人。」とわかっていて(×わかってないで))やってのけるか、「う~~~~~ん・・・」と弱った顔をしながら「それは・・・ちょっと・・・ねぇ??」と含み言葉(諭し言葉)を残すような人が観てて楽しい。

WOOFIN'を買った。「狂ってるでしょ」に絶句。(笑)

2012年01月31日 12時28分50秒 | 味わうねーさん
窪塚君が載ってるからだ。(またこれだ。)

実弟のRUEED君との対談、RUEED君との写真をもう少し欲しかったところだ。
どういう訳なんだろう、RUEED君はPVの中のほうが俄然イキイキしていると思う。

New Foundationは「そこのお兄ちゃんっ!ちょっとこれ手伝って。」っていいたくなる感じでカワイイし、Zipangは「あれ、そこのお兄さん、ちょっと見ないうちに随分かっこよくなっちゃって。まぁ。」ってちょっとからかいたくなる感じで。(笑)

慶応ボーイでアメリカ留学してるようなお兄さんをそうやってからかってはいかんか。(いや、所詮、今の慶応でしょぉぉぉ・・・(なんてね。))

波があるのは、撮ってる人のせいかのか、ご本人のその日の気分なんだろうか。(謎)
はたまた一瞬を抜かれる写真は苦手意識があるのだろうか。(謎)



演出家の蜷川さんとの対談。

蜷川さんの「窪塚くんは狂ってるでしょ。伝説の狂いだと思うよ。」に絶句。(笑)
いやはや、6月に西巣鴨でやった舞台「血の婚礼」を観に行ったんだけども(ほんと手の届きそうな目の前の辺り(通路)まで窪塚君が歩いてくる芝居どころがあって、あれが芝居じゃなきゃ絶対に握手求めてたところだけどね。)、あれを観に行った次の日だったっけか。
会社で社長♀に「(窪塚君の舞台)昨日行ったんだってね~?」と聞かれ、「そうなんです~~」なんて感じで、しばし窪塚君の話題に。

社長♀は「あの子さぁ、狂ってるよぉっ!」って言ったんだよねぇ。
オバチャマは「ええええーーーん、窪塚君が狂ってるんじゃなくて、時代が狂ってるんですよぉ、窪塚君は実にほ~~~~んとに普通の子なんだと思うんですけどねぇ・・・」って言ったんだけども。

その窪塚君を表して「狂ってる」というワードが蜷川氏の口からも発せられているとは!こりゃまぁビックリ。

やっぱりヤツは狂っているのかぁ。そーなんだぁ。(ウハハハハ)



栗山千秋さんとの対談。

オバチャマも彼女は『ハゲタカ』の彼女の演技に「あら!?」って思ったのだ。
タランティーノ監督の映画に出てたりしてたけど、ああいう役だとファッションの一部って感じがして、ある意味「彼女を売る演出そのまんま路線」というか、あんまり興味が沸かなくて。
そこにきて『ハゲタカ』なんだけど、題材がシリアスでかなり現実的なものなのに実に芝居が安心して見てられたから。
父親が経営する会社が銀行から貸し渋りにあって父親が自殺に追い込まれた家の娘で、新聞記者やってる役だっけ。

窪塚君もこの対談で「ハゲタカの演技が好きだったかな」と言ってる。
「同感!」と思う一人です、このオバチャマも。



しかし、何度も言うが、社長♀も蜷川さんも言うくらいだから、狂ってんだなぁ、窪塚君。(ハハハハハ・・・いい意味。)



「狂ってる」というワードで繋げるなら、ここ最近リピート中の、『9mm Parabellum Bullet』もかなり狂ってると思うわぁ。
な~~~んか、ハマっちゃって。リピート聴き。リピート観(YouTubeに上がってるライブ時の動画)。
『EMI ROCKS』で吉井さんとコラボって、吉井さん、どーなっちゃうんでしょ。(ひょひょひょ)




▼ 狂う

激しく動き回ったり、舞い踊ったりする。
物事・機械の働きや状態が正常でなくなる。
物事に異常に熱中して見さかいがつかなくなる。おぼれる。
ふざける。じゃれつく。
精神の正常な調和がとれなくなる。気が違う。気がふれる。


「気を使われる」のと「頭を使われる」のと。

2012年01月29日 02時23分06秒 | 2種分ねーさん
「気を使われる」


例えば、親から、、、とか、友達から、、、、とか。

「気を使われすぎちゃって重い・・・」って感じることに遭遇することがある。

気を使われるってのは必要以上に心配されたり、かいがいしく手伝ってくれたりってこと。

この場合、これでキツキツに追い込まれると、感情で表現してアピールすることができる。

拒否してるようなイヤな表情してみたり、

困った表情してみたり、

怒り出してみたり、

感情で表現してアピールすることができる。

仮にお互いが感情のコントロールがしきれなくなったとしても、「イヤがっている」とか「困ってる」とか「怒ってる」という感情には共感できている。
だからかえって輪をかけてコントロールできなくなっていくというか。
ただ、冷静になればそのことは済んでいて、何かが感覚(経験値)として消化されていく。



「頭を使われる」


例えば、親から、、、とか、友達から、、、とか。

「頭をつかわれすぎちゃってキツい・・・」って感じることに遭遇することがある。

頭をつかわれるってのは必要以上に指図してきたり、命令してきたり、誘導してきたりってこと。

この場合、これでキツキツに追い詰められると、感情で表現してアピールしても相手に感情が伝わっていかないという不具合が発症する。

拒否してるようなイヤな表情をしてみても、

困った表情をしてみても、

怒り出してみても、

感情で表現してアピールしても、それに対する次の指図とか命令とか誘導が降りてくるだけ。

どうやら多分、日頃「感じる」ことより、常に頭で計算して処理してるからだろう。
「イヤがっている」とか「困ってる」とか「怒ってる」という感情に対する共感性はなくて、「人間にはそういう感情表現方法があって、その場合の人間の内面的理論はこうであって、その場合にこういう対処理論があって・・・」という風にさらに計算処理されているのだろう。

だからまた「次はじゃぁこういう指図を・・・」「次はこういう命令をしてみて・・・」「ならばこういう誘導はどうだ・・・」となるんだろう。何の悪気もなく。

そこがまた誰かを追い詰めていることも知らずに。

この場合は冷静になるもならないもなく、感情に対して共感性が無いから、ひとつのことが決着しても、何かが感覚(経験値)として残らなくて、「またひとつ別理論が出来上がった」というような、「頭を使うほうの人の脳みそにプログラムがまたひとつ書き込まれる」みたいなことにしかならないんだよね。
感情を持つ方は悶々で動けなくなるから、逃げ出したくなるんだよね。






世のオトナは「思春期心身症」をそのまま引きずっちゃってる感じしませんか。

2012年01月29日 00時44分56秒 | 観察屋ねーさん
で、厄介なのが、今って、この『思春期心身症』を直さずとも、表に出てこないように誤魔化せる表繕いが出来るテクニックがいっぱいあるっていうかねぇ。

それを洞察で見抜く人はいるんだけど、ひとまず誤魔化せる世の中になっちゃってるから、「う~ん、幼稚のままだな・・・」でスルーしておくくらいしか出来ないのよね。
「掘り返して面倒臭くする必要もないか・・・(かえって何かが崩れちゃうか・・・)」っていうか。


昔は中学生くらいがせいぜいだったのが、大学生くらいまで及んでる危惧がされてたのが、多分、昭和50年代なんだよねぇ。
だって、金八先生の第2シリーズでこのテーマをとりあげてドラマにしたくらいなんで。


ご参考までに。

心を病む子供達・その1

心を病む子供達・その2


オバチャマ、なんでこれをわざわざビデオから書き起こしたかって、もう、仕事していてオトナ連中相手に「なんなのだろう、こういうオトナ達って・・・」って怒りすら通り越してとにかくどう応対していいやら悶々としてて、「金八でテーマに取り上げられてたよなぁ・・・」って思い出して、書き起こしてみたわけ。

「自分の中の対処法が何か構築できるかなぁ?(子供っぽいオトナは楽しくていいんだけど、幼稚なオトナが大の苦手なんで。)」みたいな。


こういう症状に自分でちゃんと向き合って解消してきてないまま頭ん中だけオトナになってきちゃってるみたいなね。
んで、みんなで、「そのままでやってようぜ。化けの皮剥がすようなイジメはやめておこうぜ。一応体裁は整ってるんだしさ!」って暗黙の了解でやってるような。

「イジメとかいう喩え方してないでさぁ、っとに、ダメだ、こりゃ。」みたいな。

そういうのに流れきれない人(←そういう演技力っていうか計算高さを持ってない)は鬱っぽくなっていくっていうかね。
心が病んでいっちゃうっていうかね。
だけどこっちの人のほうがよっぽどオトナを感じるというかね。



今日突かれたお言葉・その735

2012年01月29日 00時13分08秒 | 突言葉ねーさん
クリンチ


麻生さんの会見の言葉より。



「抱きつきお化け」って表現したのが石破さんだっけか。
麻生さんは格闘技の「クリンチ」と表現。


クリンチ

相手のパンチを避けるために腕を相手の体に巻きつける行為。
疲れやダメージ回復を目的としたケースが多く、レフェリーは離れるように指導する(ブレーク)。


「クリンチ」ってのは明らかに相手方の出方として「パンチ入れるぞ!?」がわかる場合にやる行為で、「抱きつきお化け」ってのは自分からパンチ入れるような面倒臭い場面がこないように相手側にパンチ入れさすような計算が入ってるよなぁ。

こっちのほうを「賢い」と解釈する人もいるんだろうけども、

「自分が権限と責任を背負った以上は「パンチ入れるような役目は誰かに背負わせちゃおう!」って抱きつくんじゃなくて、まずは自分自身で入れるくらいの覚悟せいっ!おのれ。この他力本願っ!!」

って感じ。

「この作戦すら権限でやってます。」って言い換えされそうだけどね。


ほら、怒った男性が今にも殴りかかりそうな雰囲気の時に(相手方が怒らせることするから)、「まぁまぁ・・・」って抱きついて(それを見かけて「止めなきゃ」って思って仲介に入る男性じゃなくて、怒らせた男性そのものが怒ってる男性に抱きつく行為)その場をなんとかそのままなかったようにやり過ごそうとする男性とかいるじゃんね。

「あんらまぁ・・・・ダサっ(苦笑)」ってちょっと呆れるような。
「相手も小狡いが作戦なのかね。(苦笑)」ってちょっと考えさせられるような。
「仲介に入る男性がそれやるならまだしも・・・」って思わず一瞬芝居でも見て評論してる気分にさせられるような。


んで、「抱きつきお化け」なんだよねぇ、やっぱり。
表現としてあってるのは。